ぬるいというよりかは人肌とでも言うべき36℃のシャワーはさながら真夏日の夕立のようにイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの肢体に降り注ぐ。顔を上に向けて水の匂いと振動を堪能し、唇を舐めればカルキが口に広がった。流れる湯は天使の輪のように光を返す頭頂部の銀髪から喉と肩を経由して小高い胸部と肩甲骨へと至り、胴を滑り落ち臀部の割れ目で水位を増すと粘性を保ちながらも脚部を自由落下する。濡れた髪の感触を楽しむように頭にやっていた手から、イリヤはその体を流れる小川を肌を通り越して五臓六腑にまでことごとく浸透させるかのように胸から腹へと押しつけ、念入りに手のひらをさらさらと滑らせた。
お湯が普段よりも大分温いのは、イリヤ本人の体調を考えてのものだ。つい先程まで熱中症のような状態であったことを考えると、シャワーは熱くても冷たくても余計な体力を消耗する。もちろん入浴自体が疲労に繋がるのだが、たっぷりとかきにかいた汗を流したいというのは乙女でなくとも人情であろう。火照った体を鎮める為のやさしい雨がイリヤに潤いを与えてくれる。それを広げた手の指先のじんじんとした血行から確認するとイリヤはきゅいと音を立ててシャワーを止めた。
シャワーヘッドを掛けると浴槽の水面に手を一文字。湯気も立たないほどの湯船は温水プールを連想させた。その水面に、模範的なプールの入り方でゆっくりと身体を沈める。滑り込むようにお湯に浸かると僅かなさざなみに身を任せる。
ゆったりとした揺れは規則的かつ自然に体を動かして、ふわりと眠気を誘った。全身の脱力《リラックス》が体を浮き上がらせ、ある意味半身浴の状況を作る。体の前面は空中に、体の後面は水中に。端から見ればマヌケな姿に思えるかもしれないが、しかしイリヤの水面に広がった銀髪とその迷彩の下に広がる雪原はある種の神々しさを感じさせた。
「ーーふっ、う……」
ここに来てイリヤは初めて声をあげた。ぷかりと浮かんだ裸体は電灯に照らされ白い光を返し、時おり沈み、また浮かぶ。
「……あっ……はぁーー」
体の左右の傾きをゆらゆら揺らし、直し、平行にし。そして。
「はぁっーーぷはっ!」
大きく深呼吸し、体に力を入れて、潜る。水圧が増し胸を圧迫し肺を縮める。苦しい。息をしたい。目を開く。体を束の間緊張させ、からの弛緩。
ぼこんと大きな音を立てて口から空気が固まりになって打ち上がり。
入れ替わりに水が口内に満ちるより早く浮上した。
「ふぅ~~~~~、良いお湯でした……」
暫くして、イリヤは首にかけたタオルでパタパタと顔を扇ぎながら自室へと入ってきた。衛宮家はその間取りを忠実に再現されたのか自室を見る限りではここが聖杯戦争のための仮想空間であることを忘れてしまいそうだ。家具や雑貨、あるいは小物に至るまでイリヤが持っていたり欲しいと思っていたものが用意されている。そこはかとかない理由なき居心地の悪さを除けば概ね快適な空間である。そんな自室を一瞥すると、イリヤはベッドにばったりと倒れこむと目を閉じた。
体にのしかかる疲労は、やはり大きい。
魔力の消費はそこまで大きいというわけではなかったが、戦闘でのストレスは想像以上に大きい。そしてなにより炎天下の中玄関先で気絶していたことによる熱中症がやはり酷しい。
もしあの時もう少し早く起こされなければ……そう考えて、イリヤは耳を澄ます。普段ならもうそろそろルビーがちゃちゃの一つでも入れてくるものなのだが、不思議と入浴以来影も形もなかった。
「ルビー?」
名前を呼んでみる。しかし、現れない。なるほど今回はなかなか出てこないというパターンだろうか。ぼんやりとそんなことを考えながら再び「ルビー」と呼びかける。今のイリヤはほとんど頭が回っていない。機械的に発音。
「……ルビー?」
三度目の呼びかけ。それには感情がこもる。もしかしたら冗談ではなく、ルビーはいないのか。ランサー同様いないのか。そんな予感が不安という形で声に表れる。普段ならイタズラかたまたま都合がつかないかといったところが思いつくのだが、今のイリヤは違った。といっても。
「ハイハイハ~イ、そんなに何度も呼ばなくたってここに居ますって。」
当のルビーがひょっこり出てきたことで直ぐに解決されたのだが。
「いやー、私達が出会った頃を思い出すシャワーシーンでしたね。あ、これ麦茶です。」
「ありがと……」
適当なことを言いながらコップを抱えて器用に飛んできたルビーにこれまた適当な返事をイリヤは返すと、麦茶を受けとる。その様子につい先ほど見せた不安の色は皆目なく、疲労困憊という感じしかなかった。
こくりこくりと麦茶を時間を掛けて飲み干したイリヤを見ながら、ルビーはそう思う。玄関でこんがり焼かれていたイリヤを叩き起こして以来、普段の大きなリアクションはすっかりなりを潜めこの様な調子だ。
(ま、その方がヘタに騒がれるより今はマシなんですけどね。)
ルビーはそう心中で愚痴る。今現在、イリヤが置かれている状況は複雑だ。はっきり言って、イリヤの行動の最適解が家で静かに寝ていることである程度にはなかなかに面倒くさい。
とはいえ、そのことをそう言葉通りに本人に伝えるわけにもいかない。丸め込まねばならないだろう。
(ほんと、静かにじっとしていてもらわないと色々不味そうなんですけどね。たぶん無理だと思いますけど。)
ルビーは祈るように、しかし諦めの気持ちを持ちながらイリヤと会話を続ける。やれ水分補給が必要だ、やれもう少し髪を乾かせ、そんな無意味な話題をふった。イリヤもそれにだるそうに応えていたが、しかし、そんなどうでも良いことよりやはり気になることはあるだろう。それは聖杯戦争のマスターである以上ごく自然で常識的な話題だ。
「……そういえばランサーさんは?」
(さーて来ましたよ面倒な質問が。)
ぐったりとしながらも目線を動かさずに聴いてくるイリヤを見てルビーは気合いを入れ直した。
ルビーがイリヤにランサー・カルナの話を、というか聖杯戦争に関する話自体をしたくないのには、イリヤの置かれた状況の大きな変化があった。その最大の変化は美遊の存在の発覚である
これまでのイリヤは美遊・エーデルフェルト達のいる元の日常への回帰をモチベーションとして聖杯戦争に挑んでいた。その傾向は遠坂凛の死によって確固たるレベルに高まっている。それはカルナを他のサーヴァントにけしかけるという、普段の彼女ならば考えにくい行動をとるほどのものだ。
しかし、この聖杯戦争には美遊も参加者として存在してしまった。イリヤや凛が参加していた以上なにもおかしくはないが、しかし実際に相対するとなれば話は別だ。最後の一人になるまで戦わなくてはならない以上、必然的にどちらかが死ななければならない。あるいは、なんらかの手段でこの聖杯戦争から脱出する方法があれば二人が殺し合う必要はなくなるが、そうなれば今度は凛を蘇生させることが不可能になるだろう。
親友と殺し合うか、先輩を見捨てるか、イリヤは必然的にどちらかを選択しなくてはならない。ただでさえ家族から切り離され親しいものの死によって傷心のイリヤにそのジレンマを味あわせるのは余りに酷だとルビーは判断したのだ。
だから、ルビーは決断をした。『イリヤに美遊・エーデルフェルトという存在を認識させずに聖杯戦争の優勝者にする』と。これはつまり、美遊の基本方針を受け入れるということであった。美遊は現在イリヤに露見しないようにこちらに敵対的な主従への攻撃を開始している。ならばルビーとしてはイリヤの目がそちらにいかないようになるべく聖杯戦争から遠ざけるのが最も得策であるとした。もしイリヤと美遊がマスター同士として出会ってしまえば、イリヤだけでなく美遊にもどれだけの影響が出るかはわからない。生き馬の目を抜くこの戦いでそれだけの隙をつくるのは避けなければならない以上、絶対に二人を会わせてはならないのだ。
またその為にカルナとイリヤが接触するのも可能な限り避けなくてはならない。この一月程カルナの人となりを見てきたが、あれは現在のイリヤ達にとって天敵であると言って良いものだ。イリヤが彼を前にすれば、ルビーと美遊の作戦は一瞬で崩れるだろう。あのサーヴァントはなんであれこの様な嘘を見逃しはしない。そしてイリヤが少しでも違和感を感じてカルナに聞いてしまえば、恐らく全てが終わるだろう。
(ーーまさか、全力でイリヤさんを騙し通さなきゃならなくなるとは。しかも美遊さんとサファイアと一緒に。)
ルビーは自嘲する。
ルビー、サファイア、美遊の三人は、イリヤを優勝させるためにイリヤを聖杯戦争に関わらせずに騙しきる、その道を選んだのだ。汚れ仕事は美遊とサファイアが行い、ルビーがそれから目をそらす。イリヤだけがこのペテンを知らず、優勝する。
(私だったら、こんな裏切りされたらなにするかわかりませんね……)
マスコットとしては、失格も良いところだろ。こんな非道な存在は数えるほどしか知らない。どうやら自分達はそのなかでも割りと上位に行けそうだ。
(ま、やるからには完全犯罪を目指しますか。)
既に美遊達は一組の主従を殲滅した。塞はとっくに投げられている。
三人の共犯者の一人として、口八丁手八丁で詐欺してみせる、ルビーはそう腹をくくった。
【深山町、アインツベルン家/2014年8月1日(金)1534】
【イリヤスフィール・フォン・アインツベルン@Fate/kareid liner プリズマ☆イリヤ】
[状態]
疲労(小)、精神的疲労(中)、髪がちょっと短くなった、パジャマ
[残存令呪]
3画
[装備]
カレイドルビー
[思考・状況]
基本行動方針
聖杯戦争に優勝してリンさんを生き返らせる
1:わたしと同じ顔と名前のバーサーカーのマスター…?
2:ランサーさんから離れすぎないようにする
[備考]
●自宅は深山町にあるアインツベルン家(一軒家)です
●変身は現在は解除されています
●ランサー(カルナ)から「日輪よ、具足となれ」を貸与されています
最終更新:2016年08月15日 05:47