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Ⅰ 英語が使われる「場」

 (放送大学の先生の受け売りですが)英語が使われるとき、そこには英語が使われる「場」が存在します。
 英語が使われる場というのは、英語が話されている国はもちろんですが、字幕なしで見る洋画にどっぷり浸るのであれば
 そこも英語が使われる場となるでしょう。
 それこそが英語が活きている場であり、そのような中でこそ、リスニング力は培われると思います。
 そのような場で意識的に英語と接することで、英語への世界観への没入がスムーズになるとともに、
 英語が自信にとってより抵抗の少ないものとなるかもしれません。

 日本の英語教育についても、いろいろと考えはあるのですが、それは今回はおくとして、
 英語が使われる場になじみ、英語への抵抗を減らす、という概念は英語を伸ばすために有効な概念だと思っています。
 筆者の職場には英語のメールが山ほど届きます。着任当初は英語の件名を見ただけで後回しにしていましたが、
 今では英語のメールの件名を見て、あ、あの話ね。という感じです。
 英語だから意識的に見るというわけではなく、日本語を見るのと同じ感覚です。
 筆者もまだまだ修行中ですが、日本語でしていることを、自然に英語でする/できるようになれば
 それはすばらしいことだと思います。

 この、英語が使われる場、というのはリスニングの向上に限った話ではありません。
 TOEICのようなテストの点を上げるためのものでもありません。
 むしろ、肩の力を抜くようなイメージでしょう。
 ですが、私の知る範囲で、英語が得意な日本人(というより、英語をもはや手足のように使っている人)
 は、意識的にせよ、無意識的にせよ、英語が使われる場に誰よりも多く、その身をおいてきたのだと感じさせられます。

Ⅱ カジュアルかつエンドレスに
 (ハーバード大やケンブリッジ大で日本史の教鞭をとられている北川智子女史の著書からですが)
 目に見える結果の出にくい英語の学習において大事なのは、カジュアルに(=自分に重い負担をかけずに)かつ
 エンドレスに続けるための、自分なりの方法を見つけることです。

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最終更新:2017年11月03日 21:41