『F××k me if you can』

 腹腔に残った生気の残滓を絞り出すような呻き声をあげ、孕石射精衛門(はらみいしどぴゅえもん)の巨躯がぐらりと傾いだ。
遠目から、根本深くを斬り込んだ巨木が倒れる様を眺めるような緩慢さで、男の体が墜落する。
自らが吐き出した白濁の海に射精衛門(どぴゅえもん)が没すると、跳ね上がった精液が相対する者の頬を穢した。

 校庭に集まった数百人の生徒は、時が止まったかのようにその場を動けなかった。
 全国から集められた性魔人たちの監獄――ボヨンバイン高校に、絶対的な性欲によって君臨した孕石射精衛門(はらみいしどぴゅえもん)が、ただ一人の人間に……それもほんの十秒程で、一触れもせずに倒された。彼を知る人間にとり、それはあまりにも非現実的な光景だった。

 少女は/少年は/美女は/美青年は/熟女は/獣娘は/彫像は/ドラゴンは、静かに残心を解き、頬の粘着きを指先で掬い取ると、艶めかしく赤い唇に咥えこんだ。栗の花の香が、むせ返る程に満ちていた。
 小さな水音と共に唇から指を離すと、その存在はゆっくりと首を巡らせ、周囲を囲む生徒たちを見やった。それを見る全ての人間が、寒気を覚える程の色香を含んだ視線だった。

 ……その寒気は、蠱惑的な瞳に篭絡された証ではない。
性欲と根源を同じくする、生存欲求に根ざした、本能からの警告。
すなわち、捕食者を前にした獲物の。






 “ボヨンバイン高校の虐殺”事件における数少ない生存者たちの証言は概ね一致している。
ただ一点、犯人の姿だけが食い違っており、これ程の規模の殺人事件であるにも関らず、未だ解決の目途は立っていない。










 地味な少女だった。
黒髪を三つ編みにし、丸眼鏡をかけ、学校指定と思しき学生服をきっちりと着こなした、品行方正を絵に描いたような娘。
事前に知っていなければ、これが学園一のビッチだとは誰も思うまい。

 鏡子。
七白ぼたんが、その人生で唯一敗北を喫したビッチである。

 それも単なる負けではない。自分の全存在を賭けた上での惨敗。いや、そもそも勝負にすらなっていなかった。

 当時の記憶は明瞭ではない。自分の身体(もの)ではなくなったかのように激しく痙攣する下半身に、ただただ翻弄されていたからだ。

 ぼたんには自信があった。
自らの性を自覚して以来積み重ねてきたビッチとしての研鑽が、我こそが地球一のビッチであるという矜持が、それを裏付ける技術があった。
だから、悪名も高き希望崎学園に乗り込む事や、その中において最もセックスが巧いというビッチに挑む事にも、不安や躊躇いはなかった。

 結果、その自信は砂のように粉と砕けた。
気付いた時には暴力的な快感に屈し、腰をひくつかせながら冷たいアスファルトを舐めていた。

 二、三言葉をかけられたように思う。具体的な内容は、今もって思い出せない。
確かなのは、鏡子がぼたんを殺さなかったという事実。殺す価値すらない、障害とさえ認識されなかった事。

 七白ぼたんのプライドは、屈辱に犯し尽くされた。





 爾来、ぼたんは己を磨き続けた。鏡子に復讐を果たす為、考えついた事は全て実行に移した。
体力の増強。性技の向上。かのビッチを打倒する為の修行は、余人の想像が及ばぬ程過酷なものだった。そのような環境に身を置かなければ、精神の均衡を保てなかった。
 己の芯であったプライドを砕かれたぼたんは、復讐心を代替に据えなければならなかった。そうしなければ、立つ事すらままならなかったのである。

 故に、鏡子がハルマゲドンなる抗争で命を落としたと知った時、ぼたんの心は──。

(何かある。まだ私の復讐を果たす方法はある。この世界には、何でもある)

 それが半ば以上欺瞞であると分かっていながら、そう自分に言い聞かせる他に正気(りせい)を保つ方法を思いつかなかった。

 死者を蘇生する魔人。それも、生者とのタイムラグをも打ち消し、もしも死なずに生き続けていたら、というイフを現実のものとする能力でなくてはならない。
そうでなければ……常に成長を続け、最新最強の状態の鏡子を倒さなければ、ぼたんの復讐は果たされないからだ。

 そうした魔人能力者を探し当てる為、彼女は金を集め始めた。
手っ取り早く大金を入手出来て、かつ己で作り上げたビッチアーツを実戦の場で試せる暗殺稼業はぼたんにとってうってつけだった。
殺人に手を染める事への抵抗は、驚くほどになかった。鏡子への復讐以上に重要な事など、ぼたんには既に存在していなかったのだ。

 数年が経った。
七白ぼたんの名は、裏社会に知らぬ者のない程に広まった。それでも、彼女の求める能力者は見つからない。
 もしかすると、自分の求める魔人などこの世に存在しないのではないか――毎夜心の底から湧き出るそのような考えを忘れる為に、ぼたんはシーツに包まってウイスキーを瓶ごと煽る。
胃が破れそうなむかつきも、頭が割れそうな二日酔いも、その思考を直視する苦痛に比べればなんという事はなかった。



 魔人闘宴劇なる大会の存在を知ったのは、そのような悶々とする晩の事だった。
飲みかけの酒瓶がするりと手から滑り落ち、床に落下して砕けた。
シーツを頭から被ったまま、幽鬼のように立ち上がったぼたんは、瓶の破片をじゃりじゃりと踏みしめながら、演説を振るう若き大社長の姿を映す画面を白い手で掴んだ。

『それは、どんな範囲の願いでも、ということでしょうか?』
『はい。我々には誰のどのような願いであろうと、叶える用意があります』
「――ふ」

 心の底から、久しく忘れていた感情が溢れてきて、抑えきれずに口を突いた。

「はは。あは、は、は、は、は――」

 (うろ)のような、泥のような哄笑が、雑多なワンルームを満たした。
傷だらけの、樫で出来たテーブルの上にある、部屋で唯一の小さな鏡台が、壊れた人形のように嗤う少女の姿を映し出していた。

 黒髪を三つ編みにし、冴えない丸眼鏡をかけ、白い学生服を纏った、憎い憎い仇敵の姿を。




最終更新:2018年06月30日 23:26