ラトゥシダーチ=ナチェウ=テ=オルサウ
latushda^ch-nacheu-te-orsau
生年月日 -
出生地 アハンガーク
没年月日 -
死没地 シ=ギーラム
ニクティム
所属政党 愛国党
次代 スナ=トゥイレフ
先代 ヤーヒ
出身校 大シャプチ大学アハンガーク分校
前職 星衛評議会議員、アハンガーク星議会議員
称号 星衛主席、評議会議員、
第4代愛国党当主
配偶者 未定
親族 未定
サイン -

 ラトゥシダーチ=ナチェウ=テ=オルサウ(檀語:latushda^ch-nacheu-te-orsau)は第50代星衛主席。1729年から1743年の間、星衛主席を2期にわたって務めた。アクース内戦の勃発を受けて、義勇軍「アランダイ軍団」の派兵を決定した人物。愛国党の重鎮であり、反ヴァルエルク路線の急進派の筆頭として各国には知られている。


生涯

生い立ち

 アハンガークにて無宗教のギール人研究者夫婦の家庭に生まれる。少年時代に交通宇宙船事故に遭い、臨死体験で「神様」と出会ったという経験からカーリチ教を信奉するようになった。
 地球年齢15歳頃にシャプチ正教に改宗した。事故の時に重傷を負ったオルサウを救急ドローンの下まで運んだ老人の娘と知り合い、その娘がシャプチ正教徒だったためだった。その後オルサウとその娘は恋仲になったが、1ガールン年ほど続いた後失恋した。

軍人時代

 その後オルサウは卒業後、「失恋でクヨクヨしているのは心と体が弱いからだ」と結論づけ、自ら志願兵となるために志願兵学校に入学し、星系軍のシェドゥーチャ乗組員になった。その時のシェドゥーチャ艦長が当時としては珍しい熱心な愛国主義者だった。人情にも厚い人物として知られており、オルサウはすぐにその艦長を尊敬するようになった。彼女に影響されたオルサウは5年後、兵役時代に知り合った友人らと共に政界軍人を退役し愛国党の党員となった。

政治の道へ

 党員になってからは、タイユ=ウェグナ情報局の秘密諜報員との関わりを持つようになり、ヴァルエルクの国内事情を知ると反ヴァルエルク路線を主張するようになった。オルサウは党内機関紙「スティ=ジャイチ」に自身の言説を寄稿し、「ダーケフオス危機にジエールを非常に深刻な混乱に陥れたヴァルエルクは、レーウス世界の均衡を乱す再来者である」、「我々がガニュー経済体制協力機構を設立したことはヴァルエルクに対する牽制であり、レーウス世界の帝国主義に一石を投じた点において素晴らしい活躍をした」、「ヴァルエルクは先に述べたダーケフオス危機、ジエール・サーヴァリア戦争サーヴァリア革命における行動を通じて、富と権力における暴力的な支配を目論んでおり、さらには国際社会を扇動してギゼヴトラ・ZHL条約で我がエフューラフトを足かせで縛り付けておきながら、スモラク宙軍軍縮条約の規約を違反した。彼らは我々のみならず、我々の友邦さえもその毒牙にかけようとしている」と主張し、「富と権力の集中によって、エルミア帝国的肥大化を達成させる前に、我々の手で彼らに天罰を与えなくてはならない」とした。
 1712年のグロスクロイツZHL兵器製造発覚事件後、ヴァルエルクはニーネン=シャプチの友好国(当時は「保護国」とする専門家もいる)ロフィルナ連邦共同体に対して情報公開を要求。しかし、当然ロフィルナ政府はこれを拒絶する。ヴァルエルクとロフィルナの対立が深刻化し、ついにヴァルエルク政府は大宇宙連合会議安全保障理事会の招集を要請した。この一件でニーネン=シャプチ国内世論は一気に反ヴァルエルクの方向へと向かった。この時期、オルサウは支持者獲得のために昼夜を惜しまず演説や報道機関への寄稿、出演、本の執筆、事務作業などに追われた。毎日4時間程度しか睡眠を取らなかったため、晩年には糖尿病になり、膵臓を人造膵臓に入れ替える手術を行うこととなった。
 しかし、その成果として着々と支持率を伸ばしていき、オルサウの健闘の甲斐あって愛国党は第一支持政党となった。その功績を認められて1715年に党内選挙で愛国党党首に選ばれた。愛国党では党内選挙で現職の星衛主席を党首に選ばないという規則があったため、当時の星衛主席であるヤーヒは出馬できなかったこともオルサウが党首になれた理由の一つである。

星衛主席時代


人物

 個人的にはヴァルエルクをあまり嫌っている人物ではなく、むしろ、ある種の国威発揚のための道具だと考えている部分があった。実際に記者の質問に対して、「ヴァルエルクは単なる仮想敵国であり、それ以上でもそれ以下でもない。重要なことは、我が国のがヴァルエルクに仮に侵攻された時、どこまで抵抗できるかというところにある」と答えた。

評価

関連項目