ココロ やせてとがってく
香取洋子は、幼い頃に帰ったかのように眠っていた。
懐かしい匂いが鼻の中を通り抜けて、脳を擽ってくれているようだった。
そのおかげか、いつもに比べて随分と寝汗は抑えられている。
その日見た夢は、ある事故が起きてからの長い悪夢ではなく、広大な海と優しい父の傍に抱かれていた遠い日の夢だった。
父と二人暮らしてきた楽しかった日々――大きな海の真ん中で、父の操縦する船を走り回っていた時の事。
夢の中では子供に帰れた。
夢の中にいる洋子は、香取洋子ではなく、鹿島洋子という少女で……その名前の持つ意味が変わっていく事を知らなかった。
自分の手が血塗られていく事など考えもしなければ、多くの人間が父に憎しみのまなざしを向ける事など予期していない。
まるで、全てを忘れ去ったかのような快感。
こんな安らかな夢を見るのは、いつ振りだろうか。
多くの犠牲者を出した海難事故の「元凶」の娘となってからも。
鹿島洋子という名前を名乗れなくなり、悔しさの中で死んだ母の姓を名乗るようになってからも。
父の命はおろか名誉までも奪った男たちに復讐を誓ってからも。
そして、彼らを殺して、やがて血塗られた幽霊船長となってからも。
悪夢以外の夢を、見る事はなかった。
きっと、多くの復讐鬼たちは、その復讐の起源となった地獄の瞬間だけを夢に見るようになっていくのだ。
固く刻まれた憎しみを胸に宿し続け、それを忘れないように、夢が何度も彼らの脳裏にその瞬間をしみこませていく。
決して憎しみを忘れる事がないように、囁き続ける言葉と、フラッシュバックする光景。
それは、たとえ忘れたくても、憎しみを骨肉に彫り込まれていくような痛みだった。
それを誰もが繰り返し、繰り返し、そして頭の中に描かれた復讐の計画を現実のものに変えていこうとするのだ。
復讐鬼たちは、地獄の夢を見る。
しかし――その一日だけ、香取洋子はその復讐の日々から解放されていたのだ。
そっと目を開けた。
洋子の胸にじわじわと残る、夢の残滓のせつなさ。
心地良い夢から現実に変える時の、どこまでも胸が痛い感覚――あと少しだけでも夢の中に溺れていたい。
だが、一瞬にして彼女の眼は冷めた。
周囲を見回した。
「どういう事……?」
洋子は慌てて起き上がり、思わずそう口に出してしまった。
頭の中で考えた事が口に出てしまうのは久々の感覚だ。
絶対に明かされてはならない計画が頭の中に存在しているうちは、それがどこかから漏れないように必死に押し込めていた。
しかし、頭の中だけの口で言った言葉が、そのまま吐き出された。
それくらいに驚くべき瞬間だった。
何故って。
「ここは……」
それは、洋子が今いるのはかつて暮らしていた家――父との思い出の残る家、だったからだ。
生まれついた町の中で、今確かに浮いている筈の一軒家。
しかし、この家だけがリゾート島に運ばれたかのようで、町並みなんていう物は存在しない。
誰もこの家に石を投げないし、この家が壊されていくのを見て見ぬふりする者もいない。
「リゾート島って、まさか……こんな事まで」
そうだ。そういえば、九条という男は、観月旅行社と言っていた。
観月旅行社といえば、あのオリエンタル号の処女航海を担当した旅行会社である。
あの旅行会社に、家を一軒まるごとリゾート島に移築する力まであったというのか。
これまで惨劇の舞台となった場所を再現する、とは言っていたが――まさか、この家まで。
洋子は、呆気にとられつつもそれを事実として認めた。
今自分がいるのは夢の中ではない。
現実なのだ。
それをまず受容して、それから進まなければならない。
今自分がいるのは――間違いなく、遠い昔、親子が暮らしていた懐かしい我が家なのだ。
「――……」
――だが。
やはり、そこは、洋子が幼かった時とは違い、誰かによって向けられた悪意の痕跡が残っていた。
少しだけ、洋子の顔から笑顔が消える。
笑顔……?
そうか、自分は今、笑っていたのだと、口元がそっと落ち込んでいった時に洋子は気が付いた。
彼女は、ゆっくりと外に出た。
壁にはたくさんのラクガキ……『人殺し』『地獄に落ちろ』。
窓は割られていて、そうか、夜風が入り込んでいた。
道理でというべきか、洋子はここで眠っている時、僅かな肌寒さを感じていたのである。
暖かさだけに包まれなかったあの感覚は、この隙間風が齎した物らしい。
ただ嬉しいだけの感覚じゃないのは、これがあの事故の後の光景だったからであろう。
「……」
それでも――。
これまで、遠くから見る事しか出来なかった家に、ただ一人で入っているという事実が、洋子にとっては感慨深いものだった。
勿論、この場所に向けられた多くの人間の悪意の証は残っている。
だが、そんな事も頭の片隅から消えて行った。
家の中の匂いも、雑誌の付録のシールが大量に張られた家具も、在りし日の両親と三人が映った写真立ても、幼児が描いた船乗りの絵も。
すべてが、そんな悪意を忘れさせるほどに、懐かしかった。
やっと会えた。
やっと帰って来られた。
何度近づいても、絶対に潜る事の出来なかった門に――この殺し合いは導いてくれた。
「……ただいま」
家の門の前で、ずっと言えなかった言葉をつぶやく。
胸から熱い物がこみあげてきた。
おかえり、という返事はない。
その寂しさと――長く言えなかった言葉を言えた喜びと。
「お父さん…………ただいま」
嗚咽が出て、涙が溢れ、しゃがみこむように崩れるるまで時間はかからなかった。
それは、空虚と憎しみとが忘れさせた、幼い少女の純粋な涙のようにさえ見えた。
復讐の悪夢の中にあった洋子も、ほんの少しだけ帰りたかった過去に帰れた――。
復讐鬼の目が潤み、少女に戻っていくのを、祝福する者はいなかった。
◆
数十分が過ぎた。
周囲には誰もいないと、洋子はしっかり確認した。
この家と洋子だけが、まるで時間や場所の概念から消されていったかのように、此処にある。
いつでも帰れる。
誰かの視線に怯える事もない。誰かの悪意が向けられる事もない。
ずっとここにいても、誰も殺人犯の子供だなんて言わない。
その感激に飲まれながら、洋子は掃除を始めていた。
彼女もまた、ほんの少しでもかつてのこの家の姿を取り戻したいのだ。
この見るに堪えない、まるではきだめのように扱われていた場所を、そっと本来の形に戻していきたい。
誰にも見られないところで、こうして、訴えるようにしてラクガキを消せる。
誰かの間違った主張に対抗できる。
いつまた崩されてもいい。
ほんの少しの間だけ、夢を見ていたい。
その為に、まずは、支給されていた洗剤を手に取った。
ブラシを手に取り、洗剤と水で壁のラクガキを消していく。
洋子たちを攻撃していた文字が、弱弱しく、薄まっていく。
甲板を掃除するような重労働は慣れているが、何故、彼女がこれを掃除しなければならないのか――。
誰かに理不尽に向けられた悪意に対抗するのに、被害者自身が労力を割かねばならないのは理不尽そのものであると言える。
それでも彼女は、どこか楽しそうに掃除をした。
ラクガキが消えていくだけで、気持ちが晴れていくのがわかったからだ。
この悪意を一刻も早く消す事ができれば、もう文句はない。
「……お父さん」
最初に、『人殺し』という字が消えていった。
人殺し。
確かに洋子は――人を殺した。それは否定しない。
だが、この言葉を向けた人間の意図は、その事を指示しているわけじゃない。
百人以上の人間が死んだオリエンタル号事故で、父の過失を責め立てているのだ。
遺族たちはすべて、鹿島伸吾に憎しみを向けている。そして、彼らに必要以上に共感した正義感の第三者たちが壁をラクガキで埋めた。
鹿島伸吾は冤罪だった。
やってもいない罪で、ただひたすらに攻め立てられ、死んでも尚憎まれ続けた。
早く消したい。
この言葉を。
父は違うのだから。
父は、船乗りとしての責任を全うした。
その誇りさえも、こうして真実を知らない誰かの悪意によって汚されている。
諸悪の根源が別に存在しているのはわかっている。
しかし、何も知らずに悪意を向ける人々にさえも、洋子はずっと苛立っていたのだ。
それを発散するのに、今の行動はちょうど良かった。
薄まっていく『人殺し』の文字を見ていた洋子は――次の瞬間、背後から頭を殴られ、どさっと倒れた。
◆
一瞬、何が起きたのかも理解できないまま、洋子は洗剤の混じった小さな水の川の中に顔を沈ませた。
石の味と、洗剤の匂いと。
(どう、したの……)
もう一撃、何か細長くて固い物が脇腹に叩きつけられた。
筋肉と内臓とを叩きつける鈍器の一撃が、全身に駆け巡る。
連打するように何かを振りかぶる襲撃者がいたのだ。
――洋子はそれに気づかなかった。
「くっ……!」
だが、襲撃者が凶器を振り上げているうちに、洋子は這うように転がって、塀に寄りかかって起き上がる。
脇腹が痛んだ。頭を殴られた衝撃か、目の前が蜃気楼のように歪み、立っているのに自分が倒れているのか立っているのかわからなくなった。
それでも、洋子は立ち上がり、バットを振り上げる誰かを見た。
◆
襲撃者は、アイスホッケーのマスクを被っていた。
あの有名な『13日の金曜日』に出てくるマスクの男――ジェイソンに酷似している怪物である。
それを想起させるが、洋子もそれが映画の怪物とは思わなかった。
仮面を装着する事で身元を隠した別の誰かだと、判りきっている。
それが成人男性程度の体躯である事は、洋子の目からは容易に想像できた。
とはいえ、太い骨格や筋肉の持ち主とは思えない。洋子が見てきた船の男と比べると、見劣りする体つきであった。
ただ、その男が優位なのは、洋子より高い位置からバットを振り上げる事が出来る身長の方だ。
「螢子が受けた苦しみ……キサマも味わえ!!」
木製のバットが真上からたたきつけられようとする。
幸いなのは金属製ではない事だった。もし金属製だったら、洋子は既に意識を失っていたかもしれない。
その男からは、殺人鬼らしい殺意を感じた。
そして、洋子に悪寒を覚えさせるような悪意もまた、彼からは放たれていた――。
「きゃっ!」
次の一撃は、洋子が上手に避けて幸いにも空ぶった。
壁を背にしていた事も大きかったのだろう。それによって、距離感を掴むのが難しかったようだ。
「避けたかッ」
しかし、それでもジェイソンの悪意は冷めやらない。次の一撃を放つ為、マスク越しに洋子を睨む。
何者かはわからないが、少なくとも彼女にわかるのは、彼が敵である事はわかっている。
もう一つわかっているのは、生き残る為に最大限対処しなければならないという事。
(――誰なの? この男!)
いきなり深手を負ってしまった洋子は少々分が悪い。
今は上手に向かい合う形になったので、まだ回避の術はあるが――さて。
洋子は、デッキブラシを手に取った。
次の一撃までに使える武器は、ただそれだけだ。
「はぁッ!」
振り上げられようとしているバットを躱すよりも――ブラシが真っすぐ突き出された。
まだ水と洗剤が仕込まれたヘッド部分がジェイソンの顔に勢いよく激突する。
「くっ……!」
大きく後ろにバランスを崩すジェイソン。
彼は、バットを握ったまま、もう片方の手で目を抑えた。
今の一撃で、期せずして目に洗剤が入ったのだ。
(――よしっ!)
思わぬ優勢だった。
脇腹がズキズキと痛む中でも、つい笑い転げてしまうくらいの安心感が過る。
逃げるならば今だが、おそらくすぐに追いつかれてしまうだろう。
だが、安心している場合ではない。畳みかけるならば今である。
むしろ緊張を維持したまま、相手を追い返すのだ。
(これなら――!!)
しかし、その一瞬で洋子は、デッキブラシを左手に持ち替え、懐から果物ナイフを取り出した。
鞘を口で外し、吐き出すように地面に捨てる。
からん、と音が鳴り、ジェイソンがこちらを向いた。
これが彼女のもう一つの支給品であった。護身用に、こうして懐に隠し持っていたのだ。
刃を向け、ジェイソンを威嚇する。デッキブラシも、今度は持ち手を反転させて、棒の先端の方がジェイソンを向いた。
考えてみれば、わざわざ木製のバットで襲ってくるという事は、彼にはそれ以上の武器はないという事に違いない。
「!」
ジェイソンは、些か驚いたようだった。
不意打ちにも関わらず、自分が劣勢に立った事に……。
しかし、どうやら執念は膨らんでいるらしく、肩を揺るがせながら洋子と目を合わせ、些かの沈黙に応える。
洋子がどう動くのか見定めているのも勿論の事、洋子をどう叩き伏せるかも未だ考えているらしい。
暴力を振るいたいだけにしては、妙に物分かりも良かったので、洋子は少し助かってもいた。
「――どう? まだやる気?」
頭や脇腹は痛んでいるが、それを悟らせないような冷や汗混じりの笑みで洋子は言う。
まるで本当に怪物でも相手にしているかのような気分だ。
性格もわからない相手にどう言葉を投げていいのかは、こんな状況でもわからない。
「あなたの目的はわからないけど……とにかく、あたしとこの家に手を出すのはやめて。
余計な危害は加えたくないのよ。たとえ身を護る為でも……」
その言葉が取引を意味する事は、ジェイソンにもわかっている筈だった。
手を出して来たら殺す。手を出さなければお互い、余計な血は流さない。
明らかに、誰にとっても損のない取引の筈だ。
「……」
しかし、どうやらその言葉を聞いても彼は諦める様子を全く見せず、まだ食らいつこうか迷っているようにさえ見える。
そこまでの執念とは、一体何なのか。
わざわざ殺し合いなどする必要もないにも関わらず単純な暴力で襲い掛かるのも奇妙だし、反撃を受けてもナイフを突き出されても引く事がない。
彼が男で洋子が女である以上、別の目的もある可能性も否めないが、それでも流石に凶器を前に怯まないほど婦女暴行に執着する者も少ないだろう。
まるで、洋子という個人を標的に定めており、その存在そのものを執念深く狙っているようである。
(まさか……)
思い当たるのは――そう。
この家の人間を恨んでいる者――オリエンタル号沈没事故の遺族、といった存在だ。
他にいくつかの可能性があるとしても、洋子の中ではその可能性が肥大化して、他の可能性を考えられないくらいに大きな出来事だった。
遺族たちの怒りを洋子はニュースでいくらでも知っているし、彼らが鹿島伸吾をもう一度殺してやりたいほど憎んでいるのもわかっている。
だとすれば、その鹿島伸吾の家で「お父さん」と呟いた少女が、同じくらい恨まれていて、この状況下、好機とばかりにそれを狙う者がいてもおかしくない。
洋子はおそるおそる、口を開いた。
「……ねえ、一つ聞いていい?」
答えはない。
しかし、それで良い。
答えなど求めてはいない。
恥ずかしい独り言を、通りすがりの人間に聞かれるような心持で、目の前のジェイソンとの対話が始まる。
それは、洋子にとっては、「鹿島伸吾への誤解を持つ世間」と戦うよりはずっとマシな状況に見えた。
あの大軍は、どれだけ訴えても絶対に洋子の言葉など信じてくれるわけがない。
それでも、もしそれが――――個人と、個人の対話であったなら。
まだ、分がある。
目の前にいるたった一人の人間を見る事と、「鹿島伸吾の娘」を見る事は、この男にとっても違う筈だ。
別の動機があるのならば仕方ないが、彼の動機が「オリエンタル号沈没事故」に関わるものであるならば――と、洋子は賭けた。
「もし違っているなら、聞き流して。
――ねえ、あなたの動機は、あたしの父……鹿島伸吾に関わる事?」
「!?」
反応が、あった。
予想していた事とはいえ、洋子も驚いている。
それは明らかに――鹿島伸吾を恨む誰かの悪意だった。
「……やっぱり。ねえ、それなら、聞いてほしい事があるの」
「……」
「あの事故の……あの事故の、本当の原因を伝えておきたいのよ。
武器を下して。そうすれば、あたしもそれに応える」
「……」
「――それとも、このままがいいの? それなら、あたしもそうするわ」
ジェイソンがバットを構えたままである以上、やはり対話は緊張を維持する事になる。
洋子は、戦いを避ける為に真実を出しにしようとしていたが、相手にとってはそれは武器を下す理由にはなりえないようだ。
相手が真実を知りたいかといえば、そうとも言い切れない。要するに、やり場のない怒りをぶつける相手が欲しいのだから、それがオリエンタル号でも竜王丸でも構わないのだ。
本当に真実を教えたいのは洋子の方なのである。
優勢なようで、どこまでも劣勢でもあった。
しかし、それを悟られない為に、うまく堪える。
「あの事故の責任は、父の操縦していた竜王丸じゃない……オリエンタル号側にあったのよ。
父は昔からあたしを船に乗せてくれていた。――でも、酒を口にしながら船を動かした事なんて一度もなかった!
あれは全て、オリエンタル号の鷹守と若王子が、責任を全て父に擦り付ける為に仕組んだ事だったのよ!」
この話をする時、洋子の中から冷静さが消えた。
こらえきれない怒りや悲しみが、強い主張となってジェイソンに投げかけられる。
ナイフを持つ手が震えるが、もう一度しっかりと握りしめる。
「あの事故の事で憎むべき相手は、鷹守と若王子なの……。
信じてくれなくてもいい。あたしは、ずっと、この話をしたかった……。
これ以上、誰も父を憎まないでほしい……いや、違うわね。
父が最後まで貫いた誇りが捻じ曲げられるのが耐えられないの。だから――」
「……」
「聞いてくれたでしょ。信じるか信じないか、少しでも考えてくれたならそれで良い。
だから、早くどこかへ行って。
……あたしは、ずっとここにいるわ。
もし、まだあたしたちを恨むとしても、考える時間はあるでしょ?」
それは、ただの取引ではなかった。
洋子は、今にも泣きそうな気持ちになっている自分を慰める時間が欲しかった。
一刻も早く、この男に消えてもらって、涙を流す余裕を得たかったのだ。
ようやく、ジェイソンが口を開いた。
「――なるほど」
それは、洋子を安心させる、落ち着いた若い男の声だった。
彼女も、ジェイソンが納得した事を悟って、どこかでほっとしていた。
早く彼が退散してくれる事を願いながら、彼を見つめる。
「考えておくッ!!」
しかし――、その言葉と共に、ジェイソンのバットは振り上げられた。
◆
――ジェイソンの攻撃に対して、反応はできた。
構えているナイフは飾りではない。
残念だが、襲ってくるならば反撃するしかないのだ。
果物ナイフを構えたまま、せめて急所にならないところを狙って刺突しようと、洋子は前に出る。
正当防衛という後ろ盾が、その罪悪感を打ち消していた。
しかし、どこか準備が欠けていたらしい。
「あっ……!!」
一歩を踏み出した洋子の体が大きく傾いた。
洗剤が撒かれた地面で、足を持っていかれたのだ。
ジェイソンの元へと肉薄しようとしていた洋子は、そのまま激しく転倒し、顎からアスファルトに叩きつけられる。
口の中で歯と歯が激突して、痛んだ。
「痛ッ……」
そんな彼女に追い打ちをかけるように、右腕に打撃。
バットが叩きつけられたのだ。
ジェイソンが圧倒的に優位に立った。
彼女の握っていた手はほどけ、果物ナイフが地面を滑る。
「フンッ!!」
それを取ったのは、ジェイソンの方であった。
そして、もはや洋子に反撃の術はなかった。
(違う……)
背中から馬乗りになるジェイソンは、次に洋子の首を後ろからナイフで突き刺した。
一度、二度、三度と突き刺される果物ナイフ。首の中を冷たい感触が走る。
嘔吐感、と不快感。
「違ゥッ……!!」
叫ぼうとした。
違う。
お前が憎むべきは、あたしたちじゃないのに……。
父は人殺しなんかじゃない。
どうして。
どうして信じてくれないの。
こんな。
最後まで……。
だって、まだ、するべき事が………………。
おとうさ…………。
…………。
…………。
【香取洋子@幽霊客船殺人事件 死亡】
◆
ジェイソン――遠野英治からすれば、それは当然の結果であった。
香取洋子――いや、鹿島洋子が言っていた事が本当の事かどうかはわからない。
鷹守、若王子というオリエンタル号の関係者が事故の原因なのか、それとも竜王丸の鹿島伸吾が事故の原因なのかは知る由もない事である。
実際のところ、竜王丸の乗員も鹿島について証言しているので、原因は鹿島にあるという説の方が一般的だ。
しかし、一応、遠野は洋子の言っていた事を全く聞いていないわけではない。
オリエンタル号と竜王丸。
どちらが事故の原因なのかなど、客観的に見ればわからない話なのだ。
それならば、面倒だ。
疑わしい者は、全員殺してしまえばいい。
流れていく血液と、洗剤とが混じり合って、それは徐々に鮮血よりグロテスクなピンク色に変わっていく。
その上にうつ伏せに倒れる香取洋子の遺体を、遠野は一瞥だけして、視線をそらした。
それが女の死体である事が、遠野に別の記憶を思い出させる。
そう、最愛の螢子の死だ。
だからこそ、遠野は悲恋湖で男性から優先的に狙っていったのかもしれない。
……しかし、遠野にとって機会は今しかなかった。
確かに香取洋子は、そこに留まり続けると言っていたが、果たしてそれは真実かはわからない。
父の無罪の話も、その場を取り繕って逃げる為の嘘かもしれない。
だが、逃がさない。
殺せる時に殺さなければ、この島には充分な逃げ場が存在しているのだ。
「――くっくっくっ」
とりあえず、この殺し合いでは一人だ。
鹿島伸吾の娘を殺した。
遠野英治が恨みながらも――殺す事のできない地獄にいる男が鹿島伸吾だった。
だが、その娘を殺す事で、遠野は最愛の人間を失う痛みを、地獄の鹿島に届ける事が出来た。
それだけでも良い。それだけでも、多分満足なのだ。
「くっくっくっくっ……」
それは、罪悪感を打ち消す為の狂気の笑みなのかもしれなかった。
しかし、傍から見れば満足気に聞こえただろう。
鹿島伸吾。
遠野が最初に憎んだSKだった。
彼が酒を飲みながら船を動かしていたから、オリエンタル号は沈んだ。
SKのイニシャルを持つ人間に螢子が殺されたのも事実だが、根本的にオリエンタル号が沈まなければ螢子が死ぬ事がなかったのも事実だ。
最も憎むべき相手のように思えるが、まあオリエンタル号が沈んだだけならば螢子はまだ助かる余地はあった筈なので、責任は五分五分程度と言えよう。
同じくらいに憎い相手には違いない。
あれから、SKのイニシャルのキーホルダーを握りしめながら、遠野は犯人を探すべく必死に調べた。
毎日のようにSKのイニシャルを眺めていくうちに、遠野は正体不明の誰かを探す事への限界を感じ始めていく。
霞のように手に取れない「誰か」ではなく、憎しみの対象はキーホルダーに刻まれたイニシャルへとすり替わっていった。
そして、ある「符合」の中にも、彼はジンクスを見出した。
オリエンタル号沈没の原因である「鹿島伸吾」と、螢子を殺した相手が同じイニシャルである事。
それはすなわち――自分たち兄妹を不幸にする存在そのものが「SK」であるという思考である。
そのイニシャルを持つ者たちが、自分たちの運命を突き崩してくる。
そんなジンクスを感じ始めた彼は、そのイニシャルの人間自体を憎み、――「殺す」事を考えたのである。
「待っていてくれ、螢子……」
遠野は、その場を後にした。
まだ薄く残る、壁の『人殺し』のラクガキを背にしながら――。
【一日目/深夜/鹿島家@幽霊客船殺人事件 付近】
【遠野英治@悲恋湖伝説殺人事件】
[状態]健康、返り血、ジェイソンに変身(これをつけると罪悪感が消失する)
[装備]ジェイソンマスク@悲恋湖伝説、果物ナイフ@狐火流し、ド根性バット(ミラクルミステリーパワーステッキ最終形態)@美少女探偵金田一フミ3
[所持品]基本支給品一式×2、<乱歩>の洗剤+ブラシ@電脳山荘
[思考・行動]
基本:三日待って九条をころす。
1:SKはころす。オリエンタル号に関連する人間も螢子以外はころしたい。
2:脱出する奴はころす(脱出→escape→エスケープ→SKプである為)。
3:鷹守と若王子はころす。オリエンタル号と竜王丸の関係者全員ころす。
[備考]
※参戦時期は、小林を殺害した後。
※SKが嫌いです。オリエンタル号に載っていたSKは勿論、載ってないSKも嫌いです。
とりあえず色々殺します。何かと難癖をつけて螢子以外はどんどん殺します。
※ジェイソンマスクを被っている間は、ジェイソンに変身。
そうなると、何百人殺しても心を痛めないようです(TVアニメのファンブックより)。
最終更新:2016年08月22日 19:01