プロローグ(ヨンマル氏)

『魔人闘宴劇』の開催宣言の記者会見を終えた数日後の事である。亜門洸太郎は奇妙な訪問者を役員個室にて出迎えていた。

「どうぞ、お入りください」
「失礼いたします」
ノックの後にいびつな声と共に入室したのは、ガスマスクにスーツ姿の不審者であった。

「――改めて、先日の無理なアポイントメントを了承していただき、大変感謝しております。連絡の際にもお伝えいたしましたが、私ヨンマルシと名乗らせて頂いております」
全く動じずにお互いが座したところで、不審者の手袋から渡された名刺を彼は手に取り目を通す。無地の紙に、目の前の人物らしき名前がぽつりと印刷されていた。
「ヨンマル氏……?」
「あぁ、こちらは偽名です。リングネーム代りにしていただければ」
加工の施されたくぐもった声がガスマスクから聞こえる。どうやらボイスチェンジャーの類を内蔵しているらしく、声からヨンマル氏の年代を窺う事はできない。
「ええ、それは構いません。確かに今大会の参加資格特性上メールでの参加申請も受け付けております。しかし、何故貴方は私との面談を所望したのですか?」
そう、亜門洸太郎はヨンマル氏とは初対面であり、氏が彼とのコネクションを用意できていたわけではない。何故彼が得体も知れぬ不審者そのものであるヨンマル氏との面談に臨んだのか?
『面白そう』だからだ。


彼が会見を終えた翌日に出社した際、多くの社内連絡や提携先の依頼メールに紛れて、何の変哲もない闘宴劇参加申請のメールが届いていた。一つ、奇妙な点を上げるならば、そのメールは昨日記者会見を終えた『4,04秒後』に送信されていた。
送り主の名前と合わせて練られた念密に計算されたジョークか、単なる偶然か。ともあれ、亜門洸太郎はこのささやかな『演出』を成功させたメールの送り主に興味を抱いた。
かくしてメールの送り先をうっかり間違えた奇妙な訪問者は、魔人闘宴劇運営本部ではなく役員個室に招待されるはめになったのである。


「そうですね。今回面談形式で参加申請をさせていただいたのは、私の魔人能力を鑑みていただいた上でハンディキャップの調整を依頼したかったからなのです」
ガスマスクを通して、自分のミスをおくびにも出さない氏の苦笑が漏れる。
「私の魔人能力は『Not found』と名付けておりまして、特徴を一言で説明するならこの通り――」
おもむろにヨンマル氏は着けていた右手袋を外し、中空にぶら下げた。
「透明人間なのです」
袖から手袋を支えるものは何も見えないはずなのに。
「この能力がいささか強力なものでして。私の思い込みが偏ったせいか、どうしても世界の干渉が私に届かない。これも実際に見せたほうが解りやすいでしょう。ペンとメモを出してもよろしいでしょうか?」
亜門の了承を確認した後、氏は胸ポケットから万年筆、懐から厚手のメモを取り出す。二者を挟んだテーブルの上に左手で固定し、
「セイッ!」
その手袋ごと万年筆をメモに縫い付けた。少なくとも亜門にはそう見えた。
「フフ、テーブルの方に傷が付いていないようで良かった。種も仕掛けもございませんよ」
万年筆が刺さったままで、左袖が離れていく。手袋がしぼみ、意思を伝える存在が静かに抜け出し、その間も万年筆はメモと手袋を繋ぎ止め続ける。透明になった両手で懐に戻す最中も、インクの滲んだメモが赤く染まる事はなかった。


「……私の解釈として、魔人能力発現の際、自身の『当たり判定』も無くなってしまった物と考えております。私の肉体に危害を加えるモノに対し、この能力は発動する。『魔人闘宴劇』のルールにおいて、これはかなりのアドバンテージになりうると自負しております」
「そうですね。今大会はそれこそ名だたる魔人が集まるでしょうが、ヨンマル氏の魔人能力は防御面においてかなり強力な物になるでしょう」
「だからこそ、私専用の敗北条件を設定していただきたいのです」
「それは……何故?」
そう言いつつ、亜門は目の前の不審者の考え方をつかみかけていた。
「そうですね……いささか個人的な理由になってしまうのですが……」
「「面白くないから」……」
その表情こそ透けて見えないが、ヨンマル氏の顔には確かな驚愕が浮かんでいた事だろう。気まずそうに氏はガスマスクの外装を擦った。
「……流石は亜門グループの取締役ですね。お恥ずかしながら、その通りです」
「恐縮です。とはいうものの、私の知己に面白い事に目がない奴がおりましてね。もしかして、と思い」
「見事に一本取られてしまったと。フフフ」
「今大会における貴方のご要望を確かに承りました。亜門グループは面白い事を考えて動く者の味方です。この案件は正式に魔人闘宴劇運営本部に委任して、貴方が予め考案してきた意見を参考にしつつ限定敗北条件を定めていく形式になるかと思われます」
「かしこまりました。改めて、本日はお忙しい中時間を割いていただきありがとうございます」
「ええ、ヨンマル氏が本選に姿を並べる日を楽しみにしております」
そうして、ヨンマル氏は席を立った。その後ろ姿を――
「――おっと、最後に一つだけ」
――亜門は呼びとめる。
「はい?」
「貴方が優勝した際の願いをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
ヨンマル氏は少しだけガスマスクを傾けた後、口を開いた。
「そうですね、まだ私も細かい所を決めたわけではないのですが……」


「……『自分だけの場所』を頂戴したい、と考えております」




最終更新:2018年06月30日 22:22