真田幸村は気付ばその場にいた。
手には相棒たる十文字槍。身体や鎧には傷一つない。
「ここは……」
脳裏に蘇る記憶。
既に死城と化した大阪城を後に、徳川の大軍勢へ突撃を敢行した。
狙うは家康が首ただ一つ。三千もの軍勢がただその一点を目指して突貫する。
一陣、二陣、三陣からなる波状攻撃で、兵を削りながらも家康が眼前まで行き着いた。
だが、後詰めの到来により家康の姿は再度群衆へと消える。
それが幸村が武勇の終着点であった。
道端にあった神社にて疲労困憊の身を置いていた所を兵士に発見され、首を差し出した。
身に侵入してくる刃の感触は今でも鮮明に思い出せる。
あれが幻の類であったなど有り得ない。
有り得ないが……今幸村は無傷な姿で立っていた。
「死して尚夢幻の最中、か……」
己の成した事に幸村は一点の悔恨もなかった。
やり遂げたからだ。
義を通し、牙を振るい、真田の名を世に知らしめた。
例え、家康を討ち取る事はできずとも、幸村は―――真田は戦い抜いた。
圧倒的不利な状況で、既に敗北が決定付けられた状況で、最後まで。 大勢力に振り回されるだけの弱小の者達が、最後まで天下人たる家康を脅かし続けた。
言うなれば、意地を通したのだ。
だからこそ、幸村に悔恨はない。
(現世では兄者に苦労をかけるだろうな……だが兄者なら、真田の行く末を正しく示してくれる筈だ)
終着の後に現れた、再びの戦場。
先程の老人の話が虚言や妄言の類ではない事は、幸村には分かっていた。
梟雄、もしくは狂人か。そのどちらであろうと現状に変わりはない。
あの場にいた者共で殺し合い、生き延びた三名を解放するという催し。
幸村はまだ戦場の只中にいた。
(戦、か……)
武具、防具ともに問題なし。
愛馬や味方の軍勢はいずとも、大軍を相手とする訳でもなし。
個対個の戦いであれば、そう後れをとるつもりはなかった。
(だがしかし、俺は……)
ただ一つ幸村に欠けているとするならば、それは生存意欲であろうか。
大乱を終え、己が戦い決着をつけ、死を受け入れた。
その直後に、生き延びたくば殺し合えと言われたところで十全な気持ちで槍を振るえる訳がない。
(どうするべきか……)
迷走を抱きながら、幸村は立ち続けていた。
闇の中、ただ一人。
そうしてどれほどの時間が経過しただろうか。
彼は足音を聞いた。
ひたひた、と足音は迷うことなく幸村の方へと近付いてくる。
答えのでない心持ちのままに幸村は臨戦の構えを取った。
「足を止めよ。それ以上近付かねば、俺も槍は振るわん」
闇から現れた男は、黒色の衣裳に身を包んでいた。
ただし着物と違い、身に張り付くような衣服を着ている。
幸村の時代ではあまり見ない服装であった。
男は幸村の静止に動きを止めた。
ポケットに両手を突っ込んだまま、向けられた槍の穂先を見詰める男。
幸村は男の仕草を油断なく見る。
自然体に近い様子でありながら、まるで隙というものが見られない。
戦場で幾千もの戦士を見てきたが、ここまでの者は数えるほどしか記憶にない。
「―――食うぜ」
直後、場は急転した。
地面を蹴り抜き宙空に身を置く男。
十メートルはあった間合いがただの一跳びで零となる。
幸村は目を見開き、大きく下がる。
下がりつつ槍を突き出すが、宙空の中にありながら男は上体を捩り、十文字の刃を回避しきる。
着地。
間合いは槍の内側。
(無手―――!)
槍なし。刀なし。鎧なし。
男は素手で幸村の眼前にある。
刀を抜く。
斬るためではない。防ぐために刃を掲げる。
防ぐ箇所は頭部。
身体は鎧に包まれており、拳骨で傷を与える事は不可。
ならば頭部を防げば問題はない。
幸村の読みは―――当たった。
男の選択は右拳による頭部への打撃。
吸い込まれるように拳が刃へと向かっていく。
刃に当たれば切刻まれるのは男の拳であった。
(な―――!?)
だが、刃に触れる寸前で男は拳を止めた。
動きがまるで読まれていたのだ。
「――――ド阿呆ッッッ!!!!!」
直後、旋風が吹きすさんだ。
衝撃が両の腕を襲い、甲高い音がなる。
宙を舞う物が一つあった。
それは月光を受け光の残滓を放ちながら、くるくると回り、幸村の足元に突き刺さる。
刀身。
幸村が掲げていた日本刀の刀身が、半ばから切断され、地に突き刺さったのだ。
男は右足を振り切った体勢をとっていた。
男の行動は単純明快。
右足によるハイキックを刀身へ当て、へし折った。
ただそれだけのことであった。
「日の本一の兵が、戦場の最中で迷い事とは恥を知れッッ!!」
言葉は衝撃となり、幸村の身体を叩く。
幸村が知覚できたのは其処までだった。
鈍い音が鳴り響き、意識は暗闇へと吸い込まれていった。
◇
地上最強の生物・範馬勇次郎は激怒していた。
かの高名たる日の本一の兵・真田幸村の予想外の腑抜けぷりに、言い様のない憤りを感じていた。
一目見れば分かる。
あの宮本武蔵を見た時のように、身体の芯に電撃が落ちる感覚があった。
理由なぞどうでも良い。大方徳川のじじぃのクローン技術か何かだ。
ただ、拳を合わせられれば、かの日の本一の兵と戦えるのならば、それだけで良かった。
だが、蓋を開けてみれば、期待外れもいいところだ。
迷い、侮り、決意も気合もない、腑抜けた刃を向けてきた。
(かの真田幸村が―――何を、何をしているのだッッ!?)
今、真田幸村は森林の中で倒れ伏している。
生きているか、死んでいるかは分からない。
手加減の無い、渾身の拳を叩き込んだ。
死んでいるか、生きているかなどどうでも良かった。
見込み違いの男に気を留めている程、今の勇次郎は暇ではなかった。
(他の奴等は楽しませてくれるんだろうな……)
先の場にて見た数多の人々。
中には勇次郎をして舌を任せる雰囲気の猛者すらいた。
まだ見ぬ彼等との闘争を夢見ながら、勇次郎は殺し合いの会場を歩いていく。
◇
「な、何だったの、さっきの音は……!」
暗闇の森林を音もなく走る者がいた。
男の名はマルコ。
マルコは先程聞いた凄まじい音の方角へと向かっていた。
「あぁ……人が倒れてるよ!」
走り続けて数分。
マルコは地面に倒れ伏す一人の男・真田幸村を発見する。
幸村は口端から黒い鮮血を流しているものの、呼吸はしていた。
生きているが、相当に深いダメージは負っているようであった。
「くっ、殺し合いが既に……気をしっかり持つね、マルコが今助ける!」
マルコは幸村を背負い、再び走り出す。
背負った一つの命を救うため、全力疾走で。
ただ一つ問題があるとするならば、マルコが殆ど何も考えずに走っているということ。
もともと精神年齢は幼い上に、単純な性格だ。
行き先は不明、ただ前に、愚直に前に進むのみ。
日の本一の兵を背中に、猛進マルコが突っ走る。
最終更新:2016年02月15日 16:18