第一回戦SS・公道その2

香川県坂出市。
四国北部に位置する一地方。すっかり日が暮れた時間、そこに位置する深山の道場に、嬉しそうな声が響いた。

「わあーありすちゃん久しぶりぃ! もう7年になるかなあ! どうしたのぉ!」
「いやせりちゃん。ちょっとな、鍛え直しに」

 ふわふわと明るい色の髪をした幼女が、満面の笑みでツインテールの幼女と、その弟子を迎える。小地毬せり。かつて長鳴ありすと、同じ釜の飯を食った幼女だ。

「鍛え直すぅ? ありすちゃんにそんな……」
「いや、必要だ。これからの戦ではな。……C2バトル、知ってるかいせりちゃん」
「ふわぁ……ああ、うん。なるほどだよぉ」
「改めて、幼女の気を叩き起こさないといけない。この戦いは、おそらくそれでも足りるかどうか、のレベルだ。……おねがいします」
「お、おねがいします」

 ありすの隣で、めこが緊張しつつ頭を下げた。無理を言ってついて来た修行だが、未だに慣れない。これまであって来た、目の前の幼女たちの格の違いにだ。

「いいよぉ。じゃあ……ぱぱっとすませちゃおうかぁ。ふふっ」
「ああ。“幼女八十八か所参り”、これで81だ。胸を借りさせてもらうよ、せりちゃん」
「ふふん、ないけどねぇ」

 せりが、楽しそうに言った。幼女の気が道場に漲った。

「じゃあ、行くよぉ」

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二人が寺を後にしたのは、それから数十分後だった。

「ありがとうございました!」
「ましたぁー」

多少息が上がっているが、しっかりと礼を済ませ、走り去るありす。めこは見てただけなのに、その気に当たられて消耗している。ぜえぜえと息を吐きつつ師を追った。
そんなありすの呼吸は走るうちみるみる回復していく。幼女八十八か所参り、休む間などほんの僅か。過酷な修行である。
やがて山を下り、次の寺へと向かう道すがら、海岸線が見えてきた。瀬戸内海。昼間ならさぞかしいい眺めだろうが、あいにく夜である。
そこで不意に、ありすが止まった。背中へ激突するめこ。

「わっぷ! も、もうししょ~どうしたんですかぁー」
「まて、めこ」

その目付きは厳しい。それは海の方を見据えている。「えっ」と不思議そうなめこを、更に制した。

「しっ。……聞こえる」

眼前には瀬戸内海。そして数キロ先には……夜闇にもはっきりとライトアップされた、一つの橋。

「幼女の声だ。助けを求めている」

瀬戸大橋。本州岡山と四国香川を繋ぐ10橋。全長12㎞を超える巨大なる海上の路であった。

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鈴川みきは、アマチュア歴25年の幼女であった。
齢4つにして幼女の道に魅了され、自分も歩き出したどこにでもいる幼女であった。
一度はプロになった事もある、それなりの素養のある幼女であった。
だが、あくまで『それなり』だった。
アマチュアをはるかに凌ぐ過酷なプロ幼女の世界に、僅か2年でアマへ陥落。その後はなかず飛ばず、だがさりとて他の道へ進む踏ん切りも付かない。そしてずるずると……幼女道に取って大きな隔たりである……三十路へと差し掛かっていた。
そんなどこにでもいる幼女であった。
夏休みに三重県の実家へと帰省していたみきは、その日もやることはなく、一人だらだらと過ごしていた。母や弟の視線が痛い。戻ってなんか来なければよかった。
そんな中、ひとつのニュースを見かけた。

長崎に怪人登場! C2バトルに関連か? 元ネタは三重の都市伝説との噂も!?

三重。都市伝説。長崎の話だが、それは地元だ。何の気なしにページを覗くみき。それは確かに、聞いた覚えのある話だった。オーガーさん。数年前、この辺り一帯で流行った話だ。なるほどボケた写真に写っている怪人は、過去噂で聞いた話と確かに一致していた。でも全国区ではなかったはずだ。この中部地方、三重県。ここでのみ、一時期流れた噂である。

それは確か――。

適当にページを読み進めるみき。その日は、それだけだった。適当に昼寝して、夕飯を食べて、バラエティ番組を見て、適当に寝る。いつもの一日だった。

 だがその情報は数日後、思わぬ事態を彼女に引き起こす事になる。
 現在の住まいのある岡山に戻って三日。彼女はバイト先でミスをした。
 そこまで大きな失態ではなかったが、彼女をにらんでいたチーフに大層叱責された。悪いことはつづくもので、帰宅して後、同棲相手のショタ道アマチュア有段者、ただしくんに別れ話を切り出された。
 心が疲れ切っていた二人はささいな一言から互いの不満をあげつらう大喧嘩になった。彼女は家を飛び出した。
 走って来た道も分からず、辺りを見回す。そこは瀬戸大橋だった。気付くと、手には小さな、おもちゃの腕輪を持っていた。幼きあの日、キラキラした幼女姿に魅せられた腕輪。家を出てもずっと捨てられなかった指輪。ただしくんに、似合うと褒められた。腕輪。
大粒の涙がこぼれ落ちた。様々な感情がないまぜになり、止まらなかった。
そして深夜の暗闇の中、記憶に蘇るは、数日前に見たあの名前。

「オーガーさん……」

呟いてみた所で何も起こらない。

「だよね、帰……」

ざっ。背後で音がした。背筋が凍る。この暗闇の中、音は近すぎた。
借りにも幼女道を修めたみき。尋常でない者なのは肌で判った。
即座に振り向いた。

鬼であった。

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「い、いやあああ! 来ないでぇ!」

泣き叫び逃げ惑うみき。その鬼には、みきの幼女道など欠片も通じなかった。
自分が見たこともない武術で、悉くいなされてしまう。
そして手に現れた、薄く磨き上げられた茶色い刃で、みきの顔を狙ってくるのだ。既に頬からは血を流しており、転んで足は傷だらけだった。警報ベルなんて役に立たない。

「お、オーガーさん……? これ? これを渡せって言うの?」

みきは腕輪を掲げて見せる。そう、噂通りなら『大切なもの』を渡さない限り、顔を剥がされてしまうのだ。オーガは歩みを止める。
そうだ、なら渡してしまおう。こんな、こんな幼女道なんて。
わたしに何も微笑みかけてくれなかった。幼女の歩みなんて――

「だ、だめ……だめ! 渡せない! これは大事なものなの!」

みきは庇うように腕輪を抱いた。自分でも判らなかった。なぜ? どうして?
でも、渡せなかった。
ぎゅん! オーガの手に、茶色い太刀が現れた。みきの襟を掴み上げる
ああ、もう終わりだ。私はここで顔を剥がれるのだ。この幼女の顔を。
でも、いいかも。こんな冴えない最後、わたしにぴった――。


「そこを動くなァァァーーーーーーー!!!!!!!」

凄まじい怒声が、辺りにこだました。
否。対岸から聞こえてきた。
そう、その対岸、瀬戸大橋の向こうには一人の幼女。
長鳴ありす。口の前に右拳で『筒』をつくり、左拳は望遠鏡のように筒状にして、瀬戸大橋の向こうを見据えていた。

『その子に手を出してみろ。絶対に許さない』

12㎞の彼方、視線が語る。巨大な橋を挟み、今二人の魔人が対峙していた。

「めこ、ここで待ってろ。絶対に動くな」

 めこの返事を聞く暇もあらばこそ、ありすは駆けだした。
 幼女闘気。
 長鳴ありすがまとう、混じりけなしの『幼女』としてのオーラ。
 その気が両脚に収束する。『カモシカのような』と云う常套句がピッタリの、細く白い足。それが細く白いまま、とてつもない推進力で前進する。
 高架を蹴り、つり橋を駆け、まるで色つきの風だ!
 すぐに4キロを進行。一つ目の海を越え、中継点の三つ子島を超えた。
 対する岡山側のオーガも、みきを離し、ありすに導かれるように大きく跳んでいる。
 みきは動けない。別れ際、一瞬だけ振り向いたその仮面。表情がないにも関わらず、こちらを睨むように覗き込んだ洞のような瞳が、彼女を縛りつけていた。
凄まじいスピードで海上のつり橋を超え、その先、櫃石島の高架を蹴る。こちらも2.7キロ進行!

二者が相手の姿を認めてから約三分。二点の距離、約5キロ!

双方が橋を進むにつれ、互いに感じるそのプレッシャーは乗算の如く膨れ上がって行く。
間違いない。この橋の進む先にいるモノは、恐るべき怪物だ。
二人が、そう認識する。
仮面に覆われたオーガの表情は読めない。
だがありすの方は、その相貌に万華鏡のように多様な感情を浮かべでいた。

「何物だ」「参加者か」「まだ修行の途中なのに」「幼女を殴るだと」「潮風きついな」「許せない」「四国」「きれいな所だった」「この力がどこまで通じる」「めこはいい子で待っているだろうか」「チョコ食べたい」「ぶっとばす」

だがその全てを塗りつぶし最後に現れた表情は……喜悦!
己が思い描いた幼女であるために修めた道。後に続く幼女を守護り、礎になるために修めた道。
それが今、本当に、まぎれもない脅威相手に存分に振るえる。嬉しくなくて何だと云うのか!

「いいとも……鬼退治と行こうじゃないか!」

だん!

与島を超え、そこは岩黒島の上。深夜帯のライトのもと、まばらに車輌が走り去る。いずれもドライバーは驚いた表情を浮かべるばかり。

そして。ありすが着地した約八百メートル先、同時に着地した人影があった。
ナインオーガ。ありすは既に察している・今更確かめるまでもない。私も、あいつも、このバトルの参加者だ。
上等じゃあないか。貫く様な闘気が、殺気が、橋上で交差する。
口火を切ったのは、またしても同時であった。
跳ぶ。八百メートルの距離が、瞬く間に縮む!

「ハァアアアアアーーーッ!!」

 飛び掛かるオーガ、その手に現れ、速射砲の如く発射される茶色いクナイを次々に捌き、躱し、弾くありす。前身の足は緩めない。
 幼女闘気!
 自らを覆い、また瞬間的に短距離を飛ぶ闘気で、クナイをガード、直接は触れない! 途中投げつけられる砲弾の様な茶色い太刀も、同様だ!
 だがありすはすぐに気付いた。このクナイに魔人能力による特別な罠はない。武の極みによる、研ぎ澄まされた投擲。それだけだ。同じ『武』、いや『道』を進むものの直観であった。
 そう、この鬼は何らかの『道』を修めている。自分の幼女闘気と根本的には同じものだろう。それが見て取れた。
残念ながら幼女ではなかろうが……。

――武術? いや武道だと? 無軌道な妖怪変化やコスプレ野郎じゃあないのか?

ありすはオーガーさんの噂を知らない。だが長崎のニュースは知っている。人の理では解明できない超常の存在も、度々対峙したことあがある。今ここに立つ、世闇に紛れ幼女を襲う卑劣漢。
それがただの化け物でなさそうなことは、少々以外だった。
だが。

「いやーーーーーっ!!」
 踏み込んだ! 彼我の距離を一気にゼロにする、破城槌の如き突進のリード・ブローがオーガの腹部に突き刺さる。幼女道の奥義の一つ、ひらがなしゃうとだ!
 漢字やカタカナは判らないのが幼女だ。幼女にとっての第一言語、ひらがなで叫ぶことで、拳に乗る力を何倍にも高める。幼女の気持ちになるですよ!

「――お前が変質者であることは変わらないな。おまわりさんに連れて行かれて、くさい飯を食べてもらうぞ」

 後退し、たたらを踏むオーガ。

――ゴフッ。

仮面の下から、バシャバシャと血が溢れて来た。当然だ。内臓に甚大なダメージである。だが
 ゆっくりと顔を越したオーガの周囲に、ゆらりと『何か』が広がった。
 クッ気ーである。オーガは茶色い太刀を手放しゆっくりと拳を握った。
 拳に二色の気が集まる、全身の二色オーラが、大理石のように交わる。

「っ、お前――!」

ありすが異常を見て取った。すぐさま闘気を全開にする。
幼女闘気!! ここからが本番だ。そして――おそらく時間はかからない。


世界から音が消えた。そして。
爆撃のような破壊の嵐が、瀬戸大橋上に巻き起こった。

「てぇええええええーーーーーい!!」

 肘、膝、拳、頭、あらゆる打撃が二者の間で交差する!
 数えきれないフェイントと、数えきれない致命の打撃。それらが死の旋風となって両者間数十センチの間に吹き荒ぶ。
 いつしか瀬戸大橋の中心に罅が入り始める。

――こいつ、この鬼は、この鬼は!

拳は雄弁にオーガを語り、雄弁にありすを語った。
心滴拳聴。真の強者同士がぶつかり合う瞬間にはよくある時間間隔の矛盾である。
その拳の中。ありすは鬼の叫びを悟った。かつての、この鬼が辿った、幼児期の原風景を。
それは、母と一人の幼女がクッキーを作る姿。
貧しい台所で、二人クッキーを作る姿。そして……。
 拳がやんだ。


 ありすが拳を受けて、飛んだ。

 ――?

 拳を放ったオーガの方が混乱している。

「……私の負けでいい」

ありすがカードをオーガに放った。そして云う。

「お前の心は……幼女のままだ。厳密に言うと『幼女であった頃」に囚われたままだ」

 立ち上がるありす。ダメージはない。

「肉体をなんとか若く保とうとする幼女道とは真逆の在り方だ。だがそれ故に私たちより幼女に近い。私に、幼女を殴る拳はない」

 ありすは消えた。その間も、オーガはありすの言葉に聞きいるように、全く動かない。それは、震えているようにも見えた。

 ――!!!!!!

 残された、鬼が吼えた。

@@

数分後、めこのもとにありすが戻ってきた。連れてきた、対岸のみきも一緒だ。

「ししょー! どうでした、ししょー!」

 駆け寄るめこ。だがありすは浮かない顔だ。

「……すまんめこ。勝ちをくれてしまった」
「え、ええ!?」

 弟子の驚きを受け、深いため息とともにありすが言う。

「……私も修行が足りんな」

最終更新:2016年09月04日 00:09