プロローグ(最上 恋)
「へへ、お店着くの、楽しみだね、恋ちゃん」
「とうとう『ヘルレポ』のフレアちゃんのフィギュア発売ですからね、九郎さん」
薄暗い路地裏を男と少女が歩いていた。魔人・太田 九郎と、その魔人能力によって生み出された“恋人”・最上 恋である。一見いかがわしい光景だが、二人の関係はとても健全だ。今日も彼らは、この路地裏にあるアニメショップに、予約していた人気アニメヒロインのフィギュアを受け取りに行くところであった。
だが、そんな幸せな時間も突然終わりを迎える。向こうから大股で歩いてきた柄の悪い男が、恋にわざと肩をぶつけてきたのだ。
「ああん? どこ見てンだよ?」
「ごめんなさい……」
典型的なチンピラである。九郎は思った。何も恋が謝ることはない。そして勇気を振り絞った。
「ぼ、僕の恋ちゃんをいじめるな!」
ビビってはいるが、九郎とて魔人の端くれ。一般人相手に戦えば勝敗は分かり切っ――
「るせえ! オタクはすっこんでろ!」
「ぶへあっ!」
――いえ、なんでもないです。
「九郎さん!」
ぶっ飛ばされた九郎に駆け寄ろうとする恋を、チンピラが遮る。
「自己紹介と行こうぜお嬢ちゃん。俺は岡島 栗男、レイパーだ」
「……」
恋は何も返さず、ただ岡島を睨みつける。
「いいねえその態度。だがこれを聞いて平気でいられるかな?」
岡島は一拍置いて含みを持たせ、それから笑い出すように続けた。
「俺の能力『最低☆レイプ・オート』は、テレポートと同時に衣服を無視してお嬢ちゃんを“貫く”ぜ!」
岡島は魔人だった。あまりにも無体なレイプ能力。その意味を飲み込むにつれて、恐怖が恋の心を支配していく。この能力はつまり、どれだけ逃げようが暴れようが、確実に犯されるということだ。
「い、嫌……」
無駄と分かりつつも、恋は後ずさる。
「ハハッ、その顔だよその顔! たまんねえぜ!」
そう言って岡島は能力を発動させた。
が、恋の目の前にテレポートした彼は、見えない障壁によってレイプを阻まれた。
「なっ……!」
「そうだった、九郎さんは……」
混乱する岡島に対し、この現象の原因に思い当たった恋は勝ち誇ったように宣言する。
「九郎さんは、処女厨なんです!」
「は!?」
そう、恋は九郎の“理想”を体現する存在。九郎が処女という“理想”を掲げる限り、恋が無残に花を散らすことは決して無いのだ!
「何が何やら分かんねえが、触れねえってんなら……」
体勢を立て直した岡島は下半身を露出させた。レイプが無理でも、他の行為で恋を性欲のはけ口にするつもりである。なんという執念であろうか。
「ひっ!」
岡島のその姿勢に恋は怯えた。だが抵抗を諦めたわけではなかった。腕で大きく円を描く。すると、なぞった部分から炎が現れ、ついには輪の形になった。
「んなっ!?」
「全部……燃えちゃえ! 『バースト・バーニング・バード』!」
恋の声を合図に火の輪の中心から鳥の形をした炎が現れ、まっすぐ岡島に向かっていく。これこそは九郎の最近の“マイブーム理想”、アニメ『ヘル・レポート』のヒロイン、フレア・オーガストの必殺技だ! 突然の意外な攻撃に、岡島は避け切ることができなかった。
「あちーっちちちちちちちくしょう! 覚えてろよ!」
髪に着火しチリチリになった岡島は、ありきたりな捨て台詞を吐いて逃げていった。
残された恋は、未だ倒れている九郎の元に駆け寄った。そして、気絶していることを確認し、ボソッとつぶやいた。
「この……バカオタク」
その目には、彼女が普段決して見せることのない憎しみの感情が宿っていた。
「あんたのせいで、私はこんな危険な目に……」
なぜ自分はこんな奴の恋人なのだろう。顔はパッとしないし、生活力も無い。口を開けばアニメアニメ。その上二次元美少女にすぐ惚れるし、その“理想”を自分に押し付けてくる。本当に悪いことばっかりだ。恋が恋人である理由なんて、「そういう存在だから」と言う以外無い。恋にとってそれは呪縛であった。
「……? なにこれ」
嘆き俯いた恋の視界に、風に運ばれてきた一枚のチラシが目に入った。岡島が逃げる際に落としたものだ。
「魔人……闘宴劇」
腕に自信のある魔人が集い、最強を決める大会。チラシはその広告だった。中でも特に恋の目を引いたのは、優勝賞品の『願いを叶える権利』。
「これで……私も人間になれる?」
九郎の呪縛から解放され、一個の独立した存在としての自分を確立する。恋は瞬間、そんな自らの姿を思い描いた。叶えるためにはこのトーナメントに勝ち抜かなければいけない。できるだろうか。いや、きっとできる。“理想”の存在である自分ならば、どんな魔人が相手だろうと勝てないわけはない。
そうと決まれば早速九郎を起こさなければ。家に帰って大会へのインターネットエントリーをしてもらうのだ。恋は気絶したままの九郎の顔を見つめた。ふと、先ほど岡島に殴られたあざが目に付く。結果はどうあれ、恋を守ろうとしてくれたことの証明。不意に胸が苦しくなる。しかし、すぐにそんな自分自身の心に嫌悪を抱いた。どうせこれだって、造られた感情なのだ。呪縛を振り払うかのように、恋は九郎を激しく揺り起こした。
「ん……恋、ちゃん?」
「九郎さん! よかった……」
「あの男は?」
「えへへっ、返り討ちにしてあげましたよ!」
「そうか……強いなあ、恋ちゃんは」
「そうそう! だからこの『魔人闘宴劇』にも――」
「魔人闘宴劇?」
差し出されたチラシを流し読みして、九郎は顔を青くさせた。
「で、でもこういうの僕、向いてないし……」
「魔人同士のバトル」と聞いて九郎が真っ先に想像したのは、当然、魔人である自分が闘う姿だった。だが恋の意向はそうではない。何しろ願いが願いだ。九郎と一緒に闘うなど、考えられないことだった。
「大丈夫です! 九郎さんは私が勝つように外から応援してくれるだけでいいんですよ」
そしてこの日、恋は生まれて初めて、九郎に向かって嘘をついた。
「私、あなたのために戦いますから!」