ジエール帝国連邦の複婚制は、ジエールにおいての婚約制度であり、新複婚制とも呼ばれる。ジエールを統括するシンテーア帝国の新たな思想を基にした制度である。
 この考え方は現代シンテーア人において普遍的なものであるが、一部帝連構成国では定着しておらず、制度上は認められていても、実際の婚約では単婚制がとられていることがある。


制度

シンテーアの婚約制度の前提

 まず、ジエールの婚約制度はその盟主たるシンテーアの思想が元になっているが、それをはじめに論じなければならない。シンテーア人の啓教的な思想では、祖神は性別が分かれていたが、神の国ジエール(神話上)を耕し、魂が昇華したため、その子の神は両性具有になったとされている。しかし、神の世代が変わっていくうちに、神々のの魂は昇華していき、神の領域へと行ってしまったため、神の体には現代の人間のレベルの魂が入るようになったとされる。そして神の体は人間の魂のレベルに適応するために劣化し、性別が分かれてしまったとされている。
 つまり、もともとシンテーア人には性という概念がなかったのである。そのため、シンテーアは古代より男女を分けない文化が発達してきた。科学的な研究によると、他の人種に比べ遺伝子的にシンテーア人は男性が肉体的に弱く、女性が肉体的に強かったからとされている。
 このような文化的背景もあり、シンテーアではバイセクシャルが異様に多い。それがシンテーアにおける婚姻形態の大きな背景となってきたのである。シンテーアにおいては「夫」や「妻」に当たる言葉はなく、それらはまとめて「伴侶」と呼ばれる。

シンテーアの古来の婚約制度

 シンテーアは啓教的思想により、偉大なる魂には周辺的な魂を引き付ける力があると信じられていた(魂の集合体論)。そのため、皇帝や貴族は多くの伴侶を持つことができた。しかし、この伴侶はあくまでの上級階級の所有物であり、平等な存在ではなかった。
 そのため、古来のシンテーアでは元々複婚制であった。平民階級では、単婚にするか複婚にするかは自由であったが、貴族の複婚とは異なり、お互いの立場を平等に見なしていた。この風習は貴族の魂の集合体論に異議を唱え、民衆の魂の集合体論を形成した。
 歴史学者たちは、シンテーア人はバイセクシャルが多く、単婚制では出産率が低くなることから、自然に複婚制が発達したのではないかと考えられている。


シンテーア近代の民主主義革命後

 シンテーアにてエルトリア王国で発生したヴァルエルク革命から始まる民主主義的目覚が起こると、シンテーアでは民主主義の機運が高まった。ジヒラート6世が国民と結託し、貴族の反発を市民と共に鎮圧したシンテーア民主主義革命後は、平等の価値観にのっとり単婚制がとられた。

国栄党政権

 強大な支持力を持ったジヒラート6世が死去した後、自らの影響力を高めようと画策した旧貴族と資本主義社会の下台頭した新貴族たち(合わせて現代では拝金貴族と呼ばれる)が実権を握ると、国栄党一党独裁体制がスタート。時を経るごとに汚職などが蔓延し、腐敗していったのだ。国栄党は「強いシンテーア」政策をとり、当時子供をつくることのできなかった同性愛者たちを弾圧し始めた。
 文化的背景に逆行し、抑圧的な政策を押し付けた国栄党であるが、当時の市民はそれに従うしかなかった。

永帝革命後

 シンテーアにて管理主義革命が発生すると、管理主義共和国は「争わない社会がやってくる」と宣伝した。
 現代の「嫉妬からの解放」の考え方は古来の複婚制を復活させ、啓教の魂の集合体論の裏付けのもと宗教的にも正当化された。永帝革命後の複婚は、一人の人間とその配偶者といった不平等な関係ではなく、一人一人が一人一人を愛するという平等な関係である。これは現代においてもシンテーア人のほとんどがバイセクシャルであるから可能なことだった。逆にこれが実現できない単性愛者は反対し、弾圧を受けた。

現代ジエールにおいて

 現代の管理主義ジエールにおいてはすでに「貯金の禁止、貯金申請制、通貨の使用期限制度」など反拝金主義的な法律が定められている。そのため、財産を合算して大きな買い物ができる大家族が経済上有利であるため、大家族を組む家庭が多かった。しかし、その後規制され一家庭6人までに制限。
 1742年に婚姻制度自体が廃止されて以降、同居は「シェアハウス+家族/2」状態になり、好きな人が好きな人と同居し集団生活を送ることが可能になった。

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最終更新:2022年02月15日 21:18