本項では、大宇宙で利用される言語で使われることわざに関して解説する。
人間関係
人生・社会
生活・暮らし
学問・才能・能力
「ヴァイフィストも弓を誤る」
Vaifist at nix gustu.(リパライン語)
ヴァイフィスト(vaifist)は、古代ファイクレオネにおけるラネーメ王朝で武士として王朝藩国の防衛についていたヴェフィス人のことを指す。ヴァイフィストの主な武器は弓であったために、争いに長けたヴァイフィストであれ弓を撃ち間違えるという意味で言われる。
評価・評判
性格・気質
「フェヴィアになる」
E is fevi'a.(リパライン語)
フェヴィア(fevi'a)はリパライン語の叙事詩であるスキュリオーティエ叙事詩の主人公ユフィア・ド・スキュリオーティエ・ユリアの弟であるフェヴィア・ド・スキュリオーティエ・フェリーヴィを指す。ユフィアからは優れて信頼できる兄弟であると評価されていた(Skyl.4:15 5)。彼の父母兄姉が死んだ後で当主になることを怖れて拒んだユフィアの地位を自信過剰で譲り受けた(Skyl.4:17 1-2)。策を立てて鼻高々とサフィアと対決するものの考えが相手に知られてしまい、まとめて殺されてしまう(Skyl.4:20)。
ここから、自信過剰であることをこのように言うようになった。
行動・動作
「ムラスファを投げて攻撃する」
zlext sig gout re Mlasfa.(エミュンス語)
ムラスファはエルトリア産のカステラ菓子のようなものであり、それを投げて攻撃したところで全くダメージを与えられないどころか、口に入ればおいしいのである。
このことから、ムラスファを投げて攻撃するというのは「儚い抵抗、意味のない抵抗」という意味で使用される。
「ムラスファの角に頭を打って死ぬ」
laaf ou teras rie Mlasfun cuaa.(エミュンス語)
ムラスファは例によってエルトリアさんのカステラ菓子のようなものであるが、それに頭を打っても死ぬことはありえない。
このことから、ムラスファの角に頭を打って死ぬというのは「不可能なこと・無用な心配」という意味で使用される。
「ロートラに富」
moinea rie Rootla(エミュンス語)
死の神ロートラは
景教神話に登場する神で、触れるものを死に追いやる神である。死の神ロートラには欲がなく、巨万の富であってもその機嫌をとることはできない。彼女に睨まれた者の死は決定的であり、回避することはできない。
ロートラに富とは日本語で言う「猫に小判」と「時すでに遅し」を合わせてような意味として使用される。
感情・心理
「燭台が準備されるのを見て、ニスティッラダウを想う」
Infarna veles farnen mal tisod nistilladau.(リパライン語)
ニスティッラダウ(Nistilladau)とはヤマモモに似た低木であるラダウィウム(Ladawi'um)の実を塩とはちみつに漬けて、冷やすことで出来るデザート。ラダウィウムは果実を低温で煮ることでワックス成分が浮いて、ラダヴォイムと呼ばれる蝋を得ることが出来る。昔は蝋燭に蜜蝋とこのラダヴォイムが多く使われていたために、蝋燭が用意されるのを見て、副産物として作られるニスティッラダウも出てくるであろうと期待する。だが、ラダヴォイムは外から買ってきたものかもしれないのであり、必ずしもデザートが出されるとは限らない。
こういうところから、物事の一面だけを見て単純に浅い考えをするということを指す。
状態・程度
言語
最終更新:2022年03月30日 01:45