第三回戦SS・沿岸その2

久喜家現当主が末妹・久喜伊月(いづき)は、ただ震えるばかりだった。
時刻は既に夜更け。三重県は四日市市、久喜屋敷。自宅の庭に面した縁側で、ひとり恐怖に耐えていた。
 なぜ、なぜアレが今ここにいるのか。……いや、理由は判り切っている。アレは決して、自分を許さないだろうからだ。

「う、うう……」

 視線の先、月の光が照らす庭にナインオーガが立っていた。
 かつてこの地方で流行った都市伝説、その正体を知っているのは、自分と、共犯関係である依織だけだ。自分の魔人能力で現実のモノとなった、創作の産物『オーガーさん』。
それはその噂話通り、現実の存在として三重一帯を騒がせたが、最終的に伊月自身が「自分の魔人能力を消し去る」夢想を現実とすることで消失させた。
 ……そして伊月は依織が何も語らないのを幸いとばかりに、事実上の放逐に近い形で九州へと引っ越させた。
 だから、このオーガーさんの正体が何であれ、自分を許す筈がないのだ。十数日前、C2バトル開始と同時の報道でこの鬼の存在を知ってから、伊月はこの日が来ることをただ恐れていた。

「――いや、大丈夫だよ。このオーガーさんは、危害を加えに来たわけじゃない」

 その時、庭からまた別の声が届いた。一人の老人だった。伊月にとっては、親戚の集まりで遠くから見ただけの顔。

「初めまして、になるかなぁ。久喜朔隆と言います。……ゴメンねぇこんな形で」

 決まりが悪そうな調子で、ナインオーガの「担当官」である老人が言う。
 だがその老人の発言は、あながち間違いではなかった。伊月は知らぬことであったが、目の前にいるオーガーさんからは、これまでの戦闘に発せられていた殺気は、全くない。むしろ穏やかですらある。
 戸惑う伊月の前で、ナインオーガの手が、つい数十分前、隣の市の博物館でゴブリーと戦ったオーガの手が、仮面に伸びる。
そして面が外された。

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「――それで、どうしてあたしも付き合わなきゃならないワケ?」

 翌日、昼。駅弁をつつきながら、久喜伊月は憤慨した。所は東海道本線、新幹線『のぞみ』内。対面に座るのは滝のように真っ直ぐな黒い髪の、色の白い女。その顔は、伊月に瓜二つであった。

「――いけませんか?」

 きょとんとした顔で、女が答えた。久喜依織。昨日、ナインオーガの仮面の下から現れた人物その人である。

「いやいけないっていうか……ああもう、あんたは昔から!」

昨日、久しぶりに姿を見せたこの久喜依織は、日が明けた後、半ば強引に自分を連れて列車に乗り込んだ。東京へ向かうというのだ。ともに現れた大叔父、久喜朔隆も、挨拶早々に立ち去ってしまった。あの世を騒がせているナインオーガの正体が目の前の女だということは、もう知っている様子だったが――。
ひとしきり怒ったあと、伊月はため息をつく。本当に変わっていない。
 あたしのことを見ているのかいないのか――。

「……直談判です」
「えっ」
「私は既に幼女道の長鳴ありすさんに敗れています。この時点で全勝は不可能……ですが、勝ちの数で競うなら、まだ目はあります。それにもし参加者として千代田さんに接触が出来れば、欲しい情報のヒントくらいは貰えるかもしれません」
「いや、それは……出来るかどうかはともかく判ったけど。そうじゃなくて」

 同じ顔をしていることすら、何だか苛立ってくる。違いと言えば、伊月は神を肩口で切り揃えている。それだけだ。彼女は改めて脱力した。

「……そう言えばさ、直談判って言えば、望みがあるのよね。アナタにも」
「はい」
「何なの、一体」
「……それは」

 『次は、川崎――。間もなく、川崎――』

 車内アナウンスが響いた。その時であった。依織が、懐から素早くカードを取り出した。
反応。マッチングである。既にカードには名前が浮かんでいる。
 ――七坂七美。



「……“ナインオーガ”」

 神奈川県川崎市。関東を代表する工業地域に居を構える大手鉄鋼会社との会合を終え
た帰途、七坂七美は車内でその名を読み上げた。
 すぐさまセブンカードが車外に連絡を飛ばし、警戒体勢に入る。

「来たか」
「ええ。まさか昼間に遭遇するとは思わなかったけど」

 対戦相手名簿に名前のあった、素顔の知れない怪人「ナインオーガ」、戦闘映像自体は既に何度となく見て研究している。戦闘力については相当の脅威だろう。だが。

「今迄の相手と違って、奴はそれこそ素性が知れない。一旦情報収集に徹する手も、十分にあるぞ」

 七鬼の案を十分に反芻し、思考を重ねた上で七美は応える。

「……いえ。相手は過去三度、ひょっとしたらそれ以上の数、衆目に身を晒しながら、今日まで全く尻尾を掴ませてない」

 七坂グループでも、かつて三重で流れた噂については掴んでいた。そしてナインオーガのその類似点についても。これが相手のスタイルならむしろ、むしろゲリラ戦こそ本分だろう。
日の高いこのタイミングでマッチングが為された。それだけが違う点だが、叩くなら早い方がいい。

「まだ近くにいる。引きずり出すわ」

 高速道路の連絡地帯、高架下に入った。瞬間。

「ッ! 七美様、上です!」

 轟音と共に、車の天井が突き破られた。
 何かが激突したように天井がへこみ、それを貫いているのは……茶色い棒状の得物!
 その棒はまっすぐ、七美の顔面数センチ前を通過している。
 血の気が、引いた。

「振り落とせ!!」

 七鬼が吼える。同時にアクセルが踏み込まれ、自動車が急加速する。目の前のカーブをすさまじい勢いで曲がると同時、天井が車上の質量から解放された。
 七鬼がバックミラーで確認したその先には……マウンテンパーカーにキャップ、やはりナインオーガ。
 七鬼が舌打ちと共に七美を振り返る。自分の肩を抱くように震えていた七美は、その瞳に決意を宿し自分を見た所だった。
 二度のバトル、そして先の敗北。多少なりとも堪えたそれを、七美は今朝がた振り切っている。彼女自身も、強くなっている。

特別武装群(七つの美徳)の準備を。……このバトルを、重要な一戦(ターニング・ポイント)と認めます」

 元よりナインオーガは特記標的の一人だ。『全国民の武装義務化』に当たり、素性の知れない凶悪不審者の撃退は、これ以上ないPRになる。
 ならばここで、国民の全てに、七坂の叡智を見せつける。最上の相手だ。

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 ナインオーガは、車上から着地した瞬間、すぐに跳んで車を追った。決定打にはならない物の、手から現れた手裏剣が次々車を狙う。
 ――久喜依織は、カードのマッチングが発表されるや否や駆け出し、川崎駅の屋上から周囲を確認した。相手が七坂七美なら、護衛が付かないことはありえない。徒歩で移動していることも有りえない。確実に大型の、七坂グループSEOに相応しい立派な車両の中にいる筈だ。
 マッチング直後、半径1㎞の距離なら、まだ発見できる可能性はある。即座に離脱を選んでいたら厳しいが、探す価値はある。そして高速道路に、それを発見し襲来した。加えて全く淀みなく自分を振り落とそうとした挙動。間違いない。
 ナインオーガは進行方向を同じくするトラック上に立ち、七坂車を見据える。逃がさない。今まで自分は夜闇に紛れ、巧みにオーガと久喜依織の姿を切り替え、正体を隠してきた。だがそれもC2バトル開始からまだ短期間ゆえの事だ。巨大企業が本腰を入れて捜査を開始したら、おそらく逃げ切れない。それこそ量橋叶の二の舞だし、もしその量橋本人に調査の依頼が渡ったら、非常によくない事態となるだろう。
だから、今倒す。両脚に力を込めた。
 オーガはそこで、事の違和感に気付いた。車の動きだ。

 ――誘っている。

 スピードと、ハンドリングがやや穏やかになった。それだけではさしたる違いはないが、オーガは悟った。なるほど、やはり策がある。だがそれは同時に好都合だ。鬼は車を追った。

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神奈川県藤沢市江ノ島。言わずと知れた神奈川屈指の観光名誉たるその島へつづく橋の前に、七坂の車が乗り捨てられていた。

「忍耐を司る第五、刻銘を『クラウ・ソラス』! 併せて忠義を司る第一、刻銘を『第七天魔』!」

七坂坂グループの中でも航空機、船舶などの開発を取り仕切る原動機技術開発管理部、通称『第五部』による特別武装である。駆逐艦に搭載されるイージス・システムをヒントに開発されたこの兵装のコンセプトは「忍耐」の名の通り、自ら攻撃する能力を持たない専守防衛である。
シート状の神経融合端子により間合いに侵入した攻撃が自らに届く前に、その本体自身を討ち果たす。直接的な格闘攻撃には無類の迎撃能力を発揮する。
 本来、第五部がその為に用意した武装は手首に装着し隠し持つタイプの粒子火箭であった。だが、七つの美徳発表後、第五部部長は自発的に、他の七つの美徳でも適用可能なバージョンアップを施した。
 そしてその性格上、クラウ・ソラスは同じ『七つの美徳』第七天魔と非常に相性が良い。

最終更新:2016年09月18日 00:06