プロローグ(カモミール・L・神津)

「みんなー!今日は○○モール設立十周年記念イベントに来てくれてありがとう!!司会のカモミール・L・神津でーす!」

とあるショッピングモールの特設会場。
ステージ上ではイベントの司会を務めるアイドル、カモミールが客席に手を振る。

「カモちゃーん!」
「今日も素敵だよ」

いつもみかけるファン数人が声援を送る。
それ以外の客席はまばら。休憩に来たと思しきスマホをいじる男性などはいるが、全体的に空席が目立つ。

「今日は楽しんでいってくださいねー!」

通りすがりの買い物客が、会場の方を少し見ては、足を止めることなく立ち去っていく。

(まあ、いつものことだしね)

もう慣れた。いや、慣れたくはないんだけど。
モールの方も、安上りだからと彼女を司会に選んだらしい。
まあ、メインイベントの抽選会が始まればもう少し人が集まるだろう。

そして、イベントが始まってしばらく過ぎたころ、会場の前を一人のスーツ姿の男が立ち止まった。
珍しくカモミールに興味を示してくれたのだろうか。
彼に気付いたカモミールは、とりあえず笑顔で手を振ってみる。
アイドルの基本、営業スマイルだ。

「お前、俺を笑ったな」

笑顔を向けただけで何その反応。
どうにも様子がおかしい。

「畜生!バカにしやがって!!俺は毎日毎日終電まで仕事ばかり!挙句の果てはリストラだぞ!!!」

現代社会の犠牲者、被害妄想に囚われた発狂サラリーマンだ!鞄からナイフを取り出して、こちらへ向かってくる。

「ああ、もう!!なんなのよ!」


恙なく終わる予定だったのに、何故こうなるのか。
混乱する会場の中でカモミールは、憤りを覚えていた。

「私がやるしかないか」

警備員も近くにいない。このままでは彼女のファンにも危害が及びかねない。
そう判断し、カモミールが動いた。
ツインテールがふわりと揺れる。

男に向かって真っすぐ駆ける。
そして宙高く飛び上がり、宙返りをしながら男の上空を飛び越えると、彼の背後に降り立つ。
新体操を生かしたアクロバティックな動きだ!
ひょっとしたらスカートの中が見えたかもしれないが、気にしている場合でもない。

そして、ナイフを持った男の右手を蹴る。
男はナイフを取り落とした。そして男に密着すると、そのまま男を強引に投げ倒した。

「ぐえっ」

地面にたたきつけられ、潰れた蛙のような悲鳴を上げる男。

被害が及ぶ前に解決できたことにカモミールは安堵し、ほっと息をついた。

「畜生。なんで俺ばっかり。殺してやる、殺して……」
「辛かったんですね」

彼の言葉を聞きカモミールは彼を抱きしめた。
ハーブのような心地よい香りが男の鼻腔を擽る。
同時に、男から殺意が抜けていく。

「でもダメですよ。もうこういうことをしちゃ」
「あ……ああ……俺はどうして……」

気が付けば、誰かが通報したのか。パトカーのサイレンの音が聞こえてくる。
先ほどまであれほど攻撃的だった男は、抵抗の意思を失い、彼女の腕の中で涙を流すばかりだった。




◇◇◇◇

「……疲れた」

アルバイト先の送別会から帰宅途中の神津鴨美は飲みなれないお酒を飲まされて疲労困憊状態だった。
アイドル・カモミールとしては未成年ということになっている以上、積極的に飲まないことにしているが、今回はそういう訳にもいかなかった。。
二次会にも誘われたが、妹が待っているからと先に帰らせてもらった。

「この前も大変だったなぁ……」

鴨美はショッピングモールでの騒動のことを思い出していた。
結局イベントはあのまま中止になった。
鴨美自身も警察に事情を聴かれたし、あれだけの騒動だったし仕方がないことだろう。

男はあれからカモミールのことを女神様とか一生ファンになりますと言っているらしい。
ニュースやSNSで少し話題にはなっているらしいし、できれば、この騒動がカモミールの人気に貢献してくれればよいのだが。


「ただいまー」
「あっ、おねえちゃん。ただいまー」

玄関の鍵を開けて、扉を開くと妹の麗美が帰宅した鴨美を出迎えた。

「大人しく留守番してた?」
「うん」
「よーし、いい子にはお姉ちゃんがいいものをあげよう」

鴨美はキャンディを取り出して麗美に渡す。

「やったー!」

キャンディを受け取った麗美は、それを頬張りながら部屋の方に駆けだしていった。

「ちゃんと歯を磨くのよー」

鴨美は、ポストの中の郵便物を回収すると、妹の後を追うように家の中に入った。



「おねえちゃん、これ何?あたらしいお仕事?」

鴨美が居間で郵便物を整理していると麗美がやってきた。
麗美が指さすのは、オーディションの不合格通知や書類の中に混じって、机の上に置かれている『魔人闘宴劇』の招待状。
あの日、運営本部の使いを名乗る人間から渡されたものだ。
ちょうど大会に相応しい選手を探していたのに、引っかかったらしい。
鴨美は格闘魔人などではないが、有名になるチャンスだと思い、そのまま受け取ることにした。

「そうだよ。能力バトル大会で優勝したら何でも願いをかなえてくれるんだって」
「何でも?すごーい。じゃあ、立派なおうちに住めるようになったり、美味しい食べ物をいっぱい食べたりできるかなー」
「できるできる。賞金もいっぱいくれるらしいしね」
「わーい」

無邪気にはしゃぐ麗美。
そんな妹を見て、微笑ましくなって思わず鴨美はクスッと笑った。

「あっ、でも、おねえちゃん。能力バトル大会って危なくない?怪我とかしない?」
「大丈夫だよ。例えどんな怪我をしても完全に治してくれるらしいし」
「そうなんだ。じゃあ、安心だね」
「うん、だから心配しなくていいんだよ。全国放送だから麗美も見てね」
「お姉ちゃん凄いから全国放送だと有名になっちゃうね」
「……そうだね」

実際には売れないアイドルである身には妹のキラキラした視線は辛い。
だから、妹の期待に応えたい。
だから、期待に応えられるすごいアイドルにならないと。

『魔人闘宴劇』は有名になれるよい機会だ。
きっと彼女より強い人がいるのだろう。
それでも活躍したい。活躍して彼女の魅力で皆を魅了したい。
それが困難な道だとしても。

『逆境や苦難に耐える』事を意味するカモミールの花言葉の様に。

「お姉ちゃん頑張るからね」




《カモミール・L・神津・プロローグ 終》




最終更新:2018年06月30日 23:28