栄光の代価とは1679年にジエール帝国連邦で発生した食糧危機である。


栄光の代価

経緯

 ケルスト主席から続けられていた、技術最高主義政策により、ジエールの食糧自給率は年々減少していた。産業への投資が過激化し、農地の破棄が続き、食料はほとんど輸入に頼るようになってしまったのである。
 「安い食料は高価な産業品で稼いだ金で買えばいい」という考えで続けられてきた技術最高主義にはじめて待ったをかけたのがドローティア主席であった。しかしその頃の対策ではすでに間に合わず、ダーフケオス危機の発生によりジエール国内で飢饉が発生してしまう。

ダーフケオス危機

 ダーフケオス危機の発生により、レーウス経済戦争が勃発。ジエールはサーヴァリア王国連邦に対し、引き続き食糧の輸出を訴えたが、すでに食料はヴァルエルク共和国に輸出されきっており、ジエールに回されることはなかった。これにより、ジエール国内では食糧危機が発生、国内の食料がシンテーア人に優先して支給されたために、他の帝連構成国で餓死者が発生した。
 プロアイス主席はこの食糧危機を「栄光の代価」と名付け政治宣伝を行った。ガニュー経済体制協力機構天嶺皇国からの食糧支援により国内の食糧事情を回復したプロアイス主席は支持率を急激にバフし、この事態をもたらしたサーヴァリアやヴァルエルクとの対立をさらに深める政策を取り始め、ジエール・サーヴァリア戦争の勃発を避けられなくした。

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最終更新:2020年04月07日 17:09