ギャッコー・セーヴェル・ズゲナエ・イェン・ディオン
G:axkoo Seevel Zgenae Y:en Dion
ギャッコーおじさん
生没年 シンテーア暦1462年1531年
出身地 ジクラール共和国、バラクザン
称号 ハイスペック管理主義ジジイ・ハッキングおじいちゃん
配偶者 アスラン・ジェーヴァ(離婚)
状態異常 なし
信念 管理構成 自由創設

ギャッコー・セーヴェル・ズゲナエ・イェン・ディオン(エミュンス語G:axkoo Seevel Zgenae Y:en Dion)はジクラール共和国のエンジニア、経済学者でありシンテーア帝国のエンジニア、ハッカー、経済学者、革命家

経歴

生い立ち

 レーウス星のジクラール共和国にて誕生。ジクラール共和国はギャッコーが22歳の時にジクラール革命を起こし、若かったギャッコーは革命の夢に燃えた。しかし、その後数年を経てジクラールは1611年まで続く独裁体制に変貌を遂げ、夢の社会主義は汚職であふれかえるようになっていった。
 ギャッコーは統制経済をより良いものにするため、エンジニアを目指した。エンジニアになるという夢をかなえた彼はエンジニアとして活躍するだけでなく、経済学に対しても興味を持ち出す。しかし、社会主義体制の独裁化が進むにつれ、経済学に関する情報は規制の対象となり次第には閲覧が困難になって行った。1500年代にはレーウス星でインターネットが盛んになるも、ジクラールはこれを完全に規制。ギャッコーは知的好奇心に勝てず、これを回避し外国のインターネットに接続していた。また、独自にシンテーア産のタバコを密輸していた。

経済管理システムの開発

 ギャッコーは商業施設において、自動的に商品の売れ行きを統計して需要と供給を管理するシステムを開発し、発表した。しかしジクラール政府はこれを評価するどころか彼を資本主義者としてレッテルを張り、拘束しようとした。政府の情報をハッキングしていた彼は、これを察知し、サーヴァリア王国連邦へ逃亡した。

サーヴァリアからシンテーアへ

 サーヴァリアへ開発したシステムを持ち出した彼は、サーヴァリアですでに彼のシステムが実用化されているのを知り驚く。また、彼がジクラール政府の規制を回避して覗いていた外国の発展を凌駕する発展がそこにはあった。彼は当時資本主義の最盛期を迎えていたサーヴァリアを目の当たりにし、感動する。しかし、社会主義国家生まれの彼は、サーヴァリア人の寝る暇を惜しんで働くような姿勢は理解できなかった。彼から見たサーヴァリア人はまるで働くために生まれてきたような存在だった。
 彼はサーヴァリアにおいて心置きなく経済学の研究に没頭しつつ、資本主義を批判した。そして、その集大成としてスーパーコンピュータによって人間を統治する新しい社会主義体制、管理主義という新しいイデオロギーを開発。人間が働かなくてよい時代が来るとして提唱した。サーヴァリア拝金主義者の陰謀か彼の主張はサーヴァリアでは全く受け入れられなかった。彼の思想は怠惰だと批判され、管理主義の甘い幻想はサーヴァリア人を堕落させるとしてマスコミからも総叩きにされたのである。
 行く先を失ったを救ったのは、シンテーアの秘密組織管理主義研究会の構成員から届いたメールである。なんと、彼が開発した管理主義は大陸を渡り、有志を集いシンテーアで秘密組織を作り上げるほどになっていたのだ。ギャッコーは管理主義研究会の天才ハッカーと呼ばれた兄妹ユーリスネア兄妹の協力のもと、サーヴァリアの偽造パスポートと偽造データを完成させ、一般サーヴァリア人としてシンテーアに入国した。

同志との出会い

 シンテーアに訪れた彼は、秘密組織管理主義研究会を訪れて驚愕とする。それを取りまとめるリーダー格の一人に時のシンテーア皇帝ルニアス・ジヴェジルスがいたからである。彼ははじめ、社会主義思想を最も嫌がるべき、貴族側の人間がいることに驚いた。しかし、ルニアスの管理主義に対する熱意を感じ取ると、ギャッコーは喜んで自身の開発した管理主義思想を彼らに教え込んだ。
 ギャッコーが他に目を付けたのがアオン・シオン・ヴェードであり、彼の現実志向でより具体的な姿勢にも感銘を受けた。また、シンテーアには過去、皇帝による上からの改革が市民に受け入れられてきた歴史があり、それを再現しようとするアオンの戦略にギャッコーも天命を感じた。
 ルニアスやアオンらとの関係はやがて師弟の関係を超え、同志、友人といえるほどの関係まで発展した。初めはサーヴァリア語で会話をしていた彼等であったが、ギャッコーはすさまじい速さでシンテーア語(エミュンス語のもととなった言語)を吸収し、1年半で基本的なコミュニケーションが取れるようにまでなった。管理主義研究会の酒好きの連中に友人のように振舞われたギャッコーはまるで若返ったかのように、革命の熱意に燃え、彼も研究会の構成員を人生の友人として受け入れ、絆を育んだ。その甲斐もあり、研究会の構成員に管理主義を説く傍ら、彼は若者たちの考え方や技術を先入観なしに積極的に取り入れた。特筆すべきはユーリスネア兄妹に教えてもらったハッキング技術を恐ろしい速さで吸収し発展させた事である。これには教えたユーリスネア兄妹も「こんなすげぇじいさんは初めて見た」と驚いた。

永帝革命

 ついに世界初の管理主義革命となる永帝革命が発生すると、ギャッコーは自らサイバー部隊の司令官を務めた。拝金主義貴族の機密情報を明るみにだし、革命の正当性のアピールにつなげるなど工作活動にも専念した。しかし、革命の道半ば、管理主義の実現に夢中になりすぎた彼は自身の肺がんに気付けず、気付いたころにはすでに手を遅れの状態であった。彼は革命終結の一年前である1530年に道半ばで死去した。彼の死後すぐに共和国の異変を察した帝国政府は反抗作戦V3作戦を開始。しかし彼の最後の言葉「革命の完成を遠くから見守っている」は多くの同志を奮い立たせ、それを撃退しついには永帝革命を完成させるに至った。


名言

「管理主義経済では通貨に消費期限が設けられる」―管理主義について
「労働が強制でなくなったとき、労働は趣味となり楽しみとなりうる」―管理主義について
「管理主義は「修正主義」だ、修正に修正を重ねて、より素晴らしく進化する」―管理主義について
「お、おま、あなたは、シンテーア皇帝ではないのか」―ルニアスと初めて対面したギャッコー
「ふん、ザコが。この程度のセキリュティしか築けんのか!」―ハッカーとして覚醒したギャッコー
「カタカタカタ…ターンッッ!!」―拝金主義者のデスクトップ画像を自分の肖像画に変更させるウィルスを送信するギャッコー

関連項目

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最終更新:2020年04月04日 15:07
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