dalong-treprran-sha-satu^ch-famui
生年月日 |
- |
出生地 |
チャグマ=ダプラ アーフェン地方 アーフェン |
没年月日 |
- |
死没地 |
ジャフーグ クラフナン地方 ファウ |
所属政党 |
ナイユシ=ハウム党 |
次代 |
タルノー |
前代 |
パナジェン |
出身校 |
大シャプチ大学サグナシャーグ分校 |
前職 |
ナイユシ=ハウム党創設者 ナイユシ=ハウム党初代党首 |
称号 |
星衛主席、評議会議員、 国際社会ハウム化の開祖 |
配偶者 |
未定 |
親族 |
未定 |
サイン |
- |
ダロン=トレプガン=シャ=サトゥーチ=ファムイ(
檀語:
dalong-treprran-sha-satu^ch-famui)はガールン暦3373-3378年(シンテーア暦1620-1622年)の間在任していた第34代星衛主席。国際派政党ナイユシ=ハウム党の創設者。
生涯
生い立ち
名門貴族トレプガン家に生まれる。トレプガン家は古くはダン=ラ=ハン帝国の有力貴族(大貴族)の一つで、遠い血縁関係にはシャプチ革命により
ニーネン=シャプチを建国した
マグラン=ガランがいる。
当時のニーネン=シャプチの貴族階級は古いダン=ラ=ハン帝国の慣習や伝統が残っており、堅苦しい社交界の中で育ったファムイは物心つく時から引っ込み思案な子であったという。父の勧めもあり、マグラン=ガランの母校大シャプチ大学に入学するよう幼少期から猛勉強をさせられ、腱鞘炎になったこともあった。そのため、元々左利きだったファムイは右でも文字を書くようになり、結果として両利きになったと自身が公言している。
学生時代
若くしてシャプチ教過激派のグループに属し、破壊活動やデモ活動などで招民院警察に逮捕されるなど、過激な活動を行っていた。いわゆる元ヤンだったのである。
社会人時代
ファムイは過去の過ちを反省してシャプチ正教の正しい教えを学び、穏健な人物となった。その後、国教院の試験に合格し、国教院職員として同じくシャプチ教過激派の青年たちの指導にあたっていた。
1580年頃、星系外生命体の存在が確実になりつつあるという発表がなされ、ニーネン=シャプチ国内では社会現象となった。その頃のファムイは少数宗教保護のために少数民族の青年に宗教多様性の講義をして各地を旅していた。この旅で知り合った人々と意気投合し、政界に行くことを決意する。
政治家時代
ファムイは数人のメンバーと共に「ナイユシ=ハウム党」を立ち上げ、国際的融和と国内の多様性涵養を掲げて星衛評議会選挙に立候補する。およそ15年ほどは鳴かず飛ばずの実績で、各星議会で1議席取れればお祝いをする慎ましやかな政党だったが、星系外生命体の存在や活動の痕跡が明らかになるにつれて、ナイユス=ハウム党の人気はじわじわと増え始め、ついに1620年には老齢にして念願の星衛主席に就任した。
しかし、そこからわずか2年後の1622年、ファムイはファウ市内の搬送先の病院で心筋梗塞のため死去。ファムイは生前にナイユス=ハウム党の若きリーダー
クヌージェ=イレ=タルノーに党の運営や管理を任せていたため、体制が大きく崩れることはなく、換任にも似た形でタルノーに席を譲ることとなる。
人物
性格は温厚で滅多に怒らないタイプ。部下の間では「怒らせると非常に怖い」と言われているが、ファムイがマジギレしているところを見たことがある人はいない。ファムイの過去が元ヤンだったこともあり彼自身は穏やかな振る舞いでありながらもどこか恐れられている部分があった。
主席としてはカリスマ性があるタイプというよりも縁の下の力持ちタイプであり、意見の取りまとめが非常に優れていた。官僚タイプの人間であり、キッチリしている部分はあったが役人っぽさがあった。
星間国家間の国際政治を専門だがファムイ自身は「組織の調整以外はあまりよくわからない」と評し、他の参事官から専門知識を教わるなど真面目な姿勢が評価された。
生肉が苦手。
関連項目
関連記事
最終更新:2022年10月05日 10:48