僕はその試合の録画を何度も何度も何度も何度も再生する。
「許せない」
リモコンの角を爪でガリガリ削りながら、画面の中の『その女』を睨みつける。
DSSバトル第1ラウンド第4試合。
「何が『よろしくお願いします』だ」
そのバトル後半で行われた『対話』。
僕を苛立たせるのはその展開でも話の内容でもない。
あの目だ。
僕にはわかる。
あの女がどんな感情で隣の男を見ているか。
ただの信頼とか尊敬とかじゃない。
それは僕にとってはもう手に入らないものを手に入れた目――恋に落ちた目。
「絶対に、許せない」
同じ第1ラウンドで、僕は初恋を失った。
それなのにこの女は……!
僕は考える。
『あの制約』さえクリアすれば、あの女はこの大会では最弱だ。
どんな手を使ってでもいいなら、対策はある。
だから僕は願う。
【第2ラウンド、人目の多い戦場で、狭岐橋憂と当たるおまじない】
そう、マッチング操作だってやってやるのだ。
構いやしない。どうせ僕しか知らないんだから。バレたりなんてしない。
降りてきたおまじないは、
“「変幻怪盗ニャルラトポテト」と噛まずに連続3回言う”
なんだ、とっても簡単じゃないか。
僕はわずか10分でそれを成し遂げ、あの女と戦う権利を得た。
カナちゃんを絶対生き返らせるんだ。
私が千葉県に来て5日目となった。
DSSバトル第1ラウンドで戦ったあの人の故郷、そして暴走族の聖地『暴走半島』。
最初はあの人に会う、会えなくても何か手掛かりを掴めれば、そんなつもりだった。
今にして思えば、私はあの人との約束に甘えようとしていた。
でも、カナちゃんを取り戻すのはやっぱり私じゃないといけない。
だからあの人の後ろじゃなく、並んで、追い越せるような自分でありたい。
そのために私はZONAMAのダガーを振るう。
能力が使えないから戦えないなんてわけにはいかない。
例えば参加者の一人、ハダカレーニラさん。
彼女の剣技はそれ自体は魔人能力ではない、磨いた技術。
何も『最強』を目指すわけじゃない。
だからあそこまででなくてもいい。
残された時間は半月しか無いけど、せめて最後まで戦える私を見せたい。
短期間で強くなるには『実戦』を経験するのが一番だ、という理論がある。
私は自治に協力するという名目で警察に武器の使用許可も取り付けた。
そしてこの地に残り、暴走族相手に戦い続けた。
「ヒャッハー! 姉ちゃん! 俺の35勝目だぜ! そろそろ諦めたらどうだ?」
バイクにまたがった男の人が騒ぐ。
誰が諦めるもんか。私は魔人なんだ。
素手の暴走族1人くらい倒せないで何になるんだ。
実際は、変身前の私に魔人並の身体能力なんて備わっていない。
魔物なのはあくまであっちの私。
でも、そう自分に言い聞かせずにはいられなかった。
その日の夜、傷の手当てをしていると、VRカードが次の対戦相手を告げた。
もうそんな頃……一週間というのは思ったよりも早い。
示された名前は――
「――恋語、ななせ、ちゃん」
青い海を船が行く。
その船底に、煽情的なビキニを纏う一人の人魚がいた。
否、人魚ではない。彼女にはちゃんと二本の足が生えている。
かといって人間というわけでもない。
角、羽、尻尾を生やしたその姿は、想像上の悪魔のよう。
実際、彼女は悪魔の一種――サキュバスだった。
「うーん、やっぱりダメか」
彼女は船体に何度も拳を打ち付けていた。
水の中で威力が減衰されるとはいえ、彼女の力で傷一つ付けられないのはどうもおかしい。
「やっぱり、能力で何かされてるんだ」
彼女の推測は当たっていたが、その『能力』は対戦相手のものではない。
彼女の対戦相手・恋語ななせの魔人能力は『エンゼル・ジンクス』。
その能力を使って何かを願うと、その願いを叶えるための『おまじない』が降りてくる。
『おまじない』を成功させると願いは必ず成就する、という能力である。
おおよそ何でもできる能力であるが、『おまじない』を諦めるとその願いは一生叶うことはない。
さらに『おまじない』の難易度もまちまちな不安定な能力である。
今回のバトルの舞台がこの船上と決まった時、ななせが一番恐れたのは船の沈没だった。
なにせサキュバスは飛べるのだ。決着のつけ方としては最も手っ取り早い。
そこで、ななせは船の防御に、不安定な自身の『エンゼル・ジンクス』よりももっと確実な方法を使った。
第1ラウンド、敗北とはいえ、女子高生のおこづかいでは決してあり得ない額のファイトマネーが彼女に支払われていた。
それを使えば、この大会の観客席1つくらいなら抑えることができる。
それは庶民がたった1日の娯楽のためにポンと出せるような額ではない。
例えば、普段行われている通常のDSSバトル、そのF-リーグ選手のような庶民には。
彼女はその『戦友』88人の中から、一人の選手をこの舞台に招待した。
轟衛、『自らの乗った乗り物を際限なく補強する』魔人である。
『観客』として招待した者が、あまりあからさまにルール違反がバレるような行動をとってくれては困る。
その点、彼はこの船のどこかにいて戦いが終わるまで能力を使ってくれているだけでいい。
不自然な行動さえしなければ対戦相手に探される心配もない。
何でもできるななせの能力効果だと勘違いしてくれる。
どんな手を使ってでも。
ななせに迷いはなかった。
それに、この一点さえ死守すれば、あとの対策はずっと簡単なのだ。
船は壊せない。
サキュバスの少女はその事実を認識すると、次の手に打って出た。
石井燕飛は困惑していた。
彼はDSSバトルのためにこのVR戦場『豪華客船』のホールに配置された一般NPCである。
一般NPCのAIには2つのプログラムが最優先タスクとしてインプットされている。
1つ、人間として自然な行動をとること。
1つ、対戦者に対して中立の行動をとること。
後者の目的を達成するため、彼らには大会参加者16名の情報も隅から隅まで植え付けられている。
だから、石井燕飛は困惑していた。
「僕と1日、一緒に過ごしてくれませんか?」
目の前でお願いする少女が、恋語ななせだなんて信じられなかった。
派手ではないが色気のあるベージュのドレスを身に纏い、薄いルージュとチークを施した、おしとやかな少女。
普段の彼女はもっとガツガツした、いわば体育会系であり、実際に女子魔人陸上部にも所属している。
だが、彼女が間違いなく恋語ななせであることは、網膜認識と人相認識で理解している。
それを理解したことで余計に沸き起こってくるこの気持ちは何だ。
彼は必死でウェブへ検索をかけ、そして一つの単語を引き当てる。
この日、C3ステーションが誇るVR技術は、ついにAIに『ギャップ萌え』を理解させることに成功したのである。
閑話休題。
燕飛は結局、ななせのお願いを受けることにした。
最優先タスクのうち『中立の行動』に引っかかる恐れがあるが、
これを受けずして何が男として、いや、『人間として自然な行動』か! という気持ちではねのけた。
何もせず一緒にいるだけ。そのどこが『中立の行動』に引っかかるのか。
それはななせの対戦相手・狭岐橋憂の魔人能力『ジレンマインマ』に関係していた。
憂の能力は、サキュバスに変身し驚異的な身体能力を得ることができるが、男性の前では変身できないというものである。
それこそがななせの戦略の肝。
バトルの間、常に男性と行動することによって憂の変身を完全に封じる。
そのためなら色仕掛けだってやる。
どうせなかったことになる過去だから。
どんな手を使ってでも手に入れると決めたから。
この、「どんな手を使ってでも」という決意は、ななせにあらゆる戦略の可能性を考えさせるきっかけとなった。
それは当然、ななせの能力『エンゼル・ジンクス』に対しても同じである。
彼女は今までこの能力を使いこなせていなかった。
対狭岐橋憂戦にあたって盤石の態勢が整った今、ななせは迷うことなくその能力を発動する。
【この一時間以内に狭岐橋憂を倒せるおまじない】
『一生叶わない』というリスクは、時間を区切ることによって解決する。
どっちみち『この一時間』はもう一生訪れない。
しかしそれ以上に、ななせは一刻も早く憂をぶちのめしたかった。
これが叶わなかったら一時間も待たないといけないなんて耐えられない。
ななせは本当に心の底からそう思っていた。
だから、『エンゼル・ジンクス』は発動する。
降りてきたおまじないは、
“ホールの天井にタッチする”
このホール、天井までは悠に数メートルはある。
県大会4位といえど、ななせは跳躍選手ではない。
近くに脚立があるわけでもない。一時間船内を回って探せるかどうか。
本来なら諦めるべきおまじない、彼女言うところの『ムリゲー』の範疇である。
本来ならば。
【ホールの天井にタッチするおまじない】
ななせは焦らず、『エンゼル・ジンクス』を続けて発動した。
そう、自分の能力について考えに考えたななせは、とうとう気付いてしまったのだ。
おまじないが実行できないなら、『おまじないの実行』自体を『願い』にして新たにおまじないを受ければいい。
これが彼女のたどり着いた必殺技、その名も『エンゼル・チェイン』!
“隣の人と靴を交換する”
かくして願いは実現可能なおまじないに還元される。
ななせは燕飛にヒールを差し出す。
燕飛は、これはさすがに『中立』に反する、と靴を脱ぐのを拒否した。
しかし、ななせは魔人の腕力で強引に燕飛の靴を奪い取ってしまった。
燕飛の靴はぶかぶかだった。
別にこの靴自体に不思議な力が宿るわけではない。
たまたま今回『ジャンプ』と『靴』というキーワードが被っただけで、願いとおまじないの対応は荒唐無稽なものなのだ。
実際、ななせは普段よりうまく跳べたとは思わなかった。
靴も途中で脱げた。
だけど、物理法則もなにもかもを無視して、ななせの手は天井に届く。
準備は整った。
それから30分は経っただろうか。
「あまり早く来るはずはない」と無意識に時間制限を長くしてしまったことを、ななせが悔やんでる最中だった。
突然、空を裂いた何かが天井に刺さる。
そして、シャンデリアの一つが落ちてくる。
パニックの中、もう一つの何かが空へ舞う。今度はななせにも見えた。ダガーだ!
その意図を悟りななせは駆け出す。
このホールに窓は無い。ならば照明さえ落とせば、誰にも見られることはない。
「狭岐橋、憂!」
燕飛に聞かせたのと真逆の雄々しい声で、ななせは憎き敵の名を叫ぶ。
憂がこちらに気付いた。
彼女の格好はサイズの合っていないビキニ姿。
ふざけているのだろうか。
ななせは怒りのままに彼女を突き飛ばし、馬乗りになった。
「僕は! あんたが! 憎い!」
一発、げんこつでぶん殴った。
このとき、憂が、ななせの想像通りの『ただの恋する乙女』であったらどれだけよかったことか。
憂はボコボコにされただろうが、それでななせの気も少しは晴れたのではないだろうか。
だが、次に憂が吐いた言葉は、ななせの想像――あるいは願望――とは違っていた。
「カナちゃんは……もっと……痛かった!」
何を……何を言っているんだ、この女は。
いや、言っていることは分かっている。
何度その名前を繰り返しスピーカーから聞いたことか。
だけど、ななせは決して認めるわけにはいかなかった。
なぜなら、ななせは自分のために戦っていたからだ。
対戦相手が他人のために戦っているなどと、あってはならないことだった。
だって、それを認めてしまったら、『どんな手を使ってでも手に入れる』なんて決意が、脆く、崩れてしまいそうだったから。
「ああああああああああああああああ!」
もう一度、ぶん殴った。
体格的にも、そして魔人としての基礎身体能力も、今はななせの方が上である。
ホール中の男性の目も2人に向いている。憂は変身できない。
もうこの女と話もしたくない。
ななせは三度目の拳を振り上げる。
そこに、一筋の光が走った。
ななせは鼻っ柱の鋭い痛みに、思わず身を引いた。
それをチャンスと、すぐに憂も体を起こす。
(逃げられる……!)
間合いが開いた瞬間、ななせはそう思った。
だが、憂は逆に距離を詰めてきた。
この状況からサキュバスになる秘策があるのか、あるいは魔人陸上部のななせに逃げ足で勝てないと諦めたか。
しかし続く憂の台詞は、そのどちらとも違う意味が込められていた。
「私は、能力が使えなくても、最後まで戦う!」
その目はもちろん『ただの恋する乙女』の目ではなかった。
第1ラウンドで見せた、切実で、悲壮的な目でもなかった。
ホール中の時が止まる。
二人の少女はお互いをにらみあった。
その間、3秒ほど。
突然船が大きく傾いた。
その状況にホールの中でたった一人、即座に対応する者がいた。
憂である。
彼女にはこの状況が起きることが分かっていた。
なぜなら彼女が仕組んだことなのだから。
ここに来るまでの間、彼女は魚と戯れながら、サキュバスの強大な力で船の進行方向を陸寄りに少しずつ調整していたのである。
座礁こそしなかったものの、いつかはこの時、大きく沖の方向に舵をとる時が来ると知っていた。
憂は駆け出す。ホールの出口方向へ。
ななせは船体にしがみつきながらそれを見ていたが、少し遅れて気付く。
「は!?」
さっきの台詞は何だったんだ。
結局逃げてるじゃないか!
ななせは反射的に追いかける。
彼女は陸上部ゆえ、バランス感覚も抜群なのだ。
傾いた船などものともしない。
そうしてすぐに追いついた先で、彼女はようやく自分のミスに気付いた。
そこにはサキュバス姿の憂が浮遊していた。
傾く船の廊下に残っている者など、2人の他にいなかったのである。
いや。
ななせは冷静になる。
憂がいくらサキュバスになろうと、ななせの切り札はまだ残っているではないか。
「だけど! 僕はもうおまじないを済ませている!」
言いながら、ななせは奇妙な感覚に襲われていた。
【狭岐橋憂を倒す】願いが、既に成就している!
それに気付いたら、記憶を順に辿らずともすぐに思い出した。
彼女を突き飛ばし、『倒した』、先ほどのホールでの出来事を。
焦るななせを前に、憂がダガーを取り出す。
「ちょっ! 待っ!」
「……ごめんね」
心に迷いはあるものの、動作に躊躇はなかった。
『エンゼル・ジンクス』は危険な能力だ。おまじないが頭の中だけで済ませられる可能性もある。
勝負を引き延ばすことは絶対にできない。
放たれたダガーは、ななせの心臓を正確に貫いた。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!
もう何十回目かの死の感覚から目覚めて、僕は枕を濡らす。
なんで僕は勝てないんだ。
どんな手でも使ってやると決めたのに、使ってやったのに!
ああ、分かってる。
願いに「倒す」なんて表現を使ったのがまずかったんだ。
人食いまでしたっていうのに、「殺す」という言葉がどうしても出てこなかった。
そう、人食いまで……う、うえっ……。
それに最後だ!
怒りに任せて追わなければ……。あるいは、あのNPC野郎を連れて行けば……。
だって、あの言葉に騙されたんだ。
「能力が使えなくても」。
それで能力は使わないって思っちゃった。
考えてみれば、『能力が使えるならどうにかして使う』って意味じゃないか!
なんでそのことに頭が回らなかったんだ!
……いや、違う。
あの時、あの女の目は本当に『そう』するつもりの目だった。
今すぐ決着をつけてやる。そういう迫力を持っていた。
だから僕はあの女が逃げたとき、キレたんだ。
もし、あの言葉が上辺だけのものなら、きっと僕は冷静だった。
まったく、なんであんな目ができるんだ。
DSSバトルのこと全く知らない素人の癖に。
女同士の、本気の友情なんて信じちゃってる癖に。
まだ……恋ができる癖に。
僕は認めない。
この戦いだって、なかったことにしてやる。
「今度こそ、絶対に油断しない!」
彼女はもう、止まれない。
「ごめんね」
現実に帰還してから、私は届かない彼女に向けてもう一度謝る。
VRで傷は現実に反映されないとはいえ、また、人を殺してしまった。
彼女と向き合うのは辛かった。
あの憎しみに駆られた姿は、一年前の私だった。
そしてあの悲痛な攻撃は、第1ラウンドの私だった。
誰のために戦ってるかなんて関係ない。
第1ラウンドであの人が私を見るに見かねた理由が、今となってはよく分かる。
できることなら今すぐ彼女のところへ駆け付けたい。
だけどごめん、優先順位は変えられない。
私はカナちゃんを救う。
だから、身勝手な願い事だけど、彼女にも私のような出会いがありますように。
能力が使えなくても、最後まで戦う。
その気持ちは本当だ。
だからこそ私はこの土地で能力を使わず自分を鍛えることに決めたんだから。
だけど、わずかでも能力を使える道があるなら、私は藁にもすがる。
そうじゃなきゃ、私の全力とは言えない。
全力を出さなきゃ、このDSSバトルは勝ち抜けない。
2回の戦いを通して私はDSSバトルの厳しさが少しずつ分かりかけてきた。
それでも、私は進む。
「カナちゃん、待っててね」
彼女もまた、止まるわけにはいかなかった。