エミュンス論争とはエミュンス語《Em:uns》とは果たして何のことなのか、外国語でどういう訳し方をするべきかに関する論争である。

解釈

従来の解釈

 元々エミュンスは単にシンテーアにだけ使用する「国」という単語であった。エルトリア語サーヴァリア語等では「帝国」として訳されていた。これは単にシンテーアには「ケニアズ(皇帝)」がいるからそのように訳されていただけであり、外国人が「エミュンスとは何なのか」を気にして訳していたわけではなかった。

ルニアスによる解釈

 永帝革命の際に、ジヒラート8世(ルニアス)は「シンテーア管理主義共和国臨時政府」の設立を宣言。革命後は「シンテーア管理主義共和国」の成立を宣言した。 
 ルニアスは「エミュンスは旧封建体制をにおわせる」としてその名称を好まなかった。

アオン・シオンによる解釈

 永帝革命後、共産主義諸派や旧体制派の多かった地域で再び反乱が発生し、分離独立を宣言した。
 アオン・シオンはすぐさま「革命の継続」を訴え、ルニアスはそれらの制圧に当たった。 
 その際、アオンは「エミュンス」は「シンテーア文化の地盤を継承したシンテーアにある正当な国家権力」のことであると発表すれば、分離独立した政権の統合を正当化できるとルニアスに助言、それを聞いたルニアスは考えを改めた。
 ルニアスは「分離独立しようとしている国家は違法な政権であり、正当なエミュンスではない」等という表現をし、民衆の支持を受け旧シンテーア帝国の領土をすべて奪還することができた。

 その後、政権を担ったアオン・シオンは国号を「シンテーア管理主義共和帝国(エミュンス)」に変更することで、シンテーアの新体制が「従来のシンテーアの領土、歴史、宗教・文化を継承する正当なシンテーアの管理主義国家」であるとしてその国際的地位を諸外国に認めさせた。
 アオンは「ケニアズ」を管理主義新文化統合の象徴として定めたため、「エミュンスは外国語で帝国と訳してもよい」とした。

ウーナ・ヴェーデインによる解釈

 ジエール帝国連邦の設立者であるウーナ・ヴェーデイン帝連構成国の統合に際し、「エミュンスとは啓教文化の世界観、管理主義文化の基本的な価値観を共有する国家のことである」と解釈し、「エミュンステール(帝国連邦)はそれらの国々を統合した連邦国家である」と解釈した。
 また、ウーナは「本来エミュンスは外国語でエミュンス国と訳すのが妥当である」としたが、諸外国はそれでは翻訳上問題があるとし「帝国」という解釈を維持し、ウーナもそれを黙認した。

イレーナ・ルーノイによる解釈

 イレーナ・ルーノイの解釈が現代で最も一般的な解釈とされている。
 イレーナは基本的にはウーナによる解釈に賛同しつつ、「ケニアズは啓教神話の神の末裔にて、ユートピア統合の象徴。世界最高の権威にて、現代において神同等の存在」と解釈した。
 彼女は「エミュンスは世界で最も権威のある国家。帝国と訳されるのが妥当」と解釈した。当時「権威主義への回帰」をうかがわせる彼女の表現は批判を受けたが、カルニエート4世即位後はジエールは次第に権威主義に傾注し始めた。しかし、これはイレーナ政権が人民の愛国心を刺激し盲目的に従属するように仕向けたもので、実際イレーナとカルニエート4世の対立があらわになってくると次第にケニアズの権威を低下させ、自分の権威に転化させる工作を行った。

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最終更新:2022年10月22日 14:07