「……えー、ああ」
しわがれた第一声は、これほど大掛かりな放送ジャックの主犯にしては、弱々しく響いた。
かつて日本最大の諜報機関を牛耳った男は、人前で話すことに慣れていないようにすら見えた。
「まずは、謝罪をさせていただきます。国民の皆様方には、突然のご迷惑を……お許し頂きたい」
車椅子から7秒をかけて立ち上がり、カメラへの一礼にはそれ以上の時間を要した。
かつて不可解と魔人に脅かされていた戦後日本の激動を情報の力で立て直した怪物、千代田茶式は、今年で92になる。
「……そして、ああ……私個人の、関係者各位にも、まことに申し訳ない。
いっとき、中幕二部――中央幕僚監部第二部の、長であった者として……
このような行為は、許されざる、恥ずべきものだと、自覚……自覚しております」
皺に隠された表情は、植物のように、動く気配を見せていない。
「その上で、私が今回、このような行動に出たことには…………目的があります。
中幕二部長として……あらゆる諜報戦を担い。様々な手段をもって、僅かばかりの資産を築きました。
すべて、その目的のための、行いだったと……今では……思うことができます」
枯木のような灰色の指が上等に整えられたスーツの内を探り、一枚のカードを摘み上げる。
Cと2を眼のように意匠化したエンブレムが赤く刻まれた、黒いプラスチックのカードだった。
「――24時間前。これと同じものを受け取った者がいると思う」
喘鳴のような息を交えつつも、放送ジャックの前置きを終えた千代田茶式は、今ははっきりと、目的を持った言葉を続けていた。
「このC2カードは、それ自体と所有者の全情報を記録通信し、そして復元できるものです。
たとえ……死を迎えたとしても、その命の復元すらも行う、莫大な魔人能力です。
尋常ならば。尋常ならば生涯一度しかできぬ、死力を尽くした戦闘を、幾度も行える力です……!」
放送ジャックの映像を見る者達は、この段になって気付いただろうか。
これだけ大掛かりな事件を引き起こす目的が、ただの酔狂ではあり得ないこと。
とうに隠居したと思われたフィクサーが、現実にそれを可能とする力を、未だ持ち続けていること。
「これが、私の……私の差し出せる、私の人生で最大の秘密です。今、それを明かしました。
このC2カードは所有者の情報を通信し、不死身の、最高の諜報員を生み出すことができました。
しかし、私が今回これを配布した目的は、そのような、つまらないことではない!」
そしてこの老人が、何かとてつもない不穏を実行しつつあることを。
「中幕二部の人脈を……用いて、私は、調べました。多くの人々を、見てきました。
C2カードを送ったのは、強者です。暴力。策謀。財貨。人脈。豪運。ありとあらゆる観点からの……
総合的に、資格がある者と判断した者に、この希少なC2カードを、無償で、送らせていただいた」
彼は震える体で再び、ゆっくりと、頭を下げた。
そして不穏を裏付ける目的を告げた。
「――所有者たちに、どうか戦っていただきたい。
時と場所を問わず、勝利した者には一戦につき1000万円。優勝者には200億円を進呈します。
これを、これを……C2バトルと名付け、全てを今回のジャックと同様、中継いたします。
観戦者からの好評が得られた試合に関しては、適宜、賞金に加えて……1億円を。
えー……そして、そう。私の財力と情報で可能な限り、優勝者の望みを、一つ叶えます。
残る全ての資産と命を、投げ打つ用意も、あります……」
千代田茶式は、少しだけよろめいて、車椅子にもたれた。
荒くなった息を抑え、それでも言葉を続けている。
「己の力への自負があるのならば、私が与えた者から資格を奪うのもいい。
それを期待した人選も、無論、あります……
私は……強さには……前提として、意志が、必要だと考えている。
これらの報酬を前に躊躇う者は、遠慮なく、C2バトルを辞退していただきたい。
官憲や市民の圧力に怯える者についても、私は、同様の考えです」
僅か10分足らずの、その時点では非現実的な内容だった。
だが、これをただの冗談や悪戯の類として捉えられる者も、多くはなかった。
表情ひとつ動かない彼の言葉には意思があり、一つの焦点に向けられた熱があった。
「手段を選ばず、戦っていただきたい。我々は……全力で、支援します。
国民の皆様方には、重ねてのご迷惑を謝罪します。
しかし……しかし、その埋め合わせができるものと、考えております。
私が……長く日本諜報を担ってきた者が、生涯をかけて、解明できていない……
未だ誰も知らぬ、最後の機密情報を………………私は、皆様と共有いたします」
瞳の奥。
年月に煮詰った溶岩が凝縮されたような熱が。最後の火を灯して燃えようとする――
「最強の者は誰か」
狂熱が。