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大宇宙の歴史/ラヴェルト時代 - (2023/09/07 (木) 08:28:45) のソース

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#divclass(countryNameJa){&bold(){大宇宙の歴史}}
#divclass(countryName){&bold(){Juia aie Gions:antveed&br()Closmol la-Skol-Hecagt}}
|時代名|年代|
|ラヴェルト時代|1378年 - 1425年|
|[[帝国時代>大宇宙の歴史/帝国時代]]|1425年 - 1555年|
|[[革命時代>大宇宙の歴史/革命時代]]|1555年 - 1623年|
|[[連合会議時代>大宇宙の歴史/連合会議時代]]|1623年 - 1641年|
|[[ゴルギア時代>大宇宙の歴史/ゴルギア時代]]|1641年 - 1660年|
|[[経済戦争時代>大宇宙の歴史/経済戦争時代]]|1660年 - 1693年|
|[[通信時代>大宇宙の歴史/経済戦争時代]]|1693年 - 1726年|
|[[アンドロイド時代>大宇宙の歴史/アンドロイド時代]]|1726年 - 1759年|
|[[サイバー時代>大宇宙の歴史/サイバー時代]]|1759年 - 1779年|
|[[反動時代>大宇宙の歴史/反動時代]]|1779年 - |
}}

 &bold(){ラヴェルト時代}はシンテーア暦1378年の[[第一共和政エルミア]]によるボルガード連合とのファーストコンタクトから、1425年の[[エルミア帝国]]の成立までの期間を指す時代区分の一つである。

 一般的に語られる[[大宇宙の歴史]]に宇宙進出以降のラヴェルト諸国の歴史を含めるのは、[[大宇宙連合会議]]加盟国において最も早期に確実な証拠として残っている宇宙進出勢力であるという点と、ラヴェルト諸国が大宇宙連合会議設立に大きく貢献した国家または原加盟国であるという点を根拠に挙げている。
 諸説あるものの、現在主流となっている歴史区分の中では&bold(){大宇宙連合会議}では&bold(){大宇宙連合会議}の歴史としては最も古い時代に位置づけられている。

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目次
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*背景
 シンテーア暦14世紀後半の惑星ラヴェルトには多くの国家が存在していた。当時のラヴェルトにおける主要国であった[[第一共和政エルミア]]、&bold(){リーエス共和国}、&bold(){スベール国}の三ヶ国は宇宙開発競争を繰り広げていた。
 その中でも&bold(){エルミア}は1137年に先んじて有人宇宙飛行に成功。エルミアはリーエスとスベールの技術進歩の一歩先を行っていたと言われている。

 当時の第一共和政エルミアは軍国主義的な国家であったが、国内はリーエス人やスベール人も多く居住していたため宗教や異文化に対して寛容であった。

**ボルガード=ラヴェルト諸国戦争
 ボルガード=ラヴェルト諸国戦争は[[大宇宙の歴史]]では史上有数の凄惨な戦争となった。期間は11年にわたり、ボルガード連合・ラヴェルト連合両軍合わせて8000万人に及んだ。
 ボルガード連合は戦争長期化で厭戦感情が高まったことにより、クーデターが勃発したために敗戦した。

*前史
**1118年 ラヴェルト文明初の無人宇宙飛行
 惑星ラヴェルトの文明で初めて無人宇宙飛行を行ったのはスベール国であった。

**1120年 エルミアによる技術の窃盗
 宇宙進出を果たした決定的な要因ともなる大出力スラスターの研究についてはスベール国の科学者が発明したものであった。
 エルミアは女性スパイを使ってハニートラップによってスベール人科学者から見事このスラスターの図面を奪取することに成功し、高性能宇宙船の製造に成功したのである。
 当時最高機密だった大出力スラスター技術が盗まれたことでスベール国とエルミアは断交一歩手前の状態まで行った。

**1137年 エルミアの有人宇宙飛行
>「大宇宙はこんなにも美しかった」    ――マカー・スコラカム(ラヴェルト初の有人宇宙飛行士)
 エルミアが主要三ヶ国の中で最も早く有人宇宙飛行を達成。
 その後の宇宙開発はエルミアの独壇場となっていく。

 ラヴェルト文明初の有人宇宙飛行士は&bold(){マカー・スコラカム}。彼の残した言葉はラヴェルト中に広く知れ渡り、「&bold(){大宇宙}(エルミア語:&bold(){Skol-Hesagt}、スコル・ヘサート)」という言葉が定着した。

**1301年 惑星ランテの生命体
 エルミアの調査船が惑星ランテで生命体を発見した。

**1339年 惑星スヴァーレの知的生命体
 エルミアの調査船が惑星スヴァーレで地底文明を発見し、スモリア人と名付けた。

*ラヴェルト時代
**1378年 ボルガード連合とのファーストコンタクト
 エルミアの調査船によってラヴェルトよりも早く宇宙進出していたと推定されているボルガード文明と接触した。
 ボルガード連合を名乗る彼らは保護的な態度を示し、惑星ラヴェルト諸国に対し自国連合編入を勧告した。
 ラヴェルト諸国はこの申し出に反対し、その申し出を黙殺。ボルガード連合政府はこの対応に「&bold(){困惑している。融和と友好を深めたい}」とコメントした。

**1383年 エルミア調査船ボルガード領侵犯事件
 エルミアの調査船が無断でボルガード領ゾラック星付近の採掘星系に侵入し警備宇宙船に拿捕されるという事件が起こった。
 この事件ではエルミアの調査船に対して警備宇宙船がSint.4ヶ月以上もの間警告を発し続けていたがついに退去しなかったため、ついに拿捕に至った。事件を受けてエルミア政府は調査船の乗員の解放と賠償を主張し、ボルガード連合はそれに従ったが、その後もエルミアによる領宙侵犯を繰り返したためボルガードとの関係は急速に悪化した。

 この時エルミアが調査を続けていたのはボルガードの先進的な技術力の差を何としてでも埋めるべく新しい推進エネルギーを探していたからだとされている。

**1395年 ボルガード側による併合通告
 ボルガードは再三の申し出にも関わらず返答しないラヴェルト諸国にしびれを切らし、産業の保護と開発を約束する併合通告を出した。
 エルミアとその他のラヴェルト諸国は危機感を覚え、結束を強めた。

**1401年 ラヴェルト連合結成
 エルミア主導による惑星ラヴェルトの国家連合「&bold(){ラヴェルト連合}」が結成される。
 この動きはボルガード連合にとって敵対的姿勢と見なされるものであった。

**1412年 ボルガード側による最後通牒
 ボルガード側は再び産業の保護と開発を約束する併合通告を出した。これは侵略戦争(ボルガード政府にとっては“解放戦争”と位置づけられていた)も示唆する内容だった。
 ボルガードの非武装宇宙船がラヴェルト諸国市民に向けて電波を発信し、「未発達な政治構造から新時代の統治を受け入れよう」、「ボルガード連合影響下の各国がどれだけ豊かな文明を享受しているか」、「ボルガード人は穏健で融和的な種族である」といった内容のプロパガンダ放送・プロパガンダ映画を上映した。時にはラヴェルト星の電波をジャックすることさえあった。

**1412年 エルミア宙軍大臣の覚悟
 最後通牒を受けて戦争の危機を悟ったラヴェルト連合のいくつかの国は連合を脱退しようとしていた。
 これを受けて当時のエルミア宙軍大臣フェルヴィニオ・オクナンは次のように声明を発した。
>「この広い宇宙空間の中で逃げ場はどこにもない。我々は独立のために覚悟を決めなくてはならない」――オクナン宙軍相
 この声明はラヴェルトの小国を勇気づけ、ラヴェルト連合各国に戦争への道を歩んでいくことを決意させた。

**1413~1424年 ボルガード=ラヴェルト諸国戦争
 最後通牒の期限までにラヴェルト連合は返答しなかったため、ボルガードの非武装宇宙船が宣戦布告を宣言した。

 ボルガード連合のテクノロジーレベルは一世代上のものであり艦隊の練度も彼らの方が上であったため、緒戦で苦戦を強いられ、次々と支配星系を失っていった。
 ラヴェルト連合は撤退戦を繰り広げて時間稼ぎに専念したおかげで、戦争勃発から少しずつ鹵獲兵器やデブリからボルガードの技術をリバースエンジニアリングし、宇宙船に搭載するだけの余裕を確保することができた。次第にテクノロジーレベルの差が埋まっていったため、戦況は膠着状態になった。

 それでもボルガード宙軍は優位に立っていたが、彼らは前線に到着するまでに長距離の遠征を強いられるため兵站には相当を負担がかかっていた。戦争が長期化するにつれ、その負担はボルガード連合の国民に重くのしかかることとなり、次第に厭戦感情が高まっていった。政府首脳陣の間でも意見が分かれた。

**1424年 ボルガード・クーデター
 さすがにそろそろ和平を結ぶべきであるという提案が何度もなされたが、受け入れられることはなかった。ボルガード宙軍は勝利に固執する政府首班に対しクーデターを起こす。

 戦争で疲弊しきった国内には鎮圧する兵力がほとんど残っておらず、瞬く間に旧政府関係者は捕らえられて処刑された。
 新政府は戦争を継続する気はなかったのですぐに講話条約を締結。すぐに戦争状態から解放されたいラヴェルト連合は白紙和平を受け入れた。

**1424年 ラヴェルト連合宙軍のボルガード星駐留
 するとエルミアはボルガード連合の侵略戦争と人道に対するの罪を新政府になすりつけ、「&bold(){正当な独立の権利を有していない}」と主張。ボルガード新政府はこれに対し、「&bold(){我々はラヴェルト国民との融和と共栄を望んでいるし、ボルガード人が皆同じ考えでないのは革命で分かるはずだ}」と反論した。
 しかし、エルミアは新政府の言い分を無視して宙軍をボルガード星に駐留させた。これはエルミア共和国の世論がボルガード人への制裁を主張したためであると言われている。
 戦争終結後、エルミアを除いてほとんどのラヴェルト連合加盟国にまともに動かせる宙軍は存在していなかった。戦争中、陸軍のリソースでさえ宙軍に割いていた国がほとんどだったため、この当時ほぼ全ての国が国防力を有していなかった。
 これに着目した当時のエルミア共和国首相&bold(){フォルヴェン・ゼル}と一部の思想家集団は密かにボルガード領併合を目論んでいた。

 戦時中、エルミア共和国首相フォルヴェン・ゼルは共和国基本法を改正して戦時中に任期を戦争終結まで無期限したり首相の権限を拡大したりしていた。
 ボルガード=ラヴェルト諸国戦争終結後、エルミア国内では首相フォルヴェン・ゼルが英雄視されるようになり、民意に押された議会は終身名誉首相として彼を続投させる法案を可決させた。

**1425年 ニウト会談
 戦勝国間の領土画定会談でエルミア共和国首相フォルヴェン・ゼルはボルガード領全土を自国に編入すると主張。ラヴェルト連合各国首脳は猛反対したが、これに対抗できる国力が残っていなかったため、これに従わざるを得なかった。
 スベール国とリーエス共和国は何とかこの決定を覆すべくボルガード連合(旧政府)の亡命者・協力者を募集したが、彼らがボルガード新政府に発見され投獄されてしまい、失敗に終わった。

 ゼル首相の人気と権威は留まるところを知らず、ボルガード領併合は歓喜の声をもって迎えられた。

**1425年 エルミア帝国成立
 Sint.1425年13月8日(推定)、フォルヴェン・ゼルは皇帝として戴冠し、スラメオンを首都(帝都、Sempel-Fint)とする[[エルミア帝国]]の成立を宣言。
 エルミア帝国として旧ボルガード領全域とラヴェルト諸国の全ての領土・領域を併合し領土とすることを表明した。ラヴェルト連合やボルガード新政府をはじめ、誰もこれには逆らうことができず、スラメオン(現在の[[リーエス連邦]]首都のエメル・スラメオン)で軍事パレードが行われた。
 また、帝都であることを強調するため、スラメオンは「&bold(){センペル・スラメオン}(Sempel-Slameon)」と改称された。

*関連項目
・[[大宇宙の歴史]]