プロローグ(河渡 六文)

 暗殺業界にもブラック企業は存在する。割を食うのは、人殺し以外何もできないドサンピンだ。

 彼らは稚魚のように裏社会に放たれ、あっさりと死んでいく。

 その点、河渡六文は違った。彼は自分で思っているよりも、人を殺すのが、上手だった。


「へへ……見逃してくださいよ」

 この男、名は塵粕芥(ちりかすあくた)。雇われのアサシンである。

 両腰にナイフを差しているが、一向に抜く様子を見せない。ぎょろりと瞳を動かし、死から逃れるようにそわそわと歩き回っていた。


『六文! そんな奴バキューンとぶっ殺しちゃいなさいバキューンと!』

 腰に吊るしたリボルバーからは、論華と名乗るやかましい女性の声がする。

 本人は死者を乗せる船の船頭を自称しているが、全くもって定かではない。六文は彼女のことをなぜか、ハンバーガー屋で働いてそうな声だと思っていた。


「あのな、論華」六文は言う。「人間の命ってのは尊いもんだ。そう簡単に殺すなんて言うもんじゃないぜ」 


 机ひとつないダミーオフィスに、亜門洸太郎暗殺計画のために集まったチンピラどもの死体が群れを成している。

 チンピラだって流れる血は赤い。塵粕のためにわざわざ死のレッドカーペットを用意する孝行チンピラたちといったありさまだ。

『本気で言ってんの?』

「ああ。ま、尊い命を踏みにじるのが俺たちの仕事なんだが」

「ひぃ!」


――塵粕は大げさに反応してみせた。せわしなく手もみをする。目の前の殺し屋は、自分を軽んじてくれるだろうか? おそらく無理だろうと思う。

 亜門洸太郎の暗殺計画は、やはりどうあっても受けるべきではなかったのだ。たとえ、適当にチンピラをけしかけてお茶を濁し、そのまま雲隠れしようと考えていてもだ。

 結局、こうして実行に移す前に捕捉され、皆殺しにされようとしている。


 河渡六文の名は非常に有名で、その能力も広く知られている。やれ不死身の吸血鬼を殺しただの、死神を引き連れているだのけったいな噂もあった。


「俺たちはこれから、踏みにじりあう(・・・・・・・)わけだ。残念ながら」


 なるほど、噂にたがわず強敵だ。鋭い目つきだが、どこか気を抜いているようにも見えた。

 魔人だろうと、筋肉は伸びた状態から縮むことで瞬発的な力を発揮する。だが緊張や反射など、様々な要因で硬直する。

 よって、この殺し合いの場において気を抜いている……すなわち筋肉の弛緩を維持できているというのは、尋常でない達人であることを意味していた。

 なにせ、観察しても隙があるのかないのかも分からないのだから。


「おい」

 塵粕が警戒を高めるなか、六文は無造作に言った。

「足の運びに規則性があるぞ。方位、角度を測ってんな? その目も、オドオドしたふりして抜け目なく周りを見てやがる。
手もみは手首のとろい動きに慣れさせるためだ。ナイフを抜くとき、反応が遅れんのを期待してんだろ」

『そうなの!? 全然気づかなかった』

「そうなの。ちょっとは静かにしてろよな」


 すべて当たっている。塵粕は戦闘において、ひとつだって無意味な動きはしない男だった。
 そしてそれはおそらく、六文も。

 能天気な会話は、自分のリラックスと相手のリズムを乱すため。わざわざこちらの手を口にしたのも動揺を誘うためだろう。

 いかにもガンマンといった格好もそうだ。『伝説の殺し屋』というネームバリューを使い、容姿だけでこちらを威圧しようとしてる。


 同質の戦い方をする相手だった。お互いに見ているし、見られている前提で戦闘を構築している。だからこそ、差が出るのは純粋な戦闘力。冷や汗が出た。

実力勝負をするのか? 目の前の男と、俺が?


塵粕は声を絞り出す。

「けっ。やるしかねえってわけか、オイ」

「弾丸より速く走れるなら、逃げたっていいんだぜ」


 できるわけがない。どちらかが死ぬしかないのだ。

 塵粕は考える。六文の早撃ちというスタイルは、かなり面倒だった。

 弾丸なぞ、純粋な戦闘魔人である彼でさえ発砲されてから避けることなどできない。銃口と引き金を注視し、射線を読むことで初めて対応できる。


 塵粕の能力は『七剣抜刀』。刃物から手を離すと空中で固定され、柄を蹴れば解除される能力。

 彼はこれを曲解した。固定したならば、自転速度で移動するに等しいはずだと。
ゆえにナイフは、手を放しさえすれば弾丸よりよほど早く標的に食らいつく。

 角度を測っていたのはこのため。今二人は地軸の直角に位置している。


 つまり、ナイフを抜ければ勝てる。それが六文に撃たれるよりも、早ければ。


「そんなに緊張すんなよ」

 ぎくりとした。気負いが筋肉を硬直させているか?

――そう思った瞬間に、首がへし折れるのを知覚する。あまりの威力に、撃たれた頭蓋が引っ張られたのだ。


早撃ち。それは銃を抜き、腰だめに構えて撃ち、ホルスターに戻すまで、〇.〇〇〇一秒にも満たない。


 塵粕芥は、あっけなく死んだ。


『思うんだけど、能力は使わないの?』

「使ってもいいけどよ。実はほとんどの生き物って、頭を撃たれると死ぬんだぜ」






「最後の仕事、ご苦労だったな」

「あー、やっぱ畳むんすか、会社」

 社長室にて、六文は亜門と向かい合っていた。

「ああ。もう一生分働いたよ」

 亜門は薄く笑う。


「今回の報酬は魔人闘宴劇の参加権でよかったかな」

「ええ。五〇億あったら遊んで暮らせるんで」

「正直で結構。興味本位で聞くんだが、願いはなんにするつもりだ?」

 六文はしばらく考えてから、名案を思い付いたかのように言った。

「論華の声を消してやりますよ。こいつマジでうるさいから」

『!?』


 銃の先からガタガタと音がする。慌てているのだろうか。

『ちょっちょちょっちょ、六文さん!? 嘘よね、嘘!?』

「案外本気なんだな、これが」

『ぎゃーっ! やだ~っ! そんなこと言わないでよぉ~!!』


「くくっ」亜門は声をあげて笑う。そして、ここではないどこかを見ているような眼をした。

「君たちは仲がいいなぁ! ……会いたいと、思ったことはないのか?」


 おもむろに、六文はリボルバーを殴る。『んぎっ』と声がした。これで少しの間、こちらの声は聞かれないだろう。


「正直ありますけど。会わないほうがうまくいく関係も、あるんじゃないですかね」

「それは……同感だな」




最終更新:2018年06月30日 23:24