プロローグ(茶柱 立)

「落としましたよ?」
 後ろから、話しかけられた。ここが街中の大通りならスルーしただろうけど、ここは細い道だし、今すれ違ったのは一人だけなので、声をかけられたのはきっと私。しかし、カバンはしっかり持っているし、スマホもスーツのポケット。一体何を落としたのだろうか?
 私は振り返った。そこには人懐っこそうな青年がハンカチを差し出して立っていた。制服だった。私が通っていたところのものではないが、見たことがある。たしか、近所の高校のもの。
 私はハンカチを受け取ろうと手を伸ばそうとして、止める。……この子……本当に学生?
「……それ、私のハンカチじゃないわ」
 彼が手にしていたのも、見たことない柄のハンカチだった。
 そして、私はわざと確認して見せるように、カバンの中に手を突っ込んで、ハンカチを取り出した。
「おや、そうですか? 貴女のカバンから落ちたとばかり思ったのですが……なら、これは警察に届けるとしましょう」
 そう言って、青年はハンカチを制服のポケットにしまおうとする。
 私はハンカチを持ったまま、青年に背中を向けた。それを待っていたとばかりに青年からの殺気を感じた。……やっぱり……。
 私は手に力を込めて、ハンカチと一緒にコッソリとカバンから取り出した、お茶入りのお魚醤油さしを握りつぶした。
「立ちなさい、茶柱……!」
 私の手にだいたい2メートルくらいの長さの茶柱が伸びて、背後にいる青年の顎を撃ち抜いた。
 ……これを避けなかったってことは普通のチンピラ? あの人、自分の姪を舐めすぎじゃないかしら?
 私は振り返った。
「あなた、たぶん私の叔父に雇われたのだと思うけど、役不足だったみたいね。あの人に伝えてくれないかしら、絶対お婆ちゃんの形見(お茶屋)を取り返す――――って」
 私はそう言って、早く帰ってお茶を飲もうとその場を立ち去ろうとしたのだが、後ろでピチャン、と音がして振り返ると、青年が小さくなっていた。いや、よく見ると、まるで溶けているようだった。
 そして、そのまま青年は完全に液体となり、水の塊となって私の周りを飛び回る。
 その水の塊は私に体当たりをしてきた。驚いていた私はそれに対応できずに、突き飛ばされた。鞄の中身が飛び散り、荷物が散乱する。
「しまった――――」
 私は声を漏らした。お魚醤油さしは全て鞄の中に入っていたのだ。私は近くに転がっていたお魚醤油さしに手を伸ばすが、それを許さないと言わんばかりに、再び水の塊に体当たりをされる。
 あまりの痛みに悶絶する私の前で、水の塊は最初の青年の姿へと戻った。
「油断しましたね。僕の能力は自らの身体を液体へと変化させる能力だ。あなたと同じ、魔人だったんですよ!」
魔人――――私やこの青年のように、人間の域を超えた身体能力や超能力(特殊能力)を持った、常識外れの存在。自分自身の認識を他者に強制する特殊能力者。世界中から、差別の対象となりかねない存在。私が――――叔父から……家から追い出された最大の理由。それが魔人。
油断した。まさか叔父がここまでの強硬策を取ってくるとは思ってもみなかった……。
私は唇をかみしめ、青年を睨む。
「おお、怖いですね……せっかくの大和撫子が台無しですよ? しかし、写真で見るよりも、ずっと美しい……殺すのが惜しくなりますよ……まあ、お金は頂きましたし、やはり白い女性が好きなので殺すんですけどね?」
 青年が一歩前へと私に近付く、それと同時に、青年が私の鞄から転がり落ちた水筒を蹴り飛ばした。蓋が空き、お茶が漏れ出して地面を濡らす。
「伸びろ、茶柱」
 チャンスと思い、念じる。私の能力は、私の入れたお茶から茶柱を立たせる能力。文字にすると弱そうだが、この茶柱に、おそらく大きさ制限はなく、様々な応用ができる能力だ。
 青年の身体めがけて、地面から茶柱が伸びる。しかし、それは青年が液体化することで避けられた。私も茶柱を維持できることができずに、茶柱はお茶へと戻って再び地面へと滴る。
「残念でしたが、これでおしまいです……知ってますか? 溺死の死体って、白くて本当に綺麗なんですよ……元々美しいあなたは、きっと、さらに美しくなる……」
 青年はそう言うと再びその場で液体化して、水の塊となった。そして、そのまま私に飛び掛かってくるが、私は、再び念じた。
「伸びろ……茶柱っ!」
 一本の、電柱ほどはあろう太さと高さの茶柱(このサイズになると茶柱と形容していいものか……)を形成する。中に水の塊を閉じ込めて。
「なっ……くそ、所詮はただの水だから登れないし、茶柱が地面にめり込んでるから出れもしない」
 茶柱の内側から青年の驚愕した声が聞こえてきた。
「説明どうも……。悪いわね、逆に閉じ込めさせてもらったわ」
 上手くいってよかったと、息を吐きながら私は立ち上がり、体の調子を確認する。気持ち悪くないし、動かない箇所もない。発言から、青年はできる限り私を綺麗な状態で殺したかったから打ち身程度で済んだのだろう。
「少ししたら地域の交通課に連絡してあげるから、その中で暫く反省しなさい。能力は、本当はそういう風に使うものじゃないわよ」
 私が自嘲気味にそう言うと、「なら、何のために使うんだ」と青年に問いかけられた。
「あら、当たり前じゃない――――」
 私は能力が発現したばかりの頃、お婆ちゃんに言われた言葉を復唱する。
「『人を幸せにするためよ』」
 私はその場を立ち去りながら、天国のお婆ちゃんに謝る。
人を幸せにするために発現したと言ってくれた能力で、私はこれから多くの魔人と戦いに行く。
「魔人闘宴劇」
優勝者に50億と『なんでも願いを叶える権利』を与えるこの大会。
私はこの大会で優勝して、お婆ちゃんの大好きだったお茶屋さんを取り戻す。
「お婆ちゃん、お爺ちゃん……私は悪い子になります。けど……これだけは信じていてください私は――――」
――――お茶が大好きです――――。
 そして、私は会場にたどり着いた……様々な願いの集まる会場に――――。




最終更新:2018年06月30日 22:45