「よっと」

その頭の禿げあがった老人は、文字通り上半身だけで歩いていた。
胸元までスッポリとカバンに入っている様は、なにかできの悪い玩具と見間違えるだろう。
しかし、その鞄は明らかに人が入るような大きさではない。では、彼の下半身はどこへ消えたのだろうか。
答えはどこにもない。かつて、拷問によって腰から下を失ってしまったからだ。当然ながら、腰から下にはペニスも存在していない。
彼の名は『隊長』。誇り高き元・雅の護衛隊長の吸血鬼である。

(まったく、とんでもないことに巻き込まれたわい)

あの主催の男の目的がなんなのかは全く読めない。が、彼はそこまで心配はしていなかった。
何故なら、彼の心から信頼できる者たちもこの殺し合いに呼ばれていたからだ。

雅。隊長ら吸血鬼を統率する者であり、圧倒的な強さとカリスマを誇る男である。
彼岸島の吸血鬼には彼を信奉・信頼する者は多く、神の如く崇める者も珍しくは無い。隊長もまたその一人であった。
宮本明。彼岸島にて吸血鬼と敵対している人間であり、その中枢を担う男。
しかし、何の縁か、共に様々な苦難を乗り越え、二人の間には奇妙な信頼関係が築かれていた。
明も隊長も、共に友達と認識するほどにだ。

そんな二人の存在を認識した隊長は、こんなふざけた催しどうにかしてくれるだろうと楽観的に見ていた。
自分がするべきことは、どちらかに早急に合流するまで生き延びることであり、無闇に戦う必要もない。
それに、自分も吸血鬼の端くれだ。そう易々と死ぬはずもない。

「ふんふ~ん♪」

そんな隊長は鼻歌まじりに道を歩いていた。
もしも狩人が彼を見つければ決して見逃さないだろう。


ザ ク ッ


突如隊長の肩に突き刺さる矢。

「ぎゃああああああああああ!」

あまりに唐突な出来事に、隊長はゴロゴロと転がりまわる。

(なんじゃ!?なにが起きたんじゃ!?)

数秒遅れて、自分が襲撃にあったことを認識すると、刺さった矢を抜きあたふたと木陰に身を隠す。

(ヒイイィィ...訳が分からねえよ...)

「どうもおじーさん」

ぬっ、と姿を現すのは獣の皮をフードのように被った巨漢。
その面相もまたまさに獣といえる形相だった。

「な、なんじゃお前?まさかお前が」
「おっ、首輪が赤いってことはオレのお仲間?俺の名前はワイアルド。覚えてねん」

ワイアルドは懐から金属バットを取り出すと、高々と振り上げる。

「おじーさんも人間じゃないんだろ?だったら俺の遊びに付き合ってよ」




志筑仁美は震えていた。

大切な友人の葬式に出ていた最中、気が付けばこの殺し合いに巻き込まれていた彼女は、混乱しつつも家屋に身を隠し、支給されたものを確認した。
デイバックの中にあったのは、大筒とアクセサリーらしきものと共通支給品。
支給品の説明書もあったが、彼女が真っ先に目を通したのは名簿だった。
一番最初に目についたというのもあるが、なにより他に参加させられている人が気になった。

いまにも失くしそうなアクセサリーをポケットに入れつつ、ざっと名簿を見渡したところ、日本人姓もあれば外国人らしき姓も多い。
中には野獣先輩やMUR大先輩など明らかにふざけた名前も記載されているが、いまは置いておく。

(えっと。私の名前は...)

この50人超の名前が記載されていながら、五十音もめちゃくちゃな名簿。
そんな中から自分の名前を探し出すのは一苦労だった。
ようやく自分の名前を見つけ、改めて前後の名前を確認したその時、仁美に戦慄が走った。

(うそ――――)

記載されていた名前で知る者は三つ。

鹿目まどか。自分もよく知るクラスメイトであり友人だ。
暁美ほむら。彼女もまたクラスメイトの一人で、謎めいた転校生だ。
そして美樹さやか。彼女もまどか同様クラスメイトであり友人である。

有り得ない、と仁美は自分に言い聞かせた。
だって彼女は―――

ガラリ。

扉を開ける音がした。

「ひぃっ!」

仁美は思わず懐中電灯を向け、下手人を照らしだす。
浮かび上がるのは少女の輪郭。
照らされた者を見て、仁美は再び絶句した。

「ぇ...」

そこにいたのは、亡くなった―――自分のせいで死んだ筈の美樹さやかだったから。



美樹さやかは困惑していた。
親友の手を振り払い、自暴自棄に魔女を狩り続け。
気が付けばこの殺し合いに巻き込まれていた。

訳が分からなかった。
この殺し合いも。死んだ筈の巴マミが生きていたことも。親友の鹿目まどかや志筑仁美が巻き込まれていることも。
くしゃりと名簿を握り潰しふらふらと歩きだす彼女だが、その歩みに目的は無い。
例え最後の一人になったとしてもこの身体が戻るわけではないし、まどかやマミを殺すなどとは到底考えられない。
だが、主催に抗い弱き者を守るために戦えるかと問われれば即答はできない。
赤い首輪である自分を狙ってくるのは容易に想像ができるし、自分のために尽くした女を玩具のように罵る人間の本性を知っいることもまた彼女を迷わせる。
結局のところ、彼女は道を見失ってしまったのだ。
自己嫌悪に陥り、目的もなにももたず彷徨う様はまさに亡霊と呼ぶべきだろう。

そのままふらふらと彷徨っていると、やがてさやかは明かりの灯る民家を発見。
なんて不用心だと思いつつも、光に誘われる蛾のように民家へと歩みを進める。

理由などない。強いて言えば、最初に出会った人に全てを委ねたかったのだろうか。
その理由は彼女自身も知る所はなかった。

なぜなら。

扉を開けた先にいたのは、さやか自身がよく知る志筑仁美で。

―――『仁美に...恭介をとられちゃうよ...!』

『あの時助けなければよかった』と一瞬でも思ってしまった自分が思い出されてしまったから。


「さやか...さん...」
「ぅ...ぁ...」


信じられないものを見たかのような仁美の視線にさやかの心は苛め抜かれていた。
視線の先にあるのは、さやかの首輪。
主催に化け物の烙印を押された危険人物の証。

(違う...あたしは...)

仁美の死を願った。人間じゃない。魂の抜かれたゾンビ。他の参加者から狙われる嫌悪の対象。
度重なる自己嫌悪の言葉に、さやかの脚は自然と後ずさっていく。


(あたしは――――!)

気が付けば、さやかは振り返り駆け出していた。
ただ、彼女から、仁美から離れたい。化け物であり醜い自分を見られたくない。その一心だった。

「さやかさん!」

仁美の呼び止める声に振り向きもせずさやかは森の中をただ走る。
さやかの脚は止まらない。
一般人である仁美と魔法少女であるさやかとの距離は遠のいていくばかりだ。

(あたしは、あたしは―――!)

ここでの彼女の不運は、仁美との連れてこられた時間差に気が付けなかったことだ。
仁美がさやかを見ていたのは、死んだはずのさやかの存在を信じられなかっただけのことであり、首輪を見て畏怖していたわけではない。
もしもさやかがあの場に留まっていれば、仁美は涙を流し再会を喜んだだろう。
だが、勘違いは勘違いのままで物語は進んでしまう。


「ハァッ、ハァッ...」

どれほど走ったのだろうか。気が付けば森を抜け、切り立った崖に辿りついていた。
後ろを振り返り、仁美の姿はもう確認できないことに、さやかはホッと胸を撫で下ろした。

(いま、なんであたしはホッとしたの?)

自分のことなのにまるでわからない。
なぜ仁美がいなくなって安心したのか。

仁美を守ることから目を背けたのか。

(違う...)

どこかで仁美が死んでしまえば自分に責任は無いと安心したのか。

(違う―――――!)

さやかを苛む自問自答はおさまらない。
だが、いくら悩もうとも真実には決して辿りつかない。
今までもそうだ。答えがでなかったから、誰にも彼にも八つ当たりしてしまった。
答えが出なかったから、魔女との戦いに身を任せてきた。

「――――――――!!」
「悲鳴...?」

そんな彼女が、志筑仁美以外の悲鳴を聞けば。
そこに闘争の種が転がっていれば、足を運ぶのは当然のことなのかもしれない。



「嫌アアアアアア―――――――!!」
「あ、ヨイショーッ」

悲鳴をあげながら逃げる隊長へと次々と岩石が降り注ぐ。
ワイアルドは、金属バットで野球部のノックにも似たやり方で隊長に石を打ち放っているのだ。
時々、わざと掠めるように撃ちこんだり。かと思えば、拳大に削った石をそのままぶつけたり。
普通の人間ならとうに重傷を負っているのだが、幸か不幸か隊長は曲がりなりにも吸血鬼。
この程度の怪我ではまだまだ動け、その分ワイアルドの遊びと称したリンチに付き合わされるハメになっていた。

「も、もうやめて...痛いのイヤ...」
「おじーさんさぁ、逃げ足が速いのはわかったけど、逃げるだけじゃつまらない死に方しちゃうよ?何事も楽しまなくちゃ」

息を切らし懇願する隊長に、ワイアルドはチッチと指を振りつつもちょっぴりの不満を覚えていた。
鷹の団の男と戦っている最中にこの殺し合いに呼ばれた彼の心境は特に不満もなく平常だった。
最後まで殺し合え。結構結構。ただ欲望のままに本能の赴くままに戦い蹂躙し楽しむ。いつものことだ。
ただ、あの男との戦闘は中々面白いものだったので、まずは中途半端だった戦闘欲求から満たしたいと思っていた。
そんな折に発見したのが隊長だった。自分と同じ赤い首輪に上半身だけでピンピン動く様からして、明らかに自分同様人間ではなかった。
そのため、それなりに期待して戦闘を申し込んだのだが、隊長は逃げの一手で全く反撃してこない。
仕方ないから戦闘ではない嗜虐的な催しをしているものの、ただ頑丈なだけの得物では戦闘の欲求はおさまらない。
あまりの物足りないので、とうとうワイアルドに飽きがきた。
岩石ノックを止め、ワイアルドは隊長へと肉薄する。

「えっ、ちょ、はやっ」

バチィン

ワイアルドの張り手が隊長の頬を捉え数メートル先の岩場に吹きとばし叩き付ける。

「あが、が...」
「おっ、頑丈頑丈。けど、それだけじゃやっぱり飽きるんだよね。そういう訳で」

金属バットを振りかざすワイアルド。このまま隊長を殺し、活きのいい獲物の情報を手に入れる腹積もりだ。

「や、やめて」
「ダーメ。オレを飽きさせた罰だ」

ドッパァン

振り下ろされる金属バットにより、哀れ隊長は四散―――

「おろ?」

していなかった。
破壊されたのは、隊長の下にあった岩盤だけだ。
バットが振り下ろされた瞬間、隊長は抱きかかえられ射線から外れたのだ。

「え...お前さん...?」
「......」

隊長の命を救ったのは青い髪の少女、美樹さやかであった。

「おっとこれは予想外」

おどけるワイアルドだが、そこに動揺はない。
せいぜい、ジジイよりはマシな獲物が来たと思った程度だ。

「...逃げなよ、おじいさん。あいつの相手はあたしがするからさ」
「け、けどあいつ」
「いいから」

隊長を地面におろし、さやかは剣を構えワイアルドと向き合う。
一緒に逃げる気配の見えないさやかに後ろ髪を引かれる思いで隊長はそそくさと茂みに隠れていく。

さやかがワイアルドに対峙している理由は、決して正義感によるものではなかった。
確かに、少しは弱者を助けたいという気持ちもあったかもしれない。
だがそれ以上になんでもよかったのだ。魔女との戦いのように何も考えずに戦い考えることを放棄することができれば。

「中々やるねぇ可愛いおじょーさん。もう少し成長してれば俺好みだったかも」

それに、どうせ戦うならこんな分かりやすい悪党がよかった。
もし殺してしまっても罪悪感は感じないだろうから。
仮に負けても、弱者を守った正義の味方という口実ができたから。

「じゃあ、遊ぼうか」
「......」

数瞬の後、金属バットと剣が交叉し戦いが始まった。



(さやかさん...ッ!)

仁美は、突如逃げ出したさやかを追いかけていた。

ここに連れてこられる前、さやかは数日間行方不明となっていた。
心当たりはあった。
さやかの行方が知れなくなる前日。
仁美は、さやかに対して、上条恭介に告白するという宣戦布告をした。
さやかが恭介に想いを寄せていることを知りつつだ。
そして、さやかは告白をしなかった。
そのまま行方不明となり、再び会えた時には物言わぬ骸となっていた。

仁美は後悔した。悔やまずにはいられなかった。
仁美が恭介に想いをよせていたのは事実だ。
しかし同時に。さやかのことも恭介とは比べられぬほど好きだった。
もしも、さやかが恭介に告白し、結ばれていたとしたら、仁美は心から祝福しただろう。
いや、むしろそうなることを望んでいたのかもしれない。

もしも、さやかが仁美が譲った一日で告白し、さやかが恭介と結ばれていれば、仁美は告白せずとも恋を諦められた。
そして、今まで通りさやかと友達でいられ、まどかを含めた三人でまた仲良くできたはずだ。
仮にさやかが告白しなかったとしても、恭介が仁美の告白を断れば、それはそれで笑い話にでもなり丸く収まったはずだ。
だが、仁美はそんな自身の願いに気が付いていなかった。彼女が自身に気が付かないまま、恭介は仁美を受け入れてしまった。
この時は、あまりの予想外の結果に、自分の本当の想いに気付いていなかった仁美は幸福にすら感じていた―――己の選択が、恋路と引き換えに友情を喪うものだとも知らずに。
その結果がさやかの死だった。
自分の行いを正当化する弱い心で行った告白の果てに残ったのは、友情でも幸せな恋路でもなく。
もしも時間が巻き戻せるなら、あの愚かな決断をした自分を殺してやりたいと思うほどの後悔だけだ。

そして、この殺し合いで目覚めてすぐに再会できた、死んだ筈の美樹さやか。
間違えるはずもない。彼女は仁美の友人だった美樹さやかだ。
彼女を見た時、仁美は決めた。
なぜ生きているのかなどどうでもいい。必ずさやかに謝ろう。弱く醜い自分を全て打ち明けようと。
そして、願わくば自分が愛したあの日常へ戻りたい。また、三人で一緒に――――


ガッ

「あうっ!」
「んぎゃっ!」

なにかに躓き、転倒する仁美。
擦りむいた顔を押さえつつも、躓いたなにかが人であることに気が付いた彼女は、慌てて振り返る。


「だ、大丈夫ですか...ッ!」

躓いたものを見た彼女は絶句した。
彼女が躓いた傷だらけの老人は、下半身がなかったのだ。

「きゃあああ――――」

喉から出かけた叫びは、老人―――隊長がとびかかることにより抑えられた。

「むが、むぐ!」
「シーッ!」

人差し指を己の口に当ててジャスチャーをする隊長の様子に、仁美はいくらか冷静さを取り戻した。

(この人...傷だらけではありますが、すごく元気ですわ)
「静かに。戦いに巻き込まれんうちにここから去るんじゃ」
「戦い?」
「耳を澄ませてみろ」


隊長の言葉に従い、仁美は耳を澄ませ音を聞く。
確かに、金属を叩くような音が仁美の耳にも聞こえてくる。

「戦い...というのは」
「化け物のような奴がおる。とてつもない怪力の恐ろしい男じゃ。オレは、青い髪の女の子に助けられて命からがら逃げだしたんじゃ」

青い髪の女の子。
仁美の脳裏を過るのは美樹さやか。
正義感の強い彼女がこの老人を助け逃がす光景は容易く想像できた。
逃げた方角からみても、ほぼ間違いない。

(さやかさんっ!)

仁美は覆いかぶさる隊長をはねのけ、音の鳴る方へと駆ける。

(さやかさんっ、無事でいてください!)

さやかは、見滝原中学の中でも運動神経は悪い方ではない。
しかし、大人の、ましてや怪力の男相手に敵うはずがない。
いますぐ彼女の力にならなければ。

一心不乱に駆ける仁美は、ようやくたどり着いた。


「ああああああ―――――!!」


獣(けだもの)の如く吼えながら、剣を振るう友のもとに。



ひゅっ、と風を切る音と共に、さやかはワイアルドへと駆けだす。

ガキン、とバットと剣とが交叉し金属音特有の甲高い音を打ち鳴らす。

「これだよコレ。やっぱり戦う相手は活きがよくなくちゃ」

ワイアルドは、力任せに振るわれるさやかの剣を容易くバットで打ちかえす。
一心不乱に剣を振るうさやかと、軽々と剣を捌いていくワイアルド。
どちらが優勢かは語るまでも無い。

「おあた!」

剣をはじいた隙をつき、ワイアルドの拳がさやかの胸部に叩き込まれる。
メキリ、と骨が軋む音と共にさやかの身体は後方へと大きく吹き飛ばされる。
手応えからして、骨の一・二本は逝っただろう。

「あっちゃあ、もう少し楽しみたかった...おっ?」

幾らか地面をバウンドしたさやかは、勢いが弱まるのと同時に足元に魔法陣を展開。
そのままそれを蹴り、一気にワイアルドのもとへと飛びかかる。

「いいねえ、その勢い!頑丈さ!これなら退屈しのぎにはもってこいだ!」

ワイアルドは笑みを浮かべつつ、バットを振るい、時には徒手を交えつつさやかの身体を痛めつけていく。
対するさやかは、痛覚を遮断することによって己に降りかかるダメージを無視し、ワイアルドへと斬りかかる。

技量もなく、ただただ感情のままに雄叫びをあげ剣を振るうさやか。
その全てを身体能力だけで、玩具で遊ぶように振り払うワイアルド。

その両者の戦いを木陰から見ている仁美は、その光景を信じることができなかった。

友人であるさやかの闘う姿。
パワーも。スピードも。全て人間のソレではない。
まるで獣(けだもの)のように荒々しく、血に濡れても戦う姿に、仁美は恐怖を覚えていた。

「ホラ、見つかる前に逃げるぞ。俺たちにできることはないんじゃ」

仁美の後をつけてきた隊長は、すぐにこの場から離れるよう仁美の手を引っ張る。
しかし、仁美は動かない。
それどころか、身体を震わせながらもさやかを見つめて続ける始末だ。

(...さやかさん)

仁美の頭の中では、さやかの戦闘から、一つの仮説が立てられていた。
仁美が恭介に告白すると宣言する数週間前。時期にしていえば、暁美ほむらが転校してきた辺りだろうか。
あのころから、さやかとまどかはどこか遠い世界で生きているかのように疎遠になりつつあった。
そのことに一抹の寂しさを覚えていたが、いま思えば、あれは自分を巻き込まないようにしていたのではないか。
あの日常からは程遠い血みどろの世界から遠ざけようとしてくれていたのではないのか。

(...私は)
「なにやっとるんじゃ。早く!」

仁美を急かすように手を引く隊長の手に、温かいモノが落ちる。

「えっ」

隊長がそのモトを辿ると、その先には仁美。
彼女が隊長の手に落としたとすれば、それは―――

「お前、泣いておるのか?」

仁美は、ごしごしと止まらない涙を拭いつつ、戦場へと歩を進めようとする。

(私、なにも知らないで勝手なことばかり―――)
「なにをするつもりじゃ」
「私は、さやかさんを助けますわ」
「無茶いうな。そんなに震えてなにができる。あいつらにビビッてるんだろ」

隊長が手を引いている間、仁美はずっと震えていた。
その震えが、明が見せていた武者震いではないのは容易に理解できたつもりだ。

「...恐いです」
「だったら逃げろよ。あの動きみたら二人とも人間じゃねェのはわかるだろ」
「けれど、一番恐いのは、さやかさんのことを何も知らないことですわ」

仁美はなにも知らない。
なぜさやかがあの力を手に入れたのか。
なぜあそこまでして戦うのか。
何も知らないからこそ、友人であるさやかにすら恐怖を覚えているのだ。

「私は、もっとさやかさんを知りたい。もっと知って、さやかさんの力になりたい」

「マジかよ...」

バカげている。隊長は素直にそう思った。
友のために戦いに赴く。言葉で書けばなんとも綺麗な響きに聞こえるかもしれないが、ただの人間が無策であの戦いに割り込むなど自殺にも等しい。
だが、彼女が望むのならば、行かせてやるべきだろう。それに、隊長と仁美は会って間もないどころか親睦を深めてすらいない。
仁美を見捨てたところで損も責任を感じることもない。

(けどよ...)

明なら、隊長の友達なら、迷わず仁美に加勢するだろう。
深い理由などいらない。友達を助けようとする奴を見捨てられない。そんな単純な理由でだ。

「...ハァ。俺も随分と明に毒されちまったみたいじゃな」

隊長は右手でボリボリと頭を掻きつつ、仁美同様震える身体に耐えつつ言った。

「いいか嬢ちゃん。あの子を助けたいなら俺の言う事を聞け。まずは支給品を見せるんだ」





さやかが突撃し、剣とバットが交叉し、ある程度打ち合ったところでワイアルドがさやかを吹き飛ばす。そのやりとりももう何度目だろうか。
当然ながら、同じやりとりに飽きが出てこないワイアルドではなく、新たな刺激が欲しくなってくるころあいであった。
突撃してくるさやかの腕を掴み、地面に叩き付ける。

「がッ」

いくら痛覚を遮断しているとはいえ、骨が折れればその部位は動かなくなる。
それを補うためのさやかの治癒魔法だが、骨が完治する前にワイアルドはさやかの衣装を引き裂き、さやかの程々に実った果実が曝け出される。

「―――――!?」
「中々イイ身体してるじゃん。もう少し成長すれば、俺好みの女になったかも」

そういう蕾を荒らすのも悪くない。
そんな笑みを浮かべつつ、ワイアルドはさやかの頭を押さえを四つん這いになるよう組み伏せ、下半身の下着も引き裂き秘部をも露出させる。

「な、なにを!」
「やだなぁ。戦いに負けた女がされることといったら一つでしょ」

金属バットをしまい、代わりに腰巻を下ろし露わになったワイアルドの性器を見て、ようやく理解した。
この男は、自分を犯そうとしているのだと。

「ッ!!」

剣を作りだし、ワイアルドの腕を刺そうとするさやか。

「ワイアルドチョーップ!」

しかし、手首に放たれた強烈な手刀により、剣を落としてしまう。
それでもこのままやられるわけにはいかない。

「う、うああああああ!!」

必死に抵抗しようともがくさやかだが、ワイアルドには通じない。
体格も、力も、なにもかもが彼には及ばないさやかに逃げ道はない。

「そうそう!もっと抵抗してくれよ!嫌がる女を無理やり犯すのが刺激的なんだからさぁ!」

それどころか、ワイアルドの嗜虐心に応じて性器の反りも増すばかりだ。

「い、嫌...」

ただ殺されるだけならまだよかった。
だが、こんな見ず知らずの醜い悪党に穢されるなど思いもよらなかった。
まだ幼いさやかは、ましてや、魔法少女という男が介入しない戦場しか知らない彼女は、戦闘で男に負けるのがどういう意味を齎すのかを知らなかった。
力無き者は、命だけでなく尊厳も魂も全て貪り食われる。
それが戦場なのだと思い知らされ涙を流した時にはもう遅い。
ワイアルドの性器は、無情にもにじりより―――



「こっちじゃ化け物!」

突然の叫びに、思わずワイアルドは振り向く。
瞬間。

バンッ

大筒の音と共に降りかかる巨大な網。
バットを仕舞っているワイアルドにそれを防ぐ術は無く

バ サ ッ

ワイアルドは漁師に捕らわれた魚の如く、全身を網に包まれた。

「いまだ!やれ!」

ブルルン、とけたましいエンジン音と共に黒塗りの高級車が草木をかき分け現れる。


「なんだあれ」


さしものワイアルドも見たことのない鉄の箱が速度を持って迫ってくるのには僅かながら驚愕する。
が、大したものではない。使徒であるワイアルドにとってあの程度のものを防ぐのは容易い。

「って、あれ?」

しかしワイアルドは己の身体に絡みつく網に困惑する。
いくら解こうとしても解けない。むしろ、もがけばもがくほど網が絡まりワイアルドの動きは制限されてしまう。
これではロクに動くことも、迫りくる黒塗りの高級車を防ぐこともできない。

「ウソ、オレがこんなので」

そして、加速が止まらない黒塗りの高級車はそのままワイアルドへと迫り。

バ ァ ン

黒塗りの高級車が大破するのと共にワイアルドの巨体が吹き飛ばされる。
ダメージそのものは大したことはない。しかし、彼が吹き飛んだその先には崖。
網のせいでロクに受け身も踏ん張りもできないワイアルドに抵抗する術は無い。

「身体が...ふわぁー」

ワイアルドは、そのまま20メートル超の崖の下に消えた。


ハァ、ハァ、と息を切らしながら、黒塗りの高級車から仁美がふらふらと姿を現す。

(っつ...初めての経験でしたが、護身術の一環で受け身の練習をしておいて助かりましたわ)

「やった...やったぁ!」

あの高さから落ちればひとたまりもない。
よしんぼ生きていたとしても、重傷は免れない。
あれほど恐ろしかった化け物を倒せた喜びのあまり、隊長はやんややんやとはしゃぎ始める。

「ひ、仁美...」
「さやか、さん...」

そんな隊長を余所に、少女たちは互いの名前を呼び合い対峙する。
それきり二人は、ハァハァと息を切らしつつ黙ってしまう。

両者の瞳に敵対の意思はない。
ただ、片や相手の死を僅かにでも望んでしまった少女。
片や、己の勝手な行動で友を死に追いやってしまった少女。
互いになんと言葉をかければいいのかわからなかったのだ。

「え、えっと...」

そう先に言葉を発したのは、さやかだった。
仁美に声をかけた―――というよりは、自分の姿をなんと説明したものかといったところだが。

(たぶん、仁美はあいつとの戦いを見ていた。じゃなきゃ、あんないいタイミングで助けには入れない)

果たして仁美は自分を見てなにを思ったのか。

獣のように吼える自分を見て。
まるで殺人鬼のように剣を振るう自分を見て。
どんな怪我でもたちどころに治して戦う自分を見て。
おおよそ人間とは思えない自分を見て。

人間である彼女は、なにを思ったのだろうか。

そんな、この期に及んで自己保身を考える自分が心底嫌になる。


「さやかさん」

そんなさやかとは対照的に、仁美は真っ直ぐにさやかを見つめて歩み始めた。
その姿が、堂々とした姿勢がいまのさやかには直視できず、思わず目を逸らしてしまう。

さやかには不安しかなかった。
仁美は、いまの自分の心中を。嫉妬や羨望に汚れた自分を見据えた上で助け、こうして歩み寄ってきているのか。
こんな、人間ではない自分でも、友と見なしてくれるのか。
それとも、殺し合いのルールに則り、自分を脱出の糧にするのか。
ワイアルドを落としたように、怪物である自分を切り捨て恭介と寄り添う腹積もりなのか。
わからない。
いまの自分には、なにも―――

さやかは、己が課していくプレッシャーに耐え切れず、思わず目を瞑った。

瞬間。

突如、仁美が駆けだし、さやかとの距離が瞬く間に縮まっていく。
異変に気が付き、さやかが目を開け顔を上げた時には、仁美の突き出した掌は、さやかの身体に触れる寸前にまで迫っていた。
首を絞められる。
そう思うのと同時に、さやかの足は自然と後退していた。

(やっぱり、仁美はあたしを)

殺すつもりだったんだ。
美樹さやかはあの男と同じ化け物だから。
美樹さやかを殺せば生き残れるから。

臆病な怪物ほど殺しやすいものはいないから。

「ひ」

気が付けばさやかは剣を精製していた。

「と」

当然のように柄を握りしめていた。

「み」

自然と、込める力は強まった。

そして。

ドスッ

志筑仁美の可憐な顔立ちには似つかわしくない凶器がひとつ生えた。



志筑仁美の失態を挙げるならば、ワイアルドを落としたことについて真に理解していなかったことだろう。
いくらさやかを助けるためとはいえ、動きを封じ、高速で黒塗りの高級車を当てた上で落としたのだ。
もしもワイアルドの頑強さが人間並であれば確実に死んでいる。
さやかを助けるために必死だったとはいえ、もしもワイアルドが死んでいれば仁美は殺人者となる。
少し落ち着けば、そのことを自覚できたかもしれない。

だが、一度はさやかを死なせてしまったという自責は判断力を奪い、自分がしでかしたことを、他者から見れば恐怖にも思えることを認識しきれていなかった。
それが影響して、さやかに懐疑の余地を持たせていたことに気が付いていればなにかが変わったかもしれない。
だがもう遅い。全ては後の祭りだ。

仁美を信じきれなかったさやかは僅かに動き、仁美の動きを止めるために剣を握り絞めた。

そんなさやかの背後から飛来する鉄製の矢を、ただの人間である仁美が躱す術などありはしなかった。



仁美は、右目に走る激痛と共に、ぐらりと身体が仰向けに倒れるのを感じた。
自分の目に何があったのか、考えるのを遮られる程に激痛が脳を支配する。

「仁美ッ!」

涙でぼやける仁美の視界に、さやからしき輪郭が映り込む。

(さやか、さん...)

仁美が側に寄ろうと歩み寄り、さやかが目を伏せたあの時。
仁美はさやかの背後の空間に何者かの姿を見た。
さやかが何者かに狙われている。
それを認識した瞬間、気が付けば仁美の身体は動いていた。
声をあげる暇すらなく、たださやかをこの場から離さなければと手を伸ばした。
そして、さやかが後退し、わずかに身をよじるのと同時、さやかの耳元の空気を裂き、何かが仁美の目に飛来したのだ。

(わたくし、は...)

身体の力が抜けていく。
痛みはもうほとんど消えかけているが、もう動くことも出来ない。
右目に刺さったモノが脳まで貫通し破壊していることを、即ち死が近いことをなんとなく悟った。
さやかに謝りたい。もっと解りあいたい。またまどかを含めた三人で仲良くしたい。もっともっと色んなことをしたい。
このまま死にたくなんてない。

「いやだ...嫌だよ、仁美!」

仁美の残った左目に雫が落ちる。
仁美の涙と混じったそれは共に眼孔から流れ落ち、彼女の視界を微かに晴らす。

(さゃ...)

左目に映ったさやかの泣き顔を、自分の為に涙を流してくれる友の顔を見て。
彼女の愛したあの日々に微睡みつつ、意識は闇に落ちていった。


「仁美...ひとみィ!」

反応を示さなくなった友の身体を抱きあげ、さやかは必死に呼びかける。
治療のための魔力はもうかけている。治癒の祈りで契約した魔法少女であるさやかは、巴マミのように魔力を応用すればそれなりの治療魔法を行使できる。
だが、打撲や骨折ならばいざ知らず、刺し傷、それも矢を抜けば出血多量で死に至る状況だ。
さやかの魔法など気休めにしかならなかった。

仁美を抱きしめ泣きじゃくるさやかから少し離れた位置で、隊長は困惑しつつも現状を整理した。

(あの嬢ちゃんに刺さっている矢...間違いない。あの時俺が刺された矢じゃ!)

ワイアルドに襲撃される直前、隊長の肩に刺さった矢。
間違いない。あれはあの矢と同じだ。

(だが何故じゃ!?仮にさっきの奴が生きていたとしても、上ってくるのが早すぎる!...いや、待て。たしか奴は)

仁美を死に至らしめた矢は確かな威力を持っている。
あの怪物染みたワイアルドならあれを投げるだけで同等近い威力を出せるかもしれない。
だが、隊長を甚振っている時にはあれを出す気配すらなかった。わざわざ岩石を砕き飛ばす始末だ。
出し渋っていた線も捨てられないが、もしもだ。
もしも、奴があの矢を持っていなかったとしたら。
もしも、最初に隊長を襲撃したのがワイアルドとは別人だったとしたら。

「敵は、二人いた―――?」

隊長の呟きに応えるが如く。

スパン、と虚しく音が響き、泣きじゃくる美樹さやかの後頭部を矢が貫いた。

「ぁ...」

ぐらり、とさやかの身体が傾き、仁美に覆いかぶさるように倒れ込む。
仁美から流れた血とさやかの頭から流れるものが交わり、地面を赤く染めていく。

「ヒイイイイイイイ!!」

静けさに包まれた血濡れの惨状に、隊長の恐怖の悲鳴が響き渡った。


雲が月を覆い、辺りをよりいっそう暗くする。

「俺に支給された武器がこれでよかった」

がさがさと草木をかき分けさやか達のもとへ歩み寄る影がひとつ。
暗闇に加え、視力の悪い吸血鬼である隊長だが、その影がワイアルドよりも小さく、それどころか仁美たちと比べてもなんら遜色ないものであるのだけはわかる。

「これなら使いやすいし、拳銃のように反動を気にすることはなく撃てるから」

影が手を動かす度に、ぬちゅり、ぬちゅりと柔らかいものを掻き混ぜるような音がする。

「こうやって矢を回収しなくちゃいけないのは難点だけどね」

音が途切れるのとほぼ同じくして、雲は切れ月光が影を照らす。
照らし出された襲撃者を見た隊長は、思わず「へ?」と声を漏らした。
影の正体は、まだ幼ささえ窺える細身の少年だった。

少年、相場晄は感情の籠らない眼で隊長を見つめていた。





「お、お前が嬢ちゃんたちを殺したのか」

震える声で隊長は聞くが、相場は返答しない。
そんな相場に隊長は不気味ささえ感じていた。

普通、人を殺した後はなにかしらの感情が現れるものだ。
恐怖で動揺し涙を流したり。倒した喜びで笑みを見せたり。目的を達成した虚しさを覚えたり。
だが、相場からはそういった感傷は見られない。
まるで、彼はこの殺人にはなんの興味も持たず、その遙か先しか眼中にないようにすら見える。

そんな相場に恐怖を覚えた隊長は、どうにか逃げようと考えを巡らす。

ヒュンッ

風を切り隊長の額へと飛来するボウガンの矢。

「ギャアアアアアア!!」

とっさに庇った右腕に走る激痛に隊長の悲鳴があがる。
間髪入れずに放たれるもう一矢もまた、咄嗟に急所を庇った隊長の左腕に突き刺さり、またも隊長の悲鳴が響き渡る。

「...やっぱり、あんたは頑丈だ」

流石に赤い首輪だけはあると認識を改めた相場は、ボウガンをデイバックに仕舞い歩み寄る。


「ヒイイィィ...」

激痛に悶え転がる隊長だが、頭部に振り下ろされた相場の踵落としで動きを止められる。
隊長は苦悶の声を漏らすが、相場には関係ない。
まだこれだけ動けるようでは腕に刺さった矢も引き抜けないと判断した相場は、隊長が弱りきるまで殴打することにした。

相場が馬乗りになり、隊長の顔面に拳を振り下ろす。

「や、やべて」

いくら懇願しようが関係ない。
隊長の顔が醜く腫れようが関係ない。
彼の動きが弱まるまで、相場はただひたすらに拳を振りおろし続ける。
何度も、何度も、何度も。
やがて、悲鳴をあげるのも止め、ピクピクと痙攣するだけになった段階に来て、ようやく相場の拳は納まった。

「...これだけやっても、まだ死なないんだな」

隊長の首輪に触れ生死を確認した相場は、彼の腕から矢を引き抜き握り絞める。
狙いを定めるのは脳天。

(いくらしぶとくても、さすがにここを完膚なきまでに破壊すれば死ぬだろう)

躊躇いなどない。
相場は瀕死の隊長に向けて、矢を振り下ろした。

ザリッ

隊長の脳天に矢が刺さる寸前、背後から聞こえた地面を掻く音に、相場の腕は思わず止まる。
後ろにいるのは先程殺した少女たちの筈であり、少女たちと戦っていた化け物も戻ってくるにはまだ早いはず。
だとすれば、まだ微かに生きていたのか。
どちらが生きていようが、片や右目から脳髄を、片や後頭部から額にかけて弓矢が貫通した少女だ。
まともに動けない上に放っておいても直に死ぬのは自明の理。
しかし、確認せずにはいられないのが人間の性というものだろうか。
相場はその本能に逆らえず、無意識の内に振り向いていた。


「――――ッ!?」


相場は思わず息を呑んだ。
脳天を貫かれた少女は、血に濡れ脳漿を垂れ流し、それでも立ち上がっていたのだから。


ずるり、ずるりと身体を引きずり迫ってくるさやかに若干の恐怖を覚えた相場だが、しかしすぐに気をとりなおしデイバックからボウガンを取り出す。
まだ息があったのには驚いたが、今度はちゃんと殺せば問題ない。
さやかの額に狙いを定め、引き金を引く。
弓は再びさやかの額を貫き流れる血は地を濡らす。

だが、さやかは身体をぐらつかせるだけで倒れもしない。
それどころか、血走った目で相場を睨みつけている。

そして。

さやかは相場に跳びかかり瞬く間に距離を詰める。

「くっ!」

慌てて横に飛び抜く相場の脇をさやかが通り過ぎる。
もしもこの体当たりをまともに受けていれば、人間である相場は一溜りもなかっただろう。

「...!」

この時、初めて相場は焦燥した。
頭を貫かれて尚生きられる生物など想像もしていなかった。
さやかの殺し方が解らない以上、手持ちの最後の武器となるボーガンの弓一本だけでは心もとないにも程がある。

(俺はこんなところで死ぬ訳にはいかない)

相場が選んだのは逃走だった。
いまの手持ちの武器ではさやかを殺すことができない。
体勢を立て直し、殺せる準備を整えなければ。
逃走経路を確認するために相場は一瞬だけさやかから目を離す。
瞬間、相場の肩に走る激痛に、思わず前のめりに転げ落ちる。

それがさやかの剣だとわかると、痛みに耐え慌てて体勢を立て直した。

(あいつとの距離は転んだぶんだけ離れてる...剣を投げたのか)

さやかからは目を離さないようにじりじりと後退しつつ、いつ剣を投げられても躱せるように身構える。

(待てよ...なんであいつはとびかかってこない?)

あの一瞬、剣の投擲ではなく先程のように跳びかかられていれば相場は捕まっていた。
それだけではない。
いまこうしている間にも跳びかかれば相場に為す術はない。
彼女が自分を殺そうとしている以上、なにもしてこない理由はない。

(もしかして、跳びかからないんじゃなくて、跳びかかれないんじゃないのか?)

見た目にも彼女はかなり疲弊していることが窺える。そのため、もう跳びかかる力が残っていないのでは。
そこまで思考がいきついた相場は、後退していた足を速め、森に辿りつくと振り返りさやかに背を見せる。
剣が飛んでくるであろうことを予測し、しゃがみ込めば案の定投擲された剣が頭上を通り過ぎた。

(やっぱりだ。あいつはだいぶ弱っている)

さやかが弱っているならこれは好機だ。
この森林を利用し逃げ切ることができる。
それがいまうてる最善の策だ。

「...化け物め」

相場は、時折さやかへと振り返りつつ、忌々しげに唇を噛みしめた。



「......」

相場の予想通り、さやかにはもう相場を追う力は残っていなかった。
ワイアルドとの戦いで蓄積されたダメージやボーガンでの傷は魔法で大方は治療しているものの、ソウルジェムの濁りが増せば魔法の効果は鈍くなる上に疲労も溜まる。
相場に跳びかかったのと最後に投げた剣を精製した分で、さやかの肉体とソウルジェムは限界に近かった。
もしも相場が己の命惜しさに逃げ出さず立ち向かってきていれば、敗北していたのはさやかだろう。

(あいつがあたしを殺しにきても、どの道あいつは死んでたかもしれないけどね...ははっ)

さやかの魂はソウルジェムとして抜き取られており、これを破壊すれば死んでしまう反面、自分が死んだと認識しない限りは決して死ぬことはない。
もしも相場がソウルジェムの秘密に気が付けば話は別だが、あの様子では頭部や喉、心臓など人体の急所ばかり狙っていたことだろう。
そうなれば、魔力が尽きたさやかのソウルジェムはグリーフシードへと変わり、魔女となってあの少年を含む全てに呪いを振り撒いていた。

(...あいつが逃げたせいでご破算になったけど)

まだあの少年を殺せていないため魔女にはなりたくないし、まだぎりぎり余裕はありそうだが、もはや時間の問題だろう。
よろよろと隊長のもとに足を運び、そっと身体を持ち上げる。

(...ごめん。あたしがもっと早く回復できていれば)

もう動かない老人に、心で詫びをいれながら抱きしめた。
脳髄という重要器官を潰された上に疲労の溜まった状態での治癒魔法だ。
当然、行動できるようになるまで修復するまでには時間がかかってしまう。
だが、そんなものは言い訳だ。
さやかは間に合わず、そのために老人は死んだ。この事実が覆ることはない。

(おじいさん。仁美と一緒にあたしを助けてくれてありがとう)

「...ムグ」

パシパシと腕を叩く感触に、さやかは思わず呆けてしまう。

「む、むぐぐぐ(くるしい)...」
「おじいさん!」

さやかが抱きしめるのを止め、両手でその身体を持ち上げると、隊長はゲホゲホと咳き込みだした。

「ち、窒息するかと思った」

ハァハァと息を切らす隊長を見て、さやかは涙目になり再び抱きしめる。

「むがもごが(だから苦しいと)!」
「よかった...生きててよかった...」
「......」

明が再会する度に喜んでくれるように、自分の生存を喜んでくれる存在というのはやはり嬉しい。
涙ながらに自分を抱きしめる少女の温もりに、隊長はひとまず身を任せる。
自分の孫が明だとしたら、彼女はその娘、自分からしたらひ孫になるのだろうなとなんとなく思った。


やがて、さやかは隊長をそっと地面に下ろすと、彼に背を向けよろよろと歩き出した。

「なんじゃ?どうしたんだ?」
「...仁美を、埋葬してあげなきゃ」

重たくなる身体を引きずりながら、さやかは仁美の遺体の側に立つ。

(仁美が死んじゃうって思った時、ようやくあたしはわかったんだ。あたしはもっと仁美と向き合うべきだったって)

仁美はさやかを助けるために動き、さやかがそれを信じなかったから仁美は撃たれてしまった。
仁美が動いたのは、純粋にさやかを助けるため。敵意など微塵もなかった。
もしも、さやかが仁美を信じて動かなければあの矢は仁美の救いを待たずしてさやかを貫き、仁美が死ぬことはなかっただろう。
魔法少女であるさやかは撃たれても生きていた可能性は高いのだ。どちらが撃たれるべきだったかは、言うまでもない。

それだけではない。
再会した時に仁美から逃げなければ、ちゃんと言葉を交わし合い、喜び合うことができたはずだ。
そうすれば、仁美を疑うこともせず、共にまどかを探しにいくこともできたはずだ。

殺し合いに連れてこられる前もそうだ。
仁美は、自分に嘘をつきたくないと言っていた。
さやかは与えられた猶予を自分は人間ではないことを理由にフイにし、そのまま逃げ出し、嫉妬し、絶望に身を委ねていった。
さやかがするべきことはそんなことではなく、仁美をもっと信用することだった。
あの状況で恭介に告白する勇気が無ければ、己に燻っていた不満を話し、仁美ともっとぶつかり合うべきだった。
そんな程度のもので、二人の友情が壊れることは無いと信じるべきだったのだ。

(...ごめん、仁美。あたしが臆病だったせいで、助けてくれたのに、何にもできなくて)
「ここは目立って危ないから場所を移そう」
「...うん」

おそらく、この埋葬が最後の仕事になるだろう。仁美を埋葬し終えれば、後は隊長に迷惑がかからないところで魔女になってのたれ死ねばいい。
せめて産まれた魔女があの少年を殺して仁美の仇を討ってくれればと願うだけだ。
仁美と同じところにはいけないだろうが、もしも神様が許してくれるなら、その時は今度こそ―――

カラン

抱きかかえた仁美の遺体から、何かが落ちる音がした。

「え...これって」

落ちたものは、さやかもよく見覚えのあるモノ。
魔法少女の成れの果てであるグリーフシードだった。

なぜこれを仁美が持っていたかはわからない。

「そっか...そうだよね、仁美」

だが、さやかにはこれが仁美の意思だと思えて仕方なかった。

「まだ、あの子がここに連れてこられてる。なら、こんなところで死んでる暇なんて、ないよね」

さやかの脳裏によぎるのは、さやかと仁美の親友である鹿目まどか。
あそこまで醜い姿を見せても、さやかを見捨てようとしなかった優しい子。
きっとこのグリーフシードは、仁美からの激励だ。諦めるな、彼女を助けて、と。

(あたしはどんなことをしてもまどかを助ける...だから、どうか見守っていて...)

グリーフシードでソウルジェムを浄化し、さやかは心中で誓った。


なんとも自分に都合の良い妄言だ、茶番だと笑う者もいるだろう。
確かに偶然が重なっただけのことかもしれない。

馬鹿にするなら勝手にすればいい。彼女達はきっとそう断言するだろう。
美樹さやかは志筑仁美との友情を取り戻し、志筑仁美もまた友情に殉じることができた。
それを彼女たち自身が否定する理由などどこにもないのだから。

【G-3/崖/深夜】

【志筑仁美@魔法少女まどか☆マギカ 死亡】
※西山特製の網バズーカ@彼岸島(仁美の支給品)は弾が切れた状態で放置されています。



【美樹さやか@魔法少女まどか☆マギカ】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大)、精神的疲労(絶大)、仁美を喪った悲しみ(絶大)、相場晄への殺意
[装備]:ソウルジェム(9割浄化)、ボウガンの矢
[道具]:使用済みのグリーフシード×1@魔法少女まどか☆マギカ(仁美の支給品)、不明支給品1~2
[思考・行動]
基本方針:危険人物を排除する。
0:どこか落ち着いた場所で仁美を埋葬後、これからの行動を決める。
1:まどかとマミとの合流。杏子、ほむらへの対処は会ってから考える。
2:仁美を殺した少年(相場晄)は見つけたら必ず殺す。
3:マミには何故生きているのか聞きたい。

※参戦時期は本編8話でホスト達の会話を聞いた後。



【隊長@彼岸島】
[状態]:疲労(大)、出血(大)、全身にダメージ(大)、全身打撲(大)
[装備]:
[道具]:基本支給品、仁美の基本支給品、黒塗りの高級車(大破、運転使用不可)@真夏の夜の淫夢
[思考・行動]
基本方針:明か雅様を探す。
0:どこか落ち着いた場所で仁美を埋葬後、これからの行動を決める。
1:明か雅様と合流したい。
2:さやかは悪い奴ではなさそうなので放っておけない。

※参戦時期は最後の47日間14巻付近です。



痛む右肩に耐えながら、相場は森林を駆け抜ける。

相場晄が最初にこの殺し合いに抱いた感想は「これでは春花と一緒にいられない」だった。
相場晄は野崎春花を愛している。はにかむと可愛く、厳しい冬を耐え抜いた雪を割るようにして小さい花を咲かせるミスミソウのような彼女を愛していた。
これは一方的な愛ではなく、彼女もまた相場晄を受け入れ愛している。少なくとも相場はそう信じ込んでいる。
相場には彼女が必要だったし、彼女には自分さえいればそれでいい。そう、信じ込んでいる。
しかし、こんな殺し合いに巻き込まれてしまっては、春花を守ることができなくなってしまうではないか。
ふざけるな。俺は彼女を護ると約束したんだ。
殺し合いなんて俺と春花以外のウチのクラスメイトを呼んでやっていればいい。真宮や池川なんかは喜んで参加者を殺していくだろうに。
そんなことを考えつつ相場は参加者の名簿を確認した。

名簿を見た時は目を疑った。
参加者の中には相場の愛する野崎春花の名も連ねられていたからだ。
彼女と殺し合いをするなど絶対に嫌だ。
そう思ったが、しかし相場は主催の語ったルールを思い出す。

『赤い首輪の参加者を殺せばゲームクリア』

このルールでは、優勝者以外の人間も生還させることができる。
それを理解するのに時間はかからなかったし、理解した時にはこれをむしろ好機と考えた。
この殺し合いで春花と共に生還すれば、春花はますます自分への信頼と愛を深め、自分無しで生きることを考えなくなる筈だ。
この殺し合いに呼ばれているらしい春花の妹も、春花にバレないように始末できれば尚更いい。
そうすれば、死にかけの妹や老い先短い祖父などではなく、きっとこの相場晄を求めるようにだろう。
この瞬間、相場晄は野崎春花のために殺せる者は殺していく方針に定めた。

その方針に従い、一番最初に見つけた隊長を狙撃し、ワイアルドとの戦いを観察し隙を窺い、志筑仁美たちを襲撃したのだ。
初めての殺人だったが、春花を守るためならどうともなかったし、心が痛むこともなかった。

彼の唯一の誤算はさやかの怪物染みた生命力だ。
あそこで始末できれば一番良かったが、最終的な目標は自分と春花の生還のため、無理をして自分が死んでしまえば元も子もない。
そのため、さやかの始末よりもこうして逃走を選んだのだ。



(俺には、まだ殺す手段が圧倒的に足りない)

肩に刺さったはずの剣は、数分ともたずに消えていた。
これで残りの武器はボウガン一発だけ。
戦力不足なのは語るまでもないことだ。

今回の戦いで思い知った。
赤い首輪の参加者を殺すには、手軽な武器だけでは駄目だ。
情報や戦力など、もっと準備が必要だ。

(待っててくれよ、野崎。俺は必ずお前を守るから)

彼が進む先は真っ暗闇の森の中。
しかし彼が怯えることなどありえない。
相場晄の愛はこんなものより暗く深いのだから。


【G-3/森林/深夜】

【相場晄@ミスミソウ】
[状態]:右肩にダメージ
[装備]:真宮愛用のボウガン@ミスミソウ ボウガンの矢×1
[道具]:基本支給品一式、不明支給品0~1
[思考・行動]
基本方針: 春花と共に赤い首輪の参加者を殺し生還する。もしも赤い首輪の参加者が全滅すれば共に生還する方法を探し、それでもダメなら春花を優勝させて彼女を救ったのは自分であることを思い出に残させる。
0:春花を守れるのは自分だけであり他にはなにもいらないことを証明する。そのために、祥子を見つけたら春花にバレないように始末しておきたい。
1:赤い首輪の参加者には要警戒且つ殺して春花の居場所を聞き出したい。
2:俺と春花が生き残る上で邪魔な参加者は殺す。
3:青い髪の女(美樹さやか)には要注意。悪評を流して追い詰めることも考える。
4:カメラがあれば欲しい。


※参戦時期は18話付近です。



その頃、ワイアルドは未だに西山の網に捉われもがいていた。


【G-3/崖の下/深夜】

【ワイアルド@ベルセルク】
[状態]:背中にダメージ(小)、車の衝突のダメージ(小)、西山の網が絡まっている。
[装備]:
[道具]:金属バット@現実、基本支給品、不明支給品0~1
[思考・行動]
基本方針: エンジョイ&エキサイティング!
0:まずはこの網を外す。
1:鷹の団の男(ガッツ)を見つけたら殺し合う。
2:さっきの奴ら(隊長、さやか、仁美)を見つけたら遊ぶ。

※参戦時期は本性を表す前にガッツと斬り合っている最中です。



時系列順で読む
Back:無題 Next:魔法少女(迫真)

投下順で読む
Back:無題 Next:一天四海の星彩



GAME START ワイアルド 038:ノスフェラトゥゾッド
GAME START 相場晄 020:変わらない世界
GAME START 美樹さやか 030:人外二人、行くあてもなし
GAME START 隊長
GAME START 志筑仁美 GAME OVER
最終更新:2018年01月20日 15:16