プロローグ(天桐鞘一)

 カフェ『プラティーノ』。

「ね、ね、まぎりーん!あたし今日誕生日なんで、なんかサービスして!」
「まぎりんのお祝い見たーい!」

 最近すっかりカフェの常連となっている、二人組の女子高生。彼女らが姦しく呼び立てるのは、一人の店員である。まぎりん、と呼ばれた端正な顔立ちの青年は顔を上げた。

「ええ。勿論、用意してありますよ。常連さん、特に、魅力的な女性の誕生日は記憶してますから」

 青年は事前に準備していたサービスメニューを差し出した。彼の名は天桐鞘一(あまぎり しょういち)。カフェ『プラティーノ』のバイトにして、この店の売り上げと訪問客の女性比率を倍増させた男である。

「え、ホント!覚えてんの!え、ヤバ」
「誕生日専用のやつあるんだー。へーっ」
「ふふっ、特別ですよ。今日のための手作り、余すことなく真心が篭っていますので。本当はサプライズで提供したかったんですが、いや、お客様から言わせてしまうとは、俺もまだまだだ」

 彼はそう言うと柔らかに苦笑し、二の句を継ぐ。

「ああ、そうだ。どうです? せっかくの誕生日、記念に写真でも? 幸せな笑顔は、思い出として残しておく価値があると思いません?」

 バチンとウインク。完璧な所作だ。

「うっわ推せる……」
「神対応……」

 女子高生らは、半ば放心気味に満足げな顔を浮かべている。

 その様子を、店内のカウンターから冷ややかに見やる女性の姿があった。鞘一はそちらを一瞥する。

「おっと、写真の前に、ちょっと奥に。せっかく映るんだから、もう少しお洒落してきますよ。従者が、お姫様の美しさを損ねては本末転倒ですから」

 彼は身を翻すと、店の奥へと戻っていく。

「お姫様!」
「お姫様って!」

 女子高生らは興奮冷めやらぬ様子。追加注文も間近だろう。





 鞘一が戻った、店内、カウンター奥。

「……それ、誰にでもやってんの?」

 気だるげで、冷ややかさの混じった声が投げ掛けられた。声の主は、緩くウェーブのかかったショートヘア。『プラティーノ』の正店員、葦原木咲(あしはら きさき)である。

「お客様あってのお店じゃない。これやるとみんな喜ぶしさ。俺だって楽しいし」

 勿体ぶった口調は、いささか砕けている。鞘一にとって、それなりに気の置けない間柄である。

「売上はともかく、回転率下がってるけどね……しかしまあ、何が楽しいんだか」

 木咲は辟易するように嘆息する。

「もしかして、やって欲しくない? こう、『私にだけやって欲しい』的な独占欲がつい目覚めてしまったとか?」
「……呆れた。私にもあれやるつもりだったの?」
「いやぁ、後一ヶ月あるから、もう少し考えようかな。木咲にやるなら本当にスペシャルだ。リクエストがあるなら、どうぞ? 何でもやるぜ。マイエンジェル」
「期待してない……えっ、てか、なんで誕生日知ってんの?」
「魅力的な女性の誕生日は記憶してますから……って言ったはずだぜ」

 鞘一は指鉄砲を構えた。木咲の心臓を打ち抜くジェスチャーをする。

「はいはい。じゃ、その魅力的な女性の誕生日祝いとやらにさっさと戻れば? 待ちわびてんじゃない?」
「わお、本気で何の期待もしてないクールな態度。傷付きはするけど、そこが木咲の魅力的なところと受け止めるよ。それじゃ、俺をチヤホヤしてくれる楽しい楽しいお仕事に戻りましょうか、ね」

 鞘一はそう言うとホールへと舞い戻る。再び黄色い歓声が聞こえ来ることになるのだろう。その後姿を見ながら、木咲は再び嘆息した。

「てか、『本当にスペシャル』って何やるつもりなのよ……薄給バイトのくせに。別のバイトでもしてんの?」





「グッ……!カハッ……!」

 街灯がパチパチと明滅して消えかかった、夜闇の路地裏。一人の男が、うずくまり苦悶に喘いでいた。

「何を……何をしたッ……!」

 男を覆うように、人影が射し込んだ。彼は影の主を見上げる。
 白い外套の青年。軽薄そうな顔立ちの中に、剣鬼のごとき双眸が爛々と輝いている。

「この長い脚を使ったと思うかい? 剣士なんだから、剣を使ったに決まってるだろ? さておき、ようやく、傷口のお目覚めだ。悪いね、これにて決着さ」

 青年の腰には刀が佩かれている。どう斬られたのか、男には全く理解できていない。居合の剣筋は見切れていると、男は確信しているはずだったのだが。だが、少なくとも。自分が致命傷を負ったことは、男にも理解できている。

「怨みはないんだ。まあ、運が悪かったと……いや、違うな。運命だと思って諦めてくれると嬉しい」
「……何が望みだ」

 男は絞り出すように問う。

「望み、そう。重要なのは、それだ。心当たり、あるだろ?」
「……『魔人闘宴劇』か」

 男は胸のポケットを押さえた。男に心当たりはある。

 ――『魔人闘宴劇』。巨大企業体、亜門グループの首魁が主催した、強者を集めた魔人トーナメント。優勝者には多額の賞金と、一つの望みを叶える権利が与えられるという。男はその強者に値する一人として、招待枠を手に入れていた。

 だが、それはあくまで暫定のものだ。彼を討てる実力があると証明した者に対してであれば、審査の決は覆りうる。亜門グループの社章――悪魔(アモン)印章(シジル)の彫り込まれた硬貨。招待枠として男に与えられたその硬貨を、奪い去れるような強者であれば、あるいは。

「しかし、自分を襲った男に、安々と明け渡すと思うか? どんな大悪を願うとも分からんのに……」
「いや、もう十分だ(・・・・・)。助かったよ」

 刀を抜いている――斬るためではなく、鞘を空にするため。『奇襲二色(くがさねふたついろ)』。鞘の内部と、胸ポケットの座標とを重ね合わせた。鞘を下向けると、重力に従いコインは白い外套の男の掌の上へ。

「なっ……!」
「良い物くれたお礼に、救急車くらいは呼ぶからさ。命は何より大事な財産だろ?」

 青年――天桐鞘一は、コインを手遊びながら男に背を向けた。立ち去ろうとする鞘一に、男は一つ、問いを投げかける。

「ま、待て! 一つだけ、聞かせろ……! 貴様の、貴様の目的は何だ!」
「男が自分の命を賭け金にするんだ。女の為に決まってるだろ? 俺の天使の笑顔は、50億より安くないんだ」


 白い人影が闇に消えていく。明滅していた街灯は、吹き消されたかのように立ち消えた。





最終更新:2018年06月30日 22:24