概要

本項では、アクース内戦に各国政府が参戦する経緯、または中立、支援に至るまでの背景の記録を纏める。

経緯

レーウス諸国間の平和条約締結後

 ジエール・サーヴァリア戦争で膨大な犠牲者を出したことへの反省から世界的に人命重視の機運が高まる。

 ヴァルエルク大統領は、記者会見の場でロフィルナが『リーファイ平和友好条約に調印していない』ことを強調。同国が参戦の事実を否定し続けていることに懸念を表明した上で、『事実上の戦争状態が続いている』との認識を示した。これにロフィルナ政府は猛反発する。『彼の言っていることは白を黒に塗り替えるも等しい妄言であり、考慮に値しない』と切り捨てた。しかし、ジサ戦争当時に連合軍に拘束され、ヴァルエルクに移送されたロフィルナ軍の元海兵が事実であることを指摘する。ネッツェレール常任最高議長は、『ヴァルエルクの卑怯者に脅されたために、そのように話しているのだろう』と反論。早期の解放に向けて努力する意向を強調した。

元海兵『帰国したら絶対殺されるだろ。分かってるんだよもう諦めてるよ』

【シンテーア暦1707年】
 1707年グロスクロイツ社会主義共和国でZHL兵器の製造が発覚。
ダクラーシュ民族評議会第一議長がZHL兵器製造についてグロスクロイツ政府を非難。

 当時、鎖国を貫いていたロフィルナに対する疑惑も浮上し、ヴァルエルク政府が情報公開を要求する。しかし、ロフィルナ政府はこれを頑なに拒絶。自国の存立を揺るがす如何なる策動に対しても屈しない姿勢を強調した。また、ジサ戦争における同国の特殊作戦部隊の関与を一貫して否定し続けてきた経緯から、対抗姿勢を強めていく流れに。これを受けて、ヴァルエルク政府は大宇宙連合会議・安全保障理事会の召集を要請。対ロフィルナ包囲網の構築を呼びかけた。(ロフィルナに対して如何なる利益も提供しない。させない。許さない)

 サーヴァリア王国連邦(当時)を含む多くの国がヴァルエルクに同調したが、ガニュー経済体制の枠組みでロフィルナとの関係を深めているニーネン、ジエール、アクースの三ヶ国は慎重な対応に終始し、ヴァルエルクの不信感を加速させた。事態の拡大を重く見たニーネン政府は、ロフィルナ政府に対して段階的なZHL戦力の縮小を提案。交渉の席に着くよう求めた。

【シンテーア暦1708年】
 ロフィルナ政府は、自国が有する現行のZHL級兵器を段階的に削減する用意があることを表明。ヴァルエルクで拘束(保護)されている元海兵の帰国(身柄引渡し)と相互不可侵の確約を絶対条件として国際社会に譲歩を求めた。一方のヴァルエルク政府は如何なるZHL兵器の保有も許さない姿勢を強調し、交渉は難航の一途を辿る。サーヴァリア政府が非難声明。『エルナーゲリテーンにおけるロフィルナ軍の戦争犯罪を忘れるな』。ロフィルナ政府は、改めてジサ戦争における特殊作戦部隊の関与を否定。エルナーゲリテーンに派遣した人道支援部隊の被害を強調し、ヴァルエルク・サーヴァリア両国の怒りを買った。

サーヴァリア帰還兵『人道支援部隊じゃねーんだよなぁ。完全武装した軍隊だよ。あれは』
ヴァルエルク帰還兵『奴ら、ジエール軍を装うだけならまだしも、民間人に紛れ込んで活動してたからな』

 一連の報道に危機感を募らせた帝連主席は、問題の棚上げを提案。
『ロフィルナが保有するZHL兵器の廃棄に的を絞るべきだ』と述べた。

ギゼヴトラ・ZHL条約、サーヴァリア革命、スモラク宙軍軍縮条約

【シンテーア暦1710年】
 ギセヴトラ・ZHL条約(通称G・ZHL条約)が発効する。一方、ロフィルナ政府は問題の未解決を理由に同条約への批准を拒む。直後に自国領域内で反物質戦略兵器(T-03RKSB1.戦略宙間重力ワープミサイル。通称、バラノッド1)の発射実験を断行した。ヴァルエルク政府が『世界平和に背く重大な挑発行為である』と非難。対するロフィルナ政府は、『挑発などしてない。国を守りたいだけだ』と反発した。激昂したヴァルエルクの市民が抗議運動を展開し、大規模な暴動へと発展する。

 ニーネン政府がロフィルナに遺憾の意を表明。引き続き自制を求めていく方針を強調した。一方、ヴァルエルクの専門家は当該の新兵器について『十分に対処できる』と酷評。『数の力で押し切ることを前提とした3級品であり、恐れるに値しない』。『いわば国内向けの政治宣伝に過ぎず、体制維持の観点からあのような愚行に及んだのだろう』と指摘した。この報道にロフィルナの高官は強烈な不快感を表明。『一発当たれば十分だ』と吐き捨てた。

 同年。第一次サーヴァリア革命が勃発。国内情勢の対応に追われたサーヴァリア政府は、帝連主席の提案(問題の棚上げ)を事実上黙認する姿勢に転じた。一方のヴァルエルク国内では、ハト派政権の外交方針を巡る論争が過熱しており、これが後の消極的介入に繋がる。ニーネン政府がサーヴァリア革命に対する中立を宣言。これを受けて、ヴァルエルクの官邸報道官は「高く評価している」と表明した。また、ジサ戦争の教訓を強調し、早期の停戦に向けて努力する意向を述べた。

【シンテーア暦1711年】
 グロスクロイツの義勇軍がサーヴァリア国内(惑星アプレジラ)に流入。社会派同盟を支援し、王国連邦軍に対する攻勢を強めた。また、ジエール政府も同国内戦に干渉。中産階級技術者を集結させ、管理主義技術学会を設立させる。この動きに対して、暴力革命を唱える社会派同盟は「中産階級の修正主義者である」と反発し、以後長きに渡る技術学会との闘争を続けた。ヴァルエルク国内で反共運動が広まる。政権支持率が低下し、タカ派が台頭する事態に。

【シンテーア暦1712年】
 スモラク宙軍軍縮条約が締結される。ロフィルナ政府は、海賊艦隊との紛争を理由に同条約への批准を拒絶。更にヴァルエルクが主導する制裁措置を非難し、軍拡を続ける方針を強調した。ヴァルエルクの大物議員(タカ派)が国内メディアに抗議談話を寄稿。制裁の効果に疑問を呈した上で、ガニュー加盟国に対して国際的な圧力を強める必要性を訴えた。

 ニーネン=シャプチが艦隊刷新のためS合金買い占め政策を開始。また、旧式艦をロフィルナに大量に売却し、ベロゼア鉱石を輸入した。ヴァルエルク政府が非難声明。同国大統領はニーネン大使を呼び出し、約1時間に渡る厳重な抗議を行った。また、サーヴァリア政府も遺憾の意を表明。アプレジラにおける戦局の悪化で非難のトーンは下げているものの、同国長官は強烈な不快感を表した。

闇を照らす声演説、サーヴァリア企業連合成立

【シンテーア暦1713年】
 ヴァルエルク政府は、国内世論の高まりを受けてサーヴァリア内戦への介入を決断。義勇軍を投入し、難民の保護活動を名目とする事実上の経済連合(資本家階級)への支援を行った。また、ベリオン共和国も公式に協力は宣言していないものの、物資の供給を行うなどして経済連合を支援している。この動きに危機感を募らせた社会派同盟は、管理主義技術学会に一時的な協力を要請。経済連合の反撃に対抗して戦線の維持を図った。

【シンテーア暦1715年】
 サーヴァリア内戦情勢。対立する双方の疲弊により、休戦協定の締結に至る。
惑星アプレジラにおいてサーヴァリア人民共和国、アプレジラ管理主義学会連合が成立。
その他の広大な領域をサーヴァリア王国連邦(経済連合)が支配する。

【シンテーア暦1716年】
 ディガイナのラジオ放送でヴァルエルクがスモラク宙軍軍縮条約の規定を破っていることが発覚する。ヴァルエルク政府は『規定の範囲内で刷新を行っている』と反論。『国家安全保障の脅威である』と断定した上で、国際的にこの放送を取り締まる必要性を訴えた。ロフィルナ外務省が非難声明。『我が偉大なる祖国の同志ネッツェレール常任最高議長は、この条約への批准を求められた当初の段階からヴァルエルクによる帝国主義的策謀を指摘し続けてきた。我々は国際条約を盾に我が国の主権を脅かす如何なる計画も許容しない』。(

【シンテーア暦1717年】
 連合総会でニーネン=シャプチ星衛主席の「闇を照らす声」演説。
ディガイナのラジオ放送を評価する内容であり、ヴァルエルク政府は厳重な抗議を行った。
またもやヴァルエルク国内で暴動が頻発し、混沌とした様相を深めていく。
ハト派政権に対する支持率が更に低下。対立候補の追及が功を奏し、政権交代に至る。

【シンテーア暦1718年】
 サーヴァリア人民共和国は自身の行ったインフラ破壊戦略から生産不良を引き起こし、生産拠点が正常に機能していたアプレジラ管理主義学会連合吸収を計画し侵攻した。サーヴァリア人民共和国はこれを第二次サーヴァリア革命と呼んだ(第三次はアプレジラ全土を掌握する手筈だった) 。これに対しジエール帝国連邦は管理主義学会連合人民の保護を理由に軍を派遣するも、奇襲的な攻勢に押され同国技術者のジエール政府亡命政策を開始。前線を次第に引き下げながら、サーヴァリア人技術者をジエール帝国連邦加盟国、ヴェルゼン管理主義共和国へと亡命させた。

 一方のヴァルエルク情勢。『我が共和国が誇る世界最強の力を思い知るがいい』。そのように力説したヴァルエルクの新大統領(極右)は、サーヴァリア内戦への全面介入を宣言。正式な議会承認を得た後に外征艦隊を動かし、アプレジラ宙域の封鎖を断行した。これにより、ジエール・グロスクロイツ両国は軍の派遣を断念。以後、新たに成立したサーヴァリア企業連合による攻勢でアプレジラの統一は避けられない見通しとなる。

【シンテーア暦1719年】
 サーヴァリア内戦が終結。ヴァルエルク大統領は『完全勝利』を宣言した。

【シンテーア暦1720年】
 サーヴァリア資本家連合と小康派が権力を完全掌握。
サーヴァリア王国連邦は「サーヴァリア企業連合」に国号が変更された。
ヴァルエルク国内で極右団体の運動が活発化。ガニュー脅威論が広まる。

アクース内戦

【シンテーア暦1725年】
 ヴァルエルクの大手経済メディアがアクース国内で有する利権の数々を列挙。
労働者の権利と国益を絡ませたセンシティブな内容で、大きな論争を巻き起こす。
アクース大使館が遺憾の意を表明。『事実に反する』として当該メディアに抗議した。

【シンテーア暦1728年】
 ヴァルエルク政府。ジエールとサーヴァリアの接近(関係改善)に懸念の意を表す。

【シンテーア暦1732年】
 労働者階級のストライキで混迷の様相を深めているアクース情勢の悪化を受け、同国への武力介入を求める論調が高まっていく。次の内容は、ディガイナのラジオ放送が流した情報で陰謀論の域を出ないが、時のヴァルエルク大統領はこれをもって『時は満ちた』と豪語し、アクース連邦に対する諜報工作部隊の増派を命じたらしい。

【シンテーア暦1733年】
 アクース民衆の不満が遂に爆発。かねてからの国内世論の高まりで『進退窮まった』ヴァルエルク大統領は、同国への早期介入を決断し、全面的な軍事行動に踏み切った。なお、事前に議会の承認を得ていたこともあり、アクース内戦の勃発から僅か10日目にして当該戦域での部隊展開を完了している。この迅速すぎる動きに各国から事前工作を疑う声が噴出したが、明確な証拠はなく、ヴァルエルクの介入を止めるには至らなかった。

 同年、アクース政府の側についたサーヴァリア企業連合にヴァルエルク大統領は『裏切り者』と非難。
『サーヴァリア内戦で支援してやった恩を忘れたのか』『畜生め』などと息巻いて物議を醸した。

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最終更新:2019年04月06日 21:30