コニカ Fについて

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 ※内容は新事実が判明する都度書き換わります。今まで事実としていた事が突然変更されるかもしれませんのでご了承下さい。

 小西六が初めて発売に踏み切った一眼レフがコニカ Fです。
 あまりの意欲作故問題が多かった様で、ほとんどがアメリカへ輸出され、国内の流通台数が極端に少ないというのが通説(正式な根拠はありません)になっています。
 明確にされる事の無い総生産数が更にこのカメラを謎の存在にしている様に思えます。
 販売台数が少ないという事は問題があったという事で、本来なら静かに消えてゆく存在だったと思うのですが、技術的には優れた機構が多く、小西六の技術力をアピールする様に度々取り上げられるカメラです。

 また縦走りの金属膜シャッターが、コパルスクエア(スケア)と似ている為、コパルスクエアの元になった様な記述(根拠不明)も見られますが、それぞれが製品化された時期や特許取得の時期から考えると、コパルスクエアの元というにはやや乱暴です。
 一種の協力関係(相互の技術協力)があったと見る方が自然と私は考えております。
 (下記で検証しました)

 ところで近年書かれるコニカ Fの記事は過去に掲載された記事を引用しただけになって来ていますので、所有者ならではの実機から得る情報を書ければ良いなと思っています。
 例えば、些か凝り過ぎた巻上機構により、史上最も不快な巻上感ではないか...なんて触らなければ分からなかった事です。
 良い事ばかり書いて誰もこういう所を指摘しないんですね。
 (2018.06.14追記. 宮崎繁幹氏が慎重に言葉を選びながらも巻上のストロークについてはご指摘されていました。)


 ※Konica FにKonica FS以降のレンズは装着可能ですが、一部サードパーティ製のKonica FS以降に対応したレンズをつける事ができません。[実機確認.]

主な仕様

種類 135フィルム(24×36mm)レンズ交換式一眼レフカメラ
標準レンズ HEXANON 52mm F1.4、5群7枚構成、改良アンバーコーテッド、最短撮影距離 0.5m
レンズマウント バヨネット式コニカマウント / コニカマウント1型(後年呼名) / コニカFマウント(俗称)
口径 40mm、フランジバック 40.5mm
シャッター 縦走金属膜フォーカルプレンシャッター、等間隔倍数系目盛、1軸不回転ダイヤル、
シャッターボタン巻上げ軸中心、B, 1~1/2000秒, 倍数系列、クイックリターン
ファインダー 周辺マット焦点面、中央スプリットイメージ、コンデンサーレンズ内蔵ペンタプリズムアイレベルファインダー(標準)、
ウェストレベルファインダー(別売)と交換可能
巻上機構 1作動によるレバー式巻上、分割巻上可、セルフコッキング、
二重露光防止機構、巻上時フィルム圧板後退機構
巻戻し機構 クランク式フィルム巻戻し、巻戻し切替レバーの自動復元、巻戻し時フィルム圧板後退機構
絞り機構 完全自動絞り、被写界深度確認用手動絞り装置付き
露出計 完全連動(フィルム感度、シャッター速度、レンズ絞り)ゼロメソッド式、
低照度、高照度切替不要
セルフタイマー ボディ内蔵、全作動時間10秒
シンクロ MX接点、M級フラッシュバルブ全速度完全同調(遅延時間自動調節式)、スピードライトは1/125迄同調、ソケットJIS B型
ミラー ミラー前端垂直上昇式完全クイックリターン
その他 オートマチックフィルムカウンター、
シャッター速度ダイヤル内にASA感度、絞り値を一括表示
サイズ 150.5×105.5×91mm
重量 865g(標準レンズ装着時 1100g)

コニカ F用交換レンズ

焦点
距離
開放
口径
構 成 画角
(度)
絞り方式 最小
絞り
最  短
撮影距離
重さ 直径 × 長さ フィルター
サイズ
52mm F1.4 5 7 45 完全自動 F16 0.6m 260g 62 × 47.5mm 49mm
35mm F2 7 8 63 完全自動 F16 0.6 450 75 × 71.5 72
85mm F1.8 5 6 28.5 完全自動 F16 1.5 480 69 × 76.5 62
135mm F2.8 5 5 18 手動 F16 1.8 500 64 × 107 55

[写真1.] コニカ Fのカットモデル

確定情報

  • メーカー広報表記:コニカ F(日本語)、Konica F(英語)[コニカ出版物及びケンコートキナの年表.]
  • KONICA'F'、Konica'F'[英語広告.]
  • 1960年2月発売。
  • ファインダー倍率や視野率は不明。
  • アクセサリーシューは巻き戻しノブ先端収納場所の両側金具へ取り付ける。
  • 専用レンズの絞りを操作すると、シャッター速度ダイヤル内の絞り値が連動回転し、適正な露出の組合せを確認出来る。
    故に開放時、プレビュー時いずれの測光も関係がない。
    連動は下図の通りシャフトとギヤを介して行われる。
    その経路はご覧の通り、シャッター機構を回避する様に設定され、カメラ正面から見ると右側から左側へとシャフトとギアで繋がる複雑な道筋を辿っている。
    またシャッター速度ダイヤル内にはフィルムの感度設定機構も含まれ、これら露出決定要素全てを集約している。
    故に可変抵抗1つで適正値を求める事が可能となり、機械部分の複雑さと対象的に回路としては単純化に成功している。

[図1.] 露出連動機構
  • 一般対応感度LV5~LV17。
  • こちらを見ると輸出されたコニカ FもASA表示となっている。
  • マウント形状はコニカマウント(俗称:コニカFマウント)だが、絞り伝達ノブが付いているF専用のレンズを使用する。
  • 上記専用以外のレンズも使用可能だが、その際は内蔵露出計が使えなくなる。
  • 三脚穴は小径。
  • 国内販売価格は69,000円(52mm F1.4付き)で同時期に販売されていたコニカオートSは23,000円だった。

[広告1.]当時の価格を記したパンフレット

管理人所有のKonica F内部
 ※Konica Fは構造が複雑で調整も難しく分解はしないほうが良いです。



[広告2.]アメリカ雑誌に掲載されたBennett Brothersの広告より抜粋

未確定情報

  • 日本カメラ財団では、コニカ Fの発売時期を9月とした上で販売価格を71,000円と記している。(ケース込みの金額か?)
  • 生産台数が600~1000台という説が広く流布されている。
    また「記録が残されている」とする文章も見られるが誰がいつどこで残した記録を根拠としているのか出典が書かれていない。
  • 「シリアル番号で2000番台が確認されている」という情報を写真工業でコニカ Fの記事を書いた方とのやりとりで頂いた。
    そこでその根拠を問い合わせたが明確な回答は頂けなかった。
    よって出典不明な情報としている。
    尚、製造番号に関する情報としては、宮崎繁幹氏が101xx番を確認した旨を記載されている。[出典4.]
    私自身としては1009xx番までを売りに出ていた個体を見て確認している。
    私自身が101141番の個体を入手している。
  • 殆どが輸出され、一部100台程がコニカの社内(社員?)向けに販売(配布?)された。

資料

  • [写真1.] (2000.1). History of Konica 小西六からコニカへ コニカヘキサーRFのすべて 株式会社枻出版社, エイムック205. PP.105.
  • [広告1.] 国内用パンフレット 掲載 ワールド・ムック カメラスタイル Number23 究極の珍品 カメラ&レンズ特集 ワールドフォトプレス.
  • [広告2.] アメリカより購入した広告で掲載誌は不明
  • [図1.][出典1.] 小西六写真工業株式会社 技術部(1960). 35ミリ一眼レフの露出計連動機構 コニカフレックスの連動機構 写真工業 株式会社写真工業出版社, 1月号. PP.49-50.
  • [出典2.] 小西六写真工業株式会社 光学技術課(1960). コニカフレックスのマウント 内側バヨネット三本爪マウントについて 写真工業 株式会社写真工業出版社, 9月号. PP.20-21.
  • [出典] (1960.12). 35ミリ一眼レフ カメラ年鑑 株式会社日本カメラ社, '61, PP.97.
  • [出典3.] 菱田耕四郎(1987.9). クラシックカメラ専科-10 小西六カメラの歴史 株式会社朝日ソノラマ.
  • [出典4.] 宮崎繁幹(2001.8). クラシック35mm一眼レフカメラ コニカ F カメラレビュー クラシックカメラ専科 株式会社朝日ソノラマ, No.61. PP.79-83.
  • [出典5.] 宮崎繁幹(2003). コニカ F コニカ第1世代35mm一眼レフ クラシックカメラ選書-28 コニカカメラの50年 株式会社朝日ソノラマ, PP.86-90.
  • 内部写真撮影 協力:芹沢光機.


コパルクスエアとの関連性

 ある書物ではコニカ Fのシャッターからコパルスクエア(スケア)が開発されたという。
 またWikipediaに至ってはコパルスクエア使用と明らかに誤った記述さえ見られる始末である。(2020年6月22日修正しました)

 何故この様な根拠の無き情報がさも当然の如く語られるのであろうか?
 それでは真実はどうなのだろうか?
 ここでは入手可能な情報からその実態を探っていこうと思う。

 私は確実な資料として現物、つまり構造面から比較した。

[図2.] コニカ Fのシャッター機構

 一見するとドラム状の構造体が目を引く為、コパルスクエアと似ていると錯覚するが、動作プロセスを追って見ていけば、松田保久氏と共同研究者である斉藤謙雄氏独自の仕組みであり、コパルスクエア(茶谷薫重氏発案)の構造と全く異なっている。
 コニカ Fのシャッター動作をわかりやすく示したのが下図である。

[図3.] コニカ Fのシャッター動作

 ご覧の通り、ドラムはチャージを促す為と前後のシャッターが走るタイミングを図る事(解除)に使用され、シャッターの駆動エネルギーは全て右側のバネ収縮から得ている。
 これは茶谷薫重氏に端を発するコパルスクエアに見られない動作プロセスだといえる。
 比較の為にコパルスクエアの動作プロセスを下に示す。
 ただし、カメラ正面視点で作図されていたコニカ Fに対し、カメラ後部視点で作図されている点、及びチャージ、終了、開放の並び順である事に注意されたし。

[図4.] コパルスクエアのシャッター動作

 この様に似た位置にドラムこそ存在するが、役割をチャージと走行タイミング用としたコニカ Fに対し、コパルスクエアではチャージから駆動エネルギーの伝達、及び走行タイミングの全てをドラムの回転によって得ている。
 これはいずれ追記するが茶谷薫重氏の新案をマミヤ光機が基礎研究(後にコパル光機が開発)していた頃から、ユニット化を目指していた事を考慮すると理想的解決手段に思える。
 ただしメカニカルな視点から見た場合、ドラムの回転運動を垂直運動へ変化させた上にテコ状のアームによって再び円運動へ変える仕組みは、各部の動作抵抗や精度の追い込みといった苦労があったであろうし、初期のコパルスクエアが神経質だった事と無縁ではあるまい。
 もちろん私の憶測に過ぎず、今後の裏付けが必要となる部分だ。
 一方、コニカ Fで開発した松田保久氏考案のシャッターを見てみると、シャッター動作自体は単純な力の方向転換1回で済ませている。
 これも私の想像によるものだが、この動作をシンプルにする事で1/2000秒実現が達成されたのではないだろうか?
 先のコパルスクエアの件と合わせて確認資料がほしい所だ。
 話を戻そう。
 コニカ Fのシャッターは単純な駆動系に対して、チャージまでのプロセスはコパルスクエアより遥かに複雑であり、またボディ横幅を広く専有する構造は、このままブロック化する事は当然出来ない。

 この様に構造的相違を見ると、明らかにコニカ Fのシャッターとコパルスクエアは全くの別系列である。
 また茶谷薫重氏の特許提出から開発されるまでの流れを見ても、その様な事はあり得ないのだ。
 それでは再び何故コニカ Fのシャッターがコパルスクエアの元となったという噂がこれほどまで流布されたのか考えてみたい。

 キーワードは1966年から1975年まで続いた、コパルスクエアの発明者茶谷薫重氏とコパルスクエアの製造販売を行った株式会社コパルとで争われたコパルスクエアSの特許をめぐる裁判である。
 結果は周知されている通り茶谷氏の敗訴で終わるが、この裁判中に発行された「日本写真機工業会編 戦後日本カメラ発展史」の66ページ、221ページでコニカ Fのシャッターはコパルスクエアの元と書かれている。
 また、シャッターの発展という章の130ページでは、「昭和35年にコパル光機が、世界でも最初の金属羽根のフォーカルプレンシャッターユニットの開発に成功し、35ミリ判用のコパルスクエアSを発表した。」と書かれていて、そこに茶谷氏は一切登場しないのである。
 昭和35年とは1960年であるから、ここで書かれているコパスルクエアSとは最初のコパルスクエアの事であるが、茶谷氏と株式会社コパルで争われていたのは正にコパルスクエアSのライセンスについてであった。
 これは考え過ぎだと理解しつつも意図的に誤った記載をしたのではないかと疑いたくもなるのである。
 何故なら日本写真機工業会の会員会社に株式会社コパルやコパルスクエアを採用した写真機メーカーは名を連ねているのに対し、株式会社エフシー製作所(茶谷氏の会社)は含まれていないのだ。
 従って発行当時の日本写真機工業会としては、コパルスクエア関連は裁判中で触れたくない項目だったであろうし、茶谷氏が考案したとは書けないのである。

 実のところ茶谷薫重氏が1954年に提出された特許(特公昭31-8182、特公昭31-8819)の時点で完全に基礎が出来上がっている事からコニカ Fからの転用ではない。

 後年、コニカ技術者の内田康男氏がKonica technical reportでコニカ Fのシャッターを指し「この技術がコパルに引き継がれた」と記載しているが、どの技術に対してどの程度引き継がれたのかまでは言及されていないので「フォーカルプレンの考え方」が引継がれたと解釈する方が無難である。

 単純に流れだけを見ると、松田保久氏(小西六葛眞工業技師)による実公昭29-5348と茶谷薫重氏(株式会社エフシー製作所代表取締役)による実公昭29-4471がそれぞれ同じ頃に金属薄膜構造のメタルシャッターを発案し、独自の研究開発を経て発展したというのが現在の見解である。

資料

  • [出典6.] 株式会社コパル光機製作所 設計部(1960). 金属羽根フォーカルプレーンシャッター コパルクスエアーについて 写真工業出版社 株式会社写真工業出版社, 10月号. PP.75-80.
  • [出典7.] 愛宕通英(1961). 巻軸のない金属板フォーカルプレン カメラとレンズの辞典 日本カメラ社, PP.170-178.
  • [出典8.] (1971). 日本写真機工業会編 戦後日本カメラ発展史 株式会社東興社, PP.66, 130, 221
  • [出典9.] 満岡久(1978). メタルシャッターの歩み 第1部歴史編 カメラレビュー 株式会社朝日ソノラマ, No.2. PP.115-119.
  • [出典10.] 内田康男(1993). Konica technical report, Vol.6. PP.24.
  • [図2.], [図3.] 小西六写真工業株式会社 技術部.
  • [図4.] 株式会社コパル光機製作所 設計部.
  • [参考.] dinosauria123氏のおぼえがき「茶谷シャッターとコパルスクエア


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最終更新:2023年05月31日 08:40