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 如月千早は警察署の中にいた。
 デスクが沢山並ぶ部屋の片隅。そこで蹲りながらi-Phon●をじっと見つめる。
 そこには彼女も良く知る名前が何人も並んでいた。
 天海春香、プロデューサー、双海真美、双海亜美……今の彼女にとっては大切な、大切な仲間であった。
 彼女は高まる鼓動を抑えるようにして胸のあたりに手を置いた。
 こんな非現実的な事が本当に起こる訳がない。
 そう、考えながらも彼女の思考は囚われたようにそこに行き着いていた。
 仲間の死。
 どんなにポジティブに考えようとしても、駄目だった。
 千早の思考はそこに辿り着いてしまう。
 息が早まり、視界が歪む。
 怖い。
 怖かった。
 仲間が死んでしまうのではないか、仲間を失ってしまうのではないか。
 あの時のように―――優のように。

「いやッ!」

 切り裂くような悲鳴が響いた。
 i-Phon●を投げ捨て、頭を抱える。
 如月千早という人物は、人一倍に死という言葉に敏感であった。
 小さい頃に弟を事故で亡くし、それを楔として唄い続けてきた。
 片時も忘れた事はない。
 だからこそ、怖い。
 優のように皆がいなくなってしまう事が、優のように皆が死んでしまう事が。
 怖い、怖くて堪らない。

「皆、お願い……!」

 我を忘れたように彼女は走り出していた。
 警察署を飛び出し、暗闇の中を灯も持たず、目的地もなく。
 何度も何度も転びそうになりがら、それでも仲間たちとの再会を望んで走った。
 彼女の前に、その人物が現れたのは走り始めて数分が経過した時だった。
 市街地を貫く道路の真ん中。
 一人の男が満月を眩しそうに見上げていた。

「こんばんは、お嬢さん」

 暗闇の中だというのに、男の瞳は真っ直ぐと千早を捉えていた。
 その妖艶な瞳の輝きに、千早は息を飲む。
 瞳は鮮血のように赤く染まっている。まるで人間のものではないかのような瞳。
 肌が総毛立つのを感じた。

「今宵は良い満月だ。そう思わないか?」

 千早は声をあげることすら叶わなかった。
 悠然とした動作で赤色のコートに両手を入れ、何かを取り出す男。
 それは拳銃であった。
 冗談のように巨大な拳銃。それが男の手に握られていた。

「こんな夜は闘争に限る。さぁ、見せてくれ。人間(ヒューマン)」

 銃口はぴったりと千早に向けられていた。
 その無機質な暗い孔が、千早の視線とぶつかる。
 千早は、動けない。
 恐怖に身体がいう事を聞かなかった。

「貴様は狗か、化け物か、人間か」

 嫌だった。
 死にたくはなかった。
 皆ともっと、もっと一緒に過ごしていたい。
 ようやくなのだ。
 私達の活動はようやく始まったばかりなのだ。
 もっともっともっと唄を、



「―――私に、見せてみろ」



 拳銃が鳴った。
 それは凄まじいまでの暴力的な音で。
 身体が傾いでいくのを感じて。
 そして、


「セ、セーーーーーーーーーーーフッッ!!!」


 身体が温もりに包まれていた。
 背中からは固く冷たい地面の感触。
 痛みは、ない。
 ただ千早は押し倒されていた。
 いつの間にか現れた小柄な少年に。
 地面へと。


「こ、こっち!」


 少年は立ち上がるや否や、千早の腕を引いて走り出す。
 建物の陰から、入り組んだ路地裏へと入っていく。

「おわっ!」

 だが、相手もさるもの。
 完全に死角にいる筈の二人へと建物ごしに銃弾を飛ばしてきた。
 狙いは正確。威力も怪物級。
 コンクリートの壁をぶち破り、尚も人体を破壊するだけの威力を有している。

「な、何で、こっちの居場所が……!」

 色々と路地を曲がったり、曲がらなかったりしてランダムに駆ける少年であったが、弾丸はしつこいくらいに迫ってくる。
 路地の出口が見えてくる。
 ともかく一旦大通りにでようとする二人であったが、

「行き止まりだぞ、少年」

 怪物が、立ち塞がる。
 弄ばれていただけだ。 
 路地裏という籠の中で、弾丸により良い様に行き先を変えられていた。

「さぁ、どうする?」
「ッ……!」

 正面から相対してしまう。
 細い路地道。選択は前進か、後退か。
 だが前は怪物が塞いでいる。ならば後ろにしか道はないが……怪物の手中には拳銃がある。
 背中を向けた瞬間に、ドカンだ。
 再びの死の恐怖が千早の胸中に這い上がってくる。
 逃げられない。逃げられない。逃げられない。
 身体が震えてしまう。

「大丈夫。安心して」

 ギュッと、手が握られた。
 男性にしては小さい手。
 少年の手だって震えている。恐怖は少なからずあるのだろう。
 だというのに、それでも少年は力強く千早の手を握った。
 安心させるように、力強く。

「合図したら全力で前に走り抜けるんだ」
「で、でも……」
「大丈夫。あいつには何もさせない」

 少年の顔は緊張に強張っていた。
 それでも瞳は真っ直ぐ前に。
 眼前の怪物を前にして、少年は引かない。

「―――今!!」

 合図が出る。
 それと同時に少年と千早は全力で前に走り出す。

「ほう……視界の占領か」

 怪物は、何もしてこない。
 顔を抑え、さも面白そうに口を歪めるだけだった。
 二人は怪物の横を抜けるのに成功する。
 そのまま兎に角全力で前に進む。
 怪物を振り切るのだ。

「だが、甘い。甘いぞ、少年。吸血鬼にはもう一つ目がある。本物の、真なる第三の瞳が」

 言うと同時に、一瞬で怪物は少年へと狙いを付けていた。
 距離にして十数メートル。周囲は暗闇。
 暗視スコープもない状況では到底狙撃などできないように思えるが、銃口は真っ直ぐに少年の背中を覗いていた。

「さようなら、人間(ヒューマン)」

 銃口から逃れるように二人は走る方向を変えるが、銃口はぶれなかった。
 その背中に付いて離れようとしない。
 怪物の人差し指がゆっくりと動いていく。
 完全に指が引き絞られた時、少年の命は終わるだろう。
 走る事に精一杯の千早は気付かない。
 怪物の魔手からはまだ逃げおおせていない事を、
 少年の命が風前の灯にある事を、



「なめんな……」



 如月千早は気付かない。
 少年の瞳が凄まじい熱を持っている事を、
 その細い瞼の間から煙すら漂っている事を、



「吸血鬼だろうと、何だろうと関係ねえ! 『眼』なら、俺に、従え!!!」



 如月千早は気付かない。
 気付かないままに、戦いは終わっていた。
 轟音が鳴り響き、寸前まで二人の身体があった地点を通りすぎていく。
 追撃はない。
 二人は市街地の果てまで駆け続けた。






「はぁっ、はぁっ……だ、大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい……」
「良かった。いやあ、やばかった……」

 二人は森林と市街地の境目にいた。
 千早は木の根に座り込んで、少年は地面に寝転がって、荒い息を整える。

「まさかあんなのがいるなんてね。驚いちゃったよ」
「あ、あの……ありがとうございました」
「お礼なんていいよ。俺も無我夢中だったし」

 息を整い、改めて千早は少年を見る。
 千早とそう変わらない背丈、顔は柔和で優しそうな細目が特徴的であった。
 走った直後だからか頬は上気し、汗ばんでいた。

「目、目から血が……」

 その目から細く血が流れていた。
 逃げる途中で気付けてしまったのだろうか。
 出血はそう酷くないが……。


「え? あ、ああ! だ、大丈夫、大丈夫。たまーにこうなっちゃう体質なんだ!」
「でも……」

 千早はポケットからハンカチを取り出すと、その血を拭った。
 頬の紅潮が更に強くなった気がするが、何でだろうか。

「ごめんなさい。今はこれくらいしか出来なくて……」
「い、いや……ありがとう! 全然、全然OKです、はい!」

 何かを誤魔化すように笑う少年に、怪訝な顔を向ける千早。
 少しの間あわあわとした後、少年は立ち上がる。

「そう言えばまだ自己紹介してなかったね。俺はレオ。レオナルド・ウオッチ。君は?」
「私は如月千早です。すみません、名乗りもせずに」
「あはは、そんなの忘れちゃうくらいのことがあったからね」
「ふふ、そうですね」

 何故だか、恐怖は薄くなっていた。
 こんな場でありながら明るく振舞える少年に元気づけられたのだろうか。
 千早もレオと並ぶように立ち上がる。 

「さて、行こうか。まださっきの奴が追ってきてるかもしれない」
「そうですね、行きましょう」

 九死に一生を得た二人が、森の中を進んでいく。






「『神々の義眼』、か……」

 そこから少し離れた市街地。
 二人を追い詰めていた怪物が、一人立っていた。

「第三の目すら支配するとはな……素晴らしい」

 怪物の名はアーカード。
 吸血鬼が始祖にして、最強の存在である。
 アーカードは思い返す。
 あの少年が実行した視界の占領。
 肉体の目だけでなく、吸血鬼だけが有するもう一つの目すら支配下に置いた眼球。
 彼の長い生涯でさえ、実物を見た回数は数えるほどしかない。
 あれだけ使いこなす者といえば、存在したかどうか。
 アーカードは歓喜する。
 確かに神々の義眼自体は異界からなる存在だ。
 だが、義眼を有していた所で使い手が狗であれば、何も成し得ない。
 あの少年だから、やってのけた。
 怪物を前にして一歩とひかず、己が能力を限界まで施行して、逃げおおせた。


「やはり人間は素晴らしい」


 アーカードは笑みを張り付けたままに、賞賛を溢した。
 そうして次なる闘争を求めて歩き出す。
 吸血王の昂ぶりに応じれる者はいるのか、それはまだ誰にも分からない。