銀行業務改善隻語





特212 333銀昭和十四年六月增補改訂第十四版一業務改善隻語瀨粂吉著
第十四版に就て吾等の先輩元小山頭取の遺訓を追ひ夙夜念頭より銀行を離れず、公平無私の立場より見たる所感を率直に摘錄せしもの、敢て自らを揣らず、昭和二年編成本書を發行し、以來同六年まで版を重ぬること十三回、刊行十數萬册に及ぶ。然るに上海に於ても漢文に飜譯せられ八版を重ねたりと聞く。其後本書絕版となり今日に及びたるが、其の間尙需要の絕えざるものありて、之が重版を慫慂せられたるも、著者は旣に營業の第一線を退きたると、其の後國情の推移により經濟體制も自ら變化を來し隨つて金融界の事情も大に異り、聊か六菖十菊の嫌を感じ爲に逡巡したりしなり。然るに此度更に改版を勸められて曰く、方今一部に異常的好景氣の生ずるものあり、此の際理論に捉はれず、實際に墮せず、堅固なる國策に呼應し天地の大道に基きて東亞建設に邁進し以て聖業を達成するに努むると共に、一面飽く迄普通銀行としての使命を誤らず、能く大小緩急を調和せざるべからず。而も之れ今日何人も言ふべくして克く實行するは容易の業に非ず、前車の覆るは後者の戒なり、世上の情勢變遷ありと雖も根本の原義原則に至つては不變不動なり何すれぞ敢て躊躇するの要あらん哉と。茲に於て著者は固より今日駸々乎たる時勢に應じ達觀し且つ活動するの明を有せざるも、暫く說者の言を容れ、敢て復た世に見ゆることゝせり。今や國防を初めとし產業、貿易に渉り着々之が擴充を實行せむとするの秋、之が資源たる人
的要素の充實こそ最も喫緊事たり、此點に就き現下金融界に於て樞軸を握らるゝ名士各位に依り、或は船長となり或は揖取となりて統一和合し至誠を以て牢固たる信念の下に大經濟界を無事航行せられん事を望むや切なり。本書刊行後著者は昨年「誠」と題する書、〓びに最近「銀行經營の視線」と題する小冊子を刊行せり。孰れも感ずる所ありて、識者の批判を仰がむとするもの、蓋し本書と姉妹篇を爲すものなり。願くは之を合せ一讀の榮を得て示〓是正を賜はらんことを。昭和十四年薫風之節瀨粂吉第十二版に就て從來、淡々居士編として出版せし本書は、其の都度各方面より明かに本名を表示すべし、斯る眞面目なるものに雅號を用ゆるは當を得ずとの勸告あり。抑々編者の雅號を用ひしは、敢て二名稱を用ひしにあらず、又責任回避の卑怯に出でたるものにもあらず、實は拙者を主とし、之に加ふるに二三子の助力を得て編纂したるを以て、之に對し一人の名を縱まゝにするを屑しとせざりしなり。然れども各方面の勸告あり、又誤解あるを恐れ、茲に第十二版より拙者の名を署することゝせり。讀者乞ふ、諒とせられんことを。此の書、最初は主として銀行改善に直面したる要項のみを記載せしも、其の後版を重ぬるに隨ひ、種々雜感を交へ、稍々錯綜し來れるを覺ゆ、依つて第十二版より分類することゝせり。只之が爲に、精神的脈絡の意勢を削ぐの憾あるも亦、已むを得ざる所なり。昭和五年二月一瀨粂吉
改善隻語を讀みて其道の誠をこゝに時鳥靑々一首あり阿蘇山麓より來たる春光春水滿晴空淡々月〓興不窮丁卯恐慌君記否隻語縱橫問天公第十一版に就て最初部內にのみ配付せし本書が、一度び世に出づるや、銀行業者は勿論、其の他諸會社、商工業者、取引先、株主、學校及び圖書館等より陸續、所望せられ、今や册數五萬を摩せり。加ふるに本書が一たび新聞紙上に紹介せらるゝや、申込み一時に殺到し遺憾ながら其の需めに應ずる能はず、更に急遽、第十一版を剛刻に付するに至れり。是れ獨り編者の光榮とする所なるのみならず、また以て時世の要求のいかに切なるかを窺ふに足る。回顧二年、雲翳未だ霽れず、筆端、迸つて時弊を痛嘆せること少からざりしも、其の反響の多大なるを見て、大いに意を强うすると同時に、祿を同業に食む編者が、奉仕の企の空しからざりしを思ひ、轉た欣快に堪へざるものあり。古語に曰く「人に財を贈るは一日の喜びを申ぶるに過ぎず、言を贈るは永久不滅の福音なり」と。編者の所信はこの語に盡く。昭和四年四月念一日再び思ひ出の日編者識す
回顧一年顧みれば、去年の今月今日は、吾人の忘れんと欲して忘るゝ能はざる金融界大動亂の厄日なりき。思へば實に我國未曾有の出來事にして、全國的取付騒ぎの爲に、休業するもの三十七行此の預金、約六億圓に及び、日本銀行貸出高、二十億九千萬圓、兌換劵發行高、二十六億六千萬圓と云へる空前の巨額に達し、其の間、一夜的紙幣の急造せらるゝあり、遂に全國の銀行は一齊に休業し、ついで「モラトリアム」の非常手段を斷行するのやむなきに至り、爲に臨時議會の開催となり、七億圓の補償及び融資法を決議したる等、官民の一致協力を以て、漸く鎭靜するに至りたりと雖、靜かに之が近因を探究すれば、要するに銀行經營の放漫不謹愼に歸因し、更に其の遠因に遡れば、歐洲戰後の大反動による事業界蹉跌の整理不徹底にして、創痍なほ癒えず、加ふるに關東の大震災あり、これがため彌縫に彌縫を重ね來りたる咎に胚胎せずんばあらず。是れ畢竟、世人が眞面目をはなれ、正道を踐まず、滔々として常軌を逸し、眞理に背反せるよりして招徠したる罪に外ならず。眞理はたとへ叢雲の翳すことありとするも、儼乎としてその存在を犯すべからず。之を犯せば其の祟り立所に到る。敢て天を怨み、人を咎むべきにあらず。寔に自ら恐れて懼れざるべからざるなり。淡々居士、編する所の本册子は小なりと雖、簡にして明、能く經營の精神を示し、言々實感に發し、眞理を說いて餘蘊なく、斯業の金科玉條たりとの好評を得、今や上梓八回に及び洽く世に紹介せるの無意義ならざりしを喜ぶ。又以てこの種の書が如何に時世に迎へらるゝかを窺ふに足る。庶幾くば茲に回顧一年を記念として、斯業改善の一助たらんことを。聊か所感を述べて序に代ふ。昭和三年四月二十一日思ひ出深き日春水一瀨粂吉
〓言一、全編の要旨は、銀行は如何にして堅實なる經營を實行すべきやに在り。一、本書は今次の恐慌によつて得たる體驗により、腦裡に浮ぶ感想と、並に平素いさゝか考究せる居士一己の卑見を、極めて率直に述べたり。而も勿々の際、筆を遣りたるが故に例へば經營方針、當事者の心得、〓究事項、改善方法等の如きを、只雜然と排列したるに過ぎず。從つて奇想新說あるにあらず、當然のことを當然に述べたるまでにして、强ひて其の特異の點を求むれば、言々悉く實感より生れ來りたりと云はんのみ。一、現時の如く、不當然のことが寧ろ當然とせられつゝある世の中に於ては、縱令、其の言は舊套に屬するも、尙且つ最も新らしきを覺えん。況んや病體となるに及んでは一層痛感する所あるべし。一、凡そ筆に口に、巧辭を呈することは最も賢明なる遣方なり。然れども、すでに斯業の通弊に慊焉たるものあり、之が眞相を指摘し、以て其の根蔕を改善せんとせば、忌諱に觸るゝを恐るべきにあらず。蓋し現下の狀態は、一切の遠慮を捨て、進んで直言せざれば何等の意義なしと信ず。願はくば編者の直言に寛恕を賜へ。此の書、文字の修補に暇あらざるのみならず、行文簡に過ぎ、往々意義の徹底せざるものあるべきを遺憾とす。若し夫れ趣旨に於て、一節たりとも採擇すべきものありとせば望外の幸なり。本書は銘々の立場より見て、或は適合せざる點多かるべしと雖、之を大處高處よりみれば公平無私と首肯せらるゝを疑はず。萬一、其の當を得ざるものあらんか、是れ子々たる居士が淺見の然らしむる處として、偏に讀者の寬容を乞ひ、併せて示〓を賜はらんことを望むや切なり。銀行は預金を歡迎すると同時に、貸金に就ても大いに力を盡すべきは勿論なるも、本編は貸金の利を說かず、其の裏面に伴ふ弊害をのみ指摘して、戒愼に資するを主眼とせり。讀者乞ふ、其の心して閱讀せられんことを。一、居士淺學菲才を顧みず、耿々たる一片の赤心に促され、敢て鄙文を草し、時代の參考に供す。然れども拙速に偏し、纔かに骨を說いて肉に及ばず。且つ頗る粗笨杜撰にして素と是れ荒墟の瓦礫たり。若し讀者諸君に於て、懷抱せらるゝ意見を隨處に加筆せられんか、必ずや瓦は變じて玉と成るべし。又文中會心の箇所あれば、自ら圈點を附して强調せられんことを望む。一、本書の記載事項中、今や着々改善せられたるため、贅文廢句に歸すべきもの多々あるべし。是れ編者の最も本懷とする所なり。今後幸に版を重ぬるの機會あらば、其の都度つとめて增補訂正せんことを期す。隨つて事實の前後あるは已むを得ざる所なり。一、標題に就ては之を內容の斷片的なる各項に照らし、必ずしも銀行改善の記事とのみ認め難きものあらん。或は一種の人世我觀、若しくは改善より見たる雜感とも云ふべき點尠なからざるべきも、今日我國の通弊は精神の缺如にあるを以て、茲に編者に精神的改善を圖る
第十二章第第十一章第第第第第第第第第にし、此の册子は最初、威に堪へず。よりの慫慂に會ひ、十九八七六五四三二一昭和二年五月金融界大動亂の直後るゝ精神を酌まれんことを。を以て第一要義と信じ、章章章章章章章章章章倶に斯業講究の誠意により、商願くば大方の諸賢、手形、貸預銀不銀行員の待遇及び心得銀行家の生活と處世重銀目1出 と金及び利行行役〓究資料として好意を以て單に部內にのみ配付せし處、廣く之を頒つことゝせり。品當行ル小切手、ととのの妄りに擔取貸社競顧責經爲替次保引越息會爭客任營『改善』攝陽遠慮なく批判叱正あらんことを乞ふ。單に個人の餘業とみなさず、淡六甲山麓に於てなる文字を使用せり。々固より〓鑚盡さゞるもの多く、居讀者乞ふ、士又坊間の賣らん哉の類と異識一〇八一〇六九七充盍查兵四九〓三÷-す誠に望洋の測らずも各方面全編を通じて流
第十三章調査三第十四章銀行の檢査一一七第十五章公債及び日銀一二〇第十六章銀行の合併ニ第十七章雜感一束一二九第十八章昭和二年の恐慌一五〇第十九章結論一五三銀行業務改善隻語一瀨粂吉著第一章銀行の經營一、銀行の要素は人に在り、人の本領は意志の鞏固に在り、意志の鞏固は不拔の信念に在り。健全なる經營、磐石の基礎は是より生る。ニ銀行の經營は、先づ銀行の本義を會得し、勇氣あり力ある誠を以て、之を實地に施すに在り。所謂良心を手腕に活かせ。ニ、銀行は信用を基礎として立つ、信用は生命にして萬事の本たり、「信を失へば則ち立たず」四、銀行家は、人格識見の高きは勿論、常識に富み、能く中道を謬らざるを要す。中庸に曰く「中は天下の大本なり和は天下の達道なり中和を致して天地位し萬物育す」と。五、銀行は根本の備へとしては他力を賴まず、飽くまで自立自存の精神を以て、本然の主義方針を嚴守し、平素にして能く不時に備ふる經營あるを要す。六、隨つて之が經營の任に當る重役及び幹部は一意專心、銀行と終始を一にする覺悟を以て自信と眞面目とを持し、常住不斷の努力と忍耐とを忘れず、其の精神が經營の上に實現し、おのづから内外の絕對信賴を受くるに至らんことを要す。
二七、元來銀行は地味なる商賣なるを以て、努めて虛飾を避け、體裁に囚はれず、主として內容の充實と基礎の鞏固とを圖り、一步一步を撓まず急がず進むを要す。決して己れを削りて虛飾を爲すの愚に陷る勿れ。砂上の樓閣は風雨に堪ふる筈なし。徒らにメートルを上ぐる競爭は、禍根たり。ハ、故に資本金、預金高、配當率等、必ずしも數字の多きを以て尊しとせず。又建物の如きは堅牢を主とするも、競うて輪奐の美を裝ふに及ばず。一に銀行內容の充實、信用の增進、資金の活用如何を考慮しその間毫も不純無理あるべからず。た、銀行の權威、信用を傷つけ、危殆を招くに至るは、裏面に不純の潜めると、無理を敢てするより始まる。一〇、其の內容を調査せず、只外觀に現れたる各行の預金額、又は收益額の數字を比較して、直ちに銀行の盛衰又は信用の厚薄を品〓するが如きは、其の實甚だ輕率なる判斷にして人の通有性弱點を驅り、却つて無理を餘儀なくせしむる一因となる。二、資本金、預金、貸出若くは擔保の何れを問はず、其の實質に至りては活きたるものあり、死せるものあり、數字の比較のみを以て速了し能はざるは、實例に照らして洵に瞭かなり一二、數字は總ての構成基礎として大切なるものなり、同時に數字ほど人を明かに欺くものはなし、心して視ざるべからず。ニー、故に貸借對照表を檢討するありとも、寧ろ經營者の心を檢討するの優れるに如かず。一四、何事も不合理、不自然に始むるものは、其の終に於て必ず不結果を見ざることなし。是れ當然の歸結にして、時に遲速こそあれ、結局、物は落つる處に落つ。所謂因果應報の理なり。一三、銀行も、顧客も、共に實力相應を守るべし。破滅の根源は結局、分相應を超ゆるに在り。是れ古今一貫の鐵則なり。一六、外國にては、何事も分相應を超ゆるを以て、大なる禁物とし、例へば衣服、飮食、娛樂、交際等に至るまで、敢て其の分を踰えず。又借金を爲すにも、返濟に充つべき能力を辨ヘ、決して其の實力を踰えてなさず。即ち社會の慣習的組織が、自然に鞏固確實を保持せらるゝ所以なり。一七、古來泰平の世を歌うて曰く「一味の水も草木叢林、皆各々分に應じて其の潤ひを受く」と、分に隨へば則ち天下洽く泰し。一、、信用の濫用、手形の濫用は獨り自身の分相應を超ゆるのみならず、延いて社會に害毒を及ぼすこと大なり。便利と危險との岐るゝ處は、唯夫れ始を愼むに在り。一九、他行を凌駕せんとし、若くは之と竝行せんが爲めに、急激なる擴張を爲すときは其の間、所謂無理を生じ、之が禍源となりて遂に困厄に陷ることあり、實例尠しとせず。故に急がず、焦らず、休まず、進むを以て、最後の勝利者となす。二〇、凡そ、銀行を危地に陷るゝものは重役及び幹部の平素の方針、態度並に內部の和衷協同の實如何に基因するもの多く、全責任は實に經營者其の人に存す。偶々一行員の不正、三
四若くは過失に依る出來事の如きは、恐らく銀行の基礎を覆へす程の大事に至らざるべし。上に立つものは即ち然らず、須らく銀行の正位に坐して渾身の努力を傾注し、拮据經營、誠心誠意の一貫するを要す。至誠は萬世不朽の人道なり。二一、茲に於て行員も亦、此の重役の精神を基準とし、緊張して職にあたり、規則を守り、能率を增進し、上下を問はず渾然と一體をなし、初めて整然たる營業振を發揮し得べし。重役は經にして、行員は緯なり。共同事業の盛衰は、一に人の和に在り。二二、天の時も、地の利も、人の和に如かず。人の和あり、誠意あらば、其の他は第二、第三のみ、亦何をか語るの要あらん。二三、單に誠意を持するに止らず、理智に富み、打算に長じ、進むあり、守るあり、時運の進展に伴ひ、機敏にして時勢洞察の明をかね、又周到なる思慮と、練達せる手腕に加ふるに、沈毅と果斷とを以てし、奮つて大機小機に當るべきは論を俟たず。二四、重役は部下に對し、投機を戒め、素行をたしなめ、節約を勸め、勤勉力行、時これ金なりと訓誠すると同時に、己れまづ身と心との範を示さゞるべからず。ひとり常勤重役に止まらず、平重役に於ても亦然り。二五、凡そ千言萬語の訓示よりも、重役夫れ自身が言行一致の活ける典型となりてこそ景仰すべき眞價あり。語に曰く「百言は一行に如かず」と。恰も富岳は雄大秀麗の實ありて始めて尊きが如し。今日その職にあるの故を以て、儀禮的に訓示するが如きは、何等の實なく力なく光なし。二六、獨り重役のみならず、行員小使に至るまで、常に自らを責め、自らを重んじ、最良の模範を以て自ら任ずるの信念なかるべからず。宜しく上下を通じて一貫したる此の精神あるを要す。二七、上に立つもの模範として缺くる處あれば、部下の賞罰を明かにし難く、賞罰明かならざれば、威令行はれず、如何なる規則訓令も空文に歸すべし。二八、凡そ何事を爲すにせよ、單に一片の所作に止らず、常に其の趣旨と目的とに對し、眞摯忠實なる精神の發露なかるべからず。二九、行員にても、得意先にても、常に巧辭を呈し、我に從ふものあり注意すべし。或る權力者を取込まんとする奸者もあり。上長の好める道に迎合せんとするものもあり。心すべし。縱令朴々たるも豐かなる交驩と、誠意溢るゝ忠言こそ望ましけれ。三〇、小人は、人の顏色を窺うて陰日向の仕事を爲す、又類を以て集るものなり。深く戒心を要す。三一、銀行の盛衰は人に在り。外國の學校に於て銀行論を講ずるに當り、先づ第一に銀行の經營は人にありと說くもの、眞に所以ありと謂ふべし。三二、隨つて人事行政は銀行の最も大切なる用務にして、之が適否如何は、行運の消長に關するや大なり。三三、英國にては、人事行政の一分課を置き、之に監察官の如きものを配置し、地方的に分掌五
六せり。三四、人事行政は能率本位、適材適所主義たるべきは勿論なるも、しかも人の和を得るやう工夫せざれば能率擧らず。茲に人物吟味の要あり。(十七憲法の第一に曰く、和を以て貴しとす)三五、銀行に能率課を設け、業務の進展改良、人事の整理、經費の節約を圖るも一方法なり。三六、又英米の取締役會、及び營業の衝に當れる取締役、又は頭取、副頭取の組織分掌は、我國と大いに趣を異にせり。三七、銀行業務を知らずして、一家一門、擧つて之が重役となるが如きは、大いに考慮せざるべからず。三八、銀行會社の破綻を見る毎に、經營者その人及び其の周圍を、平素調査する事の必要なるを痛感せざるなし。古語に曰く、「其の人を知らんと欲せば先づ其の友を見よ」と。三九、若し夫れ、休業銀行の內容を發表せんか、其の因つて來れる禍根について、活〓訓となるべき好個の資料、恐らく五六にして止らざらん。四 〇、昭和二年の恐慌に際し、隨處に綱紀肅正を絕叫するもの少からざりき、當時の世相を反映するものにあらずして何ぞ。宜しく猛省すべきなり。四一、銀行經營は難事中の至難事なり、故に架空の議論を許さず、永遠に亙りて誤なき正義の實行を要す。即ち眞の責任を解する人を待たざるべからざるなり。正義は永久不滅にして、縱令形に表はれずとも、芳香馥郁たり。四二、凡そ貸出、或は行員の採用其の他に就き、苟も情實の纏綿せるかぎり未だ曾て其の弊の暴露せずと云ふことなし。宜しく私心私情を去り、〓風颯々、公正廉潔、一に銀行の利害を基點として、考慮決定すべし。行員は有力なる推薦者の手になるもの程、緊張味を缺き、成功の可能性乏しとの說あり、味ふべきことなり。四三、普通選擧に於て、〓き議員は〓き一票を叫べり。吾人は〓き預金と、〓き貸金と、而して〓き經營者とを絕叫して止まず。四四、自行の預り金を、自分の事業に使用するものは、悔悟の日必ず來る。四五、凡そ破綻は流動資金の涸渴に因る、而して銀行は開業せる間、預金なる流動資金が流入し來るを以て、破綻の日遲く、隨つて其の害、擴大せらるゝを常とす。四六、急激なる取付には倒れず、緩漫に永續したる取付は憂となる。四七、個人銀行、若くは個人的銀行にして、其の方針を誤るときは、啻に祖先傳來の資產を失ふに止らず、多數の預金者に迷惑を及ぼせる例甚だ多し、要するに本邦屈指の富豪ならば兎も角、一ト通りの富豪若しくは俄富豪にして、競うて銀行業を經營することは最も考へものなり。四八、殊に自分は銀行業を知らず、又知るといへども熱心に從事せず、私心多き常務重役又は支配人に一任し、積弊の極、倒產せし實例尠しとせず。四九、金融業者は、事業會社との系統及び特殊の機關關係を離れ、且つ相手方と同一事業の競爭關係を有することなく、超然として不偏不黨の地位に卓立し、以て公明嚴正なる態度七
八を持せざるべからず。是れ財界指導の責任ある地位にあればなり。五〇、機關銀行は、營業母體と同一系統の緣故者を以て經營者に充つるが故に、結局母體と同一の運命に陷らざるもの稀なり。五一、超然として獨立し、巨大なる資本と、偉大なる信用とを有するものは、即ち我等の理想とする銀行なり。五二、外國の銀行は、純然たる株式組織にして、何等の背景を恃まず、一に經營者の人格を基とす。我國の銀行は必ずしも然る能はざる事情あり、寧ろ過渡期の道程に在りと云ふべきか。五三、銀行は未だ降らざるに先だつて、豫め雨具の用意なかるべからず。五四、積立金及び手許有金を豐富にするは勿論、準備用の公債社債類は、平素他に使用もしくは貸與すべからず。五五、世には手許有金、預け金、「コール」及び有價證劵を以て支拂準備とし、直ちに各銀行の比較評論をなすものあるも當らず。即ち有價證券中にも、他へ擔保として使用し、又は他へ貸與せるものあり。之に反し、貸付金と雖、立派に準備となるべき一流の擔保品あり、割引手形中にも一流の商業手形のあるあり。畢竟右の比較は皮相の觀察にして、眞相に徹せず。五六、積立金、即ち準備金の全部、及び拂込資本金の全部、又は其の一部は、必ず公債類に換ヘ、完全に準備用として留保するを要す。英國の如きは秘密積立及び內部積立の例あり。五七、手形、證書、委任狀其の他擔保物附屬書類等に於て、權利の保全に欠缺なく、完備整頓せる銀行は、支拂準備に於ても亦相當用意あり、確實なる銀行と見るを得べし。五八、公金預金等に對し、若し擔保品を差入るゝの必要あるときは、準備用以外のものを以てせざるべからず。是等の擔保付預金は、常に借入金を有するに等しければなり。況んや其の他に、擔保付預金ありとせば、尙更不可なり。五九、銀行は種々なる方面に諸準備を要し、又奉仕的犧牲を拂ふ必要も起り、充分なる利益を得るに難きを以て、總て原價は努めて低下せしむるを要す。六〇、常に原價計算を採りて、收支の調節を圖るべし。原價高きに失するは、經營困難に陷るの原因たり。蛸配當も亦之に基因すること多し。六一、低率預金を選ぶと共に一方、人件費、物件費その他諸經費の節約を計らざるべからず。經費の厖大は、經營の粗漫を意味す。六二、凡そ銀行家は、自分は斯かる主義方針を信奉し、今や現に之を實行しつゝあり、之に對する忌憚なき江湖の批判を待つとの、高潔明朗なる態度を示すの慨なかるべからず。六三、外國人はプレー其物よりはフヱヤアを尊ぶ。銀行の取引は外間に對し、秘密を守るべきは勿論なるも、其の相手方及び内部に於ては、正々堂々たる至公至明の取扱たらざるべからず。六四、凡そ貸金を爲すに當り、內部に於て、重役が秘密裡に決定することは、大なる禍根たり。六五、近時動もすれば大勢順應を云ふ。人若し一定の方針なく、紊りに時流に迎合し、風のま九
一〇にまに、或は右し、或は左せんか、是れ附和雷同の甚しきものにして、泛々たる無定見者のみ。六六、人皆東に向ひなば、我は宜しく西を顧みるべし。即ち何事も其の反面を見るの要あり。六七、資金は鑛山、船舶、其の他不動產貸に固定するを避くるは勿論、商業手形の精選、優良擔保品の選擇、擔保付「コールローン」等の短期物にして、直ちに現金化し得る點に注意を要す。從つて金利の低きは、當然忍ばざるべからず。六八、高利を目的とする無理な貸付を避くる爲めに、銀行は可成配當を尠くし、平素隱忍して內部保留即ち積立の增加に努むべきなり。積立は必ずしも支拂準備の爲めのみにあらず一面に營業を堅實ならしむる基たるなり。六九、當然資本金を以てすべき建設費、其の他の事業資金に對し、商業銀行の活動資金を使用することは、會社も銀行も共に謬れるものなり。一朝事あるときは忽ち行詰りとなる。七〇、銀行は銀行以外より借入金を爲し、又は擔保用に有價證劵の借入を爲すべからず。經營上及び體面上、あるべからざることなり。七一、商業銀行としては、直接工業資金を供給し難き場合あるも、社債なる證劵に依りて結局、工業資金を放出援助することゝなる。七二、銀行の積立金及び支拂準備の種類如何、又預金に對する支拂準備の比率、預金と貸金との比率如何、又銀行の資本より見て、一會社及び一人に對する貸出高の割合等、常に〓究し且つ之を嚴守するの要あり。從來預金に對する支拂準備は多くは薄弱なりしが如し。七三、新銀行法には、預金支拂準備のこと、一人に對する貸出率及び積立金を如何なる方途に備へ置くべきやに就て何等規定なきも、追つて相當の方法に依り、制定せらるべきものと信ず。七四、米國に於て、一九二五年二月制定せられたる「マクファデン」法案を見るに、國立銀行の一會社、一個人に對する貸出集中の制限の如き、相當嚴重なるものあり。七五、預金額よりも貸出額の多きものは、支拂準備の缺如せるを示すものなり。七六、又支店にありても、平素支拂準備金等に對し相當の考慮を拂ひ、我若し支店にあらずして、獨立せる一個の銀行ならば、其の首腦者として如何に經營すべきやに想到すれば、妄りに貸出を嵩ましむべきものにあらず。七七、英國の銀行にては、「コール」が支拂準備なり。而かも十分なる「コール」あるに拘らず、英蘭銀行に對し常に十億圓以上の預金を有す。七八、同じく資本と稱するも、現實拂込濟のものは、未拂込資本金なる權利を有するよりも、實質的資本の大なる意味に於て、又確實に資本を有する意味に於て、遙かに優れりとなす。或は銀行は全額拂込濟のものを以て資本額とすべきか、近時未拂込株金は債務の引當保證として信賴し難き事實多し。然らば即ち公稱資本なるものは、畢竟無意義に化するにあらずや。會社に於ても亦然り。外國にては額面金と稱する步なき株券あり。七九、未拂込株金の數字を見て、直ちに債務の保證あるが如く解するは誤なり。宜しく其の株
三主の內容を調査せざれば、斯かる場合には往々假裝の株主ありて殆ど其の實なきことあ3。又拂込に先ち名義を變更して拂込を免れんとするものあり。八〇、英國にては、株主の選擇を爲し、承諾制を採用し居れり。故に未拂込の如きは、確實にして毫も不安なし。八一、又英國にては、取締役は就任後一ケ月內に多數の自行株式を所有するを要し、尙一般多額の株式所有者には、投票權に制限を付し居れり。八二、都會の銀行は、地方の銀行よりも準備率特に高きを要す。是れ親銀行として、各方面の銀行より準備預金を集中委託せらるゝ責任を多く負擔すればなり。八三、米國にては、損失が資本金以上に至れば、直ちに解散を爲す。我國にては、缺損が資本金の半額に達するときは、株主總會に報告し、又債務を辨濟し能はざる時は、自ら破產申請をなすべく、之に反するときは、過料の制裁あるも、實際は有名無實の死法たり。八四、又米國にては、銀行の「バランス」符合せざるに、預金を受入れたるときは罰せらるゝが故に、預金者に迷惑を及ぼさず。我國にても、不都合を發見したるときは、新規取引を停止して整理を命ずることゝせば、その效大なるべし。八五、解散又は休業銀行の整理に對し「レシーバー」又は「レシーバー·エンド·マネージヤー」制を採用せんとするの說あり。是は英國の衡平法上に發達したるものにして、英米に盛んに行はるゝも、我國には未だ此の制度なし。追つて休銀整理法を制定し、整理の促進と、資產散逸防止を講ずること、共に必要の案件なりと信ず。八六、制度の改正もさることながら、當務者が先づ、形式よりも根本精神第一主義たるを要す。肉體ありて精神なきは生きたる屍なり、故に徒らに規則を立派にし、周到なる文字を列べ多數の組合員を一律に網羅し、而も實際は空文となるよりも、寧ろ少數たりとも、自信を有する中堅を作り、奮つて模範を示すの慨あるを要す。所謂紳士協約の類か。八七、預金利子協定の如きも、各階級を一團となさんよりは、數行のみにて堅き結束を爲す方、却つて目的を達成するものにはあらざるか。八八、銀行數に就ては豫ての問題たり、現に支店、出張所を濫設せる弊なきや。又支店の數多きは一朝事ある秋、却つて苦しむことあり、宜しく考慮すべきなり。現在の如く出張所、派出所の多數設置せらるゝよりも、實際上、往時の集金制度の方、大いに經費を節約し且つ顧客の便宜と、事情の疏通とに於て遙かに優れりと說くものあり。何れも過渡期の問題なるべし。八九、預金爭奪の爲めに設くる支店は弊害あるも、時運の進步に伴ひ、銀行業務の機能を全うせしむる爲め、彼我の聯絡上、必要なる支店の設置は拒否すべきにあらずと思考す。但、此の二者、往々混同の憾なきか、要は根本の精神に在り。九〇、英國が盛んに支店、出張所を各所に設くるは、預金爭奪の爲めにあらずして、公衆の便宜を圖る趣旨に出づ。九一、銀行の數、及び支店の數多きは、競爭の種となる。然れども守るべきを守らば、敢て不可なし。故に其の設置が、眞に其の土地に必要なるや否やに依りて判斷すべきなり。合一三
一四併問題は自ら別なり。然れども設立の當初より、既に誤りたる觀念ありて不合理なる競爭をなすものあらば、其の根本精神こそ眞に誤れるものと謂ふべきなり。九二、合併をなしても、其店數を減ぜざれば競爭は依然として減ぜず。九三、又銀行としての支店設置場所に付、〓究の要あり。例へば場末、又は盛り場の如き、財界動搖の際、妄動を見ること多し。將來愼重なる考慮を要す。九四、地方に在りては、土地の名望家が、本店の知れざる銀行の代理店を引受け、爲めに迷惑を蒙れる實例尠からず。九五、常に本支店間の聯絡を密にし、方針の一貫、意志の疏通あるを要す。九六、金融業者は、斷じて政黨政派と關係を有すべからず。重役も政黨者流を避けざるべからず。兎角種々の弊竇に陷り易し。今尙地方に於て多數の實例を見るは、誠に遺憾とする所なり。九七、政黨に關係せるが爲め、反對黨より故意に苦しめらるゝことあり。愼まざるべからず。九 八、實業と政治とは一體なるべきが理想なるも、如何せん我國政黨政治の現狀にては、兩者は全然分離せざるべからず。平素の營業は勿論、銀行の合併整理等にあたり、政黨關係によつて支障を來せる實例尠からずと聞けり。洵に恐るべきの至りなり。九九、英國にては政黨員にして銀行頭取たる例ありと雖、此の間截然たる區別ありて、寸毫の弊害なし。流石は先進國と謂ふべし。一〇〇、常に中央銀行の預金及貸出額を「バロメーター」とし、之に變化を生じたるときは、金融界の陰晴あるものとし、警戒を怠るべからず。一〇一、消極的取締大いに可なり、然れども堅き計りが能にあらざるを以て、他面には積極的に進歩改善を圖り、公共機關及び產業助成機關として公益民福を謀り、精進して新境地を開拓し、大いに金融業者たる本分を盡さゞるべからず。即ち守るべきは守り、進むべきは進む要をす。畢竟、健を積んで雄を爲すの謂なり。一〇二、物みな屈伸あり。屈せざば折れ、伸びざれば廢る。屈伸自在ならざれば妙所に至らず。銀行は積極消極共に必要なるのみならず、その間に屈伸の理を會得せざるべからず。又靜中に動あり、動中に靜ありと云ふことあり。一〇三、萬物は悉く方圓の理に支配せらる。銀行の妙諦もまた然り、一言にしてつくせば、方圓の調節を誤らざるに在り。詳言すれば、社會に處するに當りては、時に或は高く、或は低く、又或は大きく、或は小さく、更に或は强く、或は柔く、機に應じて取捨加減の運用よろしきを忘るべからずと云ふに在り。但し敢て千變萬化を勸むるものにあらず。且又如何なる場合にも誠意の一貫するあるは勿論なり。一〇四、宇宙の森羅萬象は、これ悉く數理を脫却することを得ず。一〇五、實際の商賣は、書物に示されたる如く容易に行はるべきものにあらずとは、我人共に唱ふる所なり。併し銀行に關する事は、歐米先進國が苦き犧牲を拂ひたる結果、斯業永遠の爲め、社會の爲め、斯くあるべしと、經驗の記錄を、書籍上に〓示せり。又、彼の改善實行せることは、共に之に從ふを可なりとす。然らざれば歷史は繰返すと云へる如く、一五
一六彼の覆轍を我も亦踏まざるべからざる順序なり。誠に愚の至りならずや。一〇六、規則は實際と別なりと唱ふる人あるも、眞理は體驗より得る如く、規則は實際經驗の歸結にして正しきものなり、容易に犯すべからず。恰もゴルフ、玉突に於ける方式の如し。只實際の適用は、之を修練に俟たざるべからざるのみ。一〇七、外國に於ては、我國の如く空論に趁らず、實際的精神的よりせる規則協定なるを以て、之を擁護し、法の眞髓を發揮せしむるも、我國にては然らず、裏面より違反に力むる利己的背德行爲あるは〓嘆の至りにして、何事にても協同一致を缺き、進歩改善を阻害する所以、茲に在り。之が根本に遡りて深く猛省せざるべからず。一〇八、或人、銀行の信用條件を左の如く述べたるものあり、特殊の場合を除き、大體首肯して可なり。一、危險性の貸出を爲すが如き不謹愼の行爲なきこと。二、頭取は屢々變更せざること。三、頭取は社會的に眞に有力なること。四、頭取は他に事業を兼管せざること。五、頭取は若年者にあらざること。六、其の銀行の株式は市場賣買價格の大なること。七、其の銀行のバランスシートは確實なること。八、俄成金者の經營銀行にあらざること。九、政黨關係の筋に貸付して回收不能に陷り、更に深入りするが如きなきこと。十、或る富豪の各種事業の機關銀行にあらずして、獨立自存し且つ積立金の豐富なること。一〇九、以上各項に述べたる精神を基礎とし、誠實と努力とを經とし、敏活と果斷とを緯とするものは、我等の理想とする銀行家なり。一一〇、更に平易に云はゞ、銀行家は常識に富み、注意深く、私なきを要す。蓋し常識は經驗より生る。一一一、英米の銀行家は、殆ど異口同音に述べて曰く「銀行の經營は〓ね左の要點を守るにあり。而して一言を以て之を蔽へば、常識の發達如何にあり」と。誠實、公明、深き注意、周到なる調査、先を洞見すること、一致和合、情實擊退、支拂準備の豐富、固定貨の回避、利益を爭はざること、不當競爭を避くること、積立金の增加。一一二、又有名なる銀行家の曰く「銀行の機能は何等面倒なる仕事を包含するにあらず。只愼重、誠實、忍耐を要求するに過ぎずして、其の間敢て秘傳あることなし」と。一一三、本書到る處に「平素」の文字を使用せり。是れ堅實なる地盤を造り、眞の信用を得ん事は一朝一夕の業にあらず、全く平素の用意如何に存し、平素の修練が事に觸れ、時に臨み六威の活動となりて、機宜の處置となり、又機鋒となるものにして、恰も兵法は平素に於てこそ能く鍛鍊修得し置くの必要あるが如し。即ち多年に亙りて不屈の忍耐と、不一七
一八惑の信念と、不斷の努力とを要す。羅馬は一日にして興らず、而も之を亡ばすは一朝にして足る。思はざるべからず。一一四、幾度外國の銀行を視察〓究するも、實際に臨んで守るべきを守らざれば、結局銀行は破綻の外なきなり。故に曰く「一にも人、二にも人、三にも人なり」と一一五、配當率は低減するも、將來の健全に資する實質を保留する場合は、寧ろ歡迎すべし。單に配當率の高低に依りて、目先株價を上下するは世人を誤らしむるものなり。殊に銀行株價の低下は、誤解を生ぜしむる事多し、靜かに資產狀態に照らし、歩調の堅實ならんことを望む。元來銀行の株主は朝夕浮動するものと選を異にすべきものなり。一一六、高率配當は、多くは暫定的株主の希望する所にして、恒久的株主の意に反す。一一七、所謂、蛸配當の自殺行爲は、斷然排除せざるべからず。假りに彌縫と虛榮とにより、之を繼續し得る間は可なりとするも、之を重ぬれば重ぬる程、愈々破滅の日は近づきつゝあるなり。若し數十年も繼續せんか、恐らく資本金、並に積立金の全部は、雲散霧消するに至るべし。眞に恐るべく、眞に侮るべからず。一一八、貸出利子の收入なく、高率預金の利子は現實に支拂ひ、尙且つ一方に蛸配當を爲し、年と共に益々困難を加ふ、豈破綻せざらんと欲するも得べけんや、株主も預金者も能く能く此の理を悟らざるべからざるなり。一一九、無理なる高率配當を裝ひ、一方また無理なる報酬賞與を支出し、兩々相重りて、遂に無理往生を遂ぐるもの尠からず。一二〇、世には重役が自分の借入利息を支拂はんが爲め、若くは借入擔保株の時價を維持せんが爲め、殊更に蛸配當をなすものあり。一二一、銀行の配當減は、各事業會社の減配を誘導し、總ての堅實味を增し、一方金利低下の標準を示し、又よく物價を低下せしめ、購買力の節制を調ふ。隨つて其の銀行の株式も亦、自然に眞價を現はすべき筋合なり。一二二、不景氣の際は減配を爲すと同時に、進んで減資の必要なる場合あるべし。速に整理したるものは、速に恢復す。一二三、銀行會社に限らず、個人にても虛榮虛飾は禁物なり。是れあるが爲めに萬事堅實なる歩みをなす能はず。而して其の根源は我國民が總じて、獨立自信の念に缺くる所あるが爲めなり。一二四、或は高率配當を制限するため、毎期純益に伴ふ一定の配當率を規定するも亦可ならん。之れ社會政策の一面たるべし。一二五、米國の中央銀行たる準備銀行に於ては、配當は僅かに六分に制限せられ、英蘭銀行も亦、六分を出でず。一二六、重役は單に事業を完成して、之を後者に引繼ぐの外、經營の精神を貽すの心掛なかるべからず。此の心ありてこそ、經營も亦完全なるを得べし。一二七、最後に極言す、經營者よ、人は金にあらず、芳しきは人格なり。一九
二〇第二章重役の責任一、銀行は財界の羅針盤たり。東道たり。所謂經濟機關の眞髓にして、又商工業者の心臟を司る重要なる役目を荷ふが故に、之が重役たるものは、つねに崇高なる理想を有し能く正道を固守する者ならざるべからず。旣に公共事業として銀行の看板を揭げたる以上は、銀行の爲めの重役にして、重役の爲めの銀行にあらざるや明明白白たり。隨つて社會に奉仕こそすれ、決して一身のためを謀るべきに非ず。然るに多くの通弊は、自己に對する奉仕をのみ謀る。即ち從來の重役中には自己の地位を利用し、これ位の我儘勝手をなすことは當然なりと心得るもの尠からず、戒めざるべからず。ニ、重役の或る者は、銀行會社を喰物とし、又は初より喰物として出生したるもの絕無にあらず。蓋し其血、其筋、其肉、其骨は、〓ね銀行、會社より搾取したるものなり。ニ、英國にては重役の責任を頗る重大視し、取締役責任法の如き、極めて嚴重なる法律を制定せり。又實際其の衝に當れる責任者は何れも人物確かにして、能く堅實なる傳統的精神を發揮し居れり。四、常務重役の兼任は、新銀行法の原則として禁ずる所なり。こゝに注意すべきは表面、同一人の名を以てせざれども、裏面に同一系統の脈をひくものこれなり。故に其の系統と素質に就て、常に實際的觀察を怠るべからず。五、重役を各地支店へ配置して、直接實務に當らしむるは一利一害なり。其の制度の運用に就いては、愼重なる考慮を要す。重役の過多は一の禍根たり。六、銀行より資金を供給しながら、其の常務重役が一面、取引先の顧問又は相談役となりて報酬を受くるの例尠からず、愼むべきなり。七、以前は銀行業務を知らざる華族を以て、傭頭取に据ゑたることあり。蓋し此の種の遣り方は最早陳腐に屬し、今日は通用せざるべし。世人の銀行を視ること亦昔日の如くならず。ハ、銀行の重役は、物的以上の大責任者たり、然らば一片の辭表提出を以て免責とするは輕きに失せずや。例へば退任後一二ヶ年は、在職と同一の責任を有せしむべきか、相當の〓究を要すべし。れ、自ら種を蒔きながら、自ら刈取らず、善後の策に出でずして身先づ退くは、道義に反す。所謂、道心惟れ微にして、人心惟れ危きものか。一〇、一說には、貯蓄銀行と同樣、無限責任とする說あるも、是は同意し難し。何となれば、普通商業銀行と貯蓄銀行とは、全然性質を異にす。若し普通銀行に於て無限責任とせんか恐らく資產家重役は悉く脫退し、少數持株の無資產重役のみとなり、勤勞重役も亦辭去し、且つ良好なる株主も遂に得難きに至らん。但し就任當時よりして私財供給を覺悟する程の責任感を以て職にあたらば、蓋し過ちなきに通からん。今日の最大時弊は、正しく責任感の缺乏に在り、豈獨り銀行のみと云はんや。ニ、抑々重役の責任を、就職當時に覺悟せず、又推薦者も株主も、之を輕々に取扱ひ、而して休業等の起りたる後に、責任を云爲するは旣に本末を誤れるものなり。すでに此の誤二
あり、事故を生ずるは當然のみ。三、茲に注目すべきは重役問題なり。今や責任威とか、私財提供とか、內外の刺激に依り、資產家重役の觀念に變化を來し、漸次舊習を脫して面目一新、名實漸く一致したる正眞正銘の重役に化せんとする趨向あり。或はこれ一時的の現象に止まるものならんか。ニ、、凡そ經營者が、自身に對する義務の觀念と、社會に對する義務の觀念とを自覺せんか、自然、職務に對して忠實となるものなり。我心に慾ある時は義理を忘る。一、、銀行家たると事業家たるとを問はず、一般に責任觀念の〓育を徹底せしむるは、現時の急務にあらざるか。又其の半面に於て、背信行爲に對する法律的並に社會的制裁を嚴ならしむるの要なきか。第三章銀行家の生活と處世一、銀行家は常に脚下を照顧し、自ら愼み、自ら省みること肝要なり。固より卑屈に流れよといふにあらず。又沈重の裏には躍如たる生氣なかるべからず。古人曰く「心は高く、行は謙遜なれ」と。云健全なる銀行は、健全なる經營者に俟つ。健全なる經營者は之を〓淨潔白なる人に俟たざるべからず。人は常に公明正大にして、俯仰天地に愧ぢず、白晝坦々たる大道を濶步すべし。「ダークサイド」は禁物なり。ニ、凡そ心正しく、行ひ〓く、己れに曇りなければ氣自ら安らかに、頭腦また明晰なり、隨つて判斷を誤ること尠し、深夜人靜まつて萬籟寂たる時、宜しく獨坐して自己の心を觀るべし。又「汝自らを知れ」と云ふことあり。所謂內に省みて疚しからずば、千萬人といへども吾行かんの〓なかるべからず。人は良心に反し、不道理なる行動を爲すときは決して榮達せず、子孫亦繁榮せず、彼の天知ると云へるも、實は己れ先づ知れるなり。天罰と云へるも實は我之を罰するなり。所謂「人の眞心こそ眞の寶なれ」。五、凡そ正しき道を踏まざるものは、未だ天の各めなしと雖、生涯の中には必ず自滅の時期至る、是れ天則なり。明治大帝の御製に「世の中にあやふきことはなかるべし、正しき道を踏みたがへずば」。二三
二四六、自己本位の人は、兎角目前の利慾にはせて、己れ一人の功名を街ひ、自家廣告に努め、排他主義をとり、永遠の謀に出でず、之を第三者より見れば、其の心情の陋劣、唾棄すべく、到底永く人の上に立つ能はず。人を愛する者は、畢竟己れを愛する所以なり。威あつて道なきものは必ず亡ぶ。七、銀行家に限らざる事ながら、一般現代人共通の缺點は、各々責任回避の念に汲々として事勿れ主義により、一身の安全を計らんとするにあり、即ち仕事に對して誠意無く、魂なく、機械的に事務を處理するを以て滿足し、之を以て明哲保身の術となす。最も卑屈なる利己主義時代と云ふべきか。新興國の新人に意氣と氣魄とを喚起する方法なきや。ハ、權威を盛んにする者には助け尠く、己れの心を專らにする者は、美材なりと雖終りを全うせず。宜しく己れを空しうし、其の本分に向つて精進すべきなり。た、人の漸く上に立つに及んでは、己れの力を力とせず、人の力を力とする器局の大なかるべからず。是れ將に將たるの要道なり。10,銀行家は憂色または怒色を帶ぶべからず、さりとて樂天家を以て任ずべきにあらず。常に心を平かに持し、胸中霽月の如く、安心の境涯を保つべし。「むつとして戾れば門の柳かな」。二一銀行家は感情を挾むべからず。冷靜なれ。三、健康は無形の富にして人生第一の資本なり。「エマーソン」も「キリスト」も「カーライル」も皆かく力說し居れり。願くは健康に輝け。ニー、銀行家は常に衞生に注意し、健康を重んじ、體力を旺盛にし、頭腦を明晰ならしむるを要す。健康は身の爲めにして、また銀行の爲めなればなり。故に休日の如きは、努めて氣を轉じ、天地大自然の風光に接し、宇宙の大氣に觸れて心身を養ふべし。流水は腐敗せずと云ふ。土曜日の頭を月曜日に持越すこと勿れ。一四、大氣の力は靈妙不可思議にして萬物を生殺す。人は必ずオープンエヤの惠澤に浴せざるべからず、殊に銀行員に於て其の必要を見る。一度び歩を郊外に移さんか、天下皆春、山色新なる處、氣自ら新なり。一三、人は食物の不足より來る病よりも、過食より來る病多し。過當なる借金亦同じ。一六、文明の進歩に從ひ「ナーヴアス·プレークダウン」と云ふ一種の神經衰弱症を發し、之に罹るものは銀行員の如き精神勞働者に多し、注意すべきことなり。而して之が豫防法は屋外運動を以て第一とす。一、、米國婦人は其の夫を指してGolf Bugと罵ることあるも、郊外運動としては「ゴルフ」最も好適なるべし。其の他、野球、テニス等、種々ありと雖、徒歩の如きは何人も毎日行はれ得るものにして、能く總ての條件に適合せり。紐育には久しき以前よりCitl miles day keep doctor away.と云へる金言あり、紐育市長ハイラン氏、モルガン商會の有力者デビソン氏、ガランチー·トラスト·カンパニーの頭取セービン氏、チエース·ナシヨナルの取締役會長ウイギン氏、米國第一の大銀行たるナショナル·シチー銀行の頭取ミツチエル氏の如きは、毎日二哩乃至三哩の先より徒步通勤の實行者なりと云へり。二五
二六一、獨り紐育のみならず、倫敦、伯林、巴里、羅馬の如き、徒歩により一日の行樂を縱にする者多しと。徒步、山野を尙祥せんか、眞に〓新の空氣を吸ふことを得べし。我國の靑年諸君、今や各種の運動盛んなるも、日常の保健法實行に遺憾なきや、敢て早起と徒步通勤とを勸告する所以なり。一ハ、或る銀行の遠足會の信條に曰く一、剛健質實の氣風を養成し、併せて堅忍不拔の氣力と體力とを練成す。二、皇陵寺社に參拜しては、皇室を尊崇し、祖先を崇拜するの念を强うし、往古の史跡を訪れては、偉人傑士の崇高なる人格を偲び、以て品性の陶冶に努む。三、自然の極みなき恩惠を享受し、浩然の氣を養ふ。四、家族的團結の鞏固を圖り、和親協同の實を擧ぐ。五、空論を排し、主義に基いて、先づ實行を期す。(知行合一)二〇、茲に注意すべきは現代の健康法は、偏頗的にして流行カブレの多きことなり。生命の基調は精神と肉體との二者より成る。心を離れて肉體なく、肉體を離れて心なく、二者全然一如たることを忘るべからず。この二者を共に養ふ、是れ眞の合理的健康法なり。二一、「カーライル」は(一)體カ(二)膽カ(三)判斷カ(四)斷行カ(五)精カ、此の五ヶ條を具備するものを眞の健康なりと高唱せり。二二、血湧き肉躍るは、獨り當世の運動競技に限らず、自己の職務に對しても亦、斯の如き熱心なる氣分の現れなかるべからず。二三、自己の性格及び才能に一致せる職業を選び、之に趣味を有することは、健康法の一なり。人間には絕えず威情の動搖あり、之を訓練自制することは、是亦健康法の一なり。二四、不健康なる支配人は、常に氣分に陰晴ありて、部下も亦其の機嫌を伺うて執務するが故に、成績の良否に影響す。二五、心〓く、思ひ平かに、行ひ正しければ、毎夜よく熟睡し得らるべし、是れ第一の健康法にして、成績の良否、能率の增進に關するや大なり。二六、或人の健康の秘訣に曰く「怒るな、心配するな、威謝せよ、親切にせよ」と何人も服膺するの價値あり。二七、銀行家の家庭は和氣靄々、常に春風堂に滿つるを要す、是れ餘事にして餘事にあらず、執務に影響する所尠からざればなり。「笑ふ門には福來る」と云ふ、笑は愉快なる心的作用の現れにして健康の因なり。人は宜しく笑つて暮せ、笑を高く叫べ、笑聲の起る處、必ず昌平の象あり。(一) (二)氣(三) )二八、或人家庭日常の心得を書して曰く、身輕く輕く今直ぐに(四)愉快に五微笑し(大) (て感謝して。二九、家庭の圓滿は、親に孝なると、夫婦の和合とより成る。三〇、人は常に天に感謝し、己れが事業に感謝し、上長に感謝し、又能く下僚に感謝し、更に自己に感謝すべし。感謝は信仰の第一步にして、即ち此の心ありて始めて人生の平安を得、圓滿和合を保ち得べし。二七
二八三一、或人能率增進法を說ける一節に曰く「能率の增進は家庭の圓滿和合に基く」と。自ら眞理ありと謂ふべし。蓋し家庭の圓滿は先づ主人の修養より始まる。三二、親に孝なるものは、必ず職に忠なること、古今を一貫する事實にして所謂、孝は百行の本なり。古諺に曰く「忠臣は孝子の門より出づ」と。三三、世界の平和、人類の共存共榮は、孝道より生る。三四、親に孝ならざるものは、人類愛を口にする資格なきものと知るべし。歐米にては孝行ものを以て、人格の標準とせり。三五、手近き親に孝ならざるものは、出でて上役に從順に、職に忠なる謂れなし。親に心配をかくる人は、上役に心配をかくる人なり。三六、孝は高なり、孝は天よりも高し。母は十人の子を育つるも、子は一人の母を養はずと云へることあり、心すべきなり。三七、凡て人は能く働くと同時に、如何に一生を樂しく暮すべきやを考へざるべからず、而して享樂主義を以て人生の樂しみとなすは亡國の民なり、興國の民を以て任ぜんとする者は〓き快樂の中に人生の意義を認むべきなり。三八、眞正の快樂を享けんには、先づ代價を其の以前に拂へ。働きは人生の總てにして、又其の總てにあらず、働きの裏に樂みあり。三九、凡そ買掛、又は月賦拂等の習慣は、努めて之を避くるを要す。殊に服裝に對しては全然其の必要を見ず。形は第二にして心は第一なり、ゆゑに心は强く、遠く、且つ大ならざるべからず。底に實ありて光自ら發するにあらずや。「萬化の根元は一心に存す」。四〇、一般男女の服裝は大いに進步せるも、心の裝ひは寧ろ退歩せりと謂ふを憚らず。尊ぶべきは品性の美、靈性の美、眞情の美に在り。四一、靑年は動もすれば時代が違ふと唱へ、又時代錯誤と稱して新に走るものあるも、其は單に形の上の流行のみ。眞理と人情は古今相同じく、又之を外國に見るも、外觀を取り去れば矢張り人情は共通性を有し、東西其の軌を一にす。四二、世は如何に推移するも、知恩報德の大道は之を體得し、之を實行せざるべからず。吾人は道德美の、日々に衰退するを嘆ぜざるを得ず。四三、東洋道德は西洋に比し、優るとも劣ることなし、其他形而上、形而下に於て、我國の優れるもの頗る多し。四、金を使用せしむる遊覽設備は進步せるも、產業を開發せしむる設備は遲れたるものゝ如し。例へば遊覧電車よりも產業道路の開發遲きは、國運の發達、遲々たることを證明するものに非ずして何ぞ。四五、家計に於ては入るを計りて出づるを制し、收入金よりまづ以て一部を貯蓄にさき、然る後生活費に充當するやう、明確なる豫算を家族に明示し、これを實行することは、英國人一般に行はるゝ善良なる慣習にして、洵にサウンド且つヘルシーの方法なりとす。資本經濟組織の世に生存するもの、大いに考へざるべからず、米國の如き金の橫溢せる國に於てすら、尙且つ此の分を守る良風あり。二九
三〇四六、佛國にては、國民性として、勤儉に富むのみならず、由來現金拂を主とし手形を使用せざるの習慣あり。四七、月給の全部を蓄へても、其の額や知るべきなりとて、貯蓄を實行せざる人あり。思はざるの甚しきものなり。人は往々、拜金の意義を誤解することあり。四八、今若し月收百圓のものにして、貯蓄の餘裕なしと云ふものは、恐らく月收貳百圓となりても、同じく貯蓄し得ざる人なるべし。「一錢を惜む人は百錢を積む人なり」。四九、銀行を踏臺として、自己の榮達を謀るものは危險なり。營業振を派手にして、手腕を示さんとするものも亦危險なり。徒らに擴ぐるを知つて纏むるを知らざるものも危險なり。局に當る者は宜しく金融機關の忠僕として、終始渝らず、誠意一貫、以て本來の使命を盡せば足る。端心道を守るものは愚者にして賢者なり。五〇、智慧あれども邪曲なれば害あり。又、策士策に倒ると云ふことあり。尙又小細工を弄するものも禁物なり。銀行家は純眞を尊ぶ。五一、銀行家が自ら甘んじて愚を守ることは、蓋し大賢にあらざるよりは成し能はざるべし。緣の下に隱れたる沈勇者ありて、基礎始めて磐石たり。五二、銀行家は素行を愼むべきこと、恰も〓育家、宗〓家に異ならず。單に手腕のみにて能く信用を維持すべきにあらず、宜しく自己を正視し、行藏を愼み、高雅なる品性を養ひ、崇高なる人格を保つべし。五三、凡そ銀行たると、會社たるとを問はず、人の價値には左の件々を注視すべし。(一)本人の業績(二) (ニ) (四)一般)本人の品性協同精神的常識五特殊の智識技能(大)管理者たる技倆七本人將來の價値。五四、銀行家は交際上、飮酒を必要なりと認むることなし。五五、人に敬意を表し、人に推讓を爲すことは交際上の要義にして、又社會共同生活の秘訣なり銀行員は常に此の心掛なかるべからず。五六、近來の行員は兎角上長に對し日常の禮儀を缺く場合多し、蓋し思へらく禮儀を盡しても上長は己れの何人なるやを知り吳れざるべしと、思はざるの甚しきものなり、禮儀正しければ必ず其內には認識せられ、尋で其人物技倆を試みられ、軈て拔擢の楷梯となるを知らざるか。五七、客を重く見よ、仕事を重く見よ、「敬能く聰明を生ず」と云へることあり。五八、凡そ何事に限らず辣腕を揮ひ、又は野心を逞しうし、若くは陰險陋劣なる手段を弄する等、正道に依らざるものは、縱令一時の勢力を得ることありとするも、所謂、天定つて人に勝つ、結局終りは全からざるなり。而も一度び失脚せんか、蛟龍も遂に再び風雲に會する能はず。五九、銀行家は人を欺くべからざるは勿論、同時に人に欺かるゝことなからんを要す。六〇、假りに人に欺かるゝことありとするも、己れに邪なく、慾なければ、斷じて之に陷れらるゝことなし。語に曰く「君子は坦蕩々たり、小人は長へに戚々たり」と。六一、銀行家は、日常の事務を澁滯なく處理すると同時に、平靜沈著にして深慮遠謀あるを要三
三二す。六二、心に弛緩あれば則ち過ち多し、銀行員は絕えず緊張を保ち、造次〓沛も油斷あるべからず。六三、且つ又驕らず、慢せず、常に戒愼を怠るべからず。職に在るものは終生、修業中と心得べし。六四、靜かに急げとは、銀行家のつねに忘るべからざる金言にして、簡かつ明なり。六五、急ぐは過ちの源にして、勉めて倦まざるを以て尊しとす。所謂人の一生は重き荷を負ふて遠き道を行くが如し。「蝸牛そろ〓〓登れ富士の山」。六六、銀行家は怯懦に陷る勿れ、唯夫れ用意周到なるべしと云ふに在り。昔時の劒士の如く心に一寸の隙なきを要す。六七、凡そ人の混同し易きもの、〓ね左の如し。自由と我儘、自由と放任、活潑と亂暴、謙遜と卑屈、愼重と優柔、果斷と短慮、温厚と因循、勇氣と粗暴、磊落と放縱、銳敏と輕率、機智と狡猾、監督と干渉、調査と繁文、施與と賣名、自信と强情、意見と抗議、求助と强請、運用と濫用、說明と遁辭、希望と不平、自信と自惚。六八、〓廉潔白の人は他を容るゝの量に乏しく、聰明銳敏の人は明を用ひ過ぐるの嫌あり。直情徑行の人は正面衝突の恐あり。寛仁大度の人は決斷の勇を缺き、正直なる人は機微を逸するの憾みあり。固より天禀なりと雖、人は宜しく一方に偏せず、自己の長短を省み、中正を考ふべきなり。バランスの取れざるものは必ず傾轉す。六九、人の己れに對する忠告または噂は、全部を聽くべし、而して其の半を採用すべし、蓋し過ちなきに庶幾からん。七〇、追悔は向上の第一歩にして奮闘の第一階なり。七一、銀行內部のことは、一切家族に語るべからず。害あつて益なし。之と同時に家族より銀行に關する依賴、其の他の容喙には一切、耳を藉すべからず。七二、容儀の如何は、銀行內部を推測せらるゝ材料となる、つとめて端正なれ。七三、言葉は人格の表現なり。注意せざるべからず。三三
三四第四章行員の待遇及び心得一、重役を選定するに方り、多年功勞ある行員を拔擢することは、眞に人を遇するの道にして、本人をして責任を感ぜしむるは勿論、一般行員の奬勵となり、奮發となり、有形無形に能率を增進するや大なり。ニ又、上役より行員の存在を認むることは、本人の奮發心及び向上心を導く效頗る多し。而して誠實にして職務に熱心なる者は、必ずや其の存在を認められざることなし。受持の仕事は試金石なり。ニ、上役が絕えず人材を物色する程度は、寧ろ行員が上達を求むる慾念の以上にあり。行員は先づ上役を信ぜよ。されば軈て自分も信ぜらるゝに至らん。四、人に功名心あるは通有性なりと雖、餘り功を急ぎ、名を賣らんが爲め、甚しきは自家廣告に腐心するものあり。元來廣告の多きは粗製品にして、確實性を缺き、剝げ易きものなり。焦らずとも力あれば、其の名は求めずして至る。語に曰く「大道は無名、上德は無德」と。至言と云ふべし。五、人間の妙致は心を順逆の上に置き、思を榮枯の上に立つと。六、又曰く「道を得たる人は、順逆共に樂む」と。「日々是れ好日」と云ふことあり。七、凡そ仕事を愛せざるものは、仕事より捨てらる。宜しく自己の職務を敬愛し、己れの從事せる仕事は、我ものとして働くべし。他人のことゝして働くときは、勞多くして效尠し。禪家の所謂「隨處に主となる」ものか。「我ものと思へば輕し傘の雪」。ハ、若し損失を生じたる場合には自辨すべし、と豪語する者あり、之れ一見奇特なるが如きも、斯かる人は常に損失事件に係り易き人なり。九、紳士と、紳士ならざるとの差は、他人より秘密即ち德義上の愼みを守るべき依囑を受けて、これを守りたるや、否やに在り、といふ說あり。味ふ可きなり。「語るなと人に語れば亦人が又語るなと語る世の中」。一〇、行員を採用し、又之を登用するに方りては、單に學歷のみに重きをおかず、人物、實力、性行及び其の家庭に注意すること肝要なり。一一、行員は我銀行を愛すること、眞に我身を愛するが如く、全員擧つて相互に戒筋し、正道を踐み、美風良俗を發揚し、著實勤勉にして取引の機密を尊び、規律ある言動を守らざるべからず。銀行の利害得失は、即ち行員の利害得失たり。ニ、德は才の主なり、何業に就ても親切心なきものは成功せず。ニー、銀行の信用は畢竟、其の構成分子たる個人の信用の集積なることを忘るべからず。一四、行員は輕佻浮薄を避け、質實剛健の氣風を尙び、品性の向上涵養に努め、目前の名利に馳せず、永遠の目的に向つて全力を盡し、一路精進すべきなり。畢竟名は實の賓たり。一三、人は日常の執務に就ては、兀々として專念事に當り、所謂「茶裡、飯裡、別處に向はず」の心掛けなかるべからざるは勿論なるも、一面氣宇を大にし、恰も洋上に旭の昇るを見るが如き氣持なかるべからず。願くば富士の頂上より太平洋を望むの心地あれ。明治三五
三六天皇の御製に「あさみどりすみ渡りたる大空の廣きをおのがこゝろともがな」。一六、人心は面の如く、各特異の個性を有す、故に自然に備はる特質を發揮すべし。決して己れの個性に適せざる他人の模倣を爲すに及ばず、毅然として自恃の態度を守るべし。恰も金は金たり、鐵は鐵たり、木は木たり、石は石たるの特質を發揮せるが如くあれ、決して鍍金的迷想を挾むこと勿れ、實に模倣は自殺なり。「明月や烏は烏鷺は鷺」ート、一時の流行は恰も小鳥飼の如く、其の盛衰の速かなること驚くに堪へたり。而して人情世態、皆斯くの如し、宜しく精神を統一し、一定の主義方針を守り、自分の本領を失ふなからんことを要す。靜かに達觀すれば、流るべき流れは、流れつゝあるなり。一、不平不滿は多くは働かざるものゝ世迷言なり。自信を以て仕事に專念すれば、不平の起るべき筈なし。宜しく働かずんば食ふべからずとの覺悟あるを要す。「好きこそ物の上手なれ」と云へる如く、興味を以て働くときは、進步速かにして苦勞なく、且つ働の中に必ず自分の全人格を認むるに至るべし。人格は即ち力なり。一六、堪忍せずして後悔することあるも、堪忍して後悔することなし。二〇、人は働くも働かざるも、畢竟自分の覺悟次第なり。即ち心の置き樣、氣の持ち樣、如何に存す。畢竟立つも、倒るゝも、生くるも、死するも、皆是れ己れ自ら求むるによる。人を殺すものは勤勞にあらずして煩悶なり。奮闘を離れて休養なく、娛樂なし。「うつし見よ向ふ心の水鏡仰ぐも俯すも身よりなす影」二一、事志と違ふと云へることあり。志を抱きてすら猶且つ然り、況して志を抱かず、日々目前の不平に囚はれつゝあるものをや。斯かる自信なき輩は如何なる機會に遭遇するも、好運を捉ふる能はず。到底、本舞臺に雄飛するの器にあらずして、結局落伍者たるの外なき者なり。二二、勇敢にして試練を尊ぶ人は、我に八難苦厄を與へ賜へと、神佛に祈願すと聞けり。「憂きことの尙此上に積れかしまことある身の力ためさん」。二三、不平は、之に依りて發奮すれば進歩の一階梯たるを失はず。然るに多くの不平は、自分を何時までも使用人の境地に置きて考ふるよりして來る。何ぞ志の小なるや、新陳代謝は世の習ひにして、運命の進路は刻々に展開されつゝあり、軈て自分も萬人の上に立ちて一切を主宰し、經營の重任を雙肩に荷ふものとし、宜しく其の抱負を大にし、緣の下の力持は覺悟の前として倦むこと勿れ。一尺勉むれば一尺の報あり、百尺勉むれば百尺の報あり。天は人を遇するに決して不公平なるものにあらず。必ずや未來の光明輝かん。「求めよ、さらば與へられん」。二四、不平は多くは自己否認となり、新天地の拓かるゝことなし。人は宜しく他人の爲めに盡せ、茲に我が活路は開かる。二五、借問す、不平子よ、如何なる目標を立て、如何なる信念と如何なる工夫と、如何なる努力とに基きて、如何なる良果を見んと欲するや、宜しく現在に滿足して、將來に滿足する勿れ。兎角不平と希望とは混同し易し。人は須らく希望に生きよ。斷じて自ら墓穴を掘ること勿れ。三七
三八二六、人若し不平あらば、旣に魔道の岐路に立てるの時なり。深く猛省せざるべからず。二七、茲に不平者に向ひ、先づ簡易なる註文を試みんとす。曰く四六時中日記を附けること是なり、蓋し終生日記を怠らざる人は超凡にして意志强く、忍耐と希望とに富む人なればなり。日常の會計帳を附ける人亦同じ。二八、古語に「人事を盡して天命を待つ」と云ふ。近時、人事を盡さずして天命を待つ棚牡丹黨多し。苟も運命の開拓を望まば、唯夫れ自身の腕を恃みとする外なきを知れ。「天は自ら助くる人を助く」。二九、成功の秘訣は、唯成功せんとする決意如何に在り。自ら求めて信用を失墜し、爲す處と唱ふる處と、相反するものゝ如きは、神人共に與せず。三〇、自らを鞭ちて發奮するの氣力なく、先づ人に求めんとするものは、獨立心なき卑怯者にして、將來發達の見込なき人と知るべし。凡そ成功する人は必ず共通の素質あり。三一、何人も勇氣と、忍耐と、誠意とを以て、要所に力を集注し、必ず成し遂ぐる信念を固むれば、成功は求めずして旣に來る。「冬來りなば春遠からじ」。三二、凡そ人の成功は健康、努力、信仰の三者より成る。三三、信仰あるものは、能く眞理の實行に向ひ、一路驀進し、以て世に勝つ。勝利は即ち我等の信仰なり、信仰は人の天性に適ひ、慰安あり、幸福あり。三四、信仰は萬能に對する不拔の信念にして、信ずる力は成功の力なり。三五、信仰あれば、迷はず、疑はず、恐れず、能く總てに打勝つ。三六、純白〓淨の心は信仰より掘り出さる、是れ即ち天意の閃きなり。三七、信仰は生きんが爲めにして、目的にあらず。故に宗〓に縛らるゝ要なし。三八、米國の宗〓は活力素たり、故に進取的信念となる。三九、輕擧盲動は固より戒むべきも、周密なる調査の上、一度び信念の成るあらば、敢然萬難を排して決行するの勇なかるべからず。東〓元帥の好んで書せられたる句に曰く「熟慮斷行」と。四〇、日月の運行、四季の循環、これほど堅實なる成功のステツプはあらざるべし。堅忍、努力は底力强く、泛々たる運命に優るや大なり。而も其の運命なるもの「運は練つて待て」と云ふ如く、畢竟自らの力に依りて自らの運命を開拓するものにして、故なく來り、故なくも去るものにあらず。四一、世に所謂天才なるものも、畢竟するに〓究努力の結果より生る。エヂソン曰く「天才は九十九%の流汗なり」と。四二、僥倖を思ふ勿れ、奇利を思ふ勿れ。勤勉力行、漸を以て大成を期せよ。四三、茫洋たる大海原を、船が如何にして目的地へ進行するかは不可思議なり。只是れ一に羅針盤を信ずると、機關の正しき努力とに由る。四四、我國今日の靑年は、劃一〓育の通弊によるか、動もすれば意氣銷沈の色あり。潑刺たる勇氣に缺くるを遺憾とす。之を米人に見よ、氣字快活にして覇氣滿々、奮闘力に富み、日々に新なること世界に冠たり、而も秩序あり、正義あり、且つ合理的なり、米國の國三九
四〇運隆々たる洵に所以なきにあらず。人は米人を指して拜金宗と云ふも、寧ろ拜勤宗と謂ふべし。勇氣に富むものは不幸を知らず、生氣の發する處靑山あり。四五、節度を重んじ秩序を守るは當然なるも、一四、恰も無人の境を行くが如き浩々然たる氣慨なかるべからず。又奚んぞ尖端に立つの勇なきの甚しきや。四六、或米國〓師は、曾て我學生を鼓舞して曰くBoys! Be ambitiousと、大いに味ふべきなり。願くば若朽となる勿れ。四七、秩序を破壞して不法を行ふものは勇者にあらず。秩序に忍ぶの勇なき怯惰の徒輩のみ。四八、任地や擔當事務につき、彼是いふ者は、自分の昇進を自ら阻害するものにして、蓋しその父兄と共に覺悟の足らざるものなり。英國にては何係にても、何支店にても、同一事務に勤務年數の永きを以て誇とせり。殊に父も、祖父も、此の銀行に從事せりと云ふことは、一層の名譽とする所なり。四九、茲に於て職務に高下なく、適材を適所に配置し、各其の擔當事務に忠實に、且つ永續的に熟練せるものを以て尊しとし、信用益々厚し。固より待遇も其の人に依りて異なる、蓋し上積も下積も、共に同じく重要なる役目を負ふものにして、其の間輕重なし。五〇、他に依賴する身分にありながら、忍耐を缺くものは結局不成功に終る人なり。精進忍辱は勇の本義にして、忍辱に堪ふるの力は其の人の伸長に比例す。知るべし、忍耐は成功の門なりと。五一、健實なる進步發達は階段的にして、其の間停頓、又は下降せず、常に昇進して止まざるを要す。五二、人は漸を追ひ、春秋を重ぬるに從ひ、益々有望視せられざるべからず。五三、所謂新思想は慶すべきか、弔すべきか。人智の進歩か、退歩か。吾人之を知らず。只彼の擔板漢の一を知つて二を知らざるが如き、皮相に陷ることなく、能く全般を咀嚼して過誤なからんことを望む。マルクスの本場たる獨逸に在りては、殆んどマの字も口にせぬ現狀にあらずや、思はざるべからず。或人曰く「マルクスを唱ふる人は世界の夜の明けたるを知らぬ人なり」と。五四、マルクスは量を說いて質に及ばず、權利を說いて義務に及ばず。是れ彼の成功せざりし所以なり。五五、彼の靈蟲たる蜜蜂を見ずや、何等新學問なきも營々努力してやまず、王を立て、規律あり、秩序あり、賞罰あり、一族の爲めには犠牲を拂ひ、温順にして同情あり、外敵と戰うて勇敢なり、精勵努力して倦まず怠らず、終始一貫、任務を盡す。新人を以て任ずる者、果して如何の感をかなす。五六、靑年諸君、兎角昇給の遲きに不滿を抱くもの多きも、彼のナポレオン大帝と雖、嘗て無昇給の儘七年間、中尉に忍びたるにあらずや。五七、人は常に收入の少きを嘆ずれども、物皆順序あり。且つ今の世は其の少額の收入すら甚だ困難とする所なり。凡そ收入增加に從ひ、不知不識の裡に空費を增すは、何人も省みて否む能はざる所、是れ心の弛緩なり。四
四二五八、聖賢、富貴、皆是れ、勉の一字より出現し來る。「道心に衣食あり、學ぶや祿その中に在り」人過つて衣食の獄に繫がるゝこと勿れ。五九、文明は生活の複雑向上なりと云へることあり。收入の增加するに從ひ、生活の向上することは必ずしも排斥すべきにあらずと雖、生活の向上は奢侈を意味せず、故に其の分に應じ自律自制を忘るべからず。先づ生產若しくは節約に向つて、懸命の勇あるを要す。「大人は志を養ひ小人は肉を養ふ」。六〇、凡そ今時の人は、例へば時間にせよ、食事を爲すにせよ、紙を使用するにせよ、或は電燈又は水を使ふにせよ、何事に限らず、浪費を意に介せざる風あり、心せざるべからず。六一、殊に時間の空費は金錢を失ふよりも、奢侈の大なるものなり、何んとなれば時間は再び得べからざればなり。今日この時は千載の一遇なり。「逆さまに年は流れず年の暮」。六二、更に反面より云はば、仕事の前には時間なし、願くば時間に使はるゝこと勿れ。六三、之を外國に見よ、また就中獨逸に見よ、其の勤勉にして節約なる、一事一物をも無駄にせず、一日一刻をも無駄にせず、即ち一滴の水も一片の麵麭も粗末にせざるを以て唯一の信條とし、徹底的に之を實行せり。而かも老幼男女を問はず、國民みな此の心に歸一す、彼國の强き所以、實に茲に存す。六四、獨逸產業の十戒の第一に曰く「一錢の金を支拂ふにも、必ず獨逸國の爲めになる樣、注意せざるべからず」と、即ち一錢の金も國家社會の金にして、積んでは社債となり、株金となり、產業資金となるを云ふなり。六五、米國大統領フーヴア氏が、千九百十九年頃〓糧大臣たりし時、節約宣傳の演說中に日本語を以て「勿體ない、冥加が盡きる」と云へる言葉を引用して、稱揚したることあり。知らず其の本家本元の現狀如何、猶忠孝の二字を某國に向つて問ふが如し。六六、空費濫費を爲すものは謀密ならず。志亦大ならず、到底大事を托するに足らず。六七、儉は吝にあらず。克く蓄へて克く散ずるの道を知らざるべからず。經濟の要道は、利用厚生に在り。六八、節儉に偏すべからず、擬富に迷ふ勿れ、「人は可有樣に」。六九、人動もすれば能率增進を說くに當り、直ちに人の缺乏を云爲して口實となすことあるも、是れ質の問題にして、必ずしも數の問題にあらず。數多きときは心の弛緩を招き、却つて能率の減退することあり。能率の增進、統制の合理化は、寧ろ窮極に因りて發見せらるゝ場合多し。七〇、米國の繁榮は、何人にても、何時にても、何等の情實に囚はれず、直ちに解雇し得ることに依りて競爭心を鼓舞し、以て能率を增進するにありと云へり。七一、米國は能率の增進を主眼として、最少の時間を以て、最大の效果を擧ぐべしと高唱し居れり。人の能率機能を發揮する處に合理化現はる。七二、合理化とは度合ひを計りて宜しきに處するの謂にして、內的あり、外的あり、立體的あり、平面的あり。七三、尙詳言せば、政治の合理化、消費の合理化、經營の合理化、生產の合理化、分配の合理四三
四四化あるも、今や進んで人間の合理化を要求するに至れり。要するに結局は「人の問題」たり。七四、學校出身者が、一度び學窓を離るゝや、讀書研鑚を疎外するの風あり。眞に實力を養はんとせば、宜しく實地の經驗を得て、更に潜心讀書すべきなり。「街頭より書齋へ」と云へることあり。一室にて世界の情勢、萬物の理を知り得るものは讀書に如くものはなし七五、縱令、學校出身者にあらざるも、廣く智識を求め、常識の發達に力め、實務に加ふるに學修の心掛あるものは、二者併せ得て必ず立身出世すべし。努力は天才を產み、精神の集注は事必ず成就す。七六、外國の學校にては、如何にして實社會に有用なる人物を造るやを主眼とし、實際者に學問を授くるを以て、確實且つ效能多しとし、實際と學問、學問と實際、即ち學びと鍛へとの二者交互の〓養をなし、鬼に金棒式の方針を採れり。故に日本の如く高等〓育を受けたるものが、就職難を叫ぶことなし。七七、我國にては學校と實社會と何等の關係なく、單に學校丈けの形式的系統を作り、而も試驗地獄の謗あり、「本讀みの物知らず」を養成する傾を免れず。讀書の要は自習自得に在り。今後の〓育制度は系統の開放は勿論、宜しく實社會に活動する人物を養成せんことを要す。今は即ち役立つ人物を要求す。獨逸の諺に曰く「先づ活きよ」と。七八、同じく小僧上りと云ふも、外國にては實際者に學問を授け、或は大學を卒へしめ、或は博士となれる等、日本のそれの如く、指先の修養のみにて頭腦の修養なきものとは異なり、銀行の頭取、會社の社長、大學の學長、さては大統領に至るまで小僧上りの例少しとせず。重點は一に人に在り。七九、例を米國大統領過去十人の中に見んか、其の六人までは小僧上りなり。又英國五大銀行頭取の中に、四人まで亦小僧上りなり。世は卒業證書よりも、忍耐克己の人を求む。要は實力如何に在るのみ。八〇、學問と云はず、實際と云はず創意的〓究思想を有せざるものは決して發達せず、日々の事務は事務として、苟も忽諸に附すべからざるは勿論なりと雖、一面には、常に大小の意見を上長に提出するの意氣なかるべからず。八一、行員を陶冶し、常に質實進取の氣風を養成せんことに努むべし。節制ある行員を有するものは、堅實なる銀行たることを證明す。八二、本支店上下を通じ、銀行の目的、責務、過去の歷史、現時の狀態、將來の歸趨、營業方針、事務取扱方、行員の心得、規律、和協、〓究事項等について常に訓育を忽せにすべからず。八三、本店と支店間、支店と支店間によく渾融聯絡を保ち、協調一致して事に當るを要す。念頭に本支店の別を挾むこと勿れ。八四、時々、幹部主任の會合を催し、事務の打合及び〓究をなすこと必要なり。但し集合すればとかく思想の問題に觸れやすし。思想的破產に瀕せる今日、其の危險少からず、大い四五
四六に自重自愛して本領を失ふこと勿れ。「人笛吹けども吾踊らず」。八五、部、課長及び支店長等の支配人は、部下を〓育訓練して、速かに完全なる行員に仕上ぐるの熱心と、親切とを缺くべからず。蓋し上長の負ふ當然の責務たればなり。自己の得たる智識、經驗及び調査を後進者に對して秘密に附するが如き狭量は、敢然として排すべきなり。尙强き指導力を以て、一般的に又は人々を見て、法を說くべし。八六、支配人は旣に並行員と異なり、人を統御し、或る程度のことを裁決する責任の地位にあるものなれば、深く自らの人的要素を練磨し、勇氣ある誠を以て、敢然事に當らざるべからず。約言すれば、支配人學の修養にして、是れ萬事の本なればなり。八七、重役が主義方針を謬らず善處すべきは勿論なるも、之を實際に行ふべく各部署の第一線に立てる支配人の任務は、實に銀行の盛衰に關する其責任や大なり。八八、支配人たるものは公平なるべきは勿論、〓と、押と、其外に聲の明朗なることを必要條件とす。八九、凡そ部下に對しては、其の人を信じて、的確に命ずれば、必ず其の結果を見るものなり。九〇、行員中、少しにても不良の性質を帶ぶる者を發見したるときは、躊躇なく處置すべし。若し之を看過することあらんか。這輩の地位の進むに從ひ、不測の大禍を招くの悔あるべし。「一度盜むものは常に盜む」と云へることあり。九一、外國にては、若し不正行員を發見したる時は、敢て自行の名の世間に現るゝことを憚らず、公なる法の制裁を加ふることゝし、以て根絕に力め居れり。是れ銀行の信用を保持する所以なり。九二、常務重役又は銀行員が、一方に於て自己の事業及び商賣を兼營することは、多くは弊害を伴ふ。殊に行員は須らく我道に專念せよ。九三、銀行員は、他の會社の設立發起人たるべからず。禍根これより生ず。九四、伊國の首相ムッソリーニ氏は、處世哲學として說いて曰く「男子須く危險に生きよ」と、何ぞ其の言の壯なる。但し銀行家には禁物なり。斷じて迷ふべからず。只責任を以て進めよとの精神、及び氏の實行せる二十時間勤勞の勇には、大いに學ぶ所ありて可なり。大なる活躍をなさんとせば、唯それ力强く行くべしと云ふに在り。九五、慾望には限なきも、樹は遂に天まで伸びず。良心に背かざる言動を以て、日常を滿足すべし。「常に足るを知れば足らざることなし」「笠着て暮らせ己が心に」。九六、人生は朝露の如しとて、無爲逸樂に其の日を送るものあり。甚しき心得違なり。己れの精神と其の事業とは、永へにして不老不死なり。苟も生をこの世に享くる以上、國家永遠の事業に對し、大いに働き、大いに貢獻すべきは當然の責務たり。九七、父兄が偉人傑物たりしとて、子弟必ずしも之に肖るものにあらず。世の荒浪を知らざるものに、直ちに要職を與へ、之に經營を委ぬるは危險なり。世路崎嶇として慘風悲雨多し、須く父兄の尊き經歷に鑑み、困厄に投じて實力を磨かしめ、自ら修練を積ましむべし。諺に「獅子は我兒を千似の谷に落す」と云ふにあらずや。九八、昔より「可愛い子には旅をさせよ」「愛ある者に鞭打てよ」と云へる諺あり。由來溫室四七
四八育ちの坊ちやんは、到底大役に適せず、百練千磨、辛苦艱難を甞めて初めて千金の値あう九九、父兄の支給を受けてのみ學問したる者には、人生の基礎工事として、自給自足、獨立生活の精神的實際學を授けざるべからず。人の眞の愉快は困難に打勝つことに由りて生まる。一〇〇、金の傀儡となり、周圍の巧言令色、阿附追從に曳かさるゝ薄志の輩をして、要局に當らしむるは危險なり。銀行業者は頭腦最も冷靜に、意志最も鞏固にして、克己心あるものたるを要す。「信言美ならず、美言信ならず」とは銀行業者に取りて殊に服膺すべき金言たり。第五章銀行と顧客一、顧客を重んじ、親切を盡すは、銀行繁昌の本なり、顧客をして銀行に行くこと、恰も倶樂部に行くが如き心持たらしむべし。ニ嘗ての銀行家は財界のリーダーとして自他共に許したり。現代の銀行員にも財界人をリードせんとするの意氣込ありや。追隨外交のみが取引先擴張方法の凡てなりや。取引先に對する眞の親切は財界の本質、前途等に就き良き顧問たるにあり。ニ、親切と危險の引受とは、勿論混同すべからず。四、貸出先を精選するは勿論、預金者も亦同樣に選擇するの必要あるを感ず。即ち平素に於て、相互の理解と、信賴あることを要す。諺に「量よりも質」と云へることあり。五、取引を開始するに當り、當座契約を爲すには愼重なる選擇を要す。是れ總ての取引の關門にして、其の良否の影響する所、廣く且つ大なればなり。六、總て取引の初めに當り人格、經歷、系統、因緣、仕振、手腕、取引先、資產、信用等を調査し、幾分にても疑惑を挾むものに對しては、取引を開始すべからず。後日必ず整理の時來る。七、當座取引を開始するに當り、相當信用ある人の紹介又は保證ある場合と雖、直接申込を受けたる場合と同じく、充分の調査を爲すべし。又取引開始を急ぐ者には注意すべし。八、銀行より希望して取引を開始したるものと、先方より店頭に來りて取引を求めたるもの四九
五〇とは、信用上逕庭あるを免れず。生命保險にありても亦然りと。れ、外國にては、當座取引は容易に開始せず。又開始したる後は、常に其の取引先の內容狀態を調査するが故に危險少し。隨つて小切手は一般に、安心して流通せらるゝなり。現に他行の小切手用紙を使用するも、何等懸念なく通用せらる。-0,公的又は內的に不渡の實あるものは、如何なる名義名稱を變用するに拘らず、取引を開始すべからず。是れ銀行の權威を尊重するものにして、併せて自他の安全を保つ所以なり二、或ものに對し、早晩危險の來るべきことを感知したるときは、未だ〓〓と云はず、現に其の危險が目前に橫たはるものと見做し、早く回避するに如かず、所謂、安全第一とはこれなり。三、銀行經營の目標を、一言にして盡せばSafety I st, Service 2 nd, Profit 3rd. (安全第一、奉仕第二、收益第三)なり。ニー、顧客の便利を圖り、その取扱に親切叮嚀なるべきは勿論なるも、その度を過ぐれば知らず、識らず、軌道を外るゝことあり。算盤の基礎を外れて勉强を爲すは、車の心棒の磨滅し行くが如く、己れを知らざるものなり。平素能く常道を守り、漫りに不當の競爭に馳するなからんことを要す。一四、銀行は日常の爲めには御上手をなすも可なり、然れども永遠の爲めには、斷じて御上手をすべからずと。洵に意味ある言と云ふべし。一三、銀行家は交渉に懸引を用ふべからず。懸引は時を費し、疑を挾み、結局、自ら損を招くものなり。況んや場當りの間に合せをや。人を信ぜしめんとせば、先づ以て自己を信ずるに如かず。所謂信以て之を貫くとはこの謂なり。一六、今や各國の外交に於て、權謀術數を弄するは舊式に屬し、正義正道に基かざれば必ず失敗すと云へり。一や、顧客の要求を拒絕するは可なり、併し其の拒絕には意義なかるべからず。場合に依りては充分の說明を爲すべし、顧客も亦、單に自分の要求が容れられざりしとて、徒らに不滿を抱かず、靜かに其の理の存する處を考へ、自他將來の爲め、宜しく反省するの大度なかるべからず。此理解なきものは、顧客も亦、何時かは失敗すべき素質を有するものなりと知るべし。一、銀行の第一線に立つものは、力めて優秀者を選ぶこと必要なり。即ち機敏にして慇懃、且つ愛嬌あり、事務に習熟したる者を以て之に充つべし。凡そ事の成敗はかゝつて第一線者にあり。是れ顧客の眼に第一著に映ずる銀行の寫眞なればなり、此の意味に於て電話を掛くる行員も亦、第一線に立つものと心得べし。一人の客は百人の客の代表者なり、心せざるべからず。一九、正當に爲すべき事を盡して、相手方に快感と滿足とを與ふる者は、自己の任務を重んずるものにして、併せて自己に忠なるものなり。二〇、外國にては、客が氣に入りたる品物なきときは、見さがしたる後に於て、縱令一品をも五一
五二買取らざる場合と雖、店員は更に厭やなる顏を見せず。是れ客本位なればなり。二一、米國にては「素見客を大切にせよ」と云へる標語あり。斯の如くして始めて店は繁昌す。二二、得意先の或者は視點を高きに置かず、自己に對する便不便のみを以て、直ちに善惡の批判を下すものあるも、銀行必ずしも不當ならず。即ち銀行は永遠に對する方針を以て進まざるべからざる大責任あり。是れ往々、得意先の意見と軒軽を生ずる所以なり。此の邊充分の理解あらんことを望む。二三、預金者と借主とは全く其の意志を異にす。銀行は奉仕の前に先づ安全を第一とするが故に、悉く借主の滿足を買ふ能はず。人は之を自己擁護と云ふも、實は預金者擁護なり。二四、凡そ賣手と買手とは、其の立場を異にするはやむを得ざるも、銀行が無理を云ふか、得意先が無理を云ふか、嘆聲を發せしむる場合一再にして止まらず。願くは、人を利し、而して己れを利するを忘るゝなかれ。米國の商賣が、大きく永く繁昌する所以は實に此の主義に原因すと云ふべし。二五、銀行と顧客とは互扶互助の間柄に在り、更に反面より云へば、銀行に鞭を加ふるものは顧客なり、顧客に鞭を加ふる者は銀行なり。二六、從來兎角不滿の鞭あれども、眞の鞭を加ふるものなし、若し眞の鞭にして理解あり、威謝の念生ぜば、則ち共に萬代安し。二七、若し顧客が欲する儘に金を貸さんか、猶子供の望むが儘に菓子を與ふるが如し、是れ果して親切なるや、慈愛なるや。金を多く借ることは、必ずしも他日の幸福たらず。二八、銀行は、一方に損するも、他の一方にて儲かれば可なりと云ふが如きものにあらず。-度び損すれば、容易に取返しの付かざる手數料商賣なり。故に一口にても其の取扱は忽諸に附すべからず。二九、朝に千金を獲るものは、夕に千金を失ふ。是等は全く銀行業と其の性質を異にす。三〇、世には銀行に對し、貸出を寬大にすべしと强ひ、又貸倒れを生じたるときは、銀行の放漫を云々するを例とす。而かも自分自身は其の營業の根本に向つて、獨自の改善を圖り、若しくは自發的努力の道を講ずるもの少し。金融の便否は勿論、營業の消長に關する所大なりと雖、自分の本體を養はずして專ら人にのみ求めんとするものは、吾人之に與する能はず。「君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む」。三一、自力本位を捨てゝ、專ら他力に倚らんとするものは、緊縮時代に際會し、第一に大なる打擊を受くるものなり。三二、凡そ金を借らんとするものは、同時に返濟の方法を講じ置かざるべからず。只單に銀行より金を引摺り出さんことにのみ腐心し、銀行を非難攻擊するものは、偶々自己の不信を廣告するものなり。三三、銀行は貸金を業とするも、活きたる資金をこそ供給すれ、人の失敗の尻拭をなすの義務なし。銀行は融資よりも預金の安全を第一とす。三四、分不相應の融資を受けながら、行詰りの結果、更に救濟資金を受けんとするものあり、思はざるの甚しきものにあらずや。五三
五四三五、銀行の資金は救濟用にあらず、活動資金ならざるべからず。三六、銀行の金は預金者の金にして、只善良なる注意の下に之を運轉するものなれば、顧客も常に其心して大切に使用すべきは論を俟たず。三七、若し預金者に迷惑を被らしむることあらんか、同時に財界に波瀾を及ばすものなり。三八、世の批評家は常に曰く、銀行家は一種の高利貸にして、金融業者として產業の發展に資する者に非ずと。是れ得手勝手の攻擊に過ぎず。かゝる非難者が何處に確實なる放資物の忘れられたるかを、具體的に明示したること、未だ曾てあらざるを遺憾とす。銀行家は故なく石橋を叩く者にあらざるも、現に英米の貸付は、季節に由る小口貸付の外は、大體擔保付を原則とす。社債に於ても亦然り。三九、又世人は、銀行が損害に引掛りたるを咎むるに嚴なるも、銀行に損害を與へたる者を責むるに寛なるは、冠履〓倒の嫌あり。是亦社會制裁の弛緩せる證左にして、社會制裁の弛緩は、一國の進運を阻害するものなり。今や我國ほど背信背任行爲の制裁の寬なるところはあらざるべし。故に今日の狀態は、嘘に始まり嘘に倒る。四〇、借りたる金は必ず返濟すれば文句なし。今日の狀態は過當なる借入の行詰りにして融資の硬塞にあらず。貸したる銀行が監督を怠りたる罪もあれば、亦銀行を誘ふて借り過ぎ、而も之を不當に使用したる事業家も罪更に大なり。四一、無謀なる經營者に對しては、數年間の計畫を以て救濟せんよりは、寧ろ數年間の計畫を以て徐ろに、處分するに如かずと說くものあり。四二、成程破綻するものは破綻し、縮少するものは縮少せざれば、財界の刷新立ち直りは行はれず。若し彌縫を以て生命を延長せば不健全の持越となる。併し是れは程度の問題なるべし。四三、或る債務者は平然として放言すらく、借金しても心配の要なし、心配するものは唯夫れ債權ある者のみと。又曰く、金の無きものに向つて返金の催促をなすは、催促するものの誤なりと。かゝる一般精神にして改善せられざる限り、銀行家の改善も多きを望み得ず、洵に浩歎の至りならずや。況んや財產を隱匿して銀行に損失を蒙らしめ、以て平然たるものをや。道義觀念の衰退せる、今日より甚しきはなし。如何にして國富の增進を謀るべきや。四四、イタリーにては科學的管理法を實施せざる事業には銀行は資金の融通を爲すべからずと經濟省より指示されありと。我國の銀行にて貸金を爲す場合には擔保物の評價にのみ重きを置き事業經營に献策するの親切にまで及ばざるの憾なきか。四五、銀行は其の資金貸出先に對してお目付役を派遣するのみにては不充分なり。管理經營の指導者を派遣して被貸付事業の隆昌を助け、一面得意先の好意を增すと同時に他面貸付元利金の安定を期すべきならずや。四六、一人一行主義は理想とする所なり。併し今日の狀態は人と經營と、そこまで進歩發達し居れりや。理想の到達には尙〓究の餘地尠からざるべし。四七、平素商賣及び事業の狀況、計畫等の總てを銀行に打明け、其の諒解を求め置き、且つ自五五
五六己の分度を守りてこそ、一行主義も行はるゝものなり、單に取引が一行なるの故を以て、行詰りの場合に、救濟をその一行が脊負はざるべからずと云ふが如きは、勝手極まる一行主義にして旣に其の根本觀念に於て、大いなる謬ありと謂ふべし。四八、一行主義は自分の總てを銀行に打明くることに依りて、分不相應を縱まゝにせしめざることに效あり。四九、一行主義は銀行をして預金の出入と、手形取引の狀況を知り得て、之に依りて其の人の一進一退の眞價を知悉せしむ。五〇、然れども大會社に在りては、其の貸出は到底一行の負擔し難き事情あり、其の大小に依り數行分布も亦一方法なるべし。此の場合には必ず數行の聯絡協調あるを要す。五一、米國は多行取引主義なるも、信用調査交換の制度あり、以て間隙に乘ぜらるゝの危險を防ぎ居れり。五二、商工業者が行詰りを來したるときは、決して糊塗せず、有の儘の事情を銀行に具陳し、救濟を求めしむる樣、注意するを要す。然らば再興の日必ず來る。五三、實業家が彌縫に彌縫を重ね、虛僞に虛僞を重ね、行詰りの極、銀行に大なる損害を被らしめたるは、我國の一大通弊なり。獨り銀行の罪のみならんや。五四、銀行會社と云はず、商人と云はず、彌縫は大禁物なり。總て物は倒るゝ日に倒るゝにあらず、旣に遠因あり、近因起れば則ち倒る。五五、凡そ何人も平素の用意が大切なり。今百貫の重さに耐へざる橋あり、九十九貫の荷物には異常なきも、之に一貫を加へたるときメリ〓〓と落ちたりとせよ、人は一貫の爲めに橋が落ちたりとは云はんも、事實は然らず、旣に九十九貫の重荷を支へたるが故に、僅か一貫の爲めにも落ちたるなり。猶平素身體の不養生を重ねたる者が、些細の事にて發病するが如し。醫家の所謂、蓄積作用是なり。休業銀行も亦夫れ蓄積作用の類か。五七
五八第六章不當競爭一、競爭は即ち奮勉にして、進步發達を促進するも、不當不正の競爭は資本及び勞力の浪費多く、社會に害毒を流し、且つ結局自分の失敗に終るものなり。是れ啻に銀行のみにあらず。方今の實業界みな然らざるはなし。人は須らく中道を歩むべし。ニ多くの場合に於ける勉强なる言葉は不當競爭を意味す、愼むべきなり。ニ、銀行が正當なることを云へば、寧ろ得意先の機嫌を損ふこと多し。故に不正當と知りつつも枉げて相手に從ふを常習とす。固より自信の薄きに因るとは云へ、是れ亦不當競爭より來れる一弊害なり。如何なる場合と雖、守るべきは守り、決して安全點を踰ゆべからず。四、銀行は弱きものなりと銀行自らも許し、周圍のものも自然に斯く信ずるに至れり。誠に謂れなきことにして、是亦不當競爭の弊なりと謂ふべし。敢て威張るの意にあらず、只當然のことは自他の爲め、決して枉ぐるの要なし。銀行業者よ、須らく共に信念の强からんことを期すべし。五、銀行破綻の原因を大別すれば、不當競爭に依る高率預金と、情實因緣による不純貸出と、幹部の不正行爲とに歸著す。六、勉强にも二樣あり。商工業者と相提携し、資金供給の利便を圖るは、銀行當然の職務上、大いに努むべきも、顧客より我儘勝手なる無理を强ひられ、之に追從することは不可なり、如何に人氣商賣とは云へ、守るべきは守り、決して惡罵冷評を恐るべからず。不合理なる貸出强要の如きは云ふに及ばず。例へば茲に貸借の約束をなし、互に準備を爲したる曉に於て、若し銀行より破約したりとせんか、恐らく大問題たるべきも、相手方よりの破約は、平然たる慣習なるが如き、甚だ不道理にあらずや。商品賣買の契約を取消すには相當の賠償あるも、銀行關係には未だ賠償あるを聞かず。又貸出金に對し、相手方は取組後市場利率の低下したる場合、若くは手許金の都合に依り、契約期日內と雖、何時にても返金するは自由なりと心得るもの尠からず。得意先は義務を守らざるも可なり、銀行は絕對に義務を守らざるべからずとは、片務的にして不思議なる現狀なり。斯の如き損失の埋合せが自然、廻り〓〓て第二流物に對する高利貸金となり、不知不識の間に不良化することゝなる。其の他、預金及び貸出の利率は云ふに及ばず、手形入金、手形取立に對する利息起算日、交換後手形の利用(寧ろ惡用)若くは振込日及び付替日の如きに於ても、種々不合理の要求を受くる場合多し。銀行業者は勉强の眞意を履き違ふべからず。七、受入起算日の如きは、事小なるが如く、又遊金ある場合には、いづれになるとも損得なきに似て決して然らず。不合理の取扱は紊亂の因となり、自然一般の不取締となるものなり。八、或る人は曰く、某銀行は勉强して種々の便利を圖るが故に、取引銀行に指定すべしと、蓋し其の勉强とは、變則的便利を與ふるの謂にして、畢竟自他の信用を毀損するに至ら五九
六〇ざるもの稀なり。これ勉强の意義を履き違へたるによる。れ、自己を愛するが如く、自己の金融機關を愛するものは銀行に無理を强ひず、合理的に利益を得せしむる樣、取引銀行をも保護すべきものなり。「所謂己れの欲せざる所は人に施すこと勿れ」。一〇、一流銀行は一流を、二流銀行は二流を守らば、不當競爭、混戰狀態の弊を減ずべきか。例へば中小取引先に對する奪合を避け、又一流の大銀行が遊資に苦しむ反面には、二、三流銀行は資金流出となるべし。此の場合には一流銀行は進んで自ら預金の利下を爲し以て自衞策を講ずると同時に、併せて是等二、三流との調和を圖るべきなり。ニ、一方に遊資に苦しむと稱しながら、其の反面に於て預金の奪合ひに努むるは、未だ以て大銀行たる態度に缺くるを免れず。一二、大銀行に資金偏傾せる爲め、金利を低下せしめ、之が爲め二流銀行を二重に壓迫し、困憊に陷れたる例は數十年前、英國の金融史の示す所にして、自然の趨勢に因るものなり。只强者の態度は大いに愼むべきものあらん、即ち其の態度如何に依りては、或は壓迫攪亂となり、或は之に反して進歩發展の助長となる。恰も自國に優秀なる軍艦を有するの故を以て、國際的に橫暴を逞しうせんか、世界は常に修羅の巷となる。然るに之を善用すれば、能く世界の平和を保持するが如し。驕るもの久しからず、天は盈つるに禍す。ニー、遊資は、中小銀行を通じて中小商工業者を援助するに至らば、景氣恢復し、之が因果は循環して、商工業の繁榮を招き、遊資も隨つて憂ふるに及ばざるべし。一四、大銀行に預金の偏在することは、世界の大勢にして、必ずしも變態的にあらず。併し其の運用にして、若し細民の資金、即ち貸方には還元せられず、强く大なる或債務者のみに利用さるゝことゝなれば、大いなる考へものにして、金融に普遍を缺き、中小商工業の存立を脅威することゝなる。尤も此の資金を以て、眞に國家的に助くべき企業者に供するは妨なきのみならず、寧ろ進んで爲すべきなり。一三、兎に角、偏在せる資金の運用に就ては、大いに愼み、大いに考へざるべからず。然らざれば時に不景氣の助長となり、又變則に中間景氣を招くことゝもなる。一ち、急激に預金の偏在するときは、資金の運轉上自然濫用を免れ難く、結局煩累の因となるもの多し。心せざるべからず。一、預金爭奪及び不當競爭防止の爲め、預金勸誘員を廢止又は制限すること、及び贈物、其の他の誘導方法の、廢止又は制限をなすことを要す。宴會政策も亦然り。一八、貸出勸誘の目的を以て、行員を外部に派遣することも亦之を避くるの要あり。貸出競爭の弊も決して尠少なりとせず。協調を破るもの、獨り預金の競爭者のみにあらず。總て德義上の泥棒は互に戒むべきなり。一九、折角預金協定に依りて、或る器に容れられたる水を、貸出競爭に依りてドシ〓〓漏らすの愚に陷ること勿れ。二〇、敵國外患なければ則ち亡ぶと云ふ、然れども協調の精神を破り、內輪同志の紛爭を釀すは內國內患のみ、亡びざらば不思議なり。六一
六二二一、例を商品賣買に見んか、買入の競爭もさることながら、寧ろ賣出競爭の弊害多きに居らざるか。二二、我國割引市場の發達せざるは、若し割引手形を市場に出さんか、之を端〓として得意先を奪取せらるゝの恐れあるが爲めなりと。是れ亦貸出競爭の一弊害なり。二三、抑々銀行は、公共的金融機關たるに拘らず、互に不當競爭をなし、公共の利害を顧みざることあり、是等は到底天職を全うする能はざるなり。二四、口に一行主義を唱へながら、他行の取引先を奪取せんとする現狀に於て、我國の銀行と得意先との關係の不規律なるは、根本的病患なり。二五、下級行員の流言にても、內輪のみに止らず、對銀行の問題となる故、注意を要す。二六、今や世界の大勢は、競爭時代より聯合提携の時代に移りつゝあり、國際聯盟、不戰條約、歐洲經濟聯合、國際決濟銀行等皆是れ思潮の表現なり。經濟界の先驅者たるべき銀行家の一考に値せずや。二七、富の偏在、金の偏在、銀の過產、關稅の障壁、世界商賣の不況を招來する所以にして、總てものゝ終局は普遍的に疏通せざれば止まざるものなり。第七章銀行と社會一、銀行の改善は、獨り銀行のみにて達成し得らるべきものにあらず。必ずや一般世間の援助なかるべからず。然るに今日、破綻銀行の多くを見るに、獨り銀行の罪のみにあらずして、周圍の事情が餘儀なくせしめたるもの多きを認む。相共に猛省すべきなり。ニ、融界の一角崩るゝとき、世人は平素よく銀行を理解し、一波は萬波を生ずるものなり。徒らに風聲鶴唳に驚くこと勿れ、銀行が預金者に負ふ所大なると狼狽は自他を害ふ。金共に、預金者も亦、銀行に負ふ所大なりと謂ふべし。愼まざるべからず。ニ、き間柄なり。元來、銀行は顧客に對して、故に相倚り相援くる本旨に基き、親切なる相談所とも云ふべく、相互に表裏なく、互に杖となり、營業の實況を諒解せし柱となるべむるを要す。四、銀行は營利會社たると同時に、一面公共機關なり。故に收益にのみ沒頭する能はず。茲てか平素口にする間も皮相の觀察に走らず、に於て顧客もまた我利主義をすて、「健全」を如實ならしむべし。銀行をして安んじて進むべき道を踐ましむべきなり。壓倒的に銀行に臨まず、株主も高配當を强ひず、茲に於世五、銀行は質屋と異なり、商工業者の產業資金を供する使命を有するも、他人の金を運轉するが故に、安全を第一とするは當然なり六、對銀行の相手方は一寸の範圍を見て論ずるも銀行は一尺の間を見て判斷す、是れ其立場を異にする所以にして相當の距離ある所なり。六三
六四七、世の文化は進步せりと云ふも、そは物質的文化の謂にして、精神的方面は却つて退歩し、兎角噓の世の中となれることは寔に浩歎すべきなり。信用を基調とせる銀行業者は、此の間に介在して、如何に處すべきや迷はざるを得ず。現に昭和二年の恐慌の如きも、見方に依れば嘘の行詰りなりと云ふものあり。米國に於ては、職業道德に就て、同志が大いに講究し居れり。ハ、外國に於ける物質的文明とは、精神文化の結晶たることを思はざるべからず。然るに我國にては、之を誤り、心と云へる文化の基礎を捨てゝ、眼前の物質にのみ走りたるため、今日の惱みに陷りたるものにあらずや。た、商業道德に就て論ずべき點多々ありと雖、勢ひ政治道德及び國民思想、並びに學校〓育に論及せざるべからざるを以て、姑く之を他日に讓る。但し商業道德は、日一日と其の緊要なるを高唱せざるを得ず。外國の學校は必ず宗〓〓育の伴ふあり、依つて道德觀念を養ふも、我國の學校〓育は公然、宗〓と沒交涉なり。一〇、一說に、學校に宗〓を交へざるが日本の特色なりといふ。然らば社會に於て、成人に對する德育の機關ありやと云ふに、遺憾ながら無しと答ふるの外なきなり。寧ろ滔々として道德を破壞する實物〓訓の多きを悲しむ。二、今や世を擧げて一種の運動に依らざれば何事も成らず、茲に於て白晝公然收賄の行はるるに至る、正義正道も全く地に墜ちたりと謂ふべし。外國に比し我國の劣れる點は眞摯を缺けるに在り。根源の廓〓は實に今日の急務なりとす。第八章預金及び利息一、一人または一口よりなる巨額の預金は、一時に資金の增加を見ることあるも、引出又は利率の點に於て、脅威を受くる場合少からず、大いに考慮を要す。ニ、英米にては、小額の當座預金に對して、預金者より手數料を徵收せる銀行あり。ニ、英國にては、當座預金を無利子として、其の內、一定の据置き通知預金的のものに對してのみ利子を付し、若し其の定額を下るときは、反對に手數料を徵收す。要するに彼國の銀行預金は、支拂資金の預託なるも、我國にては然らず、全く其の觀念を異にす。蓋し時勢と共に改まらんか。四、先づ以て普通商業銀行、貯蓄銀行、勸業及び農工銀行、不動產銀行、信託會社は各其の名の如く、其の實を具備せざるべからず。五、我國は獨逸及び佛國と異なり、英國式の預金銀行にして、預金を資金となすを以て、預金に就ては常に〓究を怠るべからず。六、預金銀行たることは英國に傚ふも、如何せん、國富及び商業經濟の進歩はるかに及ばず、殊に貸出方に就ては、四圍の情況、全く彼と相反し、恰も木に竹を接ぎたる觀あり。且つ又我國の法律制度は其の範を、或は英國に、或は米國に、或は獨逸に採りたるものにして、其の間互に聯絡を缺き、相牴觸する場合尠しとせず。七、預金の增加を圖るが爲め、無理をなすべからざるは勿論なるも、預金銀行たる以上、預六五
六六金は總ての構成基礎となるものなり。八、所謂金持と唱ふる人は、當然自分の負擔すべきものを無理に免れんとし、而かも己れの得んとするものは普通人の倍額を强要する癖あり。た、銀行の良否は、徒らに數字の多寡のみにて判斷すべからず。實質、經營振及び支拂準備の實力如何を正視せざるべからず。-0、新銀行法の細則に依れば、從來とは數字の現はし方に相違ありて大いに進步せり。今後は其の內容の考査に利便を得ることゝなるべし。ニ、預金者のみならず、借手も亦貸手の優良なるものを選擇するの必要あるを忘るべからず。然らざれば非常時に際し、不測の迷惑をうくることあるべし。實例乏しからず。一二、同業者よりの預金は、無制限に預らざる樣、注意を怠るべからず。且つ利息は低率なるを要す。然らざれば資金需給の時期、彼我同時となりて、不慮の犠牲を拂ふこと多し。從來恐慌ある每に、極めて深甚の影響あることを如實にせり。即ち同業者に就ては、預金貸金共大いに〓究し、格段に注意を拂ふ必要あり。其の他の金融業者に就ても亦同じ。ニー、「コール」の取手すら殆ど杜絕せる際に、都會の銀行は地方銀行よりして「コール」の利率以上なる通知預金を預け入れられ、月末に至つて引出さるゝ等、寧ろ滑稽的に利用せらるゝ實例を見ることあり、思はざるべからず。是れ同業者の預金は考へものなりと云ふ所以の一なり。一四、普通銀行に於て、零細なる預金を主として取扱ふことは、一朝事あるとき、預金者の理解少く、その點、考へものにあらざるか。乍併、小口預金は平素に於て、良き預金なりと云ひ得べき一面あり。一三、英米の大銀行にても、貯金函を得意先へ配り置くものあり、時間外預金の受入袋を備付くるものもあり。然れども、我國の如く、主として預金取込みの趣旨より發するものにあらず。一は公衆に便利を供すると、一は子供の時より貯蓄心を養成せしむるに在り。一六、預金主義は結局、資本金主義に變化すべしと唱ふるもの、近時漸く多きを加ふ。是れ主として、銀行が預金に伴ふ種々の脅威を威ずる點より、來りたる議論なるべし。一七、別項に述べたる如く、同業者の預金利率は特に低からしむるの要ありとする理由は、都會銀行には前數項に述べたる如く、支拂準備上又は資金運用上、斯かる不利不便あるが爲めなればなり。預くる地方銀行も、宜しく之を諒とせざるべからず。一八、地方の金が都會に集中することは、相當考慮を要すべきも、如何せん放資の適當なる對象物件乏しければ、都會へ流出するは已むなし。猶有爲の人材が都會に集中するが如く、自然の勢にして、その間、國境なし。若し廣き意義に解すれば、地方と都會と有無相通ずるものにして、何等非難の要なしと云ふを得べし。一九、尤も是れまた程度の問題にして、地方の產業資金涸渴し、而かも一面都會に於て不健全なる資金に濫用せらるゝことありとせば、大いに考慮せざるべからず。但し產業盛んなる地方には、必ず資金流入し來るは原理にして、亦事實なり。敢て憂ふるに足らず。二〇、遠隔の地方銀行が、都會に於ける眞摯なる相談相手を有せずして、自ら都會に融通する六七
六八ことは、手形に於て將た擔保品に於て、二流三流以下のもの、若くは不正品を摑まさるる等危險多く、失敗の實例乏しからず。而も一口の金額は大抵多額なり。二一、故に地方銀行は、米國の如く、都會銀行と親密なる聯絡を結ぶを以て安全なりとす。二二、預金切捨は萬已むを得ずとするも、一般の義務觀念に及ばす惡影響は寒心に堪へざるものあり。殊に目下世上に用ふる切捨なる言葉は、穩當ならず。漫〓子曰く「切捨御免」と。二三、預金切捨の不當を堂々と攻擊する一方、銀行よりの借入金は利子免除、元金何割減、これ當然の權利なるかの言動をなすものあり。矛盾の極なり。二四、小銀行の分立は、支拂準備の重複に依り、勢ひ金利高の一因となる。二五、金利高きが爲めに、事業興らずと云ふはあたらず。事業興らざる時は金利低く、事業興るときは、金利從つて高きを事實なりとす。即ち資本の働きは金利問題以上なり。第九章貸出と貸越一、銀行は一方に預金者を華客とすると同時に、又一方に借入主をも大切なる顧客とし、之を歡迎することは論なき處なり。勿論借主あるが爲めに營業となる、然れども貸借には弊害伴ひ、之が爲めに銀行の破綻となるが故に、刻下の急務として、本書は主として其の害を戒め、其の利を說かざること、旣に〓言に述べたるが如し。決して貸出の拒絕を說くものにあらず、讀者宜しく眞意の存する處を諒とせられんことを望む。ニ、大銀行と雖、遊金の消化に急なるあまり、自制心を逸し、常規を逸して低利の貸出を爲し、却つて自行の一般貸出利率の低下を誘ひ、加之更に他行全體の貸出にも影響を及ぼすことあり、故に遊資を日本銀行に棚上げするも亦一策なりと說くものあり。三、米國に於ては、不良貸付を生じたるとき、必ず當該期中に銷却を强要せらる。我國の不用意、不謹愼なる銀行は、往々之を順次に繰越し、啻にこれを隱蔽するのみならず、加ふるに未收利子を元金に繰込み、旣收利子として貸出を增大し、或は出納係手許の假勘定と爲すことに依つて、利益計算と爲し、却つて益々不良貸を增大するの弊あり。況んや一難去つて一難來り、次ぎ〓〓に此の種の不良貸付を生ずるに於てをや、元來、一度び不良貸付を生ずるや、到底短日月に整理し得べきものにあらず。四、不良貸金及び固定貨金を生じたる時は、成るべく早く積極的整理を斷行せば、縱令一時の不評と苦痛はありとするも、將來の基礎を固むるは勿論、一朝恐慌來の日よく之に對六九
七〇抗し得べし。五貸出の初には純を尊び、回收の境は須く斷なれ、曰く、純なれ、斷なれ。六、顧客より銀行員への贈物は其の大小の程度に正比例して、其の包藏したる危險を後に必ず出現す。七、苟も眞に改良をなさんとせば、他の振合等に頓著せず、人は人たり、我は我たりの堅き自信を以て、邁進せざるべからず。八、何事にも自信强く、獨往獨歩は獨逸の國民性にして、同國の强き所以もまた茲に胚胎す。彼の全世界を敵として戰ひ得たるは、偶然にあらざるなり。れ、某將校の實戰談に曰く「彈丸雨飛の間に馳驅するも、彈丸の中らざる信念を持するときは、彈丸は決して中るものにあらず。其の理由は今猶判明せざるも、此の自信に對する事實は間違なし」と。蓋し眞の自信なるものは、萬事皆斯の如きものなるべし。一〇、取引の當初に於て、迎合又は結合等不純の存在する場合は、其の結果必ず面倒を生ず。ニ、借入者が來りて說明することは用心深く聞くも、部下の主任者が有利に說明することは安心して聞き、遂に之に釣込まるゝ失敗あるは事實なり。ニ、貸出は、何人の紹介よりも、先づ以て、平素の取引帳簿を唯一の紹介者とせざるべからず。ニー、如何なる場合と雖、貸出に際しては其の都度、當座取引原簿の參照を怠るべからず。取引狀態を通覽せば、必ず首肯する處あるべし。彼の貸出に急ぐため、單に名目上の當座取引を爲すが如きは、假裝にして眞意に背反す。故に此の類に屬するものは、其の結果、多くは回收不能に陷る。一四、相當の紹介人ある場合と雖、從來取引なき先には貸金を爲すべからず。此の種の多くは規定に適合せざる貸金にして、かつ回收に面倒を來すぺし。一三、規定に適合せざる貨金の紹介人は、全く無責任なる人か、然らざれば大いに信用ある人なるも、自ら保證の責任を負ひ、又は自分で貸付くるの勇なく、寧ろ回避の趣旨よりして銀行に轉嫁せんとする場合多し。殊に行詰りの際に於ける紹介人は有害無益たり。一六、經營は勿論縱令一口の貸出たりとも當初純眞の判斷によらずして、苟も一點の自己を挾むときは後日必ず面倒を生ず、正義正道に遵ふものは結局最後の勝利者たり。「正しきものは强し」。一、、貸金の回收に大勇ならんよりは、寧ろ貸出の初めに當りて、拒絕の沈勇あるに如かず。一八、賢者は先づ考へて行ひ、愚者は行ふて後考ふ。銀行は宜しく一步先んじて考へ、一步退いて斷ずべし。一九、不當貸出に依る禍源は、最初の取引開始の際に發生すること少からず、當初應接の際、相手方の信ずるに足るべきや否やの機微を察せざるべからず。二〇、現在を見て判斷又は立案したる時は將來は如何にと、更に一段高所に立ちて思を廻らすべし。二一、只茲に注意すべきは、銀行內部の取扱を知悉せるものは、故ら當座預金の殘高を多く置七一
七二き、破綻の間際に至り、急に之を引出すが如き、或は數行と取引を爲して、巧みに繰り廻しを爲し、手形の支拂をして毫も澁滯せしめず、以て銀行に安心と油斷とを與ふる等欺くに其の道を以てするものあり。某事件の如きは、其の最も顯著なる實例たり。二二、是等の手段は、數行と取引することに依りて、瞞過手段を遂げらる。二三、凡そ人は、常識を以て可なりと信ずれば宜しく行ふべし。苟くも不可なりと思はゞ、斷じて行ふべからず、須らく意志の鞏固なるを要す。最初一步を誤らば常識も影を沒す。二四、銀行は機敏を尊ぶも、餘り目前の機敏にのみ走るときは、百年の大計を忘るゝに陷るの例少からず、須く戒愼を要す、是れ普通の商業と異なる所以なり。二五、小貸出と雖、必ず大貸出と同一の注意を以て取扱ひ、決して油斷あるべからず。凡そ銀行の事務は用意周到にして、一事一物も苟もすべからざるを要とす。急ぐべからず、走るべからず、脚下の一步に注意せよ。「山に躓くなくして垤に躓く」と云へることあり。二六、貸出の要求ありたるときは、其の說明以外に、其の事項の反對の場合あるべきことを豫想する要あり。即ち表面、側面、半面、裏面の觀察を爲すの謂なり。二七、總て投資は、擔保と云はんよりも、寧ろ使途を明かにし、かつ彈力あるものに向つて爲すことを必要條件とす。隨つて返濟の財源及び其の方法の明確ならざるものには貸金を爲すべからず。二八、對人信用と對物保用とは、互に兩々相待つて效用をなすものなれば、決して一方のみに重きを置くべからず。二九、遮莫あれ、信用の根柢を爲すものは矢張り人なり。故に苟も人物に疑あらば、縱令擔保あるも、絕對的の信用を與ふべからず。殊に現今の如く道義觀念の衰退せる世の中に於て、信用金融の發展を望むは、木に綠りて魚を求むるが如し。三〇、銀行貸出の要諦は、危險分布に在り。故に對物たりとも、同一商品、同一株劵を多量に取得すべからず。三一、流行株又は新會社の株を擔保とすることは愼むべし。他日必ず反落の時期來るべし。多年基礎ある事業にして、配當の確實性あり、且つ市場に於て、權威と流通性とを有する株式を選擇すべし。三二、人は株式の〓算相場を見ずして、空名若くは現時の配當率を以て株價を定めんとす、是れ世人を誤らしむる最大原因なり。三三、未拂込株式を取得したるときは、拂込の義務あり。又增資前の株式を取得したるときは、新株落ちの關係あることを、思ひ置かざるべからず。三四、擔保品の交換に當りては、最も注意を要す。最初の貸金取組には、擔保品を精選吟味するも、漸次交換するに從ひ、知らず識らず、不良品と入替はることあればなり。三五、擔保に對する平素の貸出率は、常態を基礎とするが故に、若し市價に變調を來す虞あるときは、其の取扱に就き大いに注意すべきなり。又商品の暴騰暴落の際は、取引先に對し深く注意する要あり。三六、一朝事あるときは擔保主義なればこそ、人も我も安心するにあらずや。七三
七四三七、縱令擔保物ある場合と雖、其の人の性格及び力量に適應するや否やを、考察すること、肝要なり、長期に亙る場合殊に然りとす。三八、人格は最良の擔保なりと云へることあり。三九、外國にては信用ある人程、進んで良擔保を提供す、我國は全く反對なり。即ち彼は物あるが故に信用厚く、我は物なきを以て信用と心得るなり。四〇、粒々辛苦の結果になる資產と、濡手で粟式の富力とは、其の信用價値に運庭なかるべからず。四一、銀行は、一時的流行式の派手なる商賣とは異なると同時に、所謂、成金者流との取引は、常に戒愼の要あり。四二、所謂、遺手と稱せらるゝ人は、一度は必ず成功するも、之を恒久に持續する確實性あるやは、蓋し疑問なり。由來財界には、大膽とか、悧巧とかは成功の要素たらざるのみならず、却つて害ある場合多し。四三、銀行は表面派手なる仕振を爲すを要せず、又裏面を辿るの策動は無論禁物なり。去迚、因循姑息を勸むるものにあらず、只遠く外に觀、近く內に省み、苟も常識を以て可なりと信ずるものは、昭々に之を行はゞ則ち可なり。四、凡そ貸出を爲すに當り、厘毫も魂膽的智識を挾むべからず。若し之を用ゆるときは、智者にして智者にあらざるの結果を生ず。四五、好景氣時代に急設し、又は破格の擴張を爲したる事業に對しては、放資を愼むべし。度は必ず整理の時期來る。四六、貸出其の他の取引に就き、顧客の性行に注意するは勿論、特に投機の常習あるもの、及び素行の修らざるものには、深き信用を與ふるに躊躇せざるべからず。四七、貸出先の營業現況を知悉すべきは勿論なるも、其の人の性行、特に其の經歷及び其の取引先との因緣系統に遡りて調査することは、極めて緊切にして、必ずや得る處あるを疑はず。四八、貸出を最後に決定する責任者は、專斷即決をなすべからず。宜しく掛員の調査に付し、然る後、冷靜に判斷するを以て、愼重且つ公明なる方法なりとす。決して自分の勢力を示さんとする私心を挾むべからず。小我は害ありて益なし。四九、自己の責任を以て、行金を大切に取扱ふべきは勿論なるも、時には其の愼みを踰え、自分の取扱ひたる貸出にして萬一故障を生ぜんか、直ちに自分も責任を負へば足ると、無雜作に考ふる人あり。一見殊勝なるが如しと雖、屢次之を慣用することは、知らず識らず、自分の力に適はぬ無理を生ず、自己の責任を自覺し、これを重んずるものは、輕々に自分を擔ぎ出すものにあらず。即ち自分と銀行とは同一體にして、自重すべきこと同一なればなり。五〇、銀行業者の心底は、常に絕對的「イエス」「ノー」ならざるべからず。五一、借入を申込まれ斷るのを耻の如く思ふ支店長は落第なり。五二、定期預金を常時に貸付、又は貸越の擔保と爲すことは寧ろ變則なり。一見して便利の方七五
七六法なるが如きも、銀行に取りては有利なるものにあらず。殊に貸越の如きは、恰も當座預金に定期の利率を附すると等しく、又期限內拂戾にも相當すべし。隨つて資金の準備上にも不利なり。況して同業者間の多額なる取引に於て、殊にその然るを見る。蓋し此の種の取引は、不利を忍びつゝ兩建てに依りて、其の數字の大を示さんとの虛飾より發する場合多きにあらざるか。五三、已むを得ず、定期預金を擔保として貸出したるときは、其の利鞘は貸金の多寡及び方法等、狀況の如何に依り、階段的に之を擴大すべきものなるべし。五四、兎角、貸出は小に嚴にして、大に寬なるを免れざるが如し、固より多くの遊金を有する場合は、一方に配當をなすべき經管者として、相當の苦痛あるは勿論なるも、焦るは損の基なり、愼まざるべからず。五五、又當事者に於て、小貸出の取扱ひに正直にして、大中貸出の取扱に却つて正直ならざるものあり。此の場合は、必ず情實の伏在するものとして、看過すべからざるなり。五六、貸出は其の取組の時毎に、全く新取引と同樣の注意を怠るべからず。平生よりして警戒せる先にても、まさか間違ひなかるべしと油斷せる間に、取返しの付かぬ狀態に陷れることあり。愼むべきなり。五七、貸出其の他の取扱に對し、常に前例を追ふて注意を新たにせざりし爲め、不測の失敗を招くことあり。時々刻々、變轉するものに對し、前例の踏襲は何等免責の理由とならず。寧ろ〓究及注意の怠慢を示すものと謂ふべし。五八、銀行が取引先の惡評を聞き込み、又は不審に感じたるときは、既に害毒は取引先の全身に瀰漫せるものと知るべし。行員の惡事に就ても亦然り。五九、不良貸付は、金融緩漫の時か、又は好景氣襲來の際に胚胎すること多きを慮らざるべからず。これ自然に放漫に流るゝが故なり。彼の單名手形の如きも、口に之を排斥しなが5、金融緩漫の際には、却つて歡迎せらるゝ奇現象あり、軈て周章狼狽の時來るべし。無擔保「コール」、無擔保社債濫發の類、皆然り。故に曰く「治に居て亂を忘れず」と。六〇、英國が佛國に八十億圓の貸あるに拘らず、反對に二十億圓の取付の爲拜み上げたるは、固定貸とコール的との差に依る。六一、地元銀行と雖、銀行本位の範圍の取扱をなせば、矢張資金は公債類に又は都會の銀行に預入るゝの外なく、決して預金全部を地元に運轉し得べきものにあらず。況んや固定貸となるに於てをや。六二、銀行用務に關し、面談するときは、私宅または銀行以外の場所に於てなすべからざるは勿論なり。若し此の禁を犯したるときは、必ず相當の惡果を見るべし。公明正大は銀行家の守るべき第一の要義なり。六三、暮夜窃かに私邸を訪ひ、贈るに苞苴を以てし、或は置酒狎褻、欺くに道を以てするものあり。是等は正に自分の首に白刄を擬せらるゝにひとし、敢然として排すべし。迷ふべからず。六四、得意先が銀行員に對し、一晩の饗應はなすことありとも、よもや一生涯の饗應はなさゞ七七
七八るべし。六五、頻繁に銀行を訪ふて貸出を强要するもの、又は私宅をたづねて借入を依賴するものは、必ずや後患を殘す。六六、其の店を主とせず、人を追ふて轉輾、貸付取引の隨伴するものは、必ず情實の纏綿するものなり。六七、多年恩誼を受けたる銀行に損害を釀し、尙又自分の生涯を犠牲に供してまで、何が故に一商人、或は一友人を庇護するの要ありや、と問はざるを得ざる場合あるべし。即ち一步の過ち、一時の迷ひは、實に恐るべき結果を生ず。宜しく自分の精神を不動の主座に安置すべし。六八、四十歲、五十歲の行員にして、一日も缺勤せずと云ふ謂れなし、是等の皆勤者には寧ろ注意すべしと云ふ說あり。六九、自分の責任を回避せんが爲め、得意先に合法的犯則智識を與ふるが如きは、其の罪や大なり。是れ己れを欺き、人を欺くものにして、必ず暴露せずと云ふことなし。七〇、支店の缺損は、本店に對し、匿し事をなしたるより大なるはなし。是れ軈て恐るべき大惡生まる。七一、匿す人は、日々に自分の銀行より遠ざかりて他人となる。七二、某得意先は曰く「銀行の當事者が匿しごとを爲すの弱點を生ずるに至らば、誘惑は手の中のものなり」と。恐るべし、恐るべし。七三、人は何等かの弱點を持つときは、禍必ず是れより生ず、殊に貸金營業たる銀行業者に於て、その點最も戒愼を要す。七四、眞に自身を愛する者は、皎々たる明月の天空に懸るが如く、玲瓏透徹の所業を爲すことを要す。我が心に私あるときは、他人を疑ふ。大信大行の眞實よりして花は咲く。七五、凡そ貸出の損失は、擔保の有無を問はず、調査の疎漏に依ること少からずと雖、更に大なる原因は、情實に覊束せらるゝこと、及び眼前の利慾に眩惑せらるゝこと是なり。實に恐れて懼れざるべからず。七六、融資に一點の情實なく、明鏡に照らして一點曇りなしとせば、恐らく損失を招かざるべく假令回收困難なることありとするも、亦自ら解決の方法あるべし、斷じて之が爲めに銀行の基礎を侵すことなし。故に愼むべきは情實、誘惑、因緣の三者是れなり。七七、若し義理合の爲め、岐路に迷ふときあらば、飜然、己れを空しうして冷靜に判斷せよ。七八、更に大難に遭遇しては、斷乎として職を賭さば、其の身は旣に高處に在り。茲に黎明あり勇氣百倍し、始めて正道に善處するを得べし。七九、銀行が擔保九掛乃至九掛半となり增擔保出來ざる場合、之を處分すれば本人も銀行も助かること請合なり、而かも之を處分する能はざれば、遂に一割切込み二割切込みても處分し難きは、寧ろ常態なりと云ふべし。八〇、貸出の回收困難に陷りたるときは、徒らに周章狼狽せず、心を平かにして、靜に之が對策を講ずべし。苦心慘憺は可なり、徒らに自失すること勿れ。七九
八〇八一、世には己れ目前の地位を維持せんが爲めに、枉げて壓迫的魔手に罹ることあり。危險と云ふべし。八二、茲に於て學識手腕は第二となり、法律規則も亦末となる。只根本問題は精神の純眞に在り、意志の鞏固に在り。要するに誠實にして常識の判斷を過つなからんことを以て、第一要義となす。八三、殊に社會の組織信用確實ならず、却つて譎詐誘惑多き今日の實狀に於ては、縱令自分に不純の意志なしとするも、一層牢固不拔の精神を以て事に當らざるべからず。八四、旣に世に定評ある札附人物、又は一種の醜團的系統あるもの、或は常に暗黑の裏面に策動するものには、斷然遠ざかるを以て安全なりとす。固より彼等の誹謗迫害は、之を大處より觀れば何等意とするに足らず。八五、眞實に外部を警戒し、眞實に調査せるものには過少く、之に反し內外相通ずる貸金は頗る危險なり。故に餘り外交の巧なる、氣の利き過ぎたる係員には注意すべし、是れ獨り銀行のみの實驗にあらざるなり。八六、或る不正對策十則を見るに左の如し。一、關係する人多數なる事務は、不正成り難し。二、一事務を管掌すること永きに渉るときは、惡事成り易し。三、現金の不正は保管の不備に始まり、嚴密なる檢査に終る。帳簿上の不正は、レビユーの懈怠に始まり、精確なる決算に終る。四、一事務を自己のみにて完了し得る場合には、往々惡事を誘ふ。五、信賴するも監督を怠るべからず。六、不正の豫防は、家庭の調査を第一とし、不正の發見は、素行の調査を近路とす。七、犯人の數は、犯人の學問の程度に逆比例す。八、橫の檢査、縱の檢査。九、重役及び支配人の人格が、總ての根源。+、上役に秘したる行爲は、事の大小を問はず、嚴重に處罰すべし。八七、總て貸出金は、必ず當座勘定に振替ふべく、決して現金にて直拂をなすべからず。是れ實驗の〓ふる所なり。八八、貸金も預金と同じく、勘定臺の窓口に於て取扱ひたるものは、公明にして故障なし。八九、或る時は特殊の目的の爲めに、不相應なる貸出を慫通しながら、或る時は急遽之が回收を迫る。かくの如きは取引先をして、銀行の政策上の犠牲たらしむるものなり。九〇、銀行家は輕擧、又は俠氣を揮ふべからず。蠻勇も不可なれば遲疑も亦不可なり。宜しく重厚の實あるべし。九一、從來の債權が可愛さに追貸を爲し、知らず識らず深淵に陷る場合少しとせず。局に當るもの深く考慮を盡し、禍根深からざるに當り、英斷を要す。內部關係の貸出の如き殊に然り。九二、何人も初より無謀なる貸出を爲すものにあらず、一歩の誤りが千里の差を生ずるなり。八一
八二借主も亦初より惡人にあらず、只小人窮すれば亂するの例に陷るのみ。故に曰く「借る時の心で返せ時雨傘」、「終を愼むこと始の如し」と、又曰く「始あり終あり」と九三、凡そ貸金を爲すは易く、之を回收するは難し。更に中途絕緣を決行すること、若くは損失に執著なく、思ひ切つて之を棄つることは、正に生死浮沈の岐るゝ處にして、其の判斷は一層難しとする所なり。茲に初めて老練なる銀行家の手腕を必要とす。九四、貸出に關し何等かの不安を感ぜし時と雖、債務者並に擔保に對し尙進むで之を生かすべき乎將又退いて之を回收す可き乎は其の場合と人とに見て活殺自ら道あり、最も愼重に然も何れか果斷なる決心を要す。九五、個人としての銀行家は謙讓溫順なれ、職務に對しては須らく勇敢にして、事を斷ずるに躊躇すること勿れ。九六、不謹愼なる經營、又は手形の濫發、或は自己振出の小切手を、絕えず甲乙銀行へ交互に入金し、又は他人との書合手形を以てする等の遣り繰りをなし、其の他誠意を缺き、自己を愛せず、却つて自己を破る者に對しては、銀行の自衞と眞面目なる取引先の擁護上、之を處理するに斟酌するの要なし。但彼等の多くは、己れを咎めず、人を怨むの癖あるものと知るべし。九七、取引の判斷は內的精査と、高處よりの大觀とに依れ。此の二方法を併用せば、恐らく中庸を得て大過なかるべし。猶物體が求心力と遠心力とに依りて中心を保つが如し。須らく楯の兩面を見るべし。九八、係員は、成るべく詳細なる數字等の基礎調査を提供し、而して上役は之を參考となすも、決して之に囚はるゝことなく、更に大處よりして、觀察し且つ之を主義方針に照らし、兩々相待つて、公正なる最後の判斷を下すを要す。九九、他人に對する世評は、たとへ商賣敵の言葉なりとて、一蹴に附せず、さらに深く細審せよ、得る處あるを常とす。「火の無き所に烟起らず」。一〇〇、多年に亙り兎角の風評ある人には、豫め遠ざかるを安全なりとす。この種の人には必ず何等かの事情が潜伏し、何時かは暴露する運命にあるものなり。人を使ふ場合亦同じ。一〇一、世に暗示なるものあり、靈威と云ひ、豫感とも云ふ。銀行家は平常之に注意し、其の活用を忽せにすべからず、必ずや得る處多し。一〇二、凡そ判斷は第一閃の直感を正しとす。再三の懇請に依りて、第一印象を變更することは、多くは失敗の結果を招く。一〇三、直覺は修練の賜にして、平素に〓究の準備あればこそ、猶名醫が患者を一見して、其の病根を知るが如し。一〇四、第六感を機敏に活動せしめよ、而して勇敢に活用せよ。一〇五、貸出拒絕等、最初の喧嘩は小事にして足る。若し直感に反し、或は情誼に絆されんか、他日の喧嘩は大にして、恨を受くること重く、紛爭は長日月に亙り、尙且つ損失する處少からず。心配と時間の空費とは、想像の上に出でん。一〇六、商人の財政上行詰るや、多くは百方遣り繰算段は勿論、更に僞造、詐欺、瞞著等至らざ八三
八四るなく、其の極、出奔して姿を晦ますものあり。故に、今日の破產財產を、數年前までのものに比すれば、寔に僅少にして其の配當は殆んど云ふに足らず、是れ義務觀念の頽廢せるを雄辯に物語るものにして、年を逐ふて益々其の甚だしきを見る。之を外國の實情に見るに、破產の場合と雖、大抵八割配當を爲すを以て通例とせりと。其の眞摯振の如何に差異あるかを知るに足る。一〇七、自行の重役及び行員、若くは其の代理者と認むる者には、貸金を爲すべからず。同時に他の銀行會社員にも、貸金を爲さゞるを原則とすべし。既に經驗上、相當の困難を感じたる實例、多々あるべし。一〇八、他會社の重役に、其の重役の經營せる會社株劵を、餘り多く擔保として、貸金を爲すべからず。即ち重役と會社とは同一體にして、榮枯盛衰を共にするが故に、萬一擔保の實價を失ひ、之が處分を爲さんとするにあたり、重役個人の資產も亦その損害を償ひ得ざる場合多し。又往々にして株價維持の買占買煽あり、注意すべし。近時各事業會社の傍系として、證劵會社の設置せらるゝ傾向あり。是れ亦大いに考査せざるべからず。一〇九、小商工業者に對し、信用融資の便を與ふるには、利息の外に調査費の名目によりて手數料を徴し、よつて此の種の貸倒れを償ふ調節の料、換言すれば相互保險料に充つる貸出方法もありと云へり。なほ〓究の餘地あるべし。一一〇、中小商工業者なりとて、必ずしも其の手形は不良なりと云ふを得ず。手形金額の大小と手形の良不良とは同意味にあらず。一一一、米國にては、千圓以下を專門とする貸出銀行あり。又シチー銀行は五千圓以下の貸出部を開始せり。一一二、外國にては、金融上に即して、保險事業の活動せるもの多し。我國にても信用調査の責任と、保證責任とを兼ねたるもの、例へば興信保險會社の如きもの、其の他金融界に活動する各種の保險會社を設立するの必要あるべし。一一三、小商工業者に對する貸出は、割合に危險少しと云ふ說あり、恐らく損害小なりとの意なるべし。但是等は組合を設け、連帶責任に依り、金融の途を講ずるを以て、適當の方法なりとす。此の趣旨より云はゞ、先づ以て其の同業者の有力者若くは先輩者が、進んで是等小商工業者を援助する精神を實にすること先決問題なり。既に同業者間に於て相信ぜざる者を、强ひて銀行に信ぜよと云ふは矛盾の極なり。一一四、今や中小商工業者の資金難を訴ふる聲漸く喧し。併し從來、分不相應なる融通を受け來りたるに馴れたる觀なきか、此の點も充分考慮して聞かざるべからず。故に單に救ひを金融にのみ依賴せず、宜しく其の本體自身に向つて〓究するの要あり。更に人口過剩問題にも觸るゝの要あるべし。一一五、小口貸付は、一名人格貸付とも云へるが、果して各自ら人格を尊重し居れるや。又金融業者は果して安心の程度まで、是等の人格を認め得るや否や。一一六、獨り中小商工業者に限らず、借りたる金は必ず返濟する道德觀念は、總てを解決するの前提たり。若し此の前提を忘れんか、最早萬事休するの外なく、如何なる名論卓說も何八五
八六等實際に即する作用を爲すに足らざるなり。一一七、我國には、中小商人、特に小賣業者に對し、賣掛金の換金を迅速ならしむる特殊機關なきを遺憾とす。一一八、銀行に整理課を設けるか、或は別途の會社を作り、回收困難と認めたる債權は悉く之に移し、以て本業活動部をして足手纏ひなからしむるも一方法なりとす。一一九、統計を明かにし、又貸出報告及び爲替勘定等を迅速且つ明確に爲すものは、內部の秩序整然たることを示すものなり。一二〇、今や銀行に限らず、一般諸會社もまた營利主義を一變して、經營主義を高唱するに至れ50是れ目前の利益と、永遠の利益とに關し目覺めたる證左なり。一二一、我が商人が、夜店商人にひとしく、其の場限りの商ひを爲し、永遠の繁盛策に出でざるものあるは遺憾なり。是れ外國商人と全く觀念を異にする所なり。一二二、我が商品には基礎なしとの非難あるは、蓋し根幹に意を注がず、萬事淺薄なる觀念より發する禍なるべし。一二三、銀行との取引振に於ても、此の觀念よりして銀行に迷惑を及ぼすこと少しとせず。是れ獨り個人のためのみと云はず、國家の將來の爲め、一致して大いに戒め、大いに改善せざるべからず。一二四、外國にては、一度び信を銀行に失はんか、其の人は再び世に浮ぶ瀨なし。我國にてもまた注意人物と認むべきものは、同業者間にて脈絡を通じ、之を遠ざくること必要なり。一二五、無配當の會社、甚しきは半成狀態の會社にして、尙且つ借入金を强請するあり、又長期にして且つ多額なる無擔保社債を濫發するあり、銀行業者たるもの宜しく善導すべきな50償還の資源確立せずして、社債を不相應に發行することは、將來の禍根にして、自他共に注意するを要す。一二六、外國にては社債は悉く擔保付にして、且つ必ず減債基金積立の伴ふあり。一二七、社債發行額に對しては法定の制限あるも、其他の借入金に對しては制限なく、恰も頭隱して尻隱さずの觀あり、危險是より生ず。一二八、會社にても個人にても、今日の弊は、自分の力以上の借入金あること是なり。固より一定の標準なきも、社債、借入金を通じて、資產の半額以內とせば蓋し過ちなからんか。一二九、借金の少なきものは、縱令不景氣時代に遭遇するも、自ら速かに立直ることを得べし。一三〇、我國の現狀は、己れの身長以上の借金を有し、獨り步きの出來ざるもの比々皆然り。一三一、從來の多くは借入金を成る可く多くなすを以て、腕利きの人とせり。英國にては資產の半額を以て營業資金に充つるが故に、基礎極めて堅實なり。一三二、外國にては、先方より「バランスシート」を提出せざれば、貸出を爲さゞるを普通とせり一三三、曾て大正十年、東西組合銀行の決議したる左の二項は、今猶實行し居れるや、又其の成績如何。一、取引先より、貸借對照表其の他、必要なる書類を徵求するの件。八七
八八二、約束手形及び爲替手形の支拂場所に、銀行を指定したる場合、通知を求むるの件。一三四、貸借對照表提出の實行せられざる所以は、蓋し信賴するに足る報〓書は之を求めて得べからざること其の一因たるべし。若し新銀行法に依る銀行報〓書の如きものを得んか、其の實益多大なるものあらん。先づ諸會社に對しても同樣、嚴重なる取締をなすを要す。敢て主務省の考慮を望む。一三五、世に事業の合理化を唱ふるものあるも、先づ以て決算の合理化を望んで止まず。一三六、米國にては虛僞の營業報告を爲さんか、刑事以上に社會の嚴しき制裁を受く。一三七、外國にては、報告書の正確なるは勿論、且つ會計士の調査あり、其の會計士は會社自ら傭ふもの、大株主團にて傭ふもの、株式取引所にて傭ふもの、債權者にて傭ふもの等あり而して會計士其の人は絕對信賴を措くに足る人物なること、論ずるの要なし。一三八、會計士は、英國及び我國に於ては、計數の正否及び實體の眞僞は調査するも、其の內容に立入りて適否を證明するの責任を有せず。是等に對しては、別に權威ある機關を設くる必要あるべし。一三九、多數銀行聯合して、貸出を爲すことは一利一害あり。又多數保證人の下に貸出を爲すときは、自然責任の讓合となるが故に不可なり。或は曰く、保證人を要する程の先へは、最初より貸出さゞるの安全、且つ無故障なるに如かずと。是にも實際上の眞理ありと謂ふべし。一四〇、近頃の銀行は、餘りに勉强に過ぎ、貸出方の簡易輕便、其の度を過ぐる弊なきか。辛苦の結晶たる他人の金錢を預託せられ、重大なる責任を負ふに拘らず、放資の取扱振り餘りに輕々しからずや。銀行たるもの、須らく愼重に調査を盡し、又申込者も豫め計畫準備するの要あるべし、貸出の易きに失するは畢竟、危險に導くものたり。英米に於ては借入の申込を爲すには、多くは三日前を以てするを通例とすと。一四一、或者は平素、銀行が原則に外るゝ營業振をなすを歡迎しながら、一朝事あれば其の放漫を責むるのみならず、却つて自己もそのため破滅せるが如く訴ふる者あり。矛盾勝手も亦甚しと云ふべし。銀行業者は自信に遵ひ、儼乎として世の毀譽褒貶に迷ふべからず。軌道を外るゝものは必ず〓覆す。一四二、銀行從業員は、顧客より寧ろ融通利かずとて、非難せらるゝ位にて可なり。若し之に反し、好評讃辭を受くるに於ては、其の蔭に回收不能の分子を釀成しつゝある實例乏しからず。又曰く、支店長にても、他より褒めらるゝに至らば、其の時は宜しく更迭せしむべき時期なりと。蓋し悉く然らざるも、亦以て箴言と爲すに足る。一四三、或人曰く、得意先に對し、便宜を供し能く勉强せりとの評ある銀行は、多くは休業するに至れりと。聊か皮肉の觀なきにあらざるも穿ち得て妙なり。是れ勉强の履き違ひなる證左なり、銀行も顧客も共に味ふべき言と云ふべし。一四四、銀行は貸出の求めに應ずれば謳歌せられ、若し之を拒否せば忽ち惡聲に包まるゝを常例とす。銀行は是等に頓著せず、宜しく預金者より稱讃を受くるに至らんことを要す。一四五、西哲曰く「銀行は產業の援助を圖るよりも、社會民衆の預金保護を以て第一任務とす」八九
九〇と。是は極端なる例なるも、曾て我國名譽職の或者は曰く「己れに融通を與へざる銀行は宜しく排斥すべし」と。以て彼我觀念の相違せるを見るべし。一四六、銀行の資金を貸出すと否とは、固より銀行の方針に據るべきも、假に融通を拒絕したる場合と雖、出來得る丈け之に助言して、同情と好意とを寄するの雅量あるを要す。一四七、或る一方に偏重の貸出は愼むべし。一家にも盛衰あるが如く、事業にも盛衰あるを免れず。何事も穩健中庸を忘るべからず。一四八、大銀行の地方支店進出が地方の金融を涸渇せしむるが如く說くは皮相の空論のみ。具體的に如何なる事業、如何なる者に金融せざるかを指摘して然る後に非難すべき處ありや否やを示せ。一四九、世は若竹のひとさかり、有爲轉變は世の習ひにして、古往今來の差別なきも、今時の變遷は急にして三代目の書く唐樣を待たず、早くも一代目又は二代目が成金の標本として沒落するもの少からず、實は世は超高速度の進展を爲し、今や飛行機、ラヂオ、テレビジヨンの時代と化せり。努々油斷あるべからず。一五〇、初代の堅氣なるに反し、二代目にして家を守るに忠實ならざる「ハイカラ」者あり、注意すべし。一五一、顧客に對しては充分、懇切と便利とを供し、好感を失はざるを要すと雖も、同時に又、顧客の言ふが儘に屈從すべからず。一五二、貸金を圓滿に、怒らさずに拒絕し得るに至らば、一人前の銀行家なりと云へり。一五三、貸出は資金運轉の意味の外に、一面預金の擔保たるが故に、貸出の申込來らば、精細に吟味するを以て、預金保護の良策なりとす。一五四、借金は不愉快のものなり、絕えず氣に懸り、頭を押へらるゝ心地をなす、斷じて借金すべからずと說くものあり。又借金は排すべきものに非ず、之あるが爲めに、之を濟し崩す目的を以て、發奮努力し、人一倍の勤勞となり、義務を果し、光明ある生活に入るを得べしといふものあり。一五五、獨り銀行と云はず、會社も個人も、單なる借金政策は固より禁物なり、借入は意義あり、計畫あるものたらざるべからず。而して借金を隱すは借金を增すものなり。小善を笑ふものは小惡を積む人なり。一五六、此處彼處、多方面に涉り、多額の借入を爲す先は、往々にして義務の觀念なく、時に自暴自棄に陷る節多し、戒むべきなり。一五七、監督官廳が銀行を檢査すると同じく、會社をも檢査することにせざれば、其の害銀行に及ぶと。蓋し假裝資產を以て、銀行を欺瞞するもの多きを云ふなり。一五八、不動產に放資の止むなき場合と雖、定期貸にて、其の期限に一時に返金することは殆ど實行されず。即ち膠著して動かざるなり。借手も之を賣却せざる限り、容易に金の廻るものに非ず。隨つて勸業銀行、農工銀行の如き、六ケ月毎に元利崩濟の方法の如きが最も適當なりと思はる。尤も崩濟を實行せざるときは、次ぎに〓〓時效到來の煩あり。一五九、不動產抵當を登記せずして、見返とすることあり、其の不可なるは勿論、登記すると否九一
九二とに拘らず、銀行が一度び不動產に關係せんか、結局は流込みとなることを覺悟せざるべからず。一六〇、不動產抵當に對しては、有價證劵に對すると同じく、時々評價を試むること必要なり。兎角不動產に對しては、價格据置きの習慣的觀念あるを免れず。一六一、工場を抵當として貸出すことは、勞働者騒ぎ頻出する際、大いに考へものなり。一六二、抑々勞資協調の必要ある時代に、却つて相反目し、且つ其の爭議の埓を越えて暴動するに於ては、債權者たるもの晏如たる能はず。一六三、多額の當座貸越を爲すは不可なり。又多額の當座貸越契約を爲し置くは片務的となり、取引者に便利なる反面、銀行側に於ては金融緊縮するか、或は恐慌に際會する每に、大いに苦難の場合を生ずべし。資金の準備及び運轉上、極めて不利不安なり。殊に同業者に對しては、成るべく之を避くるの要あり。又不動產を以て契約するが如きは論外なり。更に常時若くは突然、過振を爲すものには警戒すべし。一六四、凡そ破綻に際しては、一時過振と書合手形とは其の前驅たり、暴風の將に襲はんとするや、必ず不當過振なる警戒の信號、頻々として現はる。一六五、當座過振の債權は、訴訟上先づ以て之が確認を要する等、事頗る面倒に渉るを以て、貸越は成るべく之を避け、手形貸付に依るを可とす。一六六、契約極度外、又は無契約の當座貸越取組、一時過振に就ては、直接の當事者が、意志堅固に且つ愼重に取扱はざるべからず。支店の如き、貸出は一定額まで支店長に權限を與ヘ、其れ以上は本店に申請せしめ、本店に於ては愼重審議するにも拘らず、一時過振に就ては支店長のみの裁量に依り、多額の便宜を供せること往々あり。監督も規程も、全く沒意義となる。勿論かゝる過振は一時的にして終らざるものなり。金額及び期限に無制限となりやすく、自然返濟の觀念薄らぎ、恐るべき結果をまねく。一六七、平素良好なる取引先にして、時に過振を爲すは已むを得ずとするも、過振の常習あるもの、又は過振の日を逐ふて嵩むものにして、容易に入金の見込なきものあり、而して遂には不動產の書入となり、更に流込みとなる。愼むべく、恐るべきは實に最初の過振に在り。一六八、過振にも二種あり。一は入金の目的あるも、期日其の他の都合ありて、一時繰替拂を爲すの要あるものと、一は支拂の行詰りに因る過振とあり。局に當るもの其の甄別を忽にすべからず。一六九、過振には兎もすれば取扱者が、自分の社長、主人に對し內密に附し何等かの遺繰の用に供する場合ありて、社長、主人よりして逆に、銀行に不都合を談ぜらるゝことあり。一七〇、從來の貸越を生かさんが爲め、次ぎ〓〓に、廻り來る貸越を引受け益々損失を增大せしむるは、全く素人の遣り方にして、斷じて不可なり。手形の返付は左程遠慮すべきものにあらず、寧ろ先方を覺醒せしむる上に、大なる效力あるものなり。當事者たるもの實戰に臨んでは、平素の完成せる修養の力に依り、乾坤一擲唯「斷」あるのみ。一七一、當座貸越には、往々自己振出小切手、又は書合小切手を以て一時入金し、形式的に其の九三
九四帳尻の跋を合すものあり、宜しく精神的に眞の取扱を爲さゞるべからず。一七二、手形交換持出後に、他店手形を入金し、當日交換より廻り來りたる自己手形の決濟資金に充てんとする所謂、他店劵立替拂を爲さしめんとする取引先には、深く警戒を要すべく殊に況んや自己振出の他店宛小切手を以て、入金を爲すものは、須らく取引を拒絕すべし。是等の取引者は危險こそあれ、將來何等の利益なし。一七三、特に經驗の信念を以て重ねて云ふ、約定極度外押付的の貸越は、銀行の禍根にして又支配人の禍根たり。「斷」の一字を以て速に絕緣するにあらざれば禍必ず身に及ぶ。恐れざるべからず。一七四、出納係には、故意に作成せる手形、或は類似の證憑等を以て現金と見做し、或は故意に手許に保留する等、往々隱蔽的行爲の潜むことあり。宜しく檢査監督を怠るべからず。一七五、又支店に於て、往々本店の目を掠めんが爲め、種々なる糊塗小刀細工を弄し、遂には共に不測の大禍に陷ることあり。愼まざるべからず。一七六、或は同一人の取引を、異名を以て別口座を設くることあり。嚴に監視するの要あり。一七七、縱令、得意先の爲めにして、己れに惡意なしとするも、最初の一事の匿し事は、遂には增大して深みに陷り、拔差ならざることあり。故に意志の弱き者は銀行に取りて危險なり一七八、元來失敗は制度の不備、監督の不行屆と云はんよりも、當事者の性癖の缺點に原因すること多きを以て、上長に於て深く此の點を監察せざるべからず。又本人に於ても、常に自己の缺點を反省し、自愛自重せんことを望む。一七九、我銀行は取引先を選擇しあるが故に、過振をなすものなく、隨つて小切手の不渡となるもの皆無なりとの確信なかるべからず。是れ我銀行の信用を保つ所以にして、又一般取引の安全を期するものと云ふべし。一八〇、佛國には手形交換所なし、蓋し佛國の法律は不渡手形を出したる者を刑罰に處するが故に、從つて手形が專ら現金取引主義に移りたるなり。一八一、先日付小切手を發行することは、取引者の最も自覺反省せざるべからざる問題たり。一八二、多額の貸越には、眞實に利息を收入せざる場合多し、即ち振替勘定なるが故に、利息收入の爲め貸增のことゝなる。是亦蛸配の因を爲すものなり。一八三、當座貸越の、常に使用勝にして預け越に變化せざるものは特に注意の要あり。蓋し是等の多くは金融上は勿論、其の營業自體に於ても、亦睡眠的又は固著的狀態にあるものと知るべし。一八四、借越を先に爲し、然る後に割引を依賴して、之を補塡せんとする常習者は危險なり。特に注意を拂ふの要あり。一八五、定期預金を爲さば、倍額の貸越を爲すべしとて勸誘を爲すものあり。謬れるも甚しと云ふべし。一八六、取引を勸誘するに方り、先づ信用貸越、又は融通手形の取組の要求を受くることあり、是等の多くは將來、良好なる取引者とならざるものなりと知るべし。九五
九六一八七、預金を四とし、貸出を求め來るものあり。是等に對しては、大いに注意を拂ふの要あり。一八八、貸出と對等の預金を爲す者を紹介するを條件として、自分の貸出を求め來るものあるも、輕々に此の手に乘るべからず。終りは不良貸出のみ殘存することゝなる。一八九、一方に相當の割引手形、又は信用貸付あるに拘らず、他方に多額の當座預金を存するものあり。是れ一の曲者にして、此の手に罹りて禍害を受けたる類例少しとせず。一九〇、初より不純矛盾の潜在せるものは、何時かは必ず災厄を招くものなり。總ての事業に於ても亦然り。一九一、元來地方には金を預くる人と借る人とは全く別人なり。而して融通を歡迎し又は强要する人は他日返濟の義務を盡さゞる人多し。況んや此の間政黨の關係を生ぜば蓋し其の弊一層大なるものあらん、宜しく本然に立返りて戒愼すべきことなり。第十章手形、小切手、爲替一、單名手形は成るべく制限すべし。少くとも他より單名手形を買ふべからず。「ビルブローカー」等をして、漫りに單名手形を持ち廻らしむるは弊害伴ふ。ニ同じ單名手形にしても、取引先より直接融通を求むるものと、「ブローカー」を經るものとは、大いに其の取扱及び觀念を異にす。故に後者の如きは、危險に遭遇する場合多きは事實なり。ニ、「プローカー」の持ち廻る融通手形と、「コール」とは、觀念を混同すべからず。四、單名手形、及び「コール」の融通の得易きに馴れて、是等の資金を事業の經營、または擴張に充つるものは、一朝事あるの日、必ず大なる苦痛に當面せん。五、「ブローカー」の旣往は、金融を謀る效、多大なりしと同時に、埓外に馳せたる弊、亦多きを遺憾とす。追て斯業に對する特別法令の制定あるべきを期す。六、「ブローカー」は銀行と異り、大體に一時的責任に過ぎざるが爲め、取扱分量の多からんことに趁り、愼重を缺く弊に陷り易し。敢て自我の信用を維持する爲め、切に自重を望む所なり。七、或は有力なる銀行共同の下に「プローカー」を營むときは、堅實にして金融に效果大なるべしと說くものあり。往時は銀行が、毎日會合して利率を定め、互に取引を行ひたる例ありたり。九七
九八ハ「プローカー」は決して自己取引をなす勿れ、所謂文字通り必ず正直の途に出づべし。九、單名手形と雖、商品仕入季節の一時的都合に依るもの、又は使途及び返濟方法の明確なるものに就ては、相當の便宜を圖るを妨げず。尤も相手方が、最初の言明通り、實行するや否やは、爾後の信用の岐るゝ所なり。-0,商賣には季節によつて、資金需要の繁閑あるべき道理なり、然るに不斷の融通を迫るあらば、その人には、既に何等かの事故の伏在するものと推定して誤なし。二、單名手形の將來は、外國に於ける如く、手形引受會社に於て引受を爲し、之を銀行にて割引することゝせば、流通と調査とに新生面を開くを得べし。然るときは、是等の手形も當然、日本銀行に於て、再割引の途を開かるゝに至るべし。三、相互に宛てたる交換的手形は、假令商取引に出でたるものとしても、絕對に取組まざること極めて肝要なり。又是等の書合手形、或は盥廻し手形を使用する先には、斷然取引を拒絕すべし。ニ、、手形及び小切手の入金、又は支拂の徑路に就きては、常に仔細に注意すべし。必ずや其の遺り繰りを看破するを得べし。是には出納掛、手形掛、預金掛、貸付掛の聯絡を必要なりとす。一四、同一商品を、仲間內に授受轉輾して、手形を濫發し、之を商業手形なりとして、融通の具に供するものあり。又再三繼續したるものを、依然活きたる商業手形扱となすものあ50最も判斷に苦しむものは、品物引渡前の手形前渡し是なり。故に能く〓〓實況を調査し、嚴に甄別せざるべからず。一三、商業手形とは、云ふまでもなく、現實商品の賣買に基く信用手形にして、手形の裏面には必ず商品の存在なかるべからず。即ち商品と手形、手形と商品との動きなり。故に手形の支拂期日は、其の商品の賣買轉輾、又は資金化すべき相當の期間を見込みたるものにして、其の決濟は眞正にして且つ有力確實なるべきものなり。英米にては、此の種類を指してSelf-liquidating Powerを有する手形と云へり。一六、原料に加工を受負はす場合はその工賃のみを支拂へばよきに、先方より一旦原料生地代の手形を受取り、代りに原料生地代に加工賃を加へたる手形を交付するものあり注意を要す。一、、縱令商業手形と雖、本家分家と同性質なる特別因緣の間柄に生じたるものは、必ずしも歡迎し難し、會社に就ても同一系統間のもの亦然り。一、商業手形に潜む融通手形、及び不良手形、若くは同一系統の變裝分割手形は、斷じて排除すべし。手形の嚴選は、獨り銀行の自衞に止らず、結局、取引先を堅實に導く所以たり。一九、平素商業手形を取扱ふ內に、靜かに其の動きを注視し、且つ同時に當座勘定の出入の內容を併せ考察するときは、必ず茲に一種の不審を感ずることあるべし。若し此の不審を生じなば、猶豫なく之が回避の對策を講ずべし。二〇、適確なる診察に依らざるも、大抵は此の傍診に依りて、其の病人たるや否やを知り得べし。是れ興信所の調査に現れざる反射鏡なり。九九
一〇〇二一、今日世に流通する商業手形なりと稱するものゝ內、果して眞正なるもの幾何あるやに想到せば、寧ろ慄然たるべし。二二、所謂、一般に唱ふる商業手形なるものが、難なく割引せられ、又期日に難なく支拂はるるものならば、勿論議論なかるべきも、元來手形の便利なるものを、却つて惡用するものあるが故に、危險を孕み、破滅の基となる。二三、故に自然の進運に伴はず、目立ちて手形の割引を擴大し、以て商業を膨脹せしむるの策に出づるものと感じたるときは、決して之に接近せず、宜しく警戒を加ふべし。二四、斯かる商人は、人一倍の敏腕家には相違なきも、無謀の性質を帶ぶるものにして、到底健全なる發達を爲し、其の終りを全うするものにあらず。他日噬臍の悔あるや必せり。二五、手形の振出及び割引の盛んなるもの、必ずしも外觀に映ずるが如き商賣の盛んなるものにあらず。其の內面に必ず遣り繰りの潜在せることは、實驗上爭ふの餘地なしと謂ふべし。二六、自己營業の手形を振り廻しの爲め、專屬「ブローカー」を使用するものは注意すべし。二七、又遣り繰り方法として、自家系統の諸會社を假設し、巧みに彼是手形の振出、及び裏書の惡用を爲したる實例乏しからず。而して是等の手段は、多數の銀行と取引することに依りて行はる。二八、割引手形中、略同一金額の手形を、事實繼續的に持參するもの、支拂期日に於て手形交換所を經由せしめず、直拂に來るもの、又は他所拂のものにして、依賴地に於て支拂を爲し、若くは依賴人より他所支拂人に資金を送付する場合は、何等か裏面に潜在せる事情あるものにして、總て融通手形と見て可なり。二九、今此の割引を爲さゞれば、今日廻り來るべき支拂に支障ありとて、毛拔合せの際どき遺り繰りに强要せらるゝの痛目に遭遇することあり。斯かる取引は須らく速に遠ざかるべし。三〇、商賣人の手形が、高利貸の手に渡りたるとき、又は高利貸の小切手を入金に來りたるときは、銀行は直ちに警戒すべし。三一、金貸業者の依賴する手形は、無論商業手形と認むべからざるのみならず、其の手形の署名者中、相當の資產家の名あるときは安心すべからず。寧ろ疑を以て視るべきものなり。三二、從來の書合手形は、多くは双方同一地に於て行はれたるも、近時は遠隔の地に在るものとの間にも行はるゝに至り、而も其の金額少額なるものあり。注意すべきことなり。三三、商人が破綻するに際し、今日まで商業手形として取組みたるものは、悉く融通手形なることを發見し、または眞の商業手形にしても、繼續的の支拂不能性手形たることを發見し、呆然たることあるべし。銀行もまた自己の調査及び注意の足らざりしことを省み、忸怩たる場合多からん。三四、空手形を發見したるときは、殆んど藷蔓的に各所に關聯して、影響する實例多し。三五、怪しと思へば手形の各振出人を一々往訪し裏書人との商關係を親しく聞くべし、思ひ半ばに過ぎる事あるべし。三六、相當名ある人の手形、資產家及び名望家の子息の振出したる手形、又は相當信用ある會一〇一
一〇一社の株劵及び社債を以て、金策を求むるも、風來的の臭みあるものには、斷然觸るゝなかれ。是れ怪しむべきものゝ伏在することあればなり。三七、手形の署名者中に、妙なる名前の人ありと氣付きたるときは、其の手形は回避すべし。亦證明付手形の轉輾せらるゝ場合も同じ。三八、支拂人の資產狀態を取調ぶるの外、先づ第一に取組依賴人、即ち取引先の恒產あり、恒心ある安全のものを擇むこと、極めて緊要なりとす。三九、常に支拂人の印鑑を徵し置くは勿論、支拂人を訪問することは、融通手形と商業手形との區別を知るに便なることあり、其の他信用取調上得る處多し。四〇、手形割引依賴人にせよ、又支拂人にせよ、本人は銀行に來らず、銀行も亦本人に面會したることなきことあり。不思議と云ふべし。四一、而も或る場合には、主人が不知と稱し責任回避を爲すことあり。又或る時は銀行が念を押したる爲め、却つて主人の逆鱗に觸るゝことあり。銀行も夫れ難いかな。四二、現今銀行の行詰りは、不動產貸と融通手形の過多とに依るもの多し、殊に是等は情實に依るもの少しとせず。既に一度び情實に依らんか、最早何等の調査も要せず、日々深みに進む外なきなり。四三、商業手形の割引に際しては、支拂人及依賴人の環境、人物、信用、資產を併觀するは勿論なるも、資產の點に於て、餘りに正味身代の數字を重要視する嫌なきにあらず、固より正味身代は輕視するを許さゞるも、一面には其の人の金繰狀態如何を察すること必要なり。四四、如何なる大商店と雖、物品の良否に依りて其の價を異にす。されば如何に立派なる取引先たりとも、手形の良否に依りて取捨を爲し、又利率を異にするは當然なるべし。四五、商業手形の取組を容易ならしめんが爲め、豫め不動產を見返りとして取得し置くことあり、是等も一の便法なるべし。四六、然れども、其の見返りあるが爲めに、却つて放漫に馴れ、不良手形を取組み、其の結果不動產を銀行に引受けざるを得ざる羽目に陷り易し。此の邊の注意を怠るべからず。四七、往年も其の例のありしが、今次聞く處に依れば、擔保付手形を、擔保品と、手形と、別別に流用したる破綻銀行ありしとか。併し商人に於ても、商品と手形との二重使ひを常套とせるものあり、有名なる某商會の如きは、其の顯著なる一例なり。即ち無より有を生ずる一種の手品にして、最後に行詰ることゝなる。或は曰く、手形に「擔保付」なる文字を挿入するは、是等防禦の一方法なりと。四八、自己商業と同一の商業會社の重役として、同一商品の取引を自ら爲す場合は、假令監査役の承認ありとしても、是等の手形には特に注意する要あり。四や、取引なき先にして、手形の支拂場所に、銀行名を勝手に記入するものは、詐欺の性質を帶ぶ。最も嚴重に制裁を加ふべきものなり。五〇、我國には、輸出手形に對し、スタンプ附手形なるものありたるも、大正九年の反動に伴ひ、爾來殆ど其の跡を沒したり。然れども當時は主として輸入手形引受の失敗にして、一〇三
一〇四スタンプ附手形の失敗にはあらざりしなり。今後之が利用に就て、更に〓究の要あるべし。五一、米國は多くは對內手形なるも、英國は對外手形なり。五二、フオード氏は「腕の利く人とは、手形の手品師を云ふことなり」と喝破せり。五三、爲替取引は、遠隔の地にありて互に事情に通じ難し。殊に主として、取立手形の預け金及び當座振込金、並に其の回收方法に就て注意〓究を要す。又大都市と地方との間に、對等取扱の契約を爲すは、大都市銀行の爲め不利にして、權衡を得ざるべし。五四、當座振込は最近、多くは當方口扱となりたるも、只幾分改善せられたるに止まり、資金返濟には却つて苦痛を增したるのみならず、危險負擔問題は、依然として解決せらるゝに至らず、而もこは根本的改善を要する重要案件なりとす。五五、取立手形は、常に他人の依託物として、幾分、輕く取扱ふ傾あるも、自分のものとして大切に取扱はざれば、重大なる責任を生ずることあり。五六、地方銀行に動搖ある際は、取立手形の取扱に就き苦心少からず。常に問題とする所なり。更に〓究の要あるべし。五七、爲替尻の操縱は、頗る重要なるを以て、取引の實情に通曉したる練達者に擔當せしむるを要す。五八、爲替貸越の危險よりも、代金取立手形を仕向ける方、遙かに不安の場合多し。殊に支店に於ては兎角、本店を賴りとするの傾あり。又變調を察するに敏ならざる不馴れの取扱者ありて、先方の信用を顧慮するの念、往々にして乏しきを免れず。又他店より付替せらるゝ爲め、預け金を增すの危險あり。此の場合は變調の時に多く、爲めに他行の避難場となるの愚に陷る。回收を講ずると共に、答報の發送に對し注意を怠るべからず。五九、外國爲替に在りては、信用狀發行、貨物の期日前引渡、輸出手形の買入、輸出勘定、擔保品の受拂等あるも、要するに與信行爲にして、貸出と同一の注意を要す。一〇五
一〇六第十一章コール取引一、「コールローン」及び同業者間の取引は、總て擔保付を以て原則とすべし。且つ短期を條件とす。然らざれば、一朝事あるに當り、準備たる效用をなすに足らざればなり。ニ各地主要都市に於て、改善の申合を爲し「コール」は擔保付を原則とせるに拘らず、早くも無擔保の例外を濫用すとの噂あり。若し眞なりとせば。「石が流れて木の葉が沈む」ものと云ふべく「パニツク」の苦を忘るゝ甚しきものなり。千丈の堤も蟻の穴より潰ゆ。戒めざるべけんや。ニ、外國にては「コールマネー」は、銀行外の一種の金融團體が、公債賣買、或は商業手形、賣買資金として、極めて短期に使用し、且つ是等を擔保となすが故に、必要に際し、直ちに現金となり、能く支拂準備たるの用を缺くことなし。我國にては「コール」は殆ど銀行間のみの取引にして、且つ無擔保又は長期の場合少からず、追つて「コール」市場の展開を見るに至るべし。四、「コールマネー」を常套とする勿れ。隨つて之を常套事とせる先は、所謂其の日泳ぎの類にして、注意の要あり。五、一銀行として「コールローン」の放出額多きと、取手の一銀行に集中することは、注意すべし。六、「コールマネー」の容易に取組まれ得ることは、或る意味に於ては、營業の變態を奬勵するものと謂ふべきか。又「コール」が再三繼續せらるゝことは、自然營業の堅實を缺くの結果とならずや。英國にては、手許現金の有高如何に拘らず、出し手は一應定日を以て、之を回收するの例なり。七、從來、我國「コール」の弊は、斯かる一時的資金を以て、固定資金若くは投機資金に使用したること是なり。ハ、「コール」は双方確實にさへ善用せば、第二支拂準備資金として、極めて便利かつ有利なるは論を俟たず。た、昭和二年の恐慌に鑑み「コールローン」は活動の範圍を縮少せられたるに依り、今後は眞正なる商業手形を歡迎し、以て資金運轉の圓滑を圖るを要す。一〇七
一〇八第十二章商品擔保一、我國には、少からざる商品あり、又現金拂必ずしも多からず、然るに手形の確實圓滑なる疏通を缺くは、商界の爲め洵に遺憾とする所なり。ニ、商業銀行としては、商品に對する資金供給を主たるものとせざるべからず。隨つて倉庫證券に對する貸付は、最も歡迎すべき筈なり。然るに實際に於て、左の不安と困難あるを遺憾とす。之に對しては道德の進步、及び取扱の改善に俟たざるべからず。(,)貸付の當初に於て、包裝及び箱入のものに對し、調査困難にして、隨つて價格も亦正確ならざること。(ロ)商品に對し、時價の六七掛を貸付くるものとしても、之を處分する場合に當りては、其の賣却高は、殆ど債權額を充たしたることなしと云ふも可なり。(ハ)商品處分の際は、既に多額の倉敷料嵩み居れること、且つ保險料まで立替へざるを得ざるに至ること。(ニ)商品に不正品あること、或は殘品又は端物等の混ずること。(ホ)同じ銘柄にても、其の內容は似ても似付かざる著しき劣等品あること。(ミ)虫喰、品質の惡化、數量の減少、氣候の變化、季節の需給關係、流行遲れ、値下り、品物の不揃、其の他何々等の不利あること。(一)取引範圍の狭き特別品、即ちマーケツタブルにあらざる商品あること。(さ)處分の際は、其の筋の人の自由に任すの外なきこと。(그)有價證劵の如く、一時處分を見合せ置き、時期到來を待つに適せざること。三、倉庫證劵面に、品傷み、不揃の旨、或は火災保險金額は寄託主の申出に依る旨を特記したるものあり。又品名の記載方に就ても、往々荷主の注文により、不親切且つ免責的の漠としたる名稱を附することあり、之等は格別に注意を要す。又保稅倉庫に入庫しあるものは、其の火災保險金額には、未拂の關稅を含み居れるものなる事を、注意するを要す。四、隨つて倉庫會社に於て、商品の內容に就て、又更に進んでは價格に就て證明をなし、其の責任を負ふに至らば、商品擔保金融には一生面を開くことを得べし。若し現在の倉庫會社として協定上取扱困難なりとせば、別に專門の倉庫會社を設立するも可ならん。尤も其の新會社は、一般的保管と、內容證明保管とを併營することゝすべし。五、倉庫會社と銀行とは、極めて聯絡の密なるを要す。是れ相互の利益にして、隨つて商人も亦利便を受くること多し。六、商品に對する貸付を、再三繼續することは、深き注意を要す。必ず何等かの缺陷に觸るることあるべし。又特に物的以外、借手の人物、營業振及び資力如何に深く注意すべし。七、擔保商品の評價は、時價に依るべきは論なし。然るに世間往々、保險金額を基礎とずるの傾あるが爲めに、其の保險金額を故意に、實價以上に付せしむるの奸商あり。之が爲めに損失を招きたる實例少からず。ハ、商品の處分は商人の破綻の直後に行ふを有利なりとす。日を經るに從ひ、面倒と、値下一〇九
一一〇りと、倉敷料、金利等の不利に導くものなり。た、世に金融商品と云へるものありて、劣等品を以て銀行を欺き、融通に供するものあり。故に銀行は必ず商品の實査を忽せにすべからず。一〇、元來、銀行員は商品の集散狀態、又は商品の銘柄、品質、斤量の取扱等に就き、〓究を疎かにするの風あり。ニ、荷爲替に於ても、商品に對しては、商品の不正又は運送屋の空劵あり。或は指定に依らざる荷物先渡し等の實例少からず、之が爲め紛擾問題を惹起すること、屢々見る所なり。且つ薄資又は不良の運送屋ありて、金融業者をして全然安心して利便を供せしめ難き事情あり。寧ろ倉庫證券に對する貸出よりも、一層の危險多し。故に取組依賴人の元來の信用如何は、常に心頭より離るべからず。三、荷爲替手形は、本來より云はば、商業手形と同一性質のものなり。然れども實際の取扱觀念よりせば、寧ろ荷物に重きを置くを慣例とするが故に、全額取組を爲さゞるを可とす。若し先方に對する取立上、已むを得ざるときは、頭金は宜しく留保し置くべし。尤も商品の性質、取引の原因、依賴人及び引受人の信用如何に依り、自ら其の取扱を異にするは勿論なり。ニー、外國爲替に於ては、信用狀に基きて荷爲替を取組むを本則とするが故に、殆んど丸爲替となすを常とす、尤もDA若くはDP取扱と爲す等、種々の場合あり。一四、他所賣り商品、即ち荷爲替の場合に於て、注文品と注文以外の品を送る場合との別あり。を要す。是れ即ち取引の原因を異にし、隨つて其の結果に於て差異を生ずる所なり。大いに注意一六、荷爲替のBL到著前の貨物前渡に就ては、從來、船會社と保證銀行との間に於て、種々面倒を生じたる例あり。特に周到なる注意を要す。一六、荷爲替手形の期日長きものは、注意を拂ふの要あり。一、荷受人と荷出人と、共謀にて惡事を爲すものあり。DA又は「ハウスビル」の場合特に注意を要す。一、、新規取引先が、荷受人の信用明確ならざる先へ荷爲替を取組むとき、又は繼續的に絕えず同一人に向ひて、荷爲替取組を求め來る先には、注意の要あり。故に疑ある依賴人には、荷物付と云ふことに釣込まれず、平素より豫め取引を回避するに如かず。一九、荷爲替を以て一の融通機關とし、如何よりも、要は依賴人の信用、及び其の時の商況如何を注視すること肝要なりとす。各地聯絡を取りて轉輾往還する場合あり。故に荷付の二
一一二第十三章調査一、近來、征利に汲々たるの餘り、眞摯ならざる畫策を爲すもの漸く多し。銀行は渦中に投ぜざる樣注意すべし。彼の政商の如き、又職業的名譽職とも云ふべき人々に對しては、最も油斷すべからざるなり。ニ、英國人は、總てを堅實性に發し、例へば百萬圓の資產あらば、五十萬圓の商業を爲す。我國人は全く之に反す。ニ、關東震災後は、臥薪甞膽の意氣を以て、堅忍不拔の勇を養ふべきに拘らず、却つて自暴自棄に陷り、義務を重んぜざるの風あるは、慨嘆すべきことならずや。四、將來を考へず、義務を重んぜず、其の日/〓の危き橋渡りをなして暮すもの、比々然り。是れ虛僞の多く行はるゝ所以なり。五、外國にては、取引先は銀行に對し、眞實を述べざれば、金融を得る能はず、我國の現狀は之に反し、力めて嘘を列べざれば金融を得る能はず。是れ多くの眞相なり。·六、商店の支配人等中樞人物に異動ありたる時は注意すべし。合資、合名の會社組織に變更したる時亦同じ。七、個人的株式會社に貸金をなすときは、必ず其の主たるものゝ個人保證を徵し置くべし。八、銀行は兎角自分の正直なる心を以て人を信じ過ぐるの癖あり。れ、吾人は銀行なるものは、預け人と借手との差別なく、何れも顧客に對し一視同仁、終始誠意を以て、懇切叮嚀に接せんことを希望して止まざると同時に、顧客も亦誠意を以て、銀行をして安んじて取引せしめられんことを望む。一〇、盛んに各種の商賣を爲し、或は先物、或は投機的取引に亙り、手廣く營業を爲せる半面には、空手形の潜めるあり、甚しきは、關係會社の帳簿は記載せられざることすらあり。正直は商賣の最良策なりとの格言の行はるゝ反面に、斯かる徒輩が跋扈し、百方銀行を欺瞞、籠絡することに腐心す。恰も百鬼橫行の感あり、銀行商賣も夫れ危い哉。而かも銀行が少しく眞面目の取扱に出でんか、質屋營業とか、國家的營業に反するとか、或は無能なりとか、將又、分らず屋なりとか、忽ち攻擊を受くるを常とす、恐らく攻擊する資格なき人の常套語なるべし。銀行家たるもの、毅然として心中深く期する處なかるべからず。二、銀行家は此の强敵に對し、善戰するの勇氣あるを要す。然らざれば、首腦者たるの資格なし。三、嘘上手は、假りに俗人は欺き得んも、識者は唾棄せんのみ。ニ、、銀行より强て借入をなさんとするに當り、銀行は國家的事業なりとて攻擊する人あるも、是等は寧ろ國家的機關に迷惑を及ぼす人なりと知るべし。一、、銀行家は、智の人、情の人たると同時に、意の人たらざるべからず。一三、玉石混淆を戒め、まづ相手方の人物技倆、及び其の經營振如何を査覈し、眞に信用を置くべきものに對しては、力を盡すに吝ならざるを要す。但し此のあたりの要領は、千差二三
一一四萬別にして、一に當事者の練達なる手腕に俟つの外なく、一々具體的に述べ難きを遺憾とす。一六、之が活用には、先づ其の眞相を得るを必要とし、眞相を得ることは、調査部の完全なる發達に俟たざるべからず。而して部員は學校出身のものに止めず、更に充分なる經驗者と、充分なる活眼達識者を配置するにあらざれば、結局死物たるに終るべし。一、、興信所の調査に、重きを置くは勿論、尙興信所が正確敏速に調査し得らるゝ樣、銀行側より協力するを要す。又興信所も調査を誤りたる時は、相當の責任を負ふべきなり。一、興信所に、他人の調査を依賴すと云はんよりも、各自進んで興信所、若くは計理士に對し、自分の說明を爲すに至らんことを望む。一ハ、興信所に保險會社の如きものを併置すべしと說くものあり。二〇、正味身代何萬圓、若くは何十萬圓と稱するものも、明日忽ち破綻を暴露する實例乏しからざるは、抑も何に基因するか。二一、取引先を實地調査することは必ず最初に爲すべし。往々危險に瀕し、初めて其の家を視察するの迂を演ずることあり。二二、信用を多く與ふるは危險なり、信用を多く受くるも亦危險なり、戒愼せざるべからず。信用の擴大は破壞の基となる。二三、手形の發行數と生產の數と不均衡なること多し。宜しく實況の調査を忽せにすべからず。二四、或は曰く、手形の裏書又は保證をなすことは、恐るべき暗礁なり、若し是等の保證をなすときは、須らく夫れ丈けの損失を覺悟し、豫め準備し置く心掛けなかるべからずと。洵に然り、銀行及び信託會社が、他に手形又は社債の保證、信用狀發行の保證を爲す等の場合、亦同じ。二五、大官名士を介して、融通を求め來るものは、多くは難物なり。心すべし。二六、學友及び郷友の事業に對し、金融を與ふる場合は、更に一段愼重なる用意を缺くべからず。二七、其の銀行の重役又は、或る有力者に關係あることを笠に著て、金融を求め來るものには、近づくべからず。二八、或る筋にて德義上、責任を負ふべしとて、役目を笠に著て、貸金を幹旋することあるも、當該者の更迭に依りて全然其の效力を失ふこと多し。故に此の場合には必ず後日に渉り效力あり、責任ある的確の書面を徴し置くことを要す。然らざれば應諾するの限りにあらず。二九、素人に工場を一覽せしめて、金融を求め來るものは戒心すべし。工場の良否を鑑識する頭腦を有するものにして、始めて實地調査の資格あり。要は相手方の眞意と、及び其の人の流儀如何に注意すべし。外國にても金融業者は工場を一覽すべし、又一覽すべからずと戒め居れり。三〇、銀行家は、事業家に對し、注意を與ふることあるも、之が事業に干與すべからず。三一、兎角、外觀を飾る癖ある人は、常に無理なる借金の絕えざる人と知るべし。又口先の上一一五
一一六手なる人には、つねに警戒を怠るべからず。三二、常に銀行に來り、儲けたる話のみをなして、損失したることを打明けざる人あり。是れ亦注視を怠るべからず。三三、人に接する間に、其の人の性質の善惡を看破するの眼識なかるべからず。三四、取引先及び支拂人に就いて、營業狀態のみならず、家計狀況の報告を徵することは、英米銀行の夙に實行せる所なり。三五、事業會社は結局經營者其の人と終始す。故に其の人を視ること肝要なり。第十四章銀行の檢査一、銀行檢査最も必要なり、併し元來檢査ありての銀行にあらず、經營其のものが本題なり。故に是等消極的取締に先立ちて、都會銀行の經營、地方銀行の積極的に遵由すべき根本方針の確立を以て最も緊要なりとす。例へば都會に於ては、商業銀行、爲替銀行、不動產銀行の何れに據るべきや、又地方に於ては其の土地の狀況に應じ、商業銀行とするか、農工銀行的にするか、將また貯蓄銀行的にするかの如し。又植民地銀行は果して本來の使命を確守し居れるや、是等の統制如何。充分〓究の價値あるべし。ニ、公的、即ち外部檢査を待たず、自發的檢査の必要なること論なし、又時々行員の入替を行ふことは、完全なる內部檢査の最良方法たり。自發的檢査は更に進んで、各店の自衞檢査を勵行せしむる處に妙味あり。ニ、檢査には、總括的檢査あり、部分的檢査あり、又縱斷的若くは橫斷的檢査あり、更に分ちて定期と臨時とあり、或は形而上と形而下とあり。要するに銳敏にして、且つ合理的頭腦を以て活動せざるべからず。四、檢査を忽せにすべからざるは勿論、多々益々嚴重に施行すべし。然れども檢査あるが爲めに、不正を爲さずと云ふは實は嘘なり。自由なる營業、獨立せる營業、進取的なる管業として、經營者の精神が誠實ならざる以上は、百千の檢査あるも徒勞に歸すること多かるべし。現に英國は、米國の如き檢査なく、何等政府の干涉なく、全く自由自治に任一一七
一一八せり。佛、獨亦然り。五、檢査にも二樣あり、內部的檢査と、外部的檢査是なり。內部的檢査は飽く迄內容の細目に干渉するを必要とするも、外部的檢査は公的監督に基き、銀行の基礎に關すること、及び不正行爲の取締に關する程度に止め、專ら預金主なる公衆に迷惑を及ぼさゞることを監視するを以て主眼とし、一方に密ならんよりは、寧ろ其の取締の全般的に廣く、且つ速かに行渡る方、銀行休業の不祥事を見ること少かるべし。忌憚なく云はば、大門を開きて庭の隅を探る如きなからんことを冀ふの婆心に外ならず。六、率直に云はば、公衆の要望する檢査とは、些細なる事項を指摘するにあらずして、取締の大綱を押へ、全局に注視し、銀行の破綻を豫防するに在り。例へば(一)法規に違反せることなきや否や。(二)經營方針の誤れることなきや否や。(三)當事者は誠意を以て專心從事せるや否や、人格經歷如何。(四川)積立金又は資本金にまで影響する缺損金ありや否や。(五)更に進んで公衆預金にまで迷惑を及ぼすことあらざるや。(六)詐欺不正の行爲あらざるや。(七)自己同系の事業に融通し居ることなきや。(八)以上の事實ありとすれば之を處理すべき最善策如何。等の類なり。是れ吾人の私言にあらず、實は同志の聲なり。七、外的檢査には、監督官廳の外、日本銀行をして調査せしむるが適切なりと唱ふるものあbc八、一般地方廳に於ても、書面の取次及び之が細目の調査に煩を累ぬるに止めず、宜しく眼界を大にし、其の管下に定評ある札付經營者なきやに注意すれば、恐らく銀行の破綻を未然に防止し、以て預金者を救ひ得べし。又看破すべき相當の機關ありと信ず。斯くてこそ地方廳を煩はす意義が一層深きを加ふるものと云ふべし。然らざれば徒らに繁を增すに終らんのみ。九、檢査員は事務に通曉し、秘密を尊び、尙又大勢を洞視する人たるを要す。普通に檢査員と云へば、書類のアラ探しを以て能事終れりとなす。是れ非なり。更に助言し、指導して係員をして向上せしむるを樂しむが如き、大なる理想と、親切心とを有する者たるを要す。-0,監査役の實際的獨立問題は、大いに議論の存する處なり。今日の慣習的觀念の改善は、獨り銀行にのみ迫るべきにあらず。ニ、世は益々煩雜となり、之に伴うて經費亦益々多きを加ふ。故に官廳は可成大綱を握り、小事は之を國民の自制自由に委せざるべからず。專ら消極的取締を主としたる改正銀行法の如きも、此の意味に於て社會的百般の進步と、逆行する觀なきを得ず。只如何せん、旣往の事實に徵し、寔に已むべからざるものありしを悲しむ。一一九
一二〇第十五章公債及び日銀一、公債を所有するは可なるも、金融緩漫の際は其の時價高きを以て、他日低落の時の損失を考慮せざるべからず。尤も短期公債ならば可なるも、政府の發行原則として長期を望み、其の間相容れざる點あり。或は毎年內部に銷却基金を積むべきか。ニ遊資の調節法としては、短期公債、又は大藏省證劵類を發行し、月末には一定の步合を以て、日本銀行之を買上げ、月初に於て更に再び拂下げを爲すべきか、如何。夫れ等の方法に就て、日本銀行と普通銀行との間に〓究の要あるべし。尤も月末に一時的の借入金あるの故を以て、世人之が信用を云爲するはよろしからず。ニ、日本銀行に對する公債賣買の希望は、一見勝手の註文に似たれど、證劵市場發達の充分ならざる我國としては當然とみる。要するに大小銀行の金融圓滑となり、同時に營業の確實を遂行する上に大なる幇助となる。尤も必ずしも日本銀行に限らず、例へば日銀を背景とする有力なる「ジヨツバー」制度を設くるが如きも、亦一策なるべし。我國證劵取引の幼稚なる、「プローカー」と「ジヨツバー」とは混合し居れり。四、銀行が公社債類を所有することは永久的にして、證劵會社が之を所有することゝは、其の目的を異にするが故に、時價變動の際に當り、世人が之を視る點も亦自ら異ならざるべからず。五、更に國債の評價に就ては、一々市場の變動に脅威を感ずることなく、泰然たらしむる方法を講ずるの必要あるべし。六、決算期に於て、公債價格の釣上をなさんよりは、國債に限り、買入價格を以て計算し得ることになしては如何。事實大差なかるべし。七、所有證券類の、價格騰貴する時は、遊金を生ずるも寧ろ一應賣却するを可なりとす。ハ、日本銀行の貸出額制限、及び利率の適用方並に割引形式等に就き、相當改定の要あるべし。れ、中央銀行は、普通銀行を株主とする聯合組織に爲すべしと說くものあり。一〇、英米とも、中央銀行は率先して、市場引受手形の發達を助け居れり。ニ、英國五大銀行は、英蘭銀行に借入、又は再割引を求むること絕對に無し。ニ、地方金融逼迫の聲、喧しきに至れば、或る筋より貸出方の緩和、及び擔保價格の寬大を訓諭せらるゝことあり。然らば先づ、日銀に於て國債の擔保價格を、時價に依らずして、額面を以て取扱はれては如何と唱ふるものあり。一應尤もなるが如し。ニー、中央銀行と市中銀行との間に、金融調節上、實際的機能の發達と聯絡を要するは勿論、平素談笑の間に意見の交換、意志の疏通、又は取扱方法等に就き、互に〓究するの要あるべし。外國にては中央銀行內に之が一室を常設しありと聞く。蓋し兌換劵發行銀行たる日本銀行は、大いに市中銀行を統制指導するの責務あると同時に、市中銀行も共に、大いに自覺する所なかるべからず。一、、米國は、戰時大金滿家となり、又その大膨脹を整理し、現時の金融の緩漫を見るや、準一二一
一二二備銀行は所有する有價證劵を賣り放ち、又「コール」の低下と、投機の兆候を見れば、金利の引上をなす等、能く內外經濟の實相を看取し、巧に政策を運用すること、眞に稱讃すべきなり。之を中央銀行にのみ依賴して、固定的の不動產借をも持ち込み、金融統制を鈍からしむるものに比すれば、固より同日の談にあらず。一三、今や歐米に於ては、中央銀行は銀行の銀行にあらずして、金融市場の調節を圖るを唯一の任務とし、金融市場に直面するの傾向を來せり。我國にても大いに考究せざるべからず。一、、大藏省證劵は、之を善用せば財政運用上の調節と同時に、民間金融の調節に便なるは論を俟たず。現に英國の市場にては、割引手形中に大藏省證券を多額に包含せり。併し我國今日の如く、國庫剰餘高の過多にして、日本銀行に常に多額の政府預金ある場合に於ては、到底發行の機會なきが如し。尤も此の剩餘金問題は、旣に議論の存する所にして、全部之を國債の償還に充當すべしとの論あり。現に英國の如きは、國民の負擔還元の意味に於て、剩餘さへあらば、之を以て毎月國債の償還に充てつゝあり。而して我國にては、會計法の決算方法、又は一年一回の議會の開會は、是等の整理に不便を與ふること尠からず。一、剩餘金を以て、責任支出に充當することは、豫算を蹂躙し、又公債整理の趣旨に背反すと論ずるものあり。一、又一方に於て、今後國債市場、證劵市場、割引市場、「コール」市場を如何に開發すべきや。必然起るべき〓究問題なり。尤も割引市場は、手形の信用を今日以上、大いに高むることを以て前提とせざるべからず。一九、殊に商業銀行及び手形引受會社に於ける手形引受業務は、今後大いに講究すべき實際問題たり。一二三
一二四第十六章銀行の合併一、銀行の合併は、時勢の必要なる問題にして、今や絕好の機會たるべく、多々益々歡迎すべきなり。然れども以下數項に就て考慮を要す。(〓)合併は數の整理よりも、質の改良を以て目的とすべきものにして、合併は形にあらず、之に依りて堅實鞏固となる精神を忘るべからず。似たもの夫婦の合併、其の他無理なる合併は、却つて從前よりも不良貸の增加することゝなり、他日再び整理の時期來る。(ロ)都鄙銀行の縱なる合併の得失如何、寧ろ地方同士が橫なる合同こそ、實際に適するものにはあらざるか。尤も資金移動關係より見れば、之にも相當の議論あるべし。而して地方合同銀行と、大都市銀行と互助同盟關係を結ぶを可とせずや。其の優劣及び方法如何。(、)合併の方法は、存續銀行側より云はば、買收合併を可とす。何となれば普通合併に依り、資本金の增加を迎へんよりは、不良貸出を〓算人に引渡して、之を引継がざるに如かず。尤も徹底的に整理して合併する場合は、此の限にあらざるも、從來の例に依れば、合併する程の場合には、整理完全ならざるを常とすればなり。故に整理未了の休業銀行その儘の合併は、尙更困難なりと云ふべし。(ニ)有體に云はば、合併よりも自ら資本を增加し、切實樞要なる場所に支店を設置し、自行の主義方針を以て、徐々に開拓する方、經濟上の本位より見て、眞に鞏固なる金融機關を設くる所以たり。英國にては頻りに多數の合併をなせるに反し、米國「ナショナル·シチー·バンク」の如きは、僅かに二行を合併したる外、自行の擴張增資に依りて、今の大を爲せりと。大いに味ふべきなり。(ホ)無理なる合併を遂げんよりは、寧ろ徐ろに處分〓算する方、世上全般より見て將來の爲めなりと唱ふる人あり。()合併には種々の不便を伴ふ。例へば(1)新舊經營方針の異れること。(2)都鄙經濟、金融狀態の異れること。(3)交通通信の不便なること。(4)總ての慣習、行風、氣分の異れること。(5)重役及び其の系統問題。(6)行員及び其の待遇問題。(7)貸出缺損の切捨方法、引繼後の不良貸出の負責及び整理。(8)其の他合併に就ての資本金、即ち株金の算定方、及び法律關係等、種々の煩累あり。(9)證劵及び備品等の動產、竝に不動產の見積價格の相違。(10)不用不動產の脊負込。(11)預金の整理。(12)支店の過多及び其の整理等は主なる點なりとす。(ト)故に合併は大いに可なるも、單に銀行數の整理、又は被合併銀行の整理に止らず、同時に今後の存續銀行自體の、堅實的保護をも顧慮せざるべからず。然らざれば、合併は却つて無意義となり、災害となる場合なきを保せず。合併には他の條件は第二として、資產負債の確實なる査定を、第一條件とせざるべからざるは論なし。一二五
一二六(十)若し合併の成立に急にして、徹底せる整理を爲さず、不純のものを後者に引繼ぐことありとせば、是れ本來の精神に背反するものにして、禍を後日に貽すものな50 (つ)凡そ合併を爲すに當り、貸出を調査すると同時に、預金中には如何なる利率の契約ありや、又振替勘定に屬するものありや否やを、調査するを要す。必ずや預金額の何割かは、引繼ぐこと能はざるものありて、寧ろ預金の整理をも必要とする場合少からざるべし。(三)被合併銀行が案外不良なりし爲め、合併銀行の一大禍根となり、長く整理に苦しみ、其の極、再び蹉跌せる實例あり。宜しく初めに、嚴密なる査察を爲すを要す。(ヘ)合併の際は、一切の情實を去り、斷然不良分子の切捨を決行し、禍根を後日に貽さゞることを以て第一要義となす。(三)小銀行を、大銀行に併合するときは、產業分布狀態との調和を缺き、中小商工業者の金融機關を失ふとの憂を抱くもの少からず。是れ經營方針の異なれるが爲めにして、我が國現時の小組織の產業に在りては、緊切なる問題たるを失はず。(つ)茲に於て銀行も合併し、又中小商工業者も合併を圖るべし。或は聯合も亦可なり。目下頻りに百貨店の擴張せらるゝ際殊に然り。獨逸に於ては、各種企業の聯合、即ち「カルテル」運動盛んに行はれつゝあり。(九)小銀行同士の合併、固より可なり。茲に於て大銀行同士が、更に合併を敢行せば、大いに可ならずや、恐らく其の時代到來すべし。但し不純の合併よりも、一貫の方針に向ひ、一歩々々自力の發展に待つを本義とす。徒らに目前の大を急ぐ勿れ「鹿を逐ふ獵師は山を見ず」。(三)獨逸にては、横綱銀行の合併を敢行し居れり。又米國に於ける大產業の金融には、大銀行の出現を必要なりと云へり。(4)合併は萬難を排して決行せざれば實現し難し、茲に於てか有力なる媒介者を要す。併し其の態度は誤解に陷らざる樣、愼重ならざるべからず。()只茲に注意すべき一點は、從來合併を勸誘するものゝ多くが、合併後の困難なる實情に經驗なき素人の多きことこれなり。故に利害の根本を外れて、合併の速成を强ふるの傾あるを免れず。(,)合併の强要は否なり。或る時は二三日の滯在中に合併の調印をなすべし、然らざれば「サーベル」を拔くべしと脅迫したることもあり。餘りに實情に通ぜざる書生役人たり。(3)故に合併後の成績に於て、合併强要の非難少からざるものあり。(全)然れども是亦外的觀察にして、旣に合併分子自體にして、不良部分の芟除されざるものあるが故なり。(+)要するに合同其のものは、決して不可ならず。只其の合併方法及び合併後の經營如何に在り。故に各自が目前の立場を本位とするなく、本來の大局より、靜かに一二七
一二八正視判斷するを要す。ニ、米國にては、ギヤランチー·トラスト·コンパニーと、ナショナル·バンク·オブ·コンマースと合併して、二十億弗の大資產の世界第一銀行となれる例あり。尙他にもヨリ大なる合併計畫ありと聞けり。ニ、我國にても、近來著しく合併の行はるゝは、甚だ喜ばしき現象なり。更に進んで茲に第二段として大いに胸襟を開き、大銀行の各地支店を相互交換的に整理するを得ば、競爭を避け、尙且つ經費の節約せらるゝもの大ならん。四、曾つて英國の一銀行「バンク·オブ·リヴアプール·エンド·マルテインス·リミテツド」が「ランカシヤー·エンド·ヨークシヤー·バンク」と合併したるとき、銀行の「タイトル」を如何にすべきかを評議したるに、被合併銀行よりして「マルテインス·バンク·リミテツド」と爲さんことを主張せしに、合併銀行は自分の舊名稱を棄つること弊履の如く、直ちに之に同意せりと。以て其の襟度の大なるを味ふべきなり。第十七章雜感一束一、從來、我國銀行の首腦者と云へば、多くは官吏、又は日銀より天降るを以て不文律となせるが如し。茲に說あり、地方に於ても高等學府の出身者を採用し、而して其の人格、技倆、成績の優秀なるものは、反對に之を中央の要路に拔擢するの途を開くべしと。是れ辯護士より裁判官に登庸すると等しく、人物經濟上より見て、洵に幸福の至りなり。敢て實現を至囑して止まず。ニ重役の天降り必ずしも不可ならず、然れども銀行の衰運挽回策としては當らず。即ち其の結果の失敗に終るの實例餘りに多し。ニ、試みに地方銀行重役に對し、銀行設立の目的如何、其の土地の商業機關なるや、將た產業開發の爲めなるや、如何なる經營方針なるや、如何なる準備組織なるやを問へば、明答するを得ざるもの少からず。却つて曰く、只たゞ名譽なりと心得、幾十年を空過し、今日に至つて始めて銀行業の恐るべきを知り、一日も早く脫退せんことを希ふと。是れ眞相の告白にあらずして何ぞや。四、米國に於てすら、地方銀行の倒產頻々たるものありて、是れ皆、銀行なるものゝ本義を理解せざる人の經營なるが爲めなりと云へり。五、特殊銀行にして、本來の任務を守らず、分業と競爭に過ぎ、體系の混同を釀すあり。而して其の損失は結局、國民が負擔せざるべからざるが如き不條理は、速かに改善を爲す一二九
一三〇の要あり。蓋し特殊銀行は我國獨特のものにして、過渡期の產物と云ふべきか。六、昭和十年十二月現在に於て、全國の銀行貸出金百〇六億圓の中、不動產貸は五十七億圓なりと云ふ、假りに之に所有不動產を加ふれば、更に相當多額となるべし。即ち地方の資金逼迫は、不動產の資金化流動の因難なるに大原因をなせり。然らば不動產の資金化の方法如何。大いに勸業及び農工銀行の營業を擴張せしめ、若くは純然たる不動產銀行を設立し、其の機能を發揮せしめ、且つ其の取扱に就ては、或は其の銀行の債券を發行し、或は往昔の地劵の如きもの、例へば登記を爲さば登記所より不動產抵當證劵を發行し、之を融通に便ずるが如く、其の他種々の方法を講究するの要あるべし。七、銀行、又は信託會社に於て、不動產に金融の便を與ふることは、不動產の騰貴を促すものなりと說くものあり。別に講究の要あるべし。ハ、或は擔保增しとして不動產を差入れんか、是れ却つて不動產なる資產ありたる爲め双方の不幸となるべし。即ち債務者は思切らざりし爲め先祖傳來の不動產を失ふことゝなり一方銀行は此の資產家を優遇したる爲め不動產の背負込となり、利益生ぜず、賣却も出來ざる不遇に陷る。九、不動產抵當債權者には、法律上絕對安全なる保護を與ふるを要す。然らざれば充分なる融通を與ふるを得ず。現在にては、不動產貸に對する競賣法其の他、法律上の不便不安の點頗る多し。加ふるに條理を離れたる末節の法律論多く、實際に於て法律は却つて債務者を保護すること少からず。即ち債務者の不注意は利益となり、債權者の不注意は救はるゝことなし。是れ法治國の陷り易き弊なり。斯かる場合にも「グレシヤム」の法則は行はるゝものにや。一〇、債權者の過失怠慢を責むるは不可なきも、債務者の不履行、若くは不當利得をヨリ大に責めざるべからず。辯護に於ても亦然り。前後本末を〓倒し、徒らに穴探りを以て能事とし、妄りに紛糾を釀すが如きは其の罪淺からず、社會を茶毒するものなり。況んや不利、不德、不純の潜在せるものをや。正義正道の立場に於て、權利の擁護に努むべき職掌に在りながら、不義不正に與し、私慾を得んとするものあるに至つては、吾人慨然たらざるを得ず。ニ、一番抵當權を完全に設定せるに拘はらず、滯納稅金、而も抵當物に關係なき他の滯納稅金、若くは、法律上優先權なきものに對しても、之が差押を受くることあり。此の場合債權者は進んで競賣申請をなすを得ず、さりとて稅務署は公賣もなさず、債權者をして立替納稅を爲さしむる手段として、袖手傍觀するの態度に出で、債權者は全く泣く〓〓不利に陷るを免れず。曰く差押は競賣の一著手にして、進行するもせざるも法律上規定なしと。哀れ債權者は到底助かるの途なし。三、凡そ差押なるものは、或る一定期間內に、必ず競賣に附するやう法律の改正を要す。とかく法の不備を利用するもの多し。悲しい哉、官廳既に然りと云ふべきか。ニー、法律は固より權利義務を明確にし、吾人の生命財產を保護するの責務あり。決して條理を離れ、字句に拘泥し、白を黑なりと逆用すべきにあらず、宜しく法の眞精神を活用すべきものと信ず。國の圓滿なる發達上、法律と經濟とは一致せんことを望んで止まず、一三一
一三二即ち借りたるものは返し、約束したるものは履行する、條理に二途を許すべからず、字句の末節に囚はるゝは吾人與せず。法律萬能もかゝつて活用する人の如何に在り。裁斷は〓き水の流るゝ如くなるべし。一四、又常識的に見て、當然判斷し得べき事項にても、證據調其の他、種々の口實の下に延期に延期を重ね、容易に事件の終結を見る能はざるは、我國法の缺點なりとす。新訴訟法は、專ら此の缺點を防止したるを喜ぶ。一六、之を獨逸の直截簡明なる即決裁判に就て見よ、大いに悟る處あらん。一六、米國商業會議所は、實業經營に、法律を不必要ならしめざるべからずと高唱し居れり。一、、紙幣の統一及び紙幣の種類に就ては〓究を要す。兌換劵統一には議論あるべきも、結局、時機の問題たるを以て、寧ろ此の際發行銀行に代償を與へて、整理を速かならしむるを可なりと唱ふるものあり。機會は方に今日にあらんか、如何。一八、英國に於ては、政府紙幣と銀行紙幣を統一するの議案を議會に提出し、旣に通過せりと聞く。一九、米國にては、紙幣發行に依る利益は、全部政府に納付する制度にして、之に依りて銀行に利益を與ふることなし。二〇、預金利率の協定のみならず、取引先の資產、信用調査、貸出方針、貸出高、又は之に處する方法、或は世上の問題に上り、又は上らんとする商工業者に對する對策等、實際問題に就て能く同業者間に聯絡を圖り、隔意なき精神的協調をなすを要す。是れ銀行の安全を期するのみならず、亦商工業者をして大事に至らしめざる所以なり。彼の自家の災禍を他に轉嫁し、得々たるが如きは、寔に罪惡なりと謂ふべし。二一、更に進んで銀行の攻守同盟を說くものあり。是は銀行側の自衞策なるのみならず、預金者側より希望するもの亦少からず。米國の如きは預金保護の爲めに、支拂保證保險の强制若くは任意組合制度あり。又一朝恐慌あらば、手形交換所之が救濟の任に當り、能く自助的精神を發揮す。彼の聯邦準備銀行制度の如き、制度上の力の大なるは、洽く世の知る所なり。二二、米國の聯邦準備銀行制度を採らずとも、精神を之に法り、銀行業者間に聯絡を取り、常に相互扶助をなす要あり。又同制度の如く、能く事前に於て監督を爲すの要あり。二三、之と同時に、銀行より商工業者に向つて攻守同盟、或は合同の注文を發して可なり。其の他商工業者も亦、歐米先進國に倣うて自分自體に改善すべきこと多々あるべし。二四、昭和六年中にアメリカの破產したるもの會社、銀行、商店を合せ二萬六千四百件。此の原因を探るに、凡そ左の如しといふ。(一)經營能力の缺乏に因るもの(二)無經驗に因るもの(三)資本に比し取引の過大なりしに因るもの(四)放漫なる貸付に因るもの(五)負債の累積に因るもの一三三
一三四(+)個人の浪費に因るもの(七)經營法の缺陷に因るもの(八)無理なる競爭に因るもの(七し不可抗力に因るもの(一〇)思惑の失敗に因るもの(二)詐欺的意向に因るもの二五、一にも歐米、二にも泰西と、彼に陶醉せよとの謂にあらで、我國には我國の國情あり、宜しく彼の長を採り、我の短を補ふべしと云ふに外ならず。又形式のみ歐米に模倣し、之に伴ふ思慮の足らざるは、吾人の採らざる所なり。二六、幾度か外國の銀行を視察〓究するも、定石は動かすべからず、踐むべき道を踐み、守るべきを守らざらば、其の視察も徒勞に歸し、結局、銀行は破綻の外なきなり。故に曰く「銀行の經營は人に在り」と。二七、財產目錄も可なるも、人が經營の中心問題たる以上は、行員目錄が必要條件なりとも云ふを得べし。二八、今日我國の弊は、法律、規則、制度、文物等の形をのみ歐米より輸入し、之に伴ふ精神と氣魄を學ばざることなり。此の心は即ち組合の協定に違反多く、毫も實行せられざる所以なりとす。二九、外國人は〓して華を去り實を求め、永遠に亙る計畫をたて、粘り强く、底力を有す。殊に英國に於て然りとす。飜つて我國の現狀を見れば、恰も浮木の上に於て、其の日送りの刹那的仕事を爲す者少からず、轉た痛嘆に堪へざるものあり。三〇、米國の旺盛なるは、獨り天然資源に富めるためのみならず、精神文化の結晶あるが爲めなり。天惠の比較的薄き獨逸に於て、殊に其の然るを見る。三一、若し天惠にのみ倚らんか、支那は果して如何。又阿弗利加は如何。三二、乃ち知る、米國は天然富源に加ふるに、能力と精力とを以てし、今や萬年繁昌を以て世界に雄飛せんとするもの、寔に所以なきにあらざるなり。三三、顧みて我國の如き、原產物に乏しき上に、精神文化も缺點多きに至りては、大いに考へざるべからず。實に國運の岐るゝ大問題なり。三四、英國は、商工業に重きを置き、農業に盡さゞるも、米國は農商工業の三者に等しく力を注ぎ、合理的、科學的產業に意を傾け、更に科學的管理法に成功せり。米國、今日の旺盛は、全く其の賜なりと云ふべし。三五、但し米國の金の偏在多きと、關稅の障壁とは、軈て米國自身の累となるべし。三六、信用組合の現狀は、恰も小銀行濫設と同一結果に陷るの惧れなきか。監督上注意の要あるべし。三七、銀行と、信託會社と、又信託會社相互間に於て、互に協調する要あり。現狀の如く、是等の競爭が止まざるに於ては、信託會社と雖、何年かの後には、恰も今次の災禍を、再び見るやも測り知るべからず。一三五
一三六三八、銀行の預金額を視ると同じく、信託財產の數字を以て、會社の良否を判別する唯一の資料となす風あり。是れ亦、不當競爭の因と爲らざるかを憂ふ。三九、抑々信託會社にして、金錢信託を主たる營業と爲し、放資に就ても銀行と競爭する現狀にては、社會奉仕の高調に反するのみならず、銀行と分立したる趣旨を沒却し、豫て官民共に唱ふるところの堅實方針及び預金協定の精神と、全く矛盾せりと謂はざるべからず。結局は銀行と合同すべきものなるべし。四〇、現に米國に於ては、本來の信託のみにては利益なく、結局銀行を蠶食せるにあらずや。同國にては今や、銀行と信託會社とは、二者全く同一のものと云うて可なり。四一、英國にては、銀行に信託部ありて、遺產の管理、遺言執行等の世話を爲せり、別に設くる信託會社は、主として證券の賣出等を掌り居れり。四二、近時不可解なるもの、並に〓究を要すべきもの、數點を擧ぐれば、(4)法律上義務ある未拂込株金の徵收をなさずして、先づ有限責任の重役に對し、私財提供を强要すること是なり。尤も誠意を示す爲めの自發的提供、又は違法及び非行をなせる場合は全く別なりとす。(一)特殊銀行の重役は、幾億圓の損失を釀しても、私財提供を要せず。國民が之を負擔すること。(、)私財提供に對し、所得稅を賦課するの奇現象なること。(三)今若し學校に於て、有限責任、無限責任の講義を爲さんか、前者は半强制的私財提供にして、後者は强制的私財提供なりと說かざるを得ざるに至らん、豈奇ならずや。(木)一方に合併を奬勵せる反面に於て、合併財產の差額に對し、其の移動に乘じ、更に再び收益稅を課するの矛盾あること。並に合併增資に依る高率登錄稅を徵すること。(ミ)株主が多年蛸配當を受け來りたることは不問に附し、却つて他を責めんとする傾あること。又蛸配當に就ては、平重役に於てすら深く之を究めず、只目前の高率を欲して止まざることありとか。(ヘ)未拂込株金を徴收せずして、休業銀行自ら預金債務を切捨てんとし、株主は又拂込の減免を運動する等のこと。(+)普通銀行に於ては、預金の切捨、又は拂戾に對し、預金の大小を以て、貧富の差別を付する能はず。されば是は單に事務的便法に止まり、理論的には其の當を得ずとの說あり。固より和議法又は破產法より觀れば、問題の價値なかるべし。(つ)預金を保護するは可なるも、休業銀行中には、名は預金にして、其の實質は借入金と同一視すべきもの混じ居らざるや、若し之ありとせば、借入金との保護の差別如何。(ス)又救濟に際し、預金に重きを置く結果、同業者に對しても、預金名義なるときは、之を第一位に置き、而して預金支拂の財源たる「コールマネー」は、同業者預金一三七
一三八と性質を同じうし、若くは其れ以上の重きをなせるに拘らず、之を第二位とすることは財界救濟上、緩急を誤れるものにあらざるか。是れ實際問題なり。(〓)休業銀行が、預金者に重きを置くは可なるも、之に反して他の債權者に對し、何等か盡さゞるものありとの感なきや。(今)一〓に休業銀行と云ふも、實は金錢の出入其の他取立等、一切の休業にあらずして、寧ろ單に支拂を停止し居るものにあらざるか。更に開店休業銀行と云へる新語あり。(,)預金切捨の不當を叫ぶものゝ中には、高率利息に迷ひ、若くは寧ろ之を貪り、自ら其の厄に陷りたるもの少からず。恰かも火蛾の燈に燒かるゝが如し。(カ)利害關係の大なる大株主が、平時の監視狀況如何、又總會なるものゝ側面觀察如何本來よりすれば寧ろ奇異の觀ありと云ふべし。(三)株主總會に於て、蛸配當の決議をなすときは、小株主のみの賛成を以てし、休業などの事件起らば、初めて大株主が騒ぐ幕となること多し。敢て問ふ、一般株主の責任觀如何。又眞實自己を愛する程度如何。又銀行の株主は、社會に對する銀行業の使命に省み、他の會社株主の如く、營利一方にのみ走るべきにあらざるべし(ス)凡そ監督なるものは、兎角區々たる形式、及び理窟に拘泥して大局を逸する嫌なしとせず。若し然らば其の原因、及び其の改善の方法如何。由來、監督と干渉とは、往々履き違ひを生じ易きが如し。(C)特殊銀行に對し、特殊の監督あるに拘らず、却つて蛸配當を爲せる奇觀なかりしか監査役の責任を加重する其の筋の新施策と同時に、特殊銀行の管理官に對する責任加重は、如何と問ふものあり。(,)不良貸金の銷却を爲せし場合、稅務署は所得稅の低減するを悅ばず、殊に擔保品のある場合、苦情を云ふこと多し。併し他日、擔保を處分して利益とならば、其の際必らず課稅は免るべからざるものにして、敢て徴稅を急ぐの要なかるべし。(2)其の他、同じ大藏省所管にても、主稅局と、銀行局と、相背馳するの例少からずとの非難は、往々耳にする所なり。(大)株式の時價は、銀行會社の眞相を物語ると云ふも、然らず。市場の賣買價格と、株其のものゝ眞價とは、一致せざる場合多し。是れ蛸配當にても價格を保ち、又は賣買禁止、若くは讓渡の場合は、取締役會の同意を要すと規定せるもあり、殆ど市場に於ける賣買商品たらざるものあり、又は少許の自己買入にても、能く相場を釣上げ得るものあればなり。茲に於て市價は市場丈けの相場となる。又個人的會社の株劵は配當落にても時價に異動なきもの多し。是れ市場にて事實上賣買なきの證左たり。(+)休業に際し、重役全部が赤誠を盡し、而してなほ足らざる處を、初めて他の援助に求むべきに拘らず、却つて重役は第二順位に立つの觀あり。自分の身體に出來一三九
一四〇たる腫物は、自分で切開する丈けの勇氣なかるべからず。(今)法律上、及び道德上、義務あるものがつとめて犧牲を回避するに汲々たること。(2)債務棒引きの思想、漸時增大の傾向あること。(2)我國民は何事に限らず、社會的制裁の念乏しく、淡泊かつ寬容にして、思切り餘り宜しきに過ぐるの觀なきや。(十)動機を「コール」に發し、微妙なる金融界が危機に瀕したる時、之に關する重要法案を議する人々が、能く「コール」なるものを理解し居たりや、隨つて金融界の現實狀態を透觀する能力ありしやと疑ふものあり。(,經濟上の事は微妙にして且つ廣汎なり。救濟の時機を失すれば、損害は幾層倍となる。當時に於いて、所謂、理窟倒れの觀なかりしや、政府も亦他に良案なかりしか。(オ)何人も云ふは易く、行ふは難し。現に大藏省預金部すら固定貸を生じ、制度の改革を爲したるに非ずや。又政府任命の監督官あり、監事ある特殊銀行に於ても亦然り。況して一般民間銀行の監査役に於てをや。官民共に宜しく行を先にし、言を後にするの心掛け肝要なるべし。四三、由來、預金者は金利に無理を云ひ、借主は無理なる借入を云ひ、無理ならざる借主は利子に無理を云ふ。商業手形は惡用せられ、銀行を詐術の具となす、嘆ずべきなり。況んや銀行を脅迫して、金錢を貪るの徒輩あるに於てをや。又況んや內部に不純分子の潜在するに於てをや。四、凡そ世の中は、正直なる國民、正直なる株主、正直なる預金者、正直なる銀行業者ほど、人の跡始末を引受くるものはなかるべし。併し之を高處より觀んか、矢張り惡者は自業自得の天理に背かず、正直なる者、必ずしも馬鹿を見るものにあらざるなり。四五、空中のバチルスは全滅する能はざる如く、世の中のバチルスも亦撲滅し能はざるも、唯自分が之に打勝つ丈の抵抗力を持すれば足る。四六、資產家に敬意を表すべきは勿論なるも、資產家も亦銀行に對し、不合理なる强要をなすべからず。之を休業銀行員に聞く、眞面目に稼ぎたるものをも不勞の資產家に橫奪せられ、高い處の土持に苦しめられ、蛸配の一因となりたるものも少からずと。蓋し高利の預金及び低利の貸金、竝に片務的貸出方を暗示したるものならんか、果して然らば斯くの如きことが、遂には社會問題の一因となるなきを保せず。愼まざるべからず。四七、或人曰く、利益なる汁は、かくれたる資產家に吸ひ取られ、元金は假裝資產家に奪はると。眞相に觸れたる實驗談と察せらる。而して現れたる無產者は、決して銀行を倒さず、又縱令迷惑を被らしむることありとしても、其の額極めて僅少なり。四八、個人と云はず、會社と云はず、銀行に對し、程度を踰えたる條件を强要するは、結局、自分の取引銀行を窮地に陷れ、衰運に導くものなり。宜しく相互扶助の精神を失はざらんことを望んで止まず。四九、銀行は信用を以て金を預り、之を確實有利なる先へ貸付け、以て商工業者の機關となり、一四、
一四二有無相通の公共的使命を果し、その間に利鞘を得て營業をなすものなり。然るに周圍の事情は前述の如し。銀行家たるもの、絕大無比の自信あるにあらずんば、焉んぞ其の任を全うすることを得んや。五〇、昔は家主の强慾なるもの少からざりき、今は借家人が家賃を拂はざる上に、尙且つ莫大なる立退料を强要するを常とす、而も裁判官並に調停人は、動もすれば借主に同情する傾あり。小作農爭議亦然り。然らば借入金を爲して貸家營業を爲せるものは如何なるべきや。又貸家營業收益稅の返還は如何にするや。是れ豈善良なる社會相ならんや。斯くの如くんば、軈ては汽車電車に乘りて賃錢を支拂はず、却つて乘客よりして降車料を要求せらるゝに至るべし。天下豈斯くの如き理あらんや。然るに世相は斯くの如し。銀行の憂ひ且つ迷ふ所以、實に茲に存す。農村の疲弊は漸次增大を加ふ。其の大原因は〓ね左の如し(二)生活程度の向上せるに反し收入減じたる事(二)肥料の高き事、其他稅金(三)都會失業者の歸農(四)金融の途なき事、資金の都會集中五一、今後「モラトリアム」の如きは斷じて施行すべからず。又天變地異の外は人爲的に、これを必要とする事變及び其の原因を造らしむべからず。惡習慣を助長し、且つ信を中外に失すればなり。五二、天變地異と云へば、昔伊太利のポンペイは、市民遊惰放逸に墮し、驕奢淫蕩を極め居れる際、全市埋沒に逢ひたり。或は恐る、關東地方の地震も亦、何等か天意の存するなきやを。心せざるべからざるなり。五三、對外爲替相場の高低は、種々なる一時的原因の存するは勿論なるも、畢竟、我國財政經濟の實力如何に依る反映たらずんばあらず。固より貿易關係を無視するの意味にあらず。五四、特殊銀行制度に改善を加へ、重役の官選及び保護の過重を避くること。及び兌換劵發行銀行が、普通銀行と同樣の營業を兼ね、同コースの競爭をなすの利害如何。自他の爲め根本的〓究を要すべし。五五、何程の實益あるか、我國には官選重役少からざるも、彼の英蘭銀行の重役は、人の知る如く前途有望の實業家より選任し、其の總裁には重役中の最年長者を以て之に充つ。總裁は即ち一番經驗に富めるものなり。彼我を比較して顧みる處なくして可ならんや。五六、英蘭銀行總裁の如きは、何等政府の干涉を受けず、而も政府と聯絡協調を失はざる所に妙味あり。五七、たとへ全國の銀行が、眞面目に經營するとしても、一特殊銀行の放漫經營あれば、國家と國民に大損害を與へし實蹟にかへりみ、特殊銀行が、自主獨立の精神に背反し、創業時代を去りたる今日、猶且つ過大の保護を繼續する事の不可なるを悟るべきなり。特殊會社に於ても亦然り。五八、識者は曰く、特殊と云へる保護あるが故に、或る向の食指動き、その結果、御利益より一三三
一四四は祟りの方が、遙かに多大となると。或は然らんか。英米人は特殊銀行なるものを解せず。五九、是に由つて之を觀れば、一にも補助、二にも保護と、他力本願の運動を策するものは、其の結果、自他共に害ありて益なし。宜しく國民は不覊獨立、自彊の精神を養ふべし。自ら重んずるものは人之を侮らず。茲に初めて健全なる國家を形成するを得べし。大詔に「國家興隆の本は國民精神の剛健に在り」と。六〇、產業の合理化も、先づ保護の撤廢が手始めなりと云へる說あり。然るに却つて保護救助を叫ぶの聲多きは如何。六一、日本銀行には別に大なる任務あり、銀行救濟の如きは本務にあらず。且つ旣に救濟も頂上に達し、今後行詰りたるべし。故に普通銀行たるもの、今後いよ〓〓自主自存、獨立經營の覺悟なかるべからず。六二、自己を守るは可なり、然れ共單に自己丈け宜しければ、他の迷惑を顧みざるも可なりとありては、共存共榮の精神に反するものと云ふべし。六三、共存共榮とは、直ちに物資の援助を受くるものゝ如く誤解し、または惡用するものあり。要は平素公德を重んじ、平和を保ち、威孚相通じ、互扶互助の共同的、自治的精神の發揮如何にあり。六四、多くは自己の利慾にのみ忠にして、よつて他人は損をするがよしと心得るものあり。洵に不條理にして、是れ我國の健全なる發達を爲さゞる所以なり。六五、自我中心主義を以て、個人的競爭をなすは社會の道義に反す。銀行は社會と相關性を有し、又人間は團體生活を離れて生くるものにあらず。六六、社會は和協議讓に依りて維持す。例へば將棋にて强者が弱者に對して一二枚の駒を落し、對等として相接するが如し。思はざるべからず。六七、我國民に、節制の足らざるが爲め喧爭するの弊あり。即ち皆の者が幾分かづゝの犧牲を拂ひ辛抱すれば、結局、皆の者の利益となる。畢竟、人を利するは己れを利するの根基なり。六八、世の中は巴の如く、各個が活動しながら相倚り相助け、以て圓滿に發達すべきものなり。六九、何事も自己中心に出發し、同性相食むが如き狹量短見が、所謂島國根性にして、我國の大を成すに至らざる所以、實に茲に存す。蓋しその更生は百年河〓を待つの類ならんか、豈嘆ずべきの至りならずや。七〇、情けは人の爲めならず、凡そ人の爲め、社會の爲め、國の爲めに利益を圖るものは、結局、己れの利益となりて酬いらる七一、故に彼の我利々々主義、即ち己れあるを知つて他を顧みざるものゝ如き、若くは人の膏血を絞りて尙慊らざるものゝ如きは、實に自他を傷ふ害物と謂ふべきのみ。七二、銀行集會所に於ては、自由に意見の交換を爲し、表裏なく打合せを爲し、相互協調して改良進歩に資するの風あるを要す。語に曰く「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と。一四五
一四六七三、銀行集會所に於て、各銀行の實務に鞅掌せる中樞者を以て、〓究調査機關を組織し、以て理事者と聯絡を取ることゝなさば、改良進歩に資する所、尠少ならざるべし。七四、〓究を目的として創設せられたる何々會等の中には、會員の更迭により、何時しか當初の精神沒却せられて遊樂酒宴を目的とする會に變更せるが如きもの無きや。七五、經濟界の推移に注意すれば、無智より受くる損失を免る。七六、銀行集會所には、銀行員養成の爲め、徒弟學校を設け、卒業生には相當の待遇を與ふること一案なるべし。現に實施せる所もあり。英國に於ては、各組合銀行の出資に成れる銀行員養成所ありて、甲種商業學校、又は高等商業學校程度の學習を爲せり。七七、財界動搖の際、流言蜚語を放つは大いに戒むべし。而も同業者よりするに至りては、火事場泥棒と共に、其の罪有すべからず。同時に新聞記事に就ても、また、執筆態度の愼重を望む所大なり。七八、若し同業者間に於て、人に迷惑を與へ、若しくは他を中傷するものあらば、軈て其の報いは自分に落ち來るべし。即ち「汝に出でたるものは汝に還る」。七九、茲に一つの實話あり。昭和二年の取付に際し、甲銀行は預け入れに來れる者に對し、何れの銀行より引出し來りたるやを問ひたる上、自行が保證する故に、其の銀行に預け戾しを爲すべしと勸告し、乙銀行は預金引出者に對し、我は天下の大銀行なり、我を危む前に、先づ隣の銀行を考へよと云へりとか。而して聞くものは、全く之と反對の感想を抱かしめられたりと。二者の美醜、今猶話題となり居れり。八〇、平素に於ても同業者間の批評は愼まざるべからず。不測の影響を及ぼすことあり。八一、己れの銀行に過あらば、即ち他行の非を求めて友とす。自行に過なきものは他行の非を友として語るの要なし。宜しく他人を見るよりも自分を見るべし。「物云へば唇寒し秋の風」。八二、曾て關西銀行大會に於て、銀行の決算期を三月、九月若くは五月、十一月に改正希望を決議せることあり。是非採擇せられんことを望む。今や信託會社其の他の諸會社の多くは五月、十一月の決算なり。殊に政府の會計年度は四月に始り三月に終るにあらずや。必ずしも銀行のみ六月、十二月に限るの要なけん。之が改正は實に多數、實際家の希望する所なり。八三、考課狀の糊塗粉飾、隨つて其の虛僞の不當なるは論をまたず。併し其の責むべきは形の上にあらず、其の粉飾を爲さゞるべからざる根本原因たる不正行爲其の物なり。而して其の由つて來る處は、方針を誤り、遂に餘儀なき破目に陷りたるにあり。八四、本支店間の事務統一、部課組織の適否、爲替取引上の改善、行員訓練方法、書類の整理法等、〓究改善をなすべきこと列擧すれば尙多々あるべしと雖、要するに新銀行法の趣旨に從ひ、形式或は事務的よりも、其の根本精神の革新を以て第一要義となす。八五、單に形のみの改善に勞するは、恰も蠅を追ふが如し。吾人は幾度か繰返して云ふ、主義方針は根本にして、形は末葉なり。日本は形式の國として笑はるゝにあらずや、蓋し精神が伴はざればなり。一四七
一四八八六、之を食物に譬へんか、西洋料理は滋養と經濟とを主とするに反し、日本は專ら體裁を主とするが如し。思はざるべからず。八七、我國の迷へる狀況は恰も文字を橫に書くに當り、或は右よりし、或は左よりするが如し。八八、今日我國の改善の要は、制度樣式にあらずして、之を運用する人の心的改善に在り。八九、抑々我國今日の喫緊事は、日本なる大船に優越なる良船長をのせ、何れの方向に進むべきやを確示し、其の目的方針に向ひて、船員が一致して眞劔に努力するに在り。九〇、彼の金融制度調査會の如き、寧ろ形式手續事項の末節に亙るもの多きを遺憾とす。金融政策の大局よりして、宜しく其の機關組織の整備と、銀行改善の根本政策とを主眼とすべし。九一、世の銀行制度を論ずるもの、銀行論又は外國の制度を知りて、我國金融の實際的運行を知らざるもの少しとせず。況んや商品の移動狀態をや。九二、我國民の經濟思想は不充分なり。外國にては少女すら小切手の話をなすと聞けり。我初等〓育にて、銀行に關する知識は、小學讀本卷十の小記事に過ぎず。更に進んで普及の方法を講ずべきなり。九三、政府の施設は、國民の經濟意見を基調とする樣、其の意見は有力にして强大ならしめざるべからず。九四、社會の進歩は共同的なるも、畢竟、各自の進歩を覺らざるべからず。九五、我國の財力足らずと云ふも、全體の富力は增進せるにあらずやと說くものあり。一理なきにあらざるも、借金政策に依れる國家財政の膨脹は、各般の祟となるものにして、禍根茲に在り、英米に於て、戰後財政の整理縮少に銳意努力したる點、流石に嘆賞に値す。九六、理化學〓究と云はず、社會〓究と云はず、寧ろ實際に即したる、役立つ、權威ある經濟〓究機關の設置こそ、我國現時の緊急事にあらざる乎。彼の徒らに會員の多きもの、若くは名譽的調査會員を作るものゝ如きは、無きには優る程度のものとして、吾人の採らざる所なり。一四九
一五〇第十八章昭和二年の恐慌一、這次の如く、全國の銀行が一齊に取付られ、又全國の銀行が一齊に休業したるが如きは、世界の金融史上、殆んど曾て見ざる所なり。ニ、而して財界混亂が、斯く急激に擴大したるは、我國金融機關の聯絡の不完備なるに因れるも、其の動因は、金融問題を政爭の具に供したるに依る。眞に恐るべきにあらずや。ニ、由來黨人の黨爭は、一國を暗黑ならしむ。統一ある政府は、國の威信に正比例す。政黨の淨化は、眞に我國刻下緊急問題たり。四、今や我國の現狀は、徒らに政黨政派の情實因緣に囚はるゝ狹量を以て、政治を料理すべきの秋にあらず。萬里一碧、國家の爲め、眞に國民の總意に基き、誠意一貫、事に當らざるべからず。是れ實に國家を安泰ならしむる唯一の道なるべし。五朝に明るき政治家あり、野に獨立奮闘の民衆あり、上下擧りて眞摯剛健、一致協力すれば國家は勃興し、生活は安定す。彼の主義者の如きは、自ら跣足して逃れんのみ、何んぞ思想國難を叫ぶの要あらん。又何んぞ經濟國難を憂ふるの要あらんや。六、歐洲大戰に依りて得たる約二十二億圓の正貨は、實に千載の一遇にして、米國が金解禁を斷行し、一方經濟緊縮を强制したる大正八年に於ける、我國在外正貨は實に十三億四千萬圓を超え、對外爲替相場は平均五十一弗なりしことを思ひ、之を近年の數字と比較する時、如何に我國民の深慮の足らざりしかを悔いて止まざるなり。七、獨逸の如き擧國一致、能く精力と努力とを以て、不斷の勤儉力行を勵み、產業の合理化を努め、燃ゆるが如き意氣を以て復興の途上に在り、又能くこれを大成する國民性を有す。ツエツペリン伯號の竣工の如き、其の一例なり。ハ、又彼の大戰終るや、幾萬の兵を秩序整然と引上げ、直ちに之を經濟生活に再編成したるが如き、驚異に値するものあり。れ、世間曰く、昭和二年の恐慌は事業界の恐慌にあらずして、金融界に對する恐怖騒ぎなりと。誠に然り、然れども更に遡りて之を考ふるときは、禍因は遠く戰時好況時代に胚胎し、其の反動期に於ける事業界の蹉跌が根源にして、加ふるに關東地方の大震災あり、是等損失の最後の引受場所たる、銀行の根本的整理が遲れ居り、其の結果が遂に這次の爆發となりたるに過ぎず。故に或る意味よりすれば、新に創痍を增加したるにあらずして、從來の暗黑より光明へ、財界の淨化恢復を促進したるものとも云ふを得べし。一、即ち這次の恐慌は、各方面に於て彌縫に彌縫を重ね來りたる祟にして、縱令某銀行の不始末なかりしとて、早晩免るべからざりしものとの觀察をなすあり。恐らく何人も抗辯するの勇なかるべし。誠に痛心の至りならずや。國家將來の爲め、吾人深く思を茲に致さゞるべからず。一一、隨つて這次の恐慌は、單に之を銀行界に局限せず、全般の一大警鐘として、國民一致相協力し、前代未曾有の不祥事を再び繰返すの愚を爲さず、深く其の原因を究め、容易に得難き活〓訓なりしと心得、感奮興起、以て轉禍爲福を圖らざるべからず。一二、
一五二ニ、米國に於ては、千九百七年の恐慌に鑑み、將來再び斯かる不祥事を惹起せざらんことを誓ひ、根本的大改善を行へることは世人の洽く知れる所、千九百十四年施行のウヰルソン大統領のフエデラル·レザープ·バンクの建設是なり。ニー、紐育準備銀行の會議室には、千九百七年の恐慌の際に、各銀行家委員の凝議せる苦衷の寫眞を揭げ、以て戒愼の一具に供し居れり。一四、宜なり、米國は今や世界金融場裡の主權を掌握せるのみならず、銀行其の他各事業の組織に於て、之が模範たるの榮譽を荷へることや。一三、由來我國民は動もすれば健忘性に陷り易く、彼の震災の戰慄すべき氣分すら漸く忘れられ、人心年を逐うて弛緩せんとす。或は今後の金融狀勢は、表面的に緩和するやも測り難し、其の根柢に至りては、依然として容易に樂觀を許さず、今や臥薪甞膽、根本的對策を講ぜざるべからざるの秋なり。ゆめ〓〓油斷あるべからず、喉元すぎて熱さを忘るる勿れ。一六、或は曰く、悲雨慘風の最も激甚を極めし四月二十一日を以て、毎年の記念日となし、以て財界の鑑となすべしと。大いに可ならん。第十九章結論一、要するに我國の經濟難を救ふには、一時的國民の總動員と云ふが如き、將又法律制度等の形の上にあらずして、根本は人間精神の立て直し、即ち國民性の改善如何にあり。制度必ずしも人を制せず、人能く制度を制す。ニ、今日に在りて、維新改革の意氣、日露戰爭當時、若くは關東震災當時の緊張氣分となり、上下一致して眞劔に勇往邁進せんか。必ずしも日暮れて道遠しとせざるなり。ニ、吾人は終に臨んで絕叫せんとす、日本は國を擧げて眞面目に立ち直れよと。更に再び絕叫せんとす、先づ自らを改善せよと。更に三たび絕叫せんとす、皇國の民として國體に基き魂を磨き眞に人たるの人たれよと。四、以上要するに銀行は勿論、株主、商工業者、預金主、借主等凡そ銀行に利害を有するもの何れも眞の〓究、眞の諒解、眞の履むべき本道に對し、未だ盡さゞるものあり。此の缺點よりして遂に銀行の困厄を招致し、自他共に損害を蒙るに至る。乃ち相共に無理を避け、不純を去り、本領を守り、確立したる營業方針に向ひて奮勵努力し、原理原則に從ひ、崇高なる理想と、最も〓廉に、最も公明に、至誠一貫以て克く其の責に膺り、苟も目前の功利に馳せず、永遠の大局に著眼して、信用の基礎を鞏固にし、以て萬全を期し、小は一人、一銀行、一會社、大は一國の福祉を增進せんことを冀ふに外ならず。重ねて云ふ、是れ畢竟經營者其の人と之が實行如何に存す。又敢て多くを云ふを要せざる一三三
一五四なり。願くは孜々營々、眞に光彩陸離たる理想の銀行を、築き上ぐるを以て念とせられんことを。五、吾人は最後に斷言せんとす。今後若し銀行業に從事せる者にして、失敗することありとせば、夫れは必ず本册子の何れかの項に背反せるものなることを。本書文字簡なりと雖、宜しく其の意の存する處をくみ、熟讀玩味せられんことを、敢て至囑に堪へざるなり。平凡なる道理は何人も之を知る、而も之を實行するものに至りては、眞に非凡の人と謂ふべし。"speak, act and Serve together!" Woodrow Wilson.
昭昭昭昭和十四年六月十五日昭和六年昭昭和二年昭昭和五年昭和四年昭和三年昭和三年昭和三年昭昭和四年二昭和二年無正相ニ片和和和年年年十二十二十二十二十十一月二十日定價六十錢五三四七四二十一月廿五日二月 月 月 月 月月月廿一日月十月月廿一日月十五日五月廿一日十五十五十五一日日日日日一日日日日再發印十二版八七六四十三版十一版十九五十四版三版版版版版版版版版行刷送料六錢(五十錢) (卅八錢)品賣非發行所著印刷所印發行者刷者者大大阪市北區中之島一丁目二十九番地大阪市西區京町堀上通二丁目一五大阪市西區京町堀上通一一丁目一五大阪市天王寺區細工谷町一〇九兵庫縣武庫郡住吉村字花田一四〇三ノ一大大荒一阪銀行集會原原木瀨印庄秀粂刷太所社郞一吉
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7 002850600 0 0028506-000特212-333銀行業務改善隻語一瀬粂吉·著大阪銀行集会所増補改訂第14版昭和14 ADI特この著作物は、著作権者不明のため,、著作権法第67条の規定に基づき、平成12年3月2日付けで文化庁長官の裁定を受け使用するものです。
最終更新:2022年06月26日 21:15