世界の終わりを見た。
悟りに沈む極楽浄土のどん底で、
喰われ、呑まれ、消えていく世界を黙って見ていた。
見ていることしかできなかったから、一人でそうしていた。
何が起きて、
何が変わって、
何がどうなって。
一体どれだけのことが起こったなら、こんなことになるのだろうか。
空に穴が空いている。
そこに向かって空の色が吸い込まれていき、空は気味の悪い白色に脱色されていく。
音もなく、溶け落ちていく。
青の惑星が、端から順繰りに消滅していく。
星が今際を迎えているのだと、誰かが言った。
それで納得出来ない、たくさんの大人たちが血眼になって生き延びる手段を探した。
けれど、二日が過ぎて。星が半分になった頃には、もう誰も、そんなことしなくなっていた。
やがて程なく、人類文明の死が、どこかの国の偉い人によって告げられた。
生き物が回遊をやめた。
争いごとが地上から消えた。
信仰の違いによるいがみ合いなんて、誰もが忘れていた。
――それはまるで、星が穏やかなモルヒネに浸かり、無痛状態のまどろみにあるかのようだった。
たくさんの国が消えた。
たくさんの人が消えた。
最後に地球に残る国は、極東の小さな島国だと報じられた。
そしてその通りに、島国の外の世界は、真っ白になっていた。
「これでいいのか」
男は小さく呟いた。
こういう肝心な時に限って、力は働かない。
泣きの一回など、現実にはないと窘められているようだった。
時刻、午前、零時。
備え付けられた薄型モニターに映ったアナウンサーが、淋しげな顔で残り120時間です、と告知する。
もう、世界に残された都市国家はこの日本だけ。そしてその日本も、あと100時間弱で消えてなくなる。
歴史も、日毎繰り返してきた論争も、何もかもが無価値に思えてくるほどあっさりと、呆気なく。
舞台装置の崩壊という展開を前にしては、散って消えるしか術がなかった。
争うことの無意味さを漸く知った人類が、全ての戦争を放棄したのは一体何日前だったろうか。
ついぞこうなるまで、人類文明数千年の理想を達成することが出来なかったのは悲しい話だが。
しかし、今、地上を覆っている『平和』は――穏やかでありながら、どことなく寂しいものだった。
皆が今更になって思い出作りに勤しんでいる。それが無意味だと分かっているのに、皆が空元気で笑っている。
「……違うだろ」
譫言のように口をついて出た言葉を、仮に塔の頂上で叫んだとしても、きっと気狂いに思われるだけだろう。
どれだけ違和感を抱いても、それを口に出しても、変えられない。何も変わらない。
だけど心は喚き散らす。違うだろ。そうじゃないだろ。こんなのは間違っているだろ、と。
変わらないと分かっていながら、吐き散らして掻き毟るのだ。
もう一度(Revival)――どうか、もう一度だけ。
この狂ったような終わりを覆したい。
願う、願う、願う、願う。
もう手の届かない距離に去ってしまった未来という名の空を追い求めて、ただまっすぐに、縋るように手を伸ばすのだ。
「――望むのですか?」
いつしか、彼の前にはひとりの少女が立っていた。
浮世離れした可愛らしさを持つ女の子だった。
歳はきっと、彼の半分程度だろう。
なのにどういうわけか、その言葉には夢見るような重みがあって。
「この幸福な終末へ弓を引いて」
「……ああ」
「いつ終わるとも知れない争いに満ちた過去を」
「それでいい」
「それをこそ、正史に」
「……何でもいい。俺はとにかく、こんな終わりは認めたくないんだ」
くすりと少女は笑った。
仕方のない人ですね、とでも言いたげに。
そして手を差し伸べた。
覚悟はありますか。
言いながら突き出されたか細い手は、無痛の日常への最後通牒。サナトリウムからの外出券。
返事代わりに、手を取る。
彼はもう、すべてを理解していた。
「では参りましょう、地上最後の争いへ。戻り道はありませんから、どうか気を引き締めてくださいね」
裏切りの魔女。
そんな単語とは全く無縁な微笑みで手を引く在りし日の写身(リリィ)と一緒に、
彼は地球最後の戦争へと踏み込んだ。
世界が滅ぶ。
世界が終焉(おわ)る。
幾度となく繰り返される言葉。
告げられるリミット。
人が生きていられる時間は数字にして120。
日数にして、凡そ五日だけ。
それは長いのか。
それとも短いのか。
多分それは人それぞれ。
でも、その間に出来る事が限られているのは、誰も彼も同じ。
だから、これはきっと最後の選択。
何もかもが終わりを迎えてしまう前に。
勝ち取ろう、未来を。
あるはずのないその先を、この手で。
下りた幕を抉じ開け、終わらないと信じていた物語を、空のスクリーンに投射するために。
そんな主役の願いを標に、聖杯戦争が始まった。
仮題:終焉戦争
.
最終更新:2016年03月12日 14:54