第1ラウンドSS・宗教施設その1

「あなた、これから大きな転機が訪れるねぇ。
 失ったものを取り戻せるかもしれない、大きな大きなチャンスが。
 だけど油断してはいけないよ。あんたは脆い。ヒビが入れば簡単に壊れてしまう。
 特に――銀色の月には要注意だ。あれは猛毒だから、身を滅ぼすだろう。
 私から言えることはこれぐらいさね。あとは……あんた次第だねぇ。
 まぁ、必死になって頑張れば結果は出るからね。最後まで諦めるんじゃないよ」



◇ ◇ ◇



すっかり肌寒くなったものだと、外に出るたび感じる季節がやってきた。
よく当たると噂の「池袋の母」を後にして、よく悩みよく考えながら帰宅する。
――どうやら星の巡りはあまり良くないらしい。順調快勝とは行かなそうだ。

「まぁ、ね……。私みたいな弱小魔人が、いつもDSSバトルに出てるような怪物に勝てるわけないじゃない」

思わず悲観的な言葉が口に出てしまう。
確かにDSSバトルへの憧れはあった。
私の能力だったらこうやって戦う、みたいな妄想をすることもあった。
しかし、いざこうして『選ばれて』しまうと萎縮してしまう。
悲惨な目に合うのは明白だ。それと同時に、魔人として生きる『私』をあの人にアピールするチャンスでもある。

一か八か――か。


「あの、ミルカさん……ですよね?」


「……はい?」

不意に呼び止められ、マヌケな声が出てしまった。
とっさに営業モードに切り替える。

「そうよ、いかにも私がミルカ・シュガーポットだけど。どちら様?」

振り返ってみると、そこには栗毛の長髪をなびかせる美しい女性が佇んでいた。
その目には困惑の表情が浮かんでいる。長身だが童顔のせいで年下にも見えた。

「あの……突然にすみません。ここでは話づらいので、時間に余裕があればお茶でもしませんか? こちらがお支払致しますので」

なんと謙虚な女性だろうか。同じ女性として見習いたいものがある。
もちろん初対面だが、向こうは私のことを知っているようだ。これでも一応業界人なのでこういったことはよくある。
――十分に思い巡らせてから、その誘いを快諾することにした。言われるほどガードの固い人間じゃないし、私。

「いいわよ。どこにする?」
「では……良い場所を教えてもらっているので、そこで。きっとミルカさんも気に入るはずです」

そう言って彼女がニコリと笑うと、右頬のえくぼがよく目立った。
悪い人ではない――気がした。



◇ ◇ ◇



「いや、でも……これはさすがに」

首都高速五号線の高架下をくぐっていくと、何故か同人誌を扱う「如何わしい一歩手前の店」が立ち並ぶエリアに踏み入ってしまった。
そんなことも気にせず、彼女は黙々と歩いて行く。
彼女自身も初見なのか、めぼしいものをキョロキョロと見回している。
思い出した。ここは――知る人ぞ知る腐女子の聖地、「乙女ロード」じゃないか。

「あなたの言う『良い場所』っていうのは、こういう趣向の店なのかしら」
「すみません、この辺りだと思うんですけど……」

否定も肯定もせず――か。
剥き出しのスマホを手元に置いて、彼女はマップ機能をぐるぐる回しながら歩いているようだった。
機械オンチなのだろうか。

「……ちょっと貸して。目的地どこよ」
「あ、すみません。もうすぐ着くはずなんですけど」

みたいなやり取りを交わしつつ、二十分ほど歩き回った末。
やっとお目当ての店に辿り着くことが出来た。

「メイド喫茶――か」
「はい、最高級のおもてなしが受けられます」
「…………」

世間知らずなんだろうな、きっと。
彼女が思っているほどこの店では落ち着けないと思う。
フリルドレスデザインのメイドさんのポスターが店の前に貼ってあって、とても痛々しい。

「他の店、私が探すわ。少なくとも今の私たちに相応しい店とは思えない」
「あ、でもこの店、日本紅茶協会から『紅茶のおいしい店』の認定を受けているそうですよ」
「う、嘘ぉ!?」

おずおずと彼女が指差した先には確かに、読んで字のごとく『紅茶のおいしい店』に選ばれた証が店頭に飾られていた。
日本紅茶協会――それは国内唯一とされる紅茶に権力のある巨大組織だ。あのロイヤルスカンジナビアモダーンも加盟している。
その審美眼は確かで、まだ若かりし頃の私は日本中を回って『紅茶のおいしい店』を訪ねて回ったものだ。
どれも一流を誇っていいほど名店ばかりなので、どうか広く知れ渡ってほしい。

何と言っても、あのロイヤルスカンジナビアモダーンが加盟している。

「うそ……東京都内には一店も無かったはずなのに……」
「最近認定されたみたいですね。老舗の店みたいなので、腕は確かだと思います」
「むむ……」

どうやら私はメイド喫茶への偏見を改める必要があるようだ――。
彼女(未だに名前を教えてくれない)を先頭に、本格的紅茶喫茶へ足を踏み入れる。
モダンな店内から醸し出される雰囲気は、まさに「最高級のおもてなし」への期待に膨らむ。
――逆に気が引けてきた。こんな穴場があったなんて。

「おかえりなさいませ、お嬢様。メイド喫茶『スイート・ホーム』へようこそ」
「えっ、えっと……ひゃい……!」

目の前にメイドコスプレの女性が近寄ってきて、彼女はガチガチに緊張していた。
人見知りなのかなぁ。先に行かせたのが少し可哀想になってきた。

「お嬢様は何名でしょうか?」

間違っていないが、シュールな世界だ。



◇ ◇ ◇



「本日、お嬢様方をお世話させていただく、クレハと申します」
「これはどうもご丁寧に」

しとやかな黒髪のメイドさんに案内され、窓際の席に座った。
凛としていて氷姿玉骨とした人だ。店内のレベルの高さがここにも表れている。

「お嬢様は初めてのご帰宅でしょうか」

店なのか家なのかハッキリしてほしい。
まぁ、メイド喫茶を利用するために来たわけではないから適当に流そう。

「えぇ。一番オススメの紅茶を教えてくれるかしら?」
「はい、承知致しました」

我ながら不躾な物言いにも眉一つひそめず、営業スマイルで応じるクレハさん。
……プロだ。

「失礼ですが、お嬢様は紅茶がお好きですか?」
「えぇ、大好きよ。『紅茶のおいしい店』を一通り訪れたぐらいにはね」
「成る程……それでは、リッジウェイは如何でしょうか。
 1886年、ヴィクトリア女王からの特別注文を受けて作られた特選ブレンドティーでございます。
 セイロン、アッサム、ダージリン――どれも言わずと知れた茶葉の良いとこどりをしておりますので、お嬢様のお気に召すかと」
「あなた、分かってるじゃない。それにするわ。ミルクティーで」

これだけの情報でリッジウェイを薦めてくるなんてやるじゃないか。
まさか東京の喫茶店でこれを嗜めるなんて夢にも思わなかった。
流石は『紅茶のおいしい店』だ。

「えっと、私も……同じものを」
「畏まりました。ただいまお持ちしますので、少々お待ち下さいませ」

紅茶にあまり詳しくないだろう彼女は、メニューを一瞥しただけで気を滅入らせていた。
どうやら私が紅茶好きなのを知ってここを選んでくれたようだ。何だか申し訳ない。



◇ ◇ ◇




「それでは、ごゆっくりお寛ぎくださいませ」

深々とおじぎをして、メイドさんが去っていく。
私達の前には淹れたてのリッジウェイが置かれていた。
香りを楽しみ、一口味見をしてから、濃醇な紅茶を喉奥で確かめる――至福だ。
経緯はどうあれ、ここまで私をもてなすということは相当の話なのだろう。
そろそろ本題を聞き出したい。彼女自身も気まずそうにしているし。

「そろそろいいでしょう。本題を聞かせて」

なおも心苦しそうにうつむく彼女。
どうやら本題を切り出すタイミングを逃したらしい。
しばらくの葛藤の後、彼女は顔を上げた。
意を決して告げた彼女の一言は、私が全く予想していなかったことだったけれど――。



「いつも兄がお世話になっています」



「…………え?」

兄、と言われて心当たりのある人物に思いを巡らせる。
――全く分からない。誰の妹だ……?

「あ、そ、そうですよね……まずは私の名前を見せないと」

やっと自分が名乗っていないことに気付いたようだ。
名前を尋ねるときは自分からと言うが、私の名前は割れているようだし、ちょっと聞きづらかった。
彼女は上着のポケットから財布を取り出すと、一枚の紙を差し出した。
てっきり名刺だと思って受け取ったそれは――保険証だった。

「ど、どうも」
「すみません……これしか渡せるものが無くて」

嫌な重さを手のひらに感じつつ、名前を確認する。
『篠原 蓬莱』――振り仮名には「シノバラ ヨモギ」とあった。
珍しい漢字に変な読み方……はて、篠原なんて名字の知り合いが居ただろうか。

「…………」
「兄の名前は、蓮華(れんげ)です」
「――――あー!」

何ということだ、よりにもよって私に一番近しい人間じゃないか。
篠原蓮華――エフエムダンゲロスに務める、私の先輩。
さらに言えば、同じ番組でMCをしている、言ってしまえば仕事上のパートナーのような人だ。
年が近いこともあり、すっかり尻に敷いてしまっているが。

『兄』という括りで咄嗟に結びつかなかったのは、彼がおっぱい魔人(直喩)だからだろう。
外見だけは美女のそれと何ら変わりないし、グラマラスなバストを持っている。
その容姿は魔人能力で手に入れた作り物だが、中身だけは男のままという、変わった奴だ。

「いつも下の名前で呼んでいるから、気付かなかったわ。ごめんなさい」

篠原……そうそう、確かにそんな名字だった。
まさに灯台下暗し。
ちなみに、彼の能力を知らない人は彼の性別を『女』と認識するオマケがある。
つまり彼女は兄が魔人だということを知っているということだ。

「でも、蓮華に妹が居たなんて初耳だわ」
「ええ。私は……兄にとって、本当は隠しておきたい存在なんです」
「…………」

何やら重い背景がありそうだ。
あまり詮索しないでおこうか。

「だけど、久しぶりに兄から連絡があったんです」
「良かったじゃない」
「同僚がDSSバトルに出るから助けてやってくれ、って」
「――――」

私は同僚だと思われていたのか――ではなく。
今、なんて言った……?

「私が一週間後にDSSバトルに挑むのは本当だけど……どうしてそれを、あなたが?」

この情報自体はラジオでも公言しているし、蓮華にも話しているから彼女が知っていることは大したことじゃない。
問題は、どうして彼女に伝わり彼女が出張ってくるのか、ということ。

「ミルカさんは一般人とあまり変わりない魔人ですよね。能力だって戦闘向きじゃない。兄も同じです」
「あぁ……」

そうか……私が蓮華に弱音を吐いたから。
勝てるわけないって、一人は心細いって。
ちょっとした冗談のつもりだったけど、蓮華は私のことを本気で心配してくれていたのか。

「……でも貴女、あまり強そうに見えないけど」
「えぇ、私も一般人と変わりませんからね」
「…………」

何だ、大したことないじゃないか。
どんな魔人が出て来るのかと思ったら、ただの一般人とは。
きっと蓮華は気さくに話せる女性同士で息抜きしてくれ欲しいとか、それぐらいの――。



「でも、私には18のペットがそばに居ますから」



その時、冷たい風が店内を通り抜けていった。
彼女はさっきまでの頼りない表情とは打って変わって、屈託のない笑みを浮かべていた。

「上を見てください」
「え……?」

彼女に言われるまま、天井を見上げる。
そこには――黒い影を纏ったでかい蜘蛛が這いずり回っていた。

「ひっ――!?」

思わず手に取っていたティーカップを落としそうになる。
幻術か――使い魔か――そういう類の魔人能力だった。
幸い、店内で誰も気付いている様子はない。全く音を立てずにうごめいていた。

「これは一番目のペット、『SPIDER』。今から見せるのはNo.5『WARM』です」

言って、彼女の指先から影が溢れ出て、形を成していく――。
筒状の形になったそれは、モゾモゾ動きながらぬるくなった紅茶を飲み始めていた。
幻術――ではなさそうだ。

「どうですか? かわいいでしょう?」
「同意を求められても……」

正直に言えば趣味が悪いとしか思わない。
気がつくと首元にはヘビが、足元には犬が、肩には小人が――影から生まれた『ペット』がどんどん増えている。
ペットに囲まれた彼女は、とても満ち足りた表情をしていた。

「みんな、私の大切なお友達です。ボディーガードにどうですか?」
「確かに……私よりよっぽど戦闘向きかもしれないわね」

これでほんの一部だが、対戦相手を牽制するには十分すぎる恐ろしさの片鱗が見えた。
成る程、蓮華がこれを隠しておきたかった理由が伝わってくる。もしも彼女がその気になったら……。

「私は生まれつき善悪の区別が人より希薄だったみたいで、『やりすぎてしまう』ことがよくあったんです」

筒状の影が、一滴残さず紅茶を飲み干していた。
空のティーカップは茶渋一つ残らずツヤツヤしている。
暇を持て余してテーブルの上で移動を始める影。
やがてテーブルに置かれた飼い主の指に止まると、その指をしゃぶりはじめた。
――魔人に慣れ親しんだ私から見ても、奇怪な光景だ。

「私は気が付くとひとりぼっちでした。誰でも良かったから友達が欲しかった。魔物でも良かった。
 そして――私には18の友達が出来た。兄――いえ、その頃は姉でしたが――はそれを見て『怪物のようだ』と言うんです。
 こんなにもかわいいのに……。私は親しみを込めて、この子たちを『怪物園(かいぶつえん)』と名付けました」

彼女が目を閉じると、そこに居た影は一瞬で姿を消した。
まるで、始めから居なかったみたいに。狐につままれたように。
もし本当に居なかったら――彼女のリッジウェイを飲み干したのは誰だろう。



◇ ◇ ◇



「いってらっしゃいませ、お嬢様」

レジでのお会計はメイド喫茶の雰囲気をぶち壊す最たるシロモノだった。
店として正しいのは理解しているけれど……急に現実に引き戻されたような感じがする。
年下に奢ってもらうなんて私のプライドが許さなかったのだが、彼女も譲らず、結局奢られてしまった。
どうしよう……『これがあなたの最後の食事です』とか言ってきたら。

なんて、冗談になってないことを考えながら店を後にする。
すっかり日が暮れていて、肌寒さが増している。
衝撃的なことがあってインパクトが薄まってしまったが、あの店の紅茶は確かに美味しかった。
また機会があったら訪れたい。

「――それで、能力が親がバレて、もうお前とは一緒に暮らせないって言われたんです」
「そう……なの……」

それから、彼女の身の上話に付き合った。
他人とは思えない不幸の身。私も両親と絶縁状態にある。
あの人たちに魔人の私を認めてもらうには、DSSバトルで勝ち進むしかない――。

「親代わりの義理の父と一緒に、山奥で今まで暮らしてきたんです。
 その人も……不幸があって、もうこの世には居ませんが」

あの機械オンチや世間知らずも、そういった過去があるなら納得だ。
ずっと身を潜めて暮らしてきて――やっと兄から許しをもらった……のだろうか。



気が付くと、薄暗い裏通りに足を踏み入れていた。

「近道はこっちのはずなんですけど……」

頼りにならないGPSをぐるぐる回しながら、彼女は道に迷っていた。
素直に元来た道を戻ればよかったのに、なんて他人事のように思っていた、その時だ。

「よぉ、姉ちゃんたち。迷子かい? 悪いがここは俺の縄張りなんだ」

いかにもガラの悪そうな男に絡まれた。
夕暮れ刻とはいえ、まだ明るいうちから居るんだ、こういうの。しかも都会に。

「それは失礼したわね。そっちに用は無いから、迂回させてもらうわ」

蓬莱の手を引いて回れ右をしようとした――が。
反対側にも男が三人。まるで私達を追い詰めるように道を塞いでいた。

「……何のつもりかしら?」
「せっかく来たんだ。ここを通っていくといい。
 ただし通行料100万円払うか、それが無理なら体で払ってもらうがな!」

まるで言っている意味が分からない。今まで出会ったことのない人種だった。
気を引かせるイメージがあれば、隙を突いて逃げ出せるかもしれない。
――私の能力は、自分のイメージを伝播させるだけ。
それは決して弱くないが、強くもない。……私の使い方が甘いだけ、かもしれないけれど。
穏便に解決できるなら、それに越したことはない。

「へへへ……お嬢ちゃん、良い乳してるじゃねぇか。俺の血走った矛槍がビクついてるぜぇ」
「ひゃん!? や、やめてください……!」

リーダー格と思わしき男は蓬莱の肩に手を回すと、おもむろに乳房を揉みしだきはじめた。
外野の三人組が「ヒューッ!」とか「流石兄貴ィ!」などと囃し立てている。

「ちょっと! 手を出すなら私からにしなさいよ!」
「あ゛!? てめぇのどこにおっぱいがあるってんだよ!」
「うるせぇぞオバサン」「貧乳が口出しするんじゃねぇ!」「乳なき者に人権なし」
「あんた達……覚えておきなさいよ……!」

思い切り凄んで見せるが、まるで意に介する様子が見えない。
魔人補正のおかげでいつもならこんな奴ら一瞬で倒せるのだが、足が震えて上手く動けない。
――本物の悪意に対峙するのは初めてのことだった。

「心配しなくてもよぉ、てめぇはボロボロになるまで殴ってから、みんなで輪姦してやるから安心しろって。
 もう二度と口を開けなくなるぐらい身も心も犯してやるぜ! なぁお前ら!?」
「ぐへへへ」「ギヒヒヒ!」「キシャシャシャシャ」



「No.15『WHALE』……」



その時、蓬莱が小声でつぶやくのを私は聞き逃さなかった。
闇が広がり、路地裏を一瞬で黒く染めていく――影。
リーダー格の男の背後に、黒い壁が迫っていた。
……否、これは壁なんかじゃない。大きく大きく開いた『口』だった。

「兄貴ィ……なんだか冷えてきましたよ」「それに暗い」「高くはないダス」
「お前ら一体何を言ってるんだ……?」

まるでここにある全てを喰ってしまいそうな――その影を放心しながら見ていた。
だが、次の瞬間、最悪のイメージが脳を伝う。

「みんなここから逃げなさい! 早く!」
「てめぇ、今の立場分かって――」

その言葉を言い終わる前に、男はバランスを崩して転倒した。
男の力が弱まるのを見計らって、蓬莱が渾身の力で振りほどいたのだ。
――男は、背後に迫る影の中へと吸い込まれていった。

「う、うおおおおおおおおおお!?」
「兄貴ィ!!」「兄貴ィ!!」「兄上」



――――グシャァ。



一際甲高い風が鳴いて、周囲は明るさを取り戻す。
呆気なく、リーダー格の男は消えていた。

「あ、兄貴ィ……?」「どこいったッス……?」「惜しい人を失くした」

3人の男は声を震わせながら、ズボンを黒く汚していた。
トドメとばかりに、私はさっきの怪物のイメージを彼らに伝える。

「「「ひいいいいいいいいい!!!」」」

無様なガニ股で水を垂らしながら、彼らは逃げていった。
――良かった。皆殺しよりはマシになった。
それより……。

「さて、思わぬ邪魔が入りましたけど、日が暮れないうちに帰りましょうか」

まるで何もなかったかのように、彼女はスッキリした表情をしていた。
あれだけ怖いことがあったのに、怯え一つ感じられない。
彼も『怪物園』に連れて行かれたのだろうか――目の前の少女が分からなくなってきた。



◇ ◇ ◇



『ああ、妹に会えたんだね。それは良かった』

蓬莱がコンビニで買い物をしている間、私は意を決して兄の蓮華に電話をかけた。
電話先の蓮華は冷静で、いつものような子供っぽいトーンではない。
……流石に今回のことは、彼自身にも複雑な葛藤があったのだろう。
さて、どこから文句を付けてやろうか。

「なんで事前に言ってくれなかったのかしら」
『ごめん。こんなに早く実行に移すとは思ってなかったんだ』
「……DSSバトルなら、私一人でも十分だったわ」
『そうだね。ミルカは強いから、誰かの助けなんて要らなかったかもしれない。
 ――だけど、一人で抱え込んでしまうのは君の悪い癖だ。本当はいつでも頼って欲しいのに』

あぁ、やっぱりズルいなぁ――コイツは。
こう言えば、私が言い返せなくなることを熟知している。
電話だから尚更だ。思わず顔がニヤけてしまう。

「ところで、妹さんの性格なんだけど……」
『ああ、アレだね。特に昔から変わってないと思う。
 善悪の区別が付かなくなる――本来の意味でのサイコパスってやつだ。
 物を盗んだり、人を騙したり、殺したり――これは悪いことだって知っていても、理由があれば簡単に実行してしまう性質だ。
 ……まさか、既に何かやらかしたのかい?』
「その、まさかよ」

蓮華に路地裏での一部始終を説明した。
彼は最低な人間だったが、殺していい正当な理由にはならない。
あまりにも一瞬の出来事だったので、怒ることも悲しむことも出来なかったが。
彼の家族を思うと、どうやって償ったらいいものか――。

『……参った。よりにもよって、最悪なことをしてくれた』
「幸い、大事にはなってないわ。部下3人は逃したから目を付けられた可能性はあるかもしれないけど」
『…………』

電話越しに彼の唸り声が聞こえる。
頭が痛いのは、私と同じで良かった。

「自首しようかとも思ったんだけど――」
『客観的に蓬莱が殺したって証拠は一つも無いからね。頭がおかしい奴で処理されるか、せいぜい能力がバレて前の生活に逆戻りだ』

そう、彼を殺したのは『怪物園』であって、蓬莱が殺しましたと自白したところで誰にも相手されないだろう。
死体一つ残らず、凶器も無い。動機もなくて、突き飛ばしたのも正当防衛の圏内。
一部始終を監視カメラで録画されていたとしても事故でお釣りが来てしまう――。
被害者たる「彼ら」に起訴されたらその時までだが、あのチンピラ共にそんな行動力があるとは思えない――。

「人を殺しても結果的に無罪になるのは、なんだか悔しいわね」
『たまたまだけどね。大事な妹を汚そうとした奴らだし、死んで自業自得なのかもしれない』
「……そう、ね。
 一番の被害者も、彼女のはずなのよ――」

危ういのは罪悪感の希薄さだけではなく、感情がプラス方向に偏っている部分だ。
辛い時、怖かった時はもっと泣いていい。いつも笑っている人間は――壊れやすいから。
なんて、私が言える立場じゃないんだけど。

「それで、これからどうするつもり?」
『妹には仕送りしてあるし、ホテルで寝泊まりしても大丈夫――なんだが』
「…………」

言い出しにくいことがあるとすぐ黙る。兄妹の血は争えないな。

「分かったわ。同じ家で寝泊まりしていて欲しいとか、そういうことでしょう?」
『話が早くて助かるよ。……あまり、彼女から目を離さないでいて欲しいんだ。
 見張る意味も込めて、しばらくの間、一緒に暮らしていてくれないか?』
「はぁ……DSSバトルよりも重い荷物を背負わされてしまったわ」
『申し訳ない。この恩は何倍にしてでも必ず返すよ』

そこまで感謝されると逆に怖くなってきた。

『それともう一つ……これは出来ればで構わないし、聞いてくれなくても恨まないことだ。
 DSSバトルで優勝したとき、「一つだけ過去を変えられる」っていうのがあるだろ。
 それを、どうか妹のために使って欲しいんだ』
「……具体的には?」
『子供の頃の俺はバカだった。友達欲しさに人の道を外れていった妹のことを「バケモノ」呼ばわりしてしまった。
 それを、無かったことにしたい。素直に「お兄ちゃんが友達になる」って言えたら、妹も能力発症せず平和に暮らせたと思うんだ』

なんだそれ……馬鹿みたい。
蓬莱は今でも待っているはずだ。兄と仲良く暮らせる日を――。
魔人としてありのままの自分を認めてくれる日を――。

「蓮華は妹思いなのね」
『当たり前だ。妹のことが可愛くない兄なんて居ない』
「なら、もっと連絡してあげなさい。淋しがっていたわよ」

きっと彼女は知らなかっただろう。
自分をこんなに愛してくれる『人間』が居たことを――。
……不器用な兄妹だ。



◇ ◇ ◇



『どうしても具合が悪くなったら帰らせる。それまで――よろしく頼むぞ』
「えぇ、分かったわ。しっかり面倒見てあげる」

ちょうど蓬莱がコンビニから出てきたので、通話を切り上げる。
数日分の食料や日用品を両手のレジ袋にぶら下げていた。
――足元には影が居た。形状はよく分からないが、ヘビかワーム辺りだろう。
ずるずる這い回って、スナック棒を貪り食っていた。

「お待たせしました、ミルカさん。……うふふ、嬉しいです。ミルカさんと一緒に寝泊まりできるなんて」

蓮華と話をする前に、既に彼女とは寝所の相談を済ませていた。
彼女にホテル暮らしを強要するなんて可哀想だ。最初からそんな選択肢は用意していない。

「ところで、ちょっとレシートを見せてもらえる?」
「えぇ。いいですけど……?」

彼女からレシートを受け取り、『買った』商品の確認をする。
パン、おにぎり、歯ブラシ、下着、その他――しかし、スナック棒の表記はない。

「なら、その『ペット』が食べているそれは、ちゃんと買ったものかしら?」
「あはは、一本ぐらい良いじゃないですか。たくさんあったので一本だけです」
「…………」

確かにこれは、前途多難かもしれない。
やり場の無い悲しみと怒りを、今度はちゃんと本人にぶつけよう。
――主に頭突きで。

「そういうところ――じゃい!」
「痛ぁ!」

その後、ちゃんとコンビニの店長に謝りに行った。
帰宅する頃には、とっくに深夜を回っていた。
これからの日々、一体どんな困難が待ち受けていることやら――。



◇ ◇ ◇



◇ ◇ ◇



◇ ◇ ◇



『さぁ、続いては第1ラウンド第2試合の対戦者――ミルカ・シュガーポットと銀天街 飛鳥(ぎんてんがい あすか)の紹介に移りたいと思います!』



「あ、ミルカさん! ついにミルカさんがテレビに移りましたよ!」
「うん」
「見てください、すごく美人が居ます! 目立ってます! 抜群の存在感かましてますよ!」
「うん」
「ミルカさん――」
「う、うるさい……」
「あ、す、すみません……」

日が経つのは早いもので、多忙に思われた蓬莱との暮らしも一週間が経過しようとしていた。
だいぶ慣れたもので、最近は彼女の扱い方も分かってきた。
善悪の教え方も少し工夫してやれば、前のように『やらかす』ことは減るものだ。

それで、今日は試合当日だった。DSSバトルの特番が組まれ、競技者紹介が長々と行われている。
本試合の放送は、衛星チャンネルを8つ独占して完全生中継同時放送で行われるらしい。相変わらず金のかかった企画だ。
試合は毎週土曜日の22時から開始され、1ヶ月かけて集計される。
4試合で最も勝利数の多い人の優勝――ということらしい。

「それで、対戦相手の飛鳥さんは女性で、探偵をやっているみたいですね」
「うん」
「能力名は『天賦の才能(シルバードロップ)』。相手の最も得意とする分野に対して世界2位になれるみたいですよ。
 他人の努力を能力で超えていこうとするなんて、嫌らしい対戦相手です。私達のコンビネーションで叩き伏せてやりましょう!」
「うん」
「――ミルカさん!」
「うるさ――」

放心気味に相槌を打っていると、後ろから抱き締められた。
シャンプーの甘い香りが漂ってくる。背中にあたる胸の柔らかさ。
――蓬莱が頬まで寄せ合ってきた。生暖かい水が私の頬を伝って床にこぼれる。

「どうして……そんなに思い詰めてるんですか。ミルカさん……」
「べつに何でもないわよ」
「何でも無いなら――涙なんて出ませんよ」



あぁ、そうか……。
――泣いているのは、私のほうだったんだ。



「私……未だに怖いのよ……これから殺し合いをするなんて、受け入れたくない。
 誰も殺したくないし、殺されたくない。……どうして、こんな辛い目に合わなきゃいけないの?」
「ミルカさん……」

蓬莱に抱かれた姿勢のまま、思ったままの本音を口から吐き出す。
溜め込んでいた感情が一気に溢れてきた。

「どうして魔人同士で争わないといけないの!? 仲良くできるならそれに越したことは無いじゃない……!
 分からない……もう嫌ぁ……!」
「…………」

蓬莱は口をつぐんだまま、黙って私の愚痴を聞き続けていた。
それがおかしくて、自分が惨めで、さらに涙が溢れて止まらなくなってくる。
テレビの音が聞こえなくなるぐらい、ずっと泣きじゃくっていた。

「よしよし……。ミルカさんは、そういう人ですもんね。兄の言うとおり。
 誰よりも強くて、優しくて――本当は、とても脆くて、悩みやすい人。
 そんな人だから守ってあげたくなるんです。今日は……私に任せてくださいね」

暖かくて――包まれて――人の温もりを感じるのは久しぶりで。
それから、私は気が収まるまでずっと泣き崩れていた――。



◇◇◇



「これ、護身用に持っていてください」

そう言って渡されたのは、シンプルなデザインの拳銃だった。
よく映画とかで見る、なんか英数字の名前のやつ。よく知らないけど。
もちろん銃刀法違反で捕まるやつだ。

「持ち込んで大丈夫かしら……全国ネットで犯罪アピールしてるようなものじゃない?」
「大丈夫ですって。試合の後に放棄すればいいんです」
「……まぁ、局長から既に一丁貰ってるんだけど」

ドレスの裾から同じぐらいの大きさの拳銃を取り出す。
デザインこそ違うが、性能は同じぐらいだろう。

「わぁ、これで2丁拳銃ですね! ミルカさん、かっこいいです!」
「2丁拳銃、素人が真似すると手首が吹っ飛ぶって聞いたんだけど」
「魔人は素人より手首も優れているので大丈夫です!」
「本当かしら……」

テンションが上がると適当なことを言い出す辺り、兄にそっくりだった。
まぁ――本当に辛い時に励ましてくれるから、とても有り難い兄妹なのだが。
今だって私より辛いかもしれないのに、こうやって気丈に振る舞ってくれている。


その時、テーブルの上に置かれていたVRカードが発光を始めた。



「な、何かしら……どうすればいいの……!?」
「ミルカさん、試合時間みたいです! とりあえず手にとってみましょう!」
「待って。まだ心の準備が……!」
「私達なら絶対大丈夫です! いざ、鎌倉――!」

盛り上げようとしているのか、変なテンションのまま蓬莱はVRカードを手に取った。
その瞬間――彼女は魂が抜けたように、プツリと動かなくなってしまった。

「蓬莱? ……もう、私を置いていかないでよ」

彼女の後を追うように私もVRカードを握る。
突然眠気が襲ってきて、急速に意識が沈んでいく――。



◇ ◇ ◇



まるで野晒しにされているような寒気と共に再び意識は覚醒する。
一瞬、ここがバーチャルの世界だと気付かなかった。……いや、言われても納得できない。
この星の綺麗さは、月の輝きは、風の流れ、土の感触、草花の精緻さ、手足の感覚、虫の声、空気の味――。
まるで異世界に飛ばされたかのような――リアルVR体験だった。

C3ステーションの技術、すごすぎる。これに尽きた。

「あれ、蓬莱ちゃんは……」

――はぐれてしまったようだ。
ちょっと心細い。

そういえば、ここから先はテレビカメラとかに監視されているのだろうか。
むしろ見られるのは歓迎することだし、夢にまで見たテレビ出演だ。
とはいえ、軽率な行動は慎むべきだろう。不審な動きをすれば炎上しかねない世界だ。

「ミルカ・シュガーポット、がんばります!」

まずは挨拶代わりに叫んでみた。
これを聞いた人、私を見た人には、固定イメージが伝播していく。
これが私の魔人能力――『公共伝播(こうきょうでんぱ)』だ。
しょせん子供騙しの域を出ない、弱い力。



しばらく進んでいくと、道がひらけて大きな広場に出た。
一面の砂利が敷き詰められた先には――巨大な巨大な『大仏』が鎮座している。

「本当に鎌倉きちゃったーーーー!?」

修学旅行以来の再開に、思わず歓喜の声が口から漏れた。
懐かしくなって学生時代の思い出に浸ってみたり――。

「ミルカさーん!」

なんて戦いを忘れてVR世界の素晴らしさに入り浸っている間に、蓬莱がやってきた。
人が乗れるぐらいに巨大化した黒い犬にまたがって――よく見たらメイド喫茶で見た犬と同じ造形をしていた。

「あなたの能力……けっこう何でもアリなのね」
「むしろ、この使い方が正しいんですよ」

誇らしげに『ペット』を自慢する彼女。
きっと山奥で暮らしていた頃は、犬に乗って野山を駆け回ったりしていたのだろう。
……何だか、都会のほうが息苦しそうに思えてきた。
能力を解除して、彼女は地に足を付ける。

「――さて、対戦相手はどこでしょうか」
「どうやら即時決戦とは行かないみたいね」

特番の情報だが、施設の周辺近くなら、どこに潜んでも、どこから奇襲をかけても良いらしい。
……いや、彼女はずっとそこに居た。
逃げも隠れもせず、私達を見下ろしていた。



よりにもよって、大仏の一番上から、彼女は私達をじっと見ていた。



「諸君、『悟り』を開いたことはあるかね」

かと思えば、突然語りはじめる。拡声器から割れ気味の大声がここまで響いてきた。
かなり自己主張の強い人物のようだ。なんだか逆に好感が持てる。

「石の上にも三年とも言う。人間、50年考えれば必ず悟りが開けるらしい!
 ――だが! 諸君、よく考えてほしい。貴重な50年を悟りに費やしてしまうのか!?
 50年後、我々を待っているのは悟りではなく、ただの痴呆だ! 阿弥陀如来!」
「…………」

よくやるなぁ。
仏教のシンボルとも言える大仏様の上で仏教批判のパフォーマンス。
しゃべるだけしゃべって満足したらしい彼女は、拡声器をそっと下ろした。
次の瞬間――。

「ごきげんよう、レディ達。ずっと来ないんじゃないかと思って心配してた!」

目にも留まらぬ速さで彼女が降りてきた。
咄嗟に間合いを詰められ、応戦体勢を取る暇も無く――。

「あぁ、待つんだ。早計は良くない。私が君たちを傷つける理由は無いし、まずは挨拶から始めたい主義なんだ。
 ――私は銀天街飛鳥! 世界2位の探偵さ! キュピーン!」
「ダサいですね」

わざわざ自前の効果音まで付けて名乗った口上を、蓬莱はバッサリ。
それと同時に、飛鳥の周りに影を配置する姿勢を私は見逃さない。
なるほど――一度包囲してしまえばこっちのものだ。

「ここにおわすのは、世界1位のエンターテイナー、ミルカ・シュガーポット様でございます!」
「よ、蓬莱……? 急に何を言い出すのよ」
「ふむふむ……世界1位のエンターテイナーとは大きく出たな小娘」

何やら私の知らないところで話が進んでるようだ。
なんだか蓬莱と飛鳥、策士っぽいというかどこか似通ったところがあるのかもしれない。

「私も演出には自信があってね。さしづめ、世界2位のエンターテイナーってところかな」
「ふん。ミルカさんの足元にも及びませんよ」
「では、君たちを倒して――私が世界1位になるとしよう!」

そう言って、飛鳥は後ろに背負っていた鞘から日本刀を引き抜いた。
――開戦の合図だ。
周囲に展開されていた『ペット』たちが形を成していく。

「――No.6『UNDEAD』」

やがて、人型をした影の兵士たちが飛鳥を取り囲んだ。
よく見ると彼らは銃のようなものを担いでいる。

――ガシャリ。その銃身が中心を向いた。

「先日、プロのスタンドマンとお知り合いになることが出来たんだ。
 なのでせっかくだから、今日は世界2位の剣さばきをお披露目しようじゃないか!」

――バババババ。
鉄砲が一斉に火を吹く。
しかし飛鳥は、その全てを一振りで撃ち落とした。
次いで、鮮やかな跳躍から、反撃が始まる――。

「ミルカさん、一旦戦線離脱です!」
「え、えぇ!?」

さっきよりも巨大になった犬が私達の前に姿を見せていた。
どうやら今度は2人乗りに変身したようだ。一体この犬はどこまで大きくなれるんだろう。

「さぁ、私のペットに乗って。すぐ発進しますよ!」
「もう――どうにでもなーれ!」

半ばヤケっぱちで影の乗り物に腰を落とす私。そして蓬莱も後ろに付いた。
2人分の体重にも動じることなく、ハァハァと喘ぎながら犬は急発進する――。



◇ ◇ ◇



影に乗って移動する、という体験は生まれて初めてのことだった。
乗り心地は悪くない。馬車のように快適だ。

「――No.15『WHALE』」

それは私にとって忘れられない響き――彼を消し去った『ペット』の名前だった。
VR空間だから特に問題はないはずだが、気になって後ろを振り向いてしまう。



遠ざかる広間の上空に、まるでミサイルの如く落下していく巨大な影があった。



「あれが全長……!」

間近で見たときは、まるで壁のようとしか思わなかった影。
その正体は――おそらく、クジラをモチーフにしている。



――ゴォォォォォォォ。



影の兵士も飛鳥も飲み込みながら、クジラサイズの影が接地した。
大きな地響きと共に、水しぶきが――否、影のしぶきが大きな津波を起こした。
――それは圧巻の光景だった。

「やったの!?」
「ミルカさん、それ、負けフラグ……!」
「無駄無駄無駄ァ!」

波が引くよりも早く、弾丸のように迫ってくる人影があった。
それは確認するまでもなく、高速移動して接近してくる飛鳥だ。

「世界2位の俊敏性を持つ私に、そんな子供騙しの攻撃は通用しません――ねっ!
 今度は私のターンです! バリツ!」

両者一歩も譲らないカーチェイス……いや、馬乗戦と言ったほうが幾分適切か。
速度はそのままに、飛鳥は何やら気を溜めはじめた。

「あ、あれはまさか……かつてシャーロック・ホームズも習得していたという光属性魔法、バリツですか!?」
「知っているの蓬莱!?」

その時、光の球が頬をかすめた――。
高速で放たれる光の銃弾――なるほど、これがバリツ。
この使い勝手の良さは、シャーロック・ホームズが愛用していたのも頷ける。

「バリツ! バリツ! バリツゥ!」

連続で放たれる光の弾幕たち。
私達を乗せた影はそれを巧みに躱しながら地を駆け回っていく。
やがて、本堂が見えてきた。

「あそこに突入しましょう!」

蓬莱の一声で、影はそこへとツッコむ。
すぐに飛鳥が追いかけてきた。

「バリツバリツバリツバリツバリツゥ!!」

暗い本殿の中で光魔法はよく見える。
フィールドは狭くなったがむしろ回避は容易になったと言えよう。
もっとも、自動回避みたいなものだが。

影の通り道に幾つもの光魔法が炸裂して、仏像が吹き飛んでいく。
……ちょっと仏教が可哀想になってきた。

「バリツバリツバリツバリ――あれぇ?」

追いかけっこに終止符を打つときがきた。
連続で魔法を放つあまり、決して避けられない状態――えむぴー切れだ。

「今だ、突撃ぃ!」
「――なぁんちゃって」

だが、相手のほうが一枚上手だった。
MP切れを装えばこちらが近づくことに気付いたのだろう。
ハメられたと思ったときには時既に遅く、影は急に止まれない。

「メガバリツゥ!」
「――No.12『SHELTER』ッ!」

視界を闇が覆い、光が弾けた――。
けたたましい爆音で耳が痛くなる。



◇ ◇ ◇



気が付くと、私達は再び大仏の前に立っていた。
試合開始からどれぐらいの時間が経っているのだろう……。

「これは一体……」
「SHELTERを使って、安全な場所まで避難してきました」
「……ほんと、何でも出来るわね。あなたのペットたち」
「えへへ」

そして飛鳥はと言うと――やはり、大仏の上に立っていた。
拡声器を口元に当てている。何かを語りだす予感がした。

「諸君、『多勢に無勢』という言葉の本当の意味を知っているか!
 『多勢』が有利? 『無勢』――それとも少人数が有利? あぁ、どちらでもない。
 相手が多勢なら、一切の手段を選ばなくていい――そういうことだ! 南無三!」
「少人数だと勝ち目が無いって意味ですけどね。本来は」

律儀にツッコミを欠かさない蓬莱。
何だか彼女の演説がただの茶番になってきた。

「減らず口もそこまでだ、今にお前は無様な姿で変死体と化すだろう!
 散々私をバカにしてくれたな! 念仏を唱えたまえ!」

あ、この人なんだかんだ仏教に詳しいわ。
――ではなく。

「変死体……? 質の悪い冗談ね。一体何の根拠があって――」



「うっぷ……あれ、ミルルルルルカカカカさささささんんんんん???」



「よ、蓬莱!?」
「やだ、気分が悪くなって、ごぶっ、オロロロロ、あああああああ!?」

その一言を最期に、蓬莱は地面をのたうち回り――動かなくなる。
多量の血液を吐き出して、息絶えた――。

「蓬莱ぃーーーーーー!?」




「おおっと、友達が動かなくなってしまったぁ! これはミルカ選手、大ピンチです!
 ここで素敵なゲストを紹介するぞ! 飛鳥選手を陰から支えてきた用心棒、外道 太郎(げどう たろう)選手の登場だぁーーーー!!」



「そ、そんな……蓬莱……! ねぇ、嘘でしょう……!?」
「ちょっとー! 私の演説聞いてくれないかなー!」

まさに変死体と化してしまった蓬莱にショックを抑えきれない。
……だが、私だけでも勝たなければ。彼女の仇を取るために――!

「くくく……よぉ、姉ちゃん。お友達の死因、気にならないか? 気になるよなぁ?
 そう、彼女は俺様の魔人能力『生殺掌握』によってジ・エンド! 俺様は一度触れた相手の血流を自在にコントロールできるのさ!
 もちろん血の流れを逆にしてやったぜ! そうすれば人体なんて――どっかーん! 即死でーす!」
「そんな……あんまりだわ……」

いくらVRの世界だからといって、やっていいことと悪いことがある。
もっと丁寧に命を奪うことだって出来ただろうに……。

「でもあなた、いつの間に蓬莱に接触したの……?」

おそるおそる聞いてみる。
彼――外道太郎はニタァと笑って答えた。

「ずっと前さ――。言っただろう? 通行料100万円払うか。無理なら体で払ってもらうぜ、ってな」
「…………!!」

そうだ、この身なり、口ぶり、どこかで見たことあると思ったら。
でも――彼は。

「影に呑まれて、確かに死んだはず――!」
「おいおい、勝手に殺してくれるなよ。俺様が死んだ証拠はあるのかい?」
「で、でも……あの時確かに……」

蓬莱に突き飛ばされ、助かる暇もなく――。

「いいえ、一つだけ助かる手段がありましたよ」
「――世界2位の瞬間移動、とか?」
「いえーす! ミルカ選手、ナイスな推理です! 5ポイント!」

正解してしまった。全く嬉しくない。
だが……彼が生存していることだけは、喜ばしいことだ。
でも、蓬莱がこんな死に方をするぐらいなら……こんな奴なんて……。

「さて、あとは彼があなたに触ればゲーム・セットです。
 あるいは、降参してくれますか? 苦しい思いをするよりはマシでしょう」
「誰が降参なんて……!」
「へへへ……まさか2対1に勝てると思っているのか?」

ジリジリと追い詰められていく――。
その時、蓬莱の体がかすかに動いた。



「…………No.17『SILVER』」




蓬莱の体が影で覆われる――否、四方八方に影を撒き散らしていた。
見たこと無い、大量の闇……。あっという間に戦場を埋め尽くし、巨大蜘蛛や巨大ワームが姿を現していた。
今までとは比べ物にならない巨躯の犬、影に覆われた巨人――最後の力を振り絞った、蓬莱の最終兵器だった。

「チッ……死んでもなお、厄介な能力者だぜ!」
「あと一歩だったけれど、まずは影討伐を優先しないといけないみたいだね」

外道太郎はバズーカ砲を担ぎ、飛鳥は日本刀を抜刀すると、それぞれ真逆の方角の影を退治しに向かった。
……良かった。何とか命拾いしたようだ。
今のうちに蓬莱の気道確保を――。

「キ、シャアァァァァ」
「えっ――?」

目の前に、巨大な犬が牙を剥いていた。
私を守ろうとしている――わけではなく、今にも襲いかかってきそうな――。

「キシャアアアア!」
「いやああああ!!」

ど、どうして……!?
私はここで拳銃を持っていることを思い出し、咄嗟に構えた。
トリガーに指をかける。……なんて重い引き金だろう。蓬莱のペットを撃つなんて、……できない。

「うおりゃー!」

その時、私の方角めがけてロケットランチャーが飛んできた。
それは私を狙ったものではなく、影を狙ったものらしい――。
――ドォォォン! 命中。影は木っ端微塵に吹き飛んだ。

「た、助かったわ……」
「おい姉ちゃん、一時休戦だ。なんかしらねぇがバケモノは見境なく暴れまわっているらしい。お前も狙われてるぜ」

バズーカ砲を背負った外道太郎がそんなことを言う。
――確かに、これは異変だった。
まさか……主人を失ったことでペットたちが錯乱している……?



――グォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!



地面すら震わせる雄叫びを上げる巨大ゴーレム。
外道太郎は一瞬のためらいも無く、バズーカ砲をぶちかました。
――ドォォォン! 命中。しかしまるで利いていない。

「畜生! あんな対話のできねぇバケモノ、どうやって相手にすればいいんだってんだ!」



「諦めるのはまだ早いぞ! ボンノースイッチ・オン!」



周囲がまばゆい光に包まれる。
バリツによる発光――いや、それはただの演出だ。
大仏が激しく光っている。そして――鎌倉大仏が、立ち上がった。

「はーっはっはっは! 私の推理どおりだ! この大仏にはカラクリの仕掛けが施されていた!
 万が一の事態に備えてこんなものを用意するなんて、C3ステーションも馬鹿にできないなー!」

なるほどこれは、最初にゲットしたものが勝利を収める、一発逆転アイテムというやつらしい。
いつも胡座を掻いている大仏様が立ち上がった姿は、まるで巨大ロボのよう――。

「巨大ゴーレム、相手にとって不足なし! いざ尋常に勝負しろ――!」

操縦席のスピーカーからノリノリな飛鳥の声が響いてくる。
そしてしなやかな伸びから――大仏様の右ストレートが炸裂するッ!



――ドォォォオオオオオオオオオン!!



「うひょー」

激しい衝撃波に晒される。私と外道太郎はただのギャラリーに成り下がっていた。
その後も大仏様と巨大ゴーレムは、殴るわ蹴るわの大味なバトルを繰り広げていた。

「ド迫力だなぁ。こういうの見ると、もう勝敗とかどうでも良くなるよな」
「えぇ……まぁ、少し分かりますわ」

絶妙に巻き込まれない位置を外道太郎が教えてくれたため、襲おうに襲えない。
……こういうところが、私の『お人好し』なんだろうな。

「ところで……ゲホッゲホッ……少し……息苦しくないか?」
「そうかしら? 私はあまり変化を感じないけれど……?」

突然具合が悪そうにする外道太郎。
その時、巨大ゴーレムが背後に倒れ、一際強い地響きをさせながら消滅していった。



――ズドォオオオオオオオオオオオン!!



「おっしゃ、ゲームクリアだ!」
「…………」

本当にゲームクリアしたいなら、私を倒す必要があるんだけど。
彼は本当は憎めない奴なのか。なんだか可愛くなってきた。




「あーっはっはっはっは! さすがファイナルウェポンは火力が違う! この調子で勝負にも勝つぞー!
 ――ってああ!? 誰だ、こんなところに自爆スイッチを付けた設計者はー! うわあああああん、撤退!!」




―――――ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!




◇ ◇ ◇




大仏様の大爆発によって地形は滅茶苦茶になっていた。
木々は倒れ、草花も燃え尽き、建物はもちろん全壊。
――その混乱に乗じて、私は再び蓬莱の死体に近寄った。

最後に残った1匹のペットが蓬莱に寄り添っている。
犬型の影だ。最初に見たときと同じサイズまで縮んでいるが。
私が近づくと、彼は思い切り威嚇をはじめた。

「キシャアアア!」
「…………大丈夫。私はあなたの敵じゃない」

影にイメージが伝わるか分からないが、蓬莱のイメージを影に伝播させる。
彼女の笑ったところ、怒ったところ、泣いているところ、少し怖いところ。
いつも優しくて、どんなことにも前向きで、『やりすぎ』ても全然反省しない――それがいいところかどうかは分からないが――そういう全部。
ここ数日過ごして、私は彼女の色んな一面を見てきた。
だから――もう敵じゃない。何も疑ってない。……家族なんだよ。

「キシャ……ァ」
「ありがとう……」

どうやら分かってくれたみたいだ。
影は弱々しく鳴くと、私のそばに寄り添ってきた。
――例の足音が近づいてくる。

「世界1位のエンターテイナー、君もなかなか往生際が悪いね」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ。世界2位さん」
「へへっ……今度こそ決着を付けさせてもらうぜ。ゲホッゲホッ」

大仏様の爆発に巻き込まれてくれたらラッキーだったのだが、この戦いはそう甘く無いようだ。
……外道太郎の体調がさっきよりも悪化しているような。

「ところでよぉ……ゴホッ……この息苦しさの原因、なんですかねぇ……ゲホッゲホッ、ゴホッ」

お腹に手を当て――ついに倒れ込んだ。
まるで誘発されるように、私まで気分が悪くなってきた。

「おやおや、世界1位のエンターテイナーともあろう貴女がぐにゃぐにゃ歪んでいますよぉ?」
「い、意味がわからない……けれど、確かに異常な気がするわね。世界2位さん」
「キシャ……」

影が何かを訴えかけている。――上?
上を見ろって……?



そこには綺麗な銀色な満月が、輝いていた。



「銀色の月――そうか、SILVERって、あれが影なのね。なんて綺麗なの……」
「嘘だろ……ゲホッゲホッ……まだ一体残ってやがった。しかも月だと……そんなの倒せるわけ……ゴホッ」
「どうやらあの月が私達をおかしくさせているようだね……くそー……」



「すいません、俺様、器官が弱くて……もう限界みたい……です…………」



《外道太郎 LOST》

電子メッセージと共に、彼の死体が跡形もなく消滅する。
外道太郎……まぁまぁ良いやつだったわ。
さて、あとは私と彼女の我慢比べになってしまったわけだけど……。

「ふふふー……ミルカ選手は3つに分かれ、私は1つ……真実も1つ……」

向こうは思考こそ完全に毒されているが、口ぶりからして余裕そうだ。
対する私は……もうそろそろ、限界だった。


あぁ――ここまでなのか――。



ここまで来て――負けるのか――。



あと――少しだったのに――。











◇ ◇ ◇





「んむっ……じゅる……じゅ……あむっ……んっ……れろ……」
「――んんっ!? ゲホッ、ゲホッ!」

失いかけていた意識を、何者かによって戻された。
それが『誰』かを確認する前に、口の中に舌をねじ込まれた――。

「んんっ……はむ……れろ……じゅる……はぅ……」
「んん~~~~~~~!!」

やっていることは人工呼吸だが、ディープキスとも呼べる横暴だった。
せめて、誰にされているのかだけ、気になる――ッ!

「――ゲホッ、ちょ、ちょっと!」
「あ、ミルカさん。おはようございます」
「よ、蓬莱……!?」

キスの相手は死んだはずの蓬莱だった――。
どうして……まさか、もうここはVR空間じゃない……?


そっか――私、負けたんだ――。


悔しいな――勝ちたかったな――。











「おーおー、見せつけちゃってぇ。若いっていいですなー」



――違う。この声は銀天街飛鳥、DSSバトルの対戦相手。
世界2位の探偵を名乗る女性――もう間違えるはずがない。
そうだ、私達は銀色の月の毒に冒されて、どちらが先に息絶えるかの我慢比べをしていたはずだ。
じゃあ――まだ、試合は継続している!

「外道太郎が死んだ途端、何事も無かったかのように復活したんだ。
 ……私の推理が一歩及ばなかったね。まさか彼女が不死者だったとは」
「そういうことです。理解できましたか?」

――待って。正直よく分かってない。
あ、酸素が……酸欠で……また意識が……。

「んんっ……れろれろ……じゅるっ……はむはむ……ミルカさんの唾液、おいしっ」
「ゲホッゲホッ。いや、酸素は欲しいけどディープキスする必要ある!?」
「ああ、ミルカさん、そんなに叫んだらまた酸素が……はむはむ……んんっ……」

くそっ……抵抗できないのがもどかしい。
いくら女同士とはいえ、いや逆に女同士であっても、公共の場でキスするなんて想像を絶する辱めだった。
あの人たちが見ているかもしれないのに……あぁパパ、ママ、私にそういう気は無いんです。信じてください。

「ちゅっ……ちゅぱ……ぢゅる……」
「ええい、しつこいわ!」

要するに、蓬莱は血液が逆流して『動けなく』なっていたが、『死ぬ』ことは無かったということだろう。
だから外道太郎を殺すことで能力が解除され、彼女は活動を再開できた。
――その前に私が死んだら元も子もない作戦を、よく実行したものだ。
まさに一か八か、である。

「ふふ……よもぎちゃんが生き返ってハッピーエンドムードなところ悪いけど、私の能力をお忘れではないかい?
『天賦の銀才』――対象が最も得意とする分野・才能を1つだけコピーして、世界2位の水準まで引き上げる能力さ。
 つまり、よもぎちゃんの一番得意な『生存すること』でも私は世界2位なんだ。そう簡単に死なないさ」

そうだ、彼女は世界2位の才能を持っている。
つまり――彼女が世界2位の生存力を手に入れた時点で、この我慢比べが簡単に終わらなくなるということ。
そして、私の意識が尽きれば……その時点で敗退が決まってしまう。

「この勝負、私が――」
「それは無理ですよ。飛鳥さん。――あなたは重大な思い違いをしている」

まるで探偵の真似事でもするように、彼女は冷淡に言い放つ。









「私が一番得意なのは『お友達を愛すること』ですから」

《銀天街飛鳥 LOST》
《ミルカ・シュガーポット&篠原蓬莱 WIN》
最終更新:2017年10月29日 00:10