「ディーゼルや。護身術の中で一番強い技は、なんだと思う?」
「うーん……どんな攻撃もはねかえして、いっぱつで敵をたおす!」
かつての記憶。
窓から差し込む柔らかな光。汗を吸った道着、畳の匂い。
ディーゼルの無邪気な解答に、祖父は押し殺すように笑った。それから、首を振る。
「違う。……それはな、殺しに来た人間と、友達になってしまうことじゃ」
「ええー? そんなこと、できないよー」
「確かに、普通は無理じゃろうな。だが、それが出来るのが、本当の強さというものなんじゃ」
祖父は穏やかな人だった。
鍛錬の度にディーゼルを叩きのめす、厳格で気性の荒かった父親も、祖父にだけは頭が上がらなかった。 そのこともあって、ディーゼルはこの祖父のことが好きだった。
「こちらを殺そう! 倒してやる! そうやって向かってきた相手を上手に受け止めて。
その敵意を包み込む。心を通わせる。それには余裕と、本当の強さが必要じゃ」
「本当の、強さ……?」
「ディーゼルには、まだ分からんかもしれんな。だが、よぉく覚えておいてくれ。
斎藤家である以上、お前にもいずれ、倒さなければいけない敵と向かい合う立場になるじゃろう」
「…………」
「だが、お前が本当の強さを欲しいと願うなら――儂の言葉を忘れるな。この技術を、その名をな」
本当に、まだ何を言っているか分からなかった。
それでもディーゼルは、こくりと頷いた。
何度も何度も、枯れ木 ばった腕に、身体の小さな祖父に、自分が為すすべもなく投げ倒された経験を反芻しながら。
「相手と気を合一させ、抗うのでなく流す。相手の動きと一つになり、その力を利用して相手を制する」
――これが『合気道』じゃ、ディーゼル」
……優しかった祖父は、指導中の事故で死んだ。
放射熱線で右半身を失った拍子に足を滑らせ、運悪く、靴箱の角に頭を打ったのだ。不運な事故だった。
それでも、ディーゼルは彼の教えを忘れたことは一度も無い。
【番外編1: 胸倉を掴まれた場合の対処法:呼吸投げ】
◆武◆戦闘領域名鑑◆田◆
オフィスビル(江戸)
戦闘領域:オフィスビル内及び屋上
様々な会社が入っているオフィスビルです。会社の 備品は自由に使うことができます。
書類の持ち出しなどは厳禁なので悪用はしないでください。
万が一社員が残っていた場合、口封じのために殺害が推奨される。
◆武◆戦闘領域名鑑◆田◆
「この区画一帯に上杉テロの予告が行われた! 従業員は速やかに退去するように!」
「するように! お願いします!」
やや枯れた低い声と、鈴のような甲高い声音に押されて、従業員たちが送られていく。
「勘弁してくれよ……」「まってくれ! 俺にはまだ仕事が」「上杉! ヒィィー! 塩は嫌だ塩は嫌だ……」「報告書にないよぉ……」
渋々と言った様子ではあるが、彼らも立派なタケダネットの保護下にある以上、KGBの名には逆らわない。
貴重なカチグミ人的資源でもある以上、悪戯な浪費はタケダネットの望みにも反する。
「やれやれ。しかし、この運営も相当性格が悪いぜ」
「あの! 助かりました。ありがと うございます」
「何。俺だってKGBだ。無用な被害は出すべきじゃあない」
傍らで、ぺこりと頭を下げる妙齢の娘。
鴉漆の髪。高級な硯のような深い黒瞳は、上品でありながらある種の活力に満ちている。
眼の覚めるような紅白の着物の中で、革の紐靴だけがミスマッチな趣があった。
薙刀でも持てばさぞかし絵に似合いそうな、可憐さと勇壮さの混じった和服少女――だが背負うのは七本の最新式の銃。
(まさか、こんなところで会うとはな・・・)
千勢屋の卸す量産銃は安価で信頼性が高く、同僚が有り難がっているのを何度か見た。
ミーハーの気があるそいつに、後継ぎは見目麗しい美少女なのだと言って、“ぶろまいど”まで見せられたが、
「本物の方が 数段上だな……」
「?」
「ああいや」首を振る。「しかし、千勢屋の娘さんまでこんなトコに出てるとはな」
「……KGBの、ひとですか」
「分かっちゃいるだろうが、タケダネットの管理外の能力使用は武田家諸法度第四〇七条違反だぞ」
「それでも私は決めたんです! 千勢屋はただ滅ぶだけの流派なんかじゃない――私自身が千勢流炮術の祖になるって!」
「……先刻もそう言ったか。覚悟があるなら、仕方ない」
避難誘導を終え、二人は事前の約束通り、オフィスの端と端に離れる。
彼女――香墨と言ったか――に有利な、銃の初期配置。
「……本当に、ここからで良いんですか」
「ああ。始めてくれ。遠慮はしなくていい。年長者のプライドくらい、僕にもあるんで ね」
戦闘領域に入り、まず屋内の従業員の避難を始めていたディーゼルに、あちらから声を掛けてきた。不意を撃てば、遥かに早く片付いたろうに。
彼女の、その誠意に応えるための立ち位置だ。彼女は渋ったが、認めさせた。
「だが僕も僕の仕事がある。これ以上の手心は加えない」
「いえ。……試合相手が、斎藤さんのような正々堂々とした人で、良かったと思います」
ほんの僅かに、花咲くように笑った。同僚が聞いたらさぞかし羨ましがるだろう。
だが、その直後――彼女は背負った銃を構える。
「では。――千勢屋流炮術、一代目 香墨! まいります!」
「剣道五段、斎藤ディーゼル。承る――ッィィイイイイッェェェェェ――――――イ!」
叫びな がらも、すぐ横へと跳びのいた。
瞬時に構えられた鉄炮による偏差射撃が、斜め一直線にオフィスの壁をぶち抜いた。
(――やっぱり至近距離から始めればよかったか!)
掠めた後悔を、ヘルメットを抑えて振り払う。
剣と銃。同じ実力なら銃の方が上。だが、侍と銃なら侍の方が上だ。だが侍と炮術師なら?
千勢屋香墨はつまるところ、侍と並ぶ銃の使い手になろうとしているのだろう。
「即中――即仏ッ!」
こちらに負けぬほどの気勢。やはり、正統派だ。好感が持てる。
一瞬前までいた業務机が撃ち飛ばされ、宙を舞う。狙いは正確で、秘伝の炮の火力は流石にKGBのものとは比べ物にならない。携行火器の範疇ギリギリだろう。
一撃受ければ、貫通はしなくても行動不能は避けられまい。
だが――
(あいにくと、僕にとって銃は普通に脅威なんだ)
斎藤ディーゼルにとって、銃は改めて言われるまでもなく立派な敵だ。
ゆえに、他の侍などと違い、銃を見下すつもりはない。その対策ならば積んでいる!
「ッヅェエエエ――――――イッッ!」
まずは牽制の放射熱線。一直線にオフィスを渡り、窓を融解させて隣のビルの半ばを蒸発させる。
だが、本命は そこではない。
狙いは熱膨張――如何に頑丈な銃でも、放射熱線の余波の前には歪みを避けられない。
銃を持ち変える一瞬の隙をつき、接近する――!
「――――」
だが、机から飛びだしたディーゼルが見たものは。
空になったオフィスと、一目散に階下へと逃げていく少女の足音。
そして、オフィスに投げ出された、砲身が歪んだ七つある銃のうちの一つだった。
「……転身が上手い、というべきか? ……拍子抜けだが」
~~~~~~~~~~~~~
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
がちがちと震える奥歯を噛み締める。
千勢屋香墨は、逃走していた。ビルを一目散に駆けて、階下へと。
頭の中が、恐怖と迷いで満たされている。それでも 上へ逃げようとする愚策だけはしなかったのは、訓練の賜物だろう。
上から追ってくる足音が聞こえる。だが、男の足の方が早い、すぐに追いつかれるだろう。
(なに、あの、今の……!)
オフィスの右半分を抉った蒼い閃光。彼の魔人能力だろうか。
KGBはお得意様だ。使い捨てとすら揶揄される彼らの運命に少しでも寄り添えるよう、千勢屋は優れた銃を提供していた。
「なのに、なにあれ! 銃いらないじゃん!?」
(お父様ごめんなさい! 言うとおりでした! もーいや! 魔人みんなめちゃくちゃ!
可愛い女の子はロボだし! 警官さんはビームだしー!)
かつん、と足を止める。
きっと口を引き結ぶ。涙で滲んだ瞳は――しかし、まだ死んでい ない。
胸元に収められた、父親からの手紙に触れる。まだ開けなくても良い。ここは、千勢屋香墨のピンチじゃない!
「私だって、覚えたんだから……!」
~~~~~~~~~~~~~~~
階段を下っていった千勢屋が跳び込んだのは、『大会議室』と書かれた扉だ。
ディーゼルは彼女の射線に入らないような位置取りをしながらも、階段を半ば跳び下りながら駆け、閉まり掛けた扉を押し開ける。
「いつまで逃げるつもりだ、千勢屋の娘さん――」
会議室には、一面に書類が散乱している。
ほとんどの机が退けられ、一面に真っ白な床――奥には電子黒板。その正面に立つ千勢屋の娘。
(……諦めたか? 潔いが、それじゃ狙ってくれというようなも んだ)
ディーゼルは剣道家だが、これでも、銃口の位置と発砲タイミングが分かれば避けられる程度の技術はある。
牽制がわりの放射熱線を放った後、擦り足で接近し、面を入れればいい――
だが、口を開けた刹那。
純白の噴煙が、部屋を満たした。
「っ!?」
「即中、即仏ッ!」
ダァンと銃声が鳴り。右手を撃ち抜かれる! 木刀がどこかへと転がっていく。
「即即即仏――!」
ダァン、ダァン、ダァン!
続いてヘルメット、肩口、背中に重い衝撃。防護服のおかげでかろうじて貫通はしなかったが、骨にヒビは入ったか。
「グアッ――――!?」
驚きは三つ。
弾丸が、千勢屋の方ではなく、ディーゼルの背後を含む複数の方向から来 たこと。
第二に、書類の山しかなかったはずの部屋が一瞬で噴煙で満たされたこと。
第三に――
「どう! これならお得意のビームも意味ないでしょう……!」
先程までと違い、噴煙のどこかから聞こえる少女の声は明確に敵意を帯びており、鬼気迫るものになっていたこと。
そんなに癇に障る行為をしたのだろうか。今時の子供の感性は分からない。
「……そのようだな」
苦々しげに告げる。
噴煙――チャフによるビームの損耗を狙ったのだろう。無論、放射熱線にそのような対策は意味が無い。
だが、問題は背中に受けた銃撃だ。
「(第二の――副脳がやられたか……!)」
背骨に溜めたエネルギーを放射熱線とするささやかな小技の核。
斎藤道産が持っていたと噂され、隔世遺伝でディーゼルに再び宿った遺失内臓。
その収束と外部放出を司る第二の副脳が、今の銃撃でダメージを受けてしまった。これでは熱線放射が行えない。
「くそっ、木刀を――」
足元に転がる木刀を拾いあげようとする――その瞬間、ブラックビワ製の木刀が一瞬にして燃え上がり、塵となる。
「な……!」
慌てて手を引く。魔人能力だ、間違いない。だが如何なる能力なのか、想像もつかない。
「ぐっ!」
再びの背後からの弾幕。ディーゼルは、今だ噴煙に満たされた会議室へと飛びこんでしまう。
「朱鶴拵篝玉章(しゅかくこしらえかがりたまずき)――」
朗々とした美声が、会議室を満たす。まるで舞で も聞いているかのようだ。
複雑な気流が内部を巡り、少女の立ち位置を覆い隠している。彼女の周りだけ、煙が無くなっているようだった。
「即即即即中中中中、即即即即仏仏仏仏」
「づ、ぐっ、――!」
本体も含め、四方八方から繰り返される銃撃に、ディーゼルは無様な踊りを踊るしかない。
――斎藤ディーゼルは知る由もないが。
遠隔狙撃。煙幕精製。物質遠隔燃焼。それらは一つの能力である。
自らの記した紙を自在に燃焼させる能力。その燃焼速度、温度、火力、発火タイミングは自由自在。
遠隔に隠した火縄銃を発砲することも、書類の山を一瞬にして粉塵に変えることも、木刀一つを焼くことも。
そもそもディーゼルの避難誘導に後から現れたのも 、このオフィスビルにおいて自分の能力が最大限に働くことを理解した少女が、自らの防衛陣地としてこの会議室を用意していたからに他ならない。
――こつ、と。
やがて、膝をついたディーゼルの背中の中心に、硬い物が当たる感触。
「降参して下さい。命までは取りません」
涼やかな声には、僅かな陰りがある。炮術と剣道。その差異とは別の所で勝負をつけてしまったからだろうか。
少女はそういった、ある種の姑息さを嫌う性質なのかもしれない。
だがそれは恥じることではない。むしろ、自分で編み出したとしたら天凛だ。
それは魔人同士の戦闘では必要不可欠である。
「……全く」
ゆるやかに両手を上げる。
完全な油断だった。知り合いである こと、共に避難誘導に当たったこと。
その真っ直ぐな炮術に、共感と、尊敬と――ある種の侮りを向けていたのだ。自分と同じタチなら、そこまで強敵ではなかろうと。
「じゃじゃ馬お嬢さまかと思えば……とんだサラブレッドだったか」
「……有難うございます。これからもどうぞ、千勢屋の鉄炮をご贔屓に」
「ああ、それはもちろんだ。そうさせてもらおう……君が目覚めたら」
「?」
「君ももう少し学んだ方がいいな――」
首を傾げた香墨――だが、彼女の対応よりも、ディーゼルの行動の方が速かった!
「KGBが修めるのは剣道だけじゃないっ!」
「――――あがッ!?」
踵を基点に旋転し、銃口を弾き飛ばす。
その際に、ささやかな不意打ちとして 、背骨に溜めた放射熱線エネルギーを、逆に体内放射によって全身に流す。
「ぁぎ、が、ぴぁっ!?」
“背に触れていた”銃口から伝播したエネルギーは、一瞬で少女の体内を駆け巡る。
このために設えられた極上の戦闘衣が爆ぜ、悲鳴が発する喉が焦げ、少女の瞳が焦点を失った。引き金を引く、能力を使う間もない。
――その瞬間を、斎藤は感覚でなく知覚する。
「セェイア――――ッ!」
倒れゆく少女。体内放射の伝播に耐えきれず粉々に砕けた銃。それを手放した手。
半ば炭化した。その手を掴む。倒れゆくベクトルと、引き込むベクトルを合わせる。
「(ありがとよ、爺さん。これは、アンタの教えだ)」
左足を斜め前方に進ませながら、左手で相手の手を握り、香墨の頸動脈に右の手刀を入れる。
右から左に重心移動をして右足をつき、体内放射を繰り出しつつ地面へと叩き付ける。
香墨の小柄な身体が跳ね、放射熱線電光にまとわりつかれながら痙攣する。
「(『合気道』!)」
合気道! それは自分の力ではなく相手の力を利用して技を掛ける技術!
これは実際、女性や子供にも扱いやすく、銃撃 によって片手の力が失せているディーゼルにはこれ以上なく適した戦術!
なんたる冷静沈着にして武骨ながらも見事な逆転劇!
「合気!」「…………」
だが入りが甘かった。祖父のように華麗には投げられていない。
相手の力を受け入れ、流す。相手の意志を受け入れ、それに合わせる。屈服させるのではなく制する、それが合気道だからだ!
「セェイアァ―――――!」
倒した香墨を引き上げ、そのまま次の技へと移行する。
組んだ腕の肘を曲げ、もう一方の手は相手の右手首を持ちながら身体の向きを変え。
重心を下げながら相手を倒す。それとは全く関係無く、既に放射熱線電光に蝕まれた香墨は動かぬ。完全に気を失っている。否、呼吸すら怪しい!
「 くそっ……!」
次なる技へと移行しながらも――ディーゼルは苦悩していた。
どれだけ繰り返しても、祖父のイメージに自分が追いつかないであろうことが分かってしまったからだ。
確かに、相手はとっくに意識を失い、放射熱線電光によって瀕死の状態にある!
だが、そんなものは言い訳にすぎぬ! 自分は相手の力を十全に受け入れられない。相手の意志を、十分にくみ取れない。
あれほど近しいと感じた――こんな強く優しい少女に対しても。
それは単なる技術の上での問題だろうか。ディーゼルには、そうは思えない。自分には、もっと大切なものが欠けているのだと。
真なる強さとは何だ。本当の強さとは何だ。
「……教えてくれ、爺さん」
会議室の床 に仰臥し、最後まで合気できなかった香墨を前に。
静かに天井を見上げ、ディーゼルは己が心の中にのみ居る師範に問い掛けた。
【二回戦 第四試合 斎藤ディーゼル VS 千勢屋香墨 オフィスビル】
【勝者 斎藤ディーゼル 乱取稽古一本 空気投げ】