プロローグ(雨夜 鞘子)

金属音。
夜の街に、火花が散る。
ふたりの魔人がそれぞれの"刀"をぶつけ合っていた。
といっても、どちらの得物も真っ当な刀ではない。

片方の名は雨夜 鞘子。
手に触れたものを仕込み刀に変える『仕込み幻刀(ソード・ノット)』の能力者。
ビニール傘を、街路樹の枝を、標識を、
あらゆるものを刀として抜きながら斬りかかる。
しかし、鋼鉄すら斬り裂くはずの彼女の刃は相手に傷一つつけることができない。

もう一人の名は東雲 絹美。
自分自身を至上の刃へと変える『第一刃(ファーストレディ)』の能力者。

「だから、無駄だよ。知ってるでしょ」
鞘子の一振りを、自身の首で受け止めながら絹美は言い放つ。

「鞘子じゃ、私を斬れないよ」
「うん。やっぱり無理そう」
形勢とは裏腹に、ふたりの表情は対照的だった。
優位なはずの絹美は哀しげに鞘子を見つめ、
反対に、鞘子は生来の無表情なままだ。

「だからさ、一緒に逃げよう。
 私と鞘子なら、きっといいコンビになれる」
「悪いけど。私はママを裏切らない。裏切れない」
「…もうママは無理だよ!
 そんなこと、鞘子だって分かってるでしょう!」
「…………」
鞘子は返答せずに再び斬りかかり、その刀は絹身の手刀によって砕かれた。


『空』という殺し屋組織がある。
そこは、裏の世界ですら一目置かれると同時に、
"ママ"と呼ばれるボスが
行き場のない魔人たちに居場所を与えていた場所でもあった。

しかし、ママが壊れてしまってから『空』の凋落は早かった。
構成員はまたたく間に減り、
またたくまに亜門グループの一幹部に都合よく使われる便利屋へと成り下がっていった。

最終的に『空』に残ったのは、ママの他に鞘子と絹美のみ。
…そして、ついに絹美も『空』を抜け、
そんな彼女を抹殺しろという命令を受けたのが鞘子であった。

ふたりは血は繋がっていなくとも、姉妹のような絆がある。
少なくとも、絹美はそう思っていた。

絹美が鞘子の両手を掴む。

「もうやめよう。
 私、鞘子を殺したくなんてない」
「…私も、お姉を殺したくない」

ようやく聞けた妹分の本音に、絹子は小さく安堵の溜息を吐く。
そして、次の瞬間、自分の両腕の先が無くなっていることに気付いた。
「…え?」
「でも、ママの命令だから」

絹美の両手は鞘子を掴んだまま絹美の身体を離れ、
それぞれに薄青い刀身を生やしていた。
そう。切断されたのではない。
抜かれたのだ。

鞘子は、自身の能力の本質を、
刀を生み出す以上に分離であると考えている。

「…あんたの能力、人にも適用できるのね!知らなかったわ!」
「普段は斬った方が早いから」

絹美は奇妙な感覚を覚えた。
分離しているとはいえ、その両手は意識的には繋がったままだ。
血は出ていないし、動かすこともできる。
であれば、やむを得ない、両手を刃に変えて…、

そう思考した瞬間、アッパーのように顎を下から殴られ、
そのまま首が飛んだ。
絹美が自らの頭を刀にされたのだと認識したと同時に、
彼女の意識は終了した。

鞘子が能力を解除したのだ。
その瞬間、絹美の両手と頭から生えていた刀身は消失し、
同時に"切断面"から血が噴き出す。
東雲 絹美は絶命した。

「ごめんね、お姉。
 でも、ママの命令だから」

そう呟く鞘子は相変わらず無表情だったが、
絹美の返り血が鞘子の頬を伝っていた。

==

「ママ。戻ったよ」
鞘子はふたりきりにしてしまった『空』のアジトへと戻ってきた。

「…ママ?もう寝ちゃった?」
違和感を覚える。
血の匂い。

「ママ!」
慌てて電気を点けると、死体がひとつ横たわっていた。
ママではない。
鞘子はそのことに安心するも、すぐに顔を曇らせた。

死んでいるのは松中 雄之助。
亜門グループの幹部であり、
『空』を使って亜門グループの敵を抹消してきた人物である。

「ヒヒッ…、ヒ…。自分がこの手で殺したのは久しぶりだよ…。ヒッ…」
ママが口を開く。
彼女の周りには、ウィスキーの空き瓶が散乱していた。
いつもよりも数が多い。

「…ママ。どうしてこの人を殺しちゃったの?」
「ヒッ決まってるだろう…。私をコケにしやがったからさ…!」
ママは手を震わせながら、また瓶をあおる。
鞘子は止めることはない。無理なことだと知っているから。

「アイツ…、亜門グループが解散するなんて言うのさ。
 『だから、独立する俺の下につけ』だと…。

 ヒヒ…舐めるんじゃないよ。
 いったいどんな理由があれば、社長が解散するんだい?
 ちょっと私の調子が悪いからって、バカにしやがって!!
 ヒッ、どいつもこいつも。ぶっ殺してやる…!」
「…………」

松中の言葉が真実であっただろうことを、鞘子は察した。
ママが、今世間を騒がせていることすら何も知らないことも。

「…ママ。
 魔人闘宴劇っていうものを、社長が開催するんだ。
 だから―」

鞘子はママに、噛み砕きながら説明をする。
正しい情報をママに伝えるのは、子供の務めだからだ。

「―だから解散も、嘘じゃないと思う」
「…………」
ママが押し黙る。

状況は最悪だ。
力を失った組織の最後の寄る辺を、ママは自ら殺したのだ。
『空』の破滅は決定的だった。
もっとも、それはもっと前から分かっていたことだけれど。

「ヒッ、そうかい」
ママがまた瓶をあおる。

「鞘子まで、私を騙すんだね。ヒヒヒヒッ!」
「…ママ、騙してない」
「ヒヒッ!だったら、アンタ、その魔人闘宴劇とやらに出ればいいじゃないか。
 大金をもらえる上に、願いまで叶うんだろう?
 …こんな所にいる必要なんて、なくなるじゃないか。ヒッヒッ」
「そんなこと望んでない」
「私のいうことが聞けないっているのかい、アンタも」
「…違う。
 私は、ママの子供だよ?
 ここを離れる訳ないでしょう」
「…………」

突如として、ママが鞘子の顔を両手で包む。
鞘子の頬には、絹美の血の跡がまだ残っている。
「これは命令だ。鞘子。勝ちなさい」
その声は、凛と室内に響いた。
あまりにも久方ぶりの、かつてのママの声だった。

「…了解」
鞘子にとって、ママの命令は絶対だ。

「ヒッ、ヒヒャ、ヒヒヒ、ヒック…。ウうぅぅうううううう」
ママは一瞬の正気を放り捨て、突如呻くように泣き出した。
鞘子はママの背中をさすりつづける。

いつの間にか朝日の光が差し込み、
室内の無数の空き瓶を照らしていた。

午前五時。




最終更新:2018年06月30日 22:46