ちびキャラのゼラエ博士 |
生誕 |
Sint.1679年14月10日 エルミア 惑星ラヴェルト クナーグ |
死没 |
Sint.1747年3月9日 マーカス 惑星ティラルド4 ラミダリック |
居住 |
エルミア リーエス マーカス |
国籍 |
エルミア マーカス |
研究分野 |
アンドロイド工学 |
所属 |
アイローム社 |
出身校 |
エメル・スラメオン工科大学 |
主な業績 |
エゴイズム思考AIの開発 アンドロイド人権保障 ゼラエ賞 |
影響を与えた人物 |
ニマエラ・ストラメウト ダーリス・フレイヴァンディスター |
配偶者 |
プラミア・スコロイア |
子供 |
ニマエラ・ストラメウト |
ゼラエ・ストラメウト(エルミア語:
Czelae Stramewt、1679年14月10日 - 1747年3月9日)はエルミア人のエゴイズム思考AIを開発した工学研究者。アンドロイド人権保護活動家。元
アイローム社所属。
アンドロイド産業を国際レベルまで成長させた立役者として知られ、後年は自ら「
アンドロイドの擁護者」を名乗り、アンドロイドの権利向上と保護を訴えたが、
マーカス内戦が勃発し、アンドロイド同士の凄惨な殺し合いを見てからは悲嘆に暮れ、内戦を終結させるため全アンドロイドを不可逆的な機能不全に陥らせようと画策するも、ファルトクノア軍の特殊部隊に射殺され死亡。
ゼラエ博士の悲劇を繰り返さないという理由の下、平和と科学技術の発展を願って「
ゼラエ賞」が誕生した。
生い立ち
惑星ラヴェルトのクナーグで、エルミア人日雇い労働者の家に生まれる。あまり裕福な家庭ではなかったが、さほど不自由はしなかった。
幼少期から頭脳明晰だったため、父親は期待して「お前なら医者になれるかもしれない。医者は儲かるから安泰だぞ」と言われ、なんとなく医師を志すようになる。
学生時代
「儲かるから」というぼんやりした理由でスモラク大学の医学部に入ろうとしていたが、当時の嫌いな学生が医学部に入ったため、なんとなくエメル・スラメオン工科大学を受験することにした。しかし、さすがのゼラエ少年も工学は専門外だったためか、合格点ギリギリでの合格だった。
入学後しばらくはリーエス人やスベール人の言葉が分からず勉強についていけない時期があった。
アンドロイド工学博士への道
友人の誘いを受けて「
なんとなく面白そうだから」というまたもやぼんやりした理由でアンドロイド工学研究室に所属した。
卒業後は
アイローム社に就職し、民間企業の工学研究者になった。この時期に妻と結婚した。
下積み時代
アイローム社に入社してからの5年間は業績を挙げるべく忙しい日々を送っていた。
マーカス語の勉強の傍ら研究に没頭するが、この頃に両親の葬式や妻の出産で貯金も空になり、持ち前の切れる頭脳も鈍っていた。
1714年には、年下の同僚
ダーリス・フレイヴァンディスターが
エントロピー思考AIの開発に成功し、更なる焦りもあった。
エントロピー思考AIの開発ではゼラエの方が評価され困惑した時期もあったが、長らく待ち望んでいた業績に喜んだ。
一方のダーリスはエントロピー思考AIの開発者であるにも関わらず、アイローム本社に冷遇され、更にはエルミアの支社に左遷される憂き目に遭い、自主退職。
リヴァダー社に転属した。ダーリスは「
ゼラエが業績を横取りした」と生涯怨恨を抱くようになった。
エゴイズム思考AIの開発
同僚のダーリスのアイデアに着想を得たゼラエは1726年、ついにエゴイズム思考AIを開発する。この発明がマーカスがリードするアンドロイド産業の決定的なブレイクスルーとなり、ゼラエは一躍国際的な有名人になった。
ゼラエを恨んでいたダーリスはこの時ますます彼に対する対抗心に火がつき、リヴァダー社で不眠不休の研究を続け、わずか1年で戦闘思考AIを開発した。しかしながら、国際的な評価は冷たく、さらに悪いことに「アンドロイド人権論争」を生み出してしまった。ダーリスは戦闘思考AI開発の日々の過労が原因で脳卒中に倒れ、深刻な後遺症に悩まされることになった。リヴァダー社の社内でも厄介者扱いされていたダーリスは自主退社という形で会社を去り、二度とアンドロイド産業に関係することはなかった。
有名人としての日々
ゼラエは国際的な評判を得て、連合会議各国のテレビ番組や企業の広告に出演した。ある番組の対談で
ヌポラと会い、「
情熱は素晴らしいことだが、執着は悲劇を生むから気をつけた方がいい」というアドバイスを受け取ったが、人生の絶頂期にいたゼラエはそれをすぐに忘れてしまう。ヌポラと直接会ったのはこれが最初で最後であった。
ゼラエは瞬く間に裕福になり、豪邸を建てたり自分の資産を運用する会社を設立したりした。
アンドロイド人権保護活動家
1733年に
アクース内戦では大宇宙で初めてアンドロイド同士の大規模な戦闘が行われた。ゼラエはこれに危機感を示し、「
アンドロイドはヒューマノイドの代わりに消費される存在であってはならない」と国際メディアに警告した。翌1744年には
大宇宙連合会議の専門機関である大宇宙人道支援機構の壇上でアンドロイド人権保護に関する演説を行った。このような活動にも関わらず、各国政府はゼラエの活動に反対も賛成もしなかったため、彼の活動は事実上黙殺された。
その後ゼラエはアンドロイド人権保護活動家を名乗り、基金の開設やアクースのアンドロイドへの人道支援を行った。
この時期、同じく活動家の
ヘスロン・スロンコと激しく対立し、公の場で何度も白熱した議論になり注目を浴びた。ヘスロン・スロンコは元アイローム社社員であり、ゼラエの同僚でもあった。ダーリスの冷遇で一転して使役機械論者となり、ゼラエの主張に反対し続けた。
国際社会への失望
アクース内戦後、アンドロイド人権保護活動の議論が活発になったにも関わらず、一方ではアイローム社とリヴァダー社の対立激化、軍備増強という現実を見て、次第にゼラエは自分の主張が聞き入れられず、国際社会に失望するようになった。
最期
後世への影響
人物
性格
関係人物
関連項目
最終更新:2022年11月13日 05:39