『この想いの残骸(それは恋じゃなく)』
――27日午後4時頃、横浜市南区の蒔田公園で「魔人による暴行があった」と通報があり、被害にあった男性二人が病院に搬送された。二人は軽傷だったが、約1時間後に学生服を着た女生徒が区内の交番に出頭し、事情を話したという。
県警によると、被害者の二人はいずれも『魔人闘宴劇』参加者。その日は予選の試合を行っていたが、そこに女生徒が現れ、気功による超人的なチベット武術で二人を殴打した。
闘宴劇本部は生徒の要望と参加を辞退する男性二人の意向を聞き入れ、彼女を参加者として――。
6月27日 まさひ新聞デジタル版社会面より
『拝啓 亜門洸太郎様
久しぶりの挨拶になるでしょうか、こんにちは。幻坂風美です。突然のお手紙、ごめんなさい。驚かれたと思います。
大好きな貴方と距離を置いてからしばらく経ちますが、こちらは新しい仕事も軌道に乗り、経済的にも安定してきました。不思議なもので離れれば離れる程、貴方と過ごした日々が鮮明に思い出されます。
チベットの修業は楽しかったですね。貴方に付きあって、わたしもすっかり僧院の武術をマスターしてしまいました。
貴方はお変わりありませんか? よければ一度会いませんか。 よかったら連絡ください。待ってます。
2018年6月27日 幻坂風美』
資料室の整理なんて、引き受けなければよかった。
夕暮れ迫る校舎裏で、わたし――わたし、幻坂風美はただ立ち尽くすしかなかった。
校舎の曲がり角に背を預け、その角の先、二人の男女の会話に耳をそば立てる。盗み聞きするつもりじゃなかった。わたしが聞いていいものでもない。早く消えなきゃ。でも……でも、どうしても足がその場を動かなかった。
手の中で、今日のために書いた手紙を握りしめる。
二人の会話は、完全に『そう言う話』だ。
女子は男子の勇気を振り絞った大勝負を、いかにも「面倒なことになった」という様子で聞いている。
……ああ、やっぱり。
――えーっ! 亜門くんも××さん狙い? さすが人気あるなぁ……でも亜門くんの手には余るんじゃないかなあ。あのタイプは手強いよー?
――う、うるさいな。わかってるよ。
――そうかなあ、思うにね、亜門くんはもう少し周りを見るべきだよ。意外とピッタリの子がいるかもだって。
男子も女子も、同じクラスのコだ。女子の方は、すごく仲が良いってほどでもない。勿論悪くもないけど。男子の方は結構気が合うし、趣味も近い方だ。
……うん、嘘。誤魔化さない。
わたしはもう大分前から、彼のことばかり考えてる。
どうして今日なんだろう。
わたしだって今日、勝負のつもりだったのに。そのための手紙だったのに。何だかんだ理屈をつけて尻込みしていたのを後悔した。資料室の整理なんて引き受けなければよかった。
やがて雑な断り方で男子の告白を切り捨てた女子は、一人去ってしまった。
後には、見るからに打ちひしがれた男子が……亜門洸太郎くんが残されている。わたしの好きな人が。
今の亜門くんへ告白なんてできる筈がない。いや、話しかけて励ますのさえ憚られた。今話しかけたら、わたしはきっと凹んでる彼の心に付け込むようなことを言ってしまう。それだけは嫌だった。
結局、わたしもただ黙って隠れてるしかない。彼に何も出来ない。
本当に、どうして今日なんだろう。出番のなくなった手紙を握りしめる。
資料室の整理なんて引き受けなければよかった。
それが十年前の、わたしにとっては半月前のあの日。
今、わたしが見上げる横浜の街頭ビジョンでは、2018年6月27日の日付でニュースが流れている。
『こっち』に来てから七日。
訳がわからなかった。いきなり『こんなこと』になってしまったのも(十年間! 十年も行方不明扱いだよ!? わたし!)、あの日、夜が明けたら手の平返したように××さんが亜門くんに告白し返して、二人がめでたく付き合うようになってしまったのも。
出番のなかったあの手紙も、晴れてお役御免だ。
いや、本当言うと『こんなこと』になった方はわかる。わたしが魔人になったからだ。これは、わたしの魔人能力の結果。
何日かして気づいちゃったんだ。仲睦まじい二人を見て。
あの日、フられた亜門くんを見てわたしが覚えたのは、彼を案じる心『なんかじゃない』。
……消えちゃいたいと思った。
あの手紙は、そんなわたしのヤケみたいな願いを魔人覚醒の暴走で叶えたんだ。
「本選開始が迫る魔人闘宴劇! 予選も更に盛り上がり――」
街頭ビジョンを、先日(わたしが来る前だ)発表された大会の続報が彩る。
……亜門くん。
ここ数日、何度も君の顔を見たよ。
少し頼りないけど真っ直ぐだった顔つきは鳴りを潜めて、でもすっかり大人びて、年経た魅力の増した面差しが映る。
どんな十年を過ごしたんだろう。
すっかり大物になっていた彼の経歴は、調べてすぐにわかった。でもきっと彼だけの、想像もつかない十年だったのだろう。……いい十年だったんだと思う。
わたしの手には、今三枚の手紙がある。さっき一枚出したから、合わせて四枚。
今の亜門くんの住所はわからないから、宛先は亜門グループだ。
この十年後の世界でわたしがお金だけでも工面できたのは、この手紙の、もっと言うと魔人能力のお陰だ。
……うん、決して褒められた話じゃないけど、今回は許して欲しい。着の身着のままの女子高生にとっては、手持ちも尽きかけて大変だったから……!
わたしは彼に会いたい。
十年後の世界で今後どうするにしても、今この大会が開かれたことに、何というか運命じみたものを感じるのだ。
わたしは負け犬だ。
そりゃ勝てないよ。好きな人がフられて、でも心配するより先にホッとしたような女が、あんな綺麗でカッコいい××さんに。
そしてこんな十年を経た世界で、昔の恋も何もかもを糧として成長した彼を見て、まだ心をくすぶらせるしか出来ないみじめなコドモだ。
でも、だから、わたしはこの想いに区切りをつけたい。
わたしの手紙がどれ一つ彼に届かなくても。大会を勝ち抜けなくて、この決意さえ不様に破れても。
わたしは、今度こそ後悔のない勝負をしなければならないんだ。
……ごめんね、亜門くん。本当に迷惑だろうけど、これっきりだから。少しだけ付き合ってね。