管理主義研究会とは、シンテーア暦1500年代にシンテーア帝国管理主義革命を目的とした秘密組織。


経歴

誕生

 当初管理主義研究会はシンテーアの外国語の名門大学であるシンクトレア国際語言大学にて誕生した非公式サークルであった。当時サーヴァリア共和国においてギャッコー・セーヴェル・ディオン博士が提唱した管理主義思想はサーヴァリアにおいて怠惰である、自由主義の敵などと受け入れられなかったものの、シンテーアにおいては一定の盛り上がりを見せた。
 シンクトレア国際語言大学の学友であったルニアス・ジヴェジルスゼッツェ・サンヴァー・レイジェアオン・シオン・ヴェードらは酒を飲みながら政治の話をするのが趣味でった。彼らはギャッコー博士の管理主義思想に興味を持ち、やがてシンテーアにおいても管理主義思想が危険思想認定され、マスコミなどからも批判を受け始めると、これを拝金貴族の陰謀と断定。有志(飲み仲間)を集い、管理主義研究会を発足した。

活動の活発化

 シンテーアの資本はどんどん拝金貴族の手元に集まり、また生産が自動化されてくると、多くに人々がベーシックインカムやさらなる社会保障を求めてデモ活動を展開した。その中で、管理主義思想は政府の情報検閲の対象となり、次第にインターネット上から消えていった。アオン・シオンの個人的な友人で、コンピュータウィルスを作成したり、政府のコンピュータをハッキングなどをしていたユーリスネア兄妹が管理主義研究会へ入会すると、研究会はさらに具体的な行動を起こすようになる。
 しまいには、管理主義の開発者であり、サーヴァリアで迫害を受けていたギャッコー博士の密入国を図り、実際に実現してしまう。実際にギャッコー博士の指導を受け、さらなる思想的パワーを手に入れた研究会は革命の誘発工作へと乗り出す。

アオンの統率

 管理主義研究会はアオン・シオンにより統率されていた。アオンはメンバーの意見をうまくまとめ、また批判的意見も排斥することなく理性的に物事を取り決めることができた。アオンははじめに「管理主義」という言葉を表立ってアピールせずに反政府運動を誘発させるように指示。例えば、国栄党の一党独裁批判や所得の格差が広がっていることを批判するビラまきを行わせた。さらに、反政府的なラジオ放送を開始するなど、国民の政府に対する不満が膨張するように誘導した。
 第一段階がある程度成果を上げたことを確認すると、アオンは管理主義という言葉とその思想を広めるための工作に着手する。この頃すでに管理主義研究会はあらゆる大学機関に波及しており、学閥が出来上がりつつあったが、アオンの抜きんでた統率力によりまとまった組織活動を行うことができた。
 さらに、アオンはシンテーア民主主義革命を行った皇帝ジヒラート6世を彷彿させつつ、シンテーアの歴史にとって伝統的な皇帝による革命を所望した。これにより、アオンは皇帝ルニアスが自身の手中にあることを最大限に活かそうとした。民衆の中で皇帝による革命の機運が高まれば、国栄党の傀儡にされていた皇帝ルニアスが立ち上がり組織を率いていることを適切なタイミングで明かすことにより、革命の機運を一気に高めることができると計算したのである。

地下組織化

 アオンやルニアスらが卒業した後、研究会はシンクトレアレギトレインスネルクに地下アジトを開設。そこから全国の管理主義研究会に指令を下した。このころになると、組織によるハッキング行為などの犯罪行為は普遍化し始め、政府によるあぶり出しも始まっていた。
 また、皇帝による革命を望む声が大きくなり、さらに皇帝ルニアスが大学卒業後も首都レイオネンデンクトに帰ろうとしない姿勢を政府に示すと、皇帝ルニアスを暗殺しようとする国栄党が画策し始める。陰謀がハッキング行為により明らかになると、ルニアスの精神状態は大きなダメージを受けた。組織は国栄党がルニアスの妹であるアルニエアが新たな皇帝として即位させる計画があると入手すると、時は今と決起を促した。

革命の発生

 サンヴァーの父であり、陸軍将軍であるゲイス・シレガー・レイジェの協力もこぎ着けると、シンクトレアレギトレインスネルクにて反政府的軍人を率いて偽の軍事パレードを行うことを計画。ゲイスは国栄党にシンクトレアにて軍事パレードを行うことで、国栄党の力を見せつけ、反政府勢力を威嚇するべきと具申。その計画が実現するや否や、革命軍として蜂起。管理主義研究会はシンテーア管理主義共和国政府を名乗り、シンテーア帝国政府に宣戦布告した。

関連項目

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最終更新:2018年12月01日 10:25