第二節 情報の蒐集

第二節 情報の蒐集

    一 諜報勤務者自身の活動

第七十一 情報の資料には公然触接し得るものと隠密の方法に依りて入手し得へきものとの区別あり即ち新聞雑誌其他公刊物の閲読等は前者に属し諜者の使用等は後者に属し?ナオ公然実行する訪問、面談、招宴等を利用し知らす識らすの裡ウチに秘密事項に触るること亦尠スクナからす而シカして通常公然の方法に依りて諜報の基礎を作り更に所要に應し隠密の手段に依りて掩蔽エンペイ幕を突破し情報を完成するものとす

第七十二 新聞、通信、雑誌、官民公報類等公刊物は平戦両時の何イズれを問はす諜報上重要なる価値を存するものにして文明の度高きに従ひ其利用の途愈々イヨイヨ多し
 戦時と雖イエドモ中立国を経由せは敵国の公刊物は之か入手必すしも困難ならす而して之を仔細に閲読し綜合推論宜しきを得は敵国に関する情勢の判断に裨益ヒエキする所尠スクナからす又時に官憲の検閲を洩れたる意外の好材料を得ることなしとせす

第七十三 新聞は事件の生起を速に知り又は某事件の端緒を得る為及輿論の傾向を察知し或は某地方の情況を研究する為各種の資料を求め得るものとす
 新聞を閲読するには其系統、色彩、勢力、連絡関係等を顧慮するを要す又新聞記事は内容に誤記多く大體ダイタイの経緯を察知し得るに過きさること?々シバシバあり又故コトサらに宣伝の目的を以てする記事少からす故イタズラに真偽の判定には特に注意を要す若モし同一事件に関する数多新聞の記事にして其出所を異にするときは彼此綜合して略々其真相に触れ得へし

第七十四 定期刊行物には調査事項の参考となるもの尠スクナからす然れとも国情に依りては諸統計及官憲の記録に外面的扮飾ありて内実と合致せさるもの尠からさるに注意すへし而して一国或は某地方の文化の度低きに従ひ其弊愈々イヨイヨ多きものとす

第七十五 情報の蒐集は当事者直接の活動に依るを最も確実とす之か為諜報勤務者は広く各社会の要人と交際を求め洽アマネく衆人に接し豫アラカジめ其素地を作らさるへからす就中ナカンズク密接なる連絡者及信頼すへき交友を得ること特に必要なり而して如何なる人物を如何なる場合に利用すへきやは目的、情況に依りて異なるものとす

第七十六 交際を広くし知人を多く求むるは情報資料入手の為の主要手段なり而して其人に接するや須スベカラく虚心担懐何等の屈托、隔壁なき態度なるを要す我に何等の警戒心なき状は對手アイテをして安心して我に信倚せしむるの妙法にして無益なる技巧或は辞令は概して得策にあらす誠意と淡白とは何れの場合に於ても常に必要なり交誼コウギの深厚なるに至るや知らす識らすの間重要問題に触るることあるのみならす我自ら要件を開示して之を糺タダすも對手の敢て怪まさるに至ることあり即ち之を基礎として更に探究の歩を進め以て情報の完成を期し得へし

第七十七 對手の體面タイメンは交際上最も注意せさるへからす招宴、集会の利用、物品の贈与就中ナカンズク利益の提供を以て懐柔せんとする場合に於て特に然り従て単に直接金銭を以て之を買収せんとするは教養、地位ある人物に對しては通常至難なり宜しく当該国民性を理解し風俗、慣習、社会の実情に通暁し裏面の呼吸をも解するにあらすんは其真諦に触るること容易ならさるに注意すへし

第七十八 座談に巧にして材料の豊富なるは諜報勤務者の具備すへき一要素なり之か為諜報上何等の価値なき世上の些事と雖イエドモ少くも其梗概コウガイを知得しあるを可とす殊に常識の豊富なるは判断の正鵠セイコクを得しむるに必要なり

第七十九 對談には最も注意して對手の談話を誘出すると共に自己の知らんとする所を對手アイテに悟らしめさること及彼の語るを欲せさることを強て追及せす談笑諧謔カイギャクの間徐オモムろに其欲する点に到達するを上策とし功を急くことあるへからす又問答は断片的なるを有利とすること多く一挙に全てを窺はんとするは却て不結果に陥ることあるに注意すへし

第八十 自己の意見の発表は努めて之を避くるを可とするも時として對手アイテの言議を追究する為故意に反對意見を述へ又は對手アイテの所述を反駁するを可とすることあり又他人の談笑に注意するときは往々有力なる諜報の端緒を得ることあり然れとも公衆の中に在りては故らに真実に反する言動を為す者あるに注意すへし

第八十一 公職を利用して調査を依頼し或は公然たる紹介に依て緊要事項を諮問シモンし若モシクは要所を視察して諜報上有利なる資料を得ることあり而して此種行動の目的を達成せんとせは其間故意に幾多不要の問題を加へ真目的の那辺ナヘンに存するやを感知せしめさる如くすること切要なり
 統計類は縦タトひ秘密に属せさるものと雖イエドモ之を細密に探究するときは諸般の事象を察知すへき資料を得るの機会多し

第八十二 軍部以外の系統に在る諸機関即ち外務省関係諸官憲、学究、民間商事会社、各種協会、名士の視察等より得たる情報も亦軍事情報の参考資料たるへきもの多く特に内外政治、経済、其他思潮、社会事象及労働問題等に於て然りとす加之シカノミナラズ此等との往来に依りて真個の諜報勤務の端緒に触るることも亦少しとせす故に須スベカラく虚心担懐広く交誼コウギを求め之か利用に勉むるを要す

第八十三 新聞通信関係者の善用は諜報上利益少からす故に平常適当に此等と触接し時時其欲する資料を供給して其利益を計る等進て十分の好意を表し必要に際し欣ヨロコんて我か要求に應せしめ得る如くならしむるを要す之か為には記者等の人格、素質を観破し其適良なる者を選択すること特に必要なり

第八十四 適当なる当事者を買収して或は一時的に或は完全に情報資料、記録等を入手し或は暗号其他通信書類を獲得するを得は最も確実に對手アイテの機密に触るることを得へし然れとも斯の如きは大なる危険を伴ふものなるを以て緊急の場合通常諜者を使用して間接に之を実施すへきものにして且其時機、方法の選択に就ては最も周到の注意を要するものとす

第八十五 直接の観察は如何なる場合に於ても最も適確なる方法なり故に諜報勤務者は有らゆる機会を捉へて事物の実際に触れ絶えす一般の趨向スウコウを直接視察するの必要大なり斯くの如くして諜報資料の査覈サカク、判断も亦適切なるを得へし

第八十六 饗應キョウオウは接近の機会を得且親密の度を増進する為有効なる方法なるを以て諜報勤務上の常用手段なり而して之か実施には最も慎重なる準備と研究とを重ねされは啻タダに効果なきのみならす却て害を貽ノコすことあるに注意すへし
 饗應実施の方法は對手アイテの特性と其当時の情況とに依りて異なりと雖イエドモ一遍の儀式に終る如きは何等効果なく懇親の風加はるに従ひ益々對手アイテを威動せしめ得へし
 饗應に際し賓客の選定には特に注意を要す異分子特に反對者を加へさるは勿論階級、地位等に甚しく差異を生せしめさる如くし以て会談、交驩コウカンに不都合を来さしめさるを要す

第八十七 某事項を探知せんとする際之に関聯カンレンを有する我か事情を支障なき範囲に於て故コトサらに流布し或は仮構の情報を伝播する等の宣伝手段を以て波瀾を起し之に應する對手国の輿論或は官憲の措置等を静かに観察するときは所要の情報獲得を容易ならしむることあり


     二 諜者の使用

       い 諜者の具備すへき要素

第八十八 諜者として一般に具備すへき要素は諜報目的に関する事情に通し犠性的精神及責任観念に富み大胆冷静にして明敏なる観察及推理力、良好なる記憶力、強健なる身神竝ナラビニ堅忍性を有するに在り?ナオ必要の語学に練達せることも亦一の必要条件なり然れとも上記の如き要素を悉コトゴトく完備する者は固モトより稀有なるのみならす諜者の用途は多様にして其任務も亦軽重難易不同なるを以て其特長、性格の如何を銓衡センコウして之を適宜適所に使用すへきものとす

第八十九 諜者其勤務に従事するの動機は十分考察調査せさるへからす而して其動機の如何は概ね勤務に對する熱心の度を表示するものなるを以て諜者の選択及任務の賦課フカに際し好個の参考資料たり得るものとす
 諜者の勤務に従事すへき動機を概別すれは左の如し


一 諜報勤務に先天的に大なる趣味を有する者

二 衷心チュウシンの希望に依り奉公若モシクは報恩の目的を以て勤務に従事する者

三 諜報の對象たる国家、政府等に對し思想、政見、主義、野心、境遇、民族的感情及其他の原因に依り反感を有する者

四 資力に窮するか或は失意、落魄ラクハク其他一身上の原因に依り特別の利得を望む者

五 単に貪慾愛銭の私念より出てたる者

六 営利を目的とする常職的秘密偵知者

七 使用者に私淑し其腹心となれる者

八 帝国又は帝国国民に對し好感を有し或は殊コトに血族的若モシクは職業的利害関係ある者


 宮廷に属する高官、国会の議員、外交官(関係ある婦人を含む)、枢要官衙カンガの吏員リイン及使用人、僕婢等は直接機密を取扱ひ若モシクは之に触接し易き地位に在るを以て此等の人物中より選定宜しきを得は適当なる要素を備ふる諜者を発見すること難からさるへし

第九十 諜者として諸外国人及各民族の性情セイジョウは各々一長一短あり故に之か使用に方りては須スベカらく其長所を利用して剰アマす所なく其短所に對して警戒を怠らさる如くせさるへからす

第九十一 諜者か一定地に居住し特定の職業を有し全く該地方の良民に同化しある者(定住諜者)なるを要するや或は之に反して数地を移動する者(移動諜者)なるを可とするやは一に諜報の目的に依りて異なるへきものとす而して前者としては単に給料に依りて生活する者の如きは適当ならす一定の健実なる生業に従事し十分なる華客を有し周囲の信用を繋き何等の疑念を招致せさること必要にして後者としては商人、職工或は懐中豊富なる旅行者等に化し其行動に不審を抱かしめさるを要す若モし諜者か巡回すへき地方を行動する定職を有する者なるに於ては最も可なり
 移動諜者の家族か使用者の所在地に在るときは諜者の取締上最も有利なり

第九十二 俊敏なる諜者は独立して深く敵地に潜入せしむる如き場合に於ては最も賞用すへく時として奇功を奏することありと雖イエドモ動ヤヤもすれは一部の事実を捉へて直ちに重大なる判決を下し使用者の判断を誤らしむることあり故に多数の諜者を操縦し時々之に断片的の任務を与へ其報告を綜合判断せんとする如き場合に在りては寧ムシろ卒直且カツ熱心に使用者の意図を奉して勤務する者を以て勝れりとす何れの場合に於ても身體強健、意志堅確にして神経質ならさるは必要なる条件なり

第九十三 一地方或は民族間の内情の諜知は同地方人若モシクは同民族にあらされは能く其真諦に触れ得さる所なり故に此種目的の為には諜者の選択を此範囲に於てするを得は最も適当なり

第九十四 婦人には諜者として適当なる要素を具ソナふること多し即ち一般社会に於ける其権利の優越せること及其独特の魅力是なり特に上流社交界に出入し才色兼備せる女性を諜者として選ふを得は重大なる効果を獲得すること尠スクナからす

       ろ 諜者の選択及採用

第九十五 諜者の選出には相当の時日を要し有事に際し遽ニワカに適任者を入手せんとすること容易ならす殊に有力なる高級諜者に於て然りとす故に平素より各種の手段を講し適当の候補者を物色し且適宜資金を投して之と接触を保持し置くこと必要なり而して勤務実施間に於ても諜者減耗の極めて頻繁なるを考慮し常に之か補充に著意すへし

第九十六 諜者たるへき人物の召募は一に堪能なる手腕と熱心なる不断の努力とに俟たさるへからす之か為豫定人物との触接を繁くし其意思境遇を深く探査し其為人ヒトトナリを看破すへき機会を多くすること緊要なり

第九十七 採用せし諜者か果して当を得たりや否やは暫時使用の後に於ても?ナほ且之を知るに易からす而して徒イタズラに遅疑逡巡せんか遂に機を失ふの虞オソレあり故に時宜に依りては成敗を賭し敢然其求むる所に進むの必要あり且之か為一時出費の膨脹をも避くへからさることあり殊に諜報網の未た完備せさる時期に於て然りとす

第九十八 召募の方法は直接に申込むものと隠密に行ふものとの二種あり前者は危険を包含すと雖イエドモ被召募者か物質上困難なる境遇に在るか或は常職的諜者なる場合に於て之を適用するを得隠密に行ふには通常先マつ其人物に接近し暗示を以て漸次誘致し遂に真目的を開示するものにして其方法を例示せは次の如し


広告人を秘匿し且カツ召募名目を他に籍カり或は目的を曖昧にしたる広告に依る

此種人物の出入すへき料理店、茶店等に於て彼等に接近す

貿易商会を経て先マつ公正なる商業上の提言を為し逐次目的に接近す

雇傭条件を決定し自己の名を秘匿して先方に提議す

婦人諜者を経て其知己間に適当の者を物色せしめ逐次接近す

要人と家庭的交際を求め漸次諜報勤務に誘致す

情報の交換等に依り第三国軍憲若モシクは官憲の要人と交際を求め次て公然の用務を依頼し漸次に之を秘密諜者に誘致す

第三国軍憲と協同して敵国に對タイする諜報従事を提議し漸次に第三国軍憲の使用せる諜者と接近し之を我方の諜者に誘致す

敵国に入らんとする者に普通用務を依頼し漸次秘密諜報を依頼して知らす識らすの間に諜者と為す


第九十九 諜者は之を召募せは其写真、姓名、年齢、信教、職業、出生地、過去現在の居住地、身元保証人、外国語修得の程度、記憶力、熟知せる地方、諜知せんとする方面の地理、事情等に関する識力、諜者志願の動機等を記録し且カツ指紋を取り置くを要す即ち之に依りて敵の為反諜者として利用せらるるを防止し得へし
 識者は之を採用せし後に於ても彼等相互の間に其諜者としての関係を秘匿すること緊要なり

第百 諜者召募に際し最も恐るへきものは反諜者の混入なりと雖イエドモ之か識別は最も困難とする所なり故に諜者に對しては内心の警戒を解かさると同時に他方に於ては召募後適宜之を判定するを可とす
 反諜者判定の方法を例示せは左の如し


疑はしき諜者に他の諜者を附フし密かに其行動を偵知せしむ

敵に利害ある想定を設けて諜者の意見態度を検定す

他の諜者をして敵に不利なる宣伝を放たしめ諜者の態度及報告に就ツき注視す

諜者を試むるに酒色を以てし酔餘スイヨ知らす識らすの間其本體を暴露せしむ

敵国の諜者を買収し之に依りて探知す

疑はしき諜者と他の信用ある諜者とに同一任務を課し其報告の結果に依りて判知す

既知の敵情に関し諜者をして故らに諜知せしめ其結果を判定す

故意に必要ならさる書類を収落し又は机上に展開して諜者の之に對する態度を検査す


第百一 反諜者を認定したるときは直に之を面責或は解雇することなく為し得れは之を懐柔して敵に對する逆諜報に利用するか或は漸次敬遠して関係を断つ如くするを要す

       は 諜者の教育

第百二 諜者を採用せは所要に應し之に其任務に應すへき教養を与ふるを要す而して諜者の識能に應し使用間に於ても教育の反復を怠るへからす
 諜者の教育は其素質及命課すへき任務に依り固モトより一様ならすと雖イエドモ勤務実施に関する技術的教育と竝行して常に精神上の啓発を苟且コウショに附すへからす

第百三 諜者は對手アイテの人物を辨別ベンベツし其意思を読破し得るの能力を備へ且最も危険なる情況の下に在りて平然行動し又峻厳なる追跡を受くるも巧に之を回避し得へき積極的性質を有すること肝要なり之か為其教育に方りては常に不撓不屈フトウフクツの精神を向上し且考察力、観察力、記憶力及聴覚を訓練するを要す

第百四 諜報の効果は大なる労苦、時間及資金の消費と熱心、真摯との結晶に外ならす而して失敗の場合に於ては方法手段を尽して再三反復するの勇なかるへからす
 諜報勤務には必す對手アイテの防衛手段の對抗するものあるを知らさるへからす而して之を圧倒して?ナオ能く目的を達成せしむるものは実に諜者の考察力に外ならす又探知の為の行動は整然たる理路を追ひ其根抵を究むへきものにして決して僥倖ギョウコウを恃タノむへからす之か為には諜者の明敏なる観察力に俟マつ所多し
 記憶力の強きは他人の認識を避けつつ調査する為の最良手段にして鋭敏なる聴覚は秘密偵察者の重要なる武器なり

第百五 諜者の技倆ギリョウ向上に関する教示事項の主要なるものを挙くれは左の如し



諜知事項に関する基礎教育

目的地への潜入及帰還の手段方法

目的地内に於ける行動上の指針

自衛に関する件

連絡通信に関する事項(暗号、隠語を含む)

官憲に拘引せられたる場合其他非常の際の処置

其他逢著ホウチャクすへき各種の問題


第百六 諜者の心得として左記要項を会得せしむるを要す


人に尋ぬることなく感知すること

自ら実際興味を有することに関し他人に感知せしめさること

耳より聴取せし事実は他人に感知せられさる如く記憶すること

意思感情を顔面に表はささること

他人に感知せられさる如く之を追究監視すること

自己を追尾する者あるときは速に之を認識すること

諸般の事象に對し客観的なること

功を急かさること


第百七 諜者の教育は必す会見の秘密を確保し得へき場所に於てすへく此種会合所は嫌疑を避くる為数箇所に準備するを可とす

第百八 諜者の補充竝ナラビニ教育は通常直接使用者に於て之を為すへきものなりと雖イエドモ戦時某方面に於て特に密接なる諜報網を構成せんとする如き場合に於ては其補充教育の為要点に特別の機関を配置し当該機関の教育を終了せる者を適宜各使用者に配当する如くするを要することあり

       に 任務の附与

第百九 任務は諜者の能力、素質に適應するを第一要件とし且簡明確切に其欲する所を判知し得る如く附与するを要す而して若し数多アマタ事項の諜知を同時に要求するか如き場合に於ては其主眼点を明示するを可とす

第百十 諜者に与ふる命令には一面諜者をして機宜に処して奇功を奏せしむる為弾力性を保持せしむると同時に他面に於ては諜者の萬一マンイチ反逆すへき場合を顧慮し其内容を最も周到なる用意を以て整理するを要す

第百十一 一般に任務を附与すると同時に能ヨく当時の実情を考慮し左記事項を併せて教示すへきものとす


通信連絡の方法手段

報告を提出すへき特定時期

帰還後若モシクは勤務中指導者との会見の為の注意

自衛に関する特別の注意

報酬受授に関する事項


 此際必須以外に我諜報機関の組織及配置を解説するは厳禁とす

第百十二 婦人諜者に与ふる任務及之に對する要求に就ては婦人の特質上理性よりも情緒に動かされ易く且其智能常識は一般に男子よりも低下しあることに顧慮するを要す
 殊に任務を某単一事項に限定することなく一般的任務を課して放任する如きは大なる誤なり



       ほ 諜者の派遣及配置

第百十三 諜者は必要の際臨機派遣するものと某期間定位置に配置するものとあり
 何イズれの場合に於ても諜者相互には何等の連繋を保持せしめさること肝要なり

第百十四 敵国若モシクは中立国に定住諜者を配置するに方りては其諜者か定業に従事し且其職務に相当する地位を創設し得ることに関し大なる顧慮を払ふへきものとす
 平時に在りては同地所在の自国銀行、大商会等比較的安全なる場所を選ひて諜者を配置し諜報勤務の拠点を構成するを有利とすることあり然れとも未熟なる諜者にして此等機関の利用拙劣なるときは却て右機関信用の失墜を来し閉鎖の已ヤむなきに至らしめ延て諜報勤務の基礎を覆滅することなしとせす注意を要す

第百十五 婦人諜者は其素質、能力等を顧慮して遊興場、家庭、官衙カンガ、公署、病院、工場等に配置し或は高貴大官の身辺に侍ハベラせしむる等の処置を取ること必要なり

第百十六 諜者を臨機派遣する場合に在りては其時機及方法の選定に最も注意を要す
 諜者は爾他の情報を確めんとするか或は特殊の資料蒐集の必要生したる場合に際し派遣するを通常とし成るへく某一目的に對し同時に数人の諜者を互に連繋なく派遣するものとす

第百十七 諜者派遣の時機は情報の蒐集より之を発送し且其到達する迄に要する時日を顧慮するは勿論豫め他の手段に依りて蒐集せる爾他の情報就中ナカンズク交通、通信勤務に関するもの等との間に密接なる連絡を保持し最も時宜に適合する如くせさるへからす

第百十八 敵国或は敵線内に潜入せしむへき諜者には成るへく行動の餘裕ヨユウを与へ専ら目的に向ひ自由に独断専行し得る如くすること必要なり而して通常潜入に際しては迂路を経由し其間を利用して任務遂行に要する十分の情報を蒐集し復帰には捷路ショウロを経て速に帰還し得る如くするを適当とす

第百十九 敵国或は敵線内に潜入せしむへき諜者には書類其他累を他に及ほし又は後患を貽ノコすへき物件の携行は一切之を禁するを要す

第百二十 諜者派遣の為通過すへき我勢力範囲若モシクは友邦の官憲には豫め諒解リョウカイを得且証明書類を附与して所要に應し之を開示せしむれは最も有利なり然れとも其証明書類は敵国若モシクは敵線に潜入するに先ち適宜処分せしむること必要なり
 帰路に在る官憲に就ても為し得れは同様の手段に依て通過の安全を図るへし

第百二十一 隠密なる手段に依りて目的地に出入するに際し旅券の調達及之か査証を安全に完了するは諜者の為重要なる問題なり
 旅券は之を偽造し或は他人のものを適宜買収し得は可なりと雖イエドモ共に危険を伴ふこと大なるを以て最も細密なる注意を要し萬一発覚せる場合の処置に関しても豫アラカジめ十分の用意あるを必要なりとす

       へ 通信連絡

第百二十二 諜者と其使用者との間の通信、連絡は諜報勤務中最も重要視すへきものにして之か速達を確保すると之に基く秘密暴露の危険を防止するとは共に緊要欠くへからさることに属す

第百二十三 通信は電信(有線、無線)、信書若モシクは口伝の何れかに依るものにして緊急の情報は多くの場合電信に依るの外なく最も確実なるものは直接口伝に依るか或は信用すへき特別使者に依るに在り

第百二十四 無線電信は勿論有線電信と雖イエドモ秘密の保持は暗号の使用に依らさるへからす然れとも戦時は公然暗号の使用を禁せらるる場合尠スクナからさるのみならす對手アイテの為既に暗号の解読せられある虞多し又信書は途中公然或は隠密に開封閲読を免れさるものと覚悟せさるへからす之か為更に特殊の通信連絡手段を案出し秘密を確保するを要す

第百二十五 秘密通信の方法は其時の情況に應し使用者の機智に依り時宜に適せるものを選ふへしと雖イエドモ今其例を挙くれは次の如し



一 豫め約定せる方法に依り通信文意を秘匿し電信若モシクは郵便を利用し若モシクは密使に依り(中立国に在る仲介者を介し)て伝達す

二 通信の検閲至厳なる場合に於ては自身若モシクは密使の口頭伝達の外なし此際密使には秘密の証明を附すること必要なり

三 航空機に依り敵国内若モシクは敵線後方に送りたる諜者より伝書鳩若モシクは小型風船に依りて通信す

四 新聞広告に依り密使と諜者との会見時日、場所等を指定し或は各種簡易なる情報を伝達す

五 自国に同情ある第三国の外交機関を利用す

六 発、受信者共に必すしも初め協定を設けす臨機に発信者より受信者のみ理解し得るか如き文句即ち隠語を案出使用す

七 特別なる化学的液體エキタイを以て普通通信文の餘白ヨハクに或は衣類若モシクは直接肌上に所要通信文を記載し之に特種の化学的変化を与ふることに依り始めて現字する如くす

八 小紙片に記載せる通信文を石瞼塊内、書籍類、杖、傘等に挿入し或は不可溶の小容器に入れたるものを嘸下エンゲするか或は身體の一部に挿入して伝達す

九 封筒、切手、封絨葉書其他貼紙類の裏面等に記載す

十 「もーるす」符号を應用す

十一 音譜、體温表曲線図等を利用す

十二 販売品目録、絵画、新聞紙記事等を利用す

十三 型付紙(通常碁盤目に線を描き各碁盤に特殊の意義を有せしむ)を発、受信者両方に所持し之を利用して通信す


第百二十六 諜者若モシクは其密使と諜報勤務者との直接連絡即ち会見は最も隠密を要する所なるを以て此実行には細心の注意を払ひ深甚の警戒を加ふへきものとす
 凡オヨそ諜者及諜報勤務者の周囲に出没する對手アイテ側の監視者は此種の機会に於て最も活躍すへきことを顧慮するを要す

第百二十七 会見上の注意は一にして足らすと雖イエドモ今其主要なるものを挙くれは次の如し


一 会見の形式、方法は諜者の身分、職業及当時の情況に依りて異なり或は自宅に招致し或は先方の住宅を訪問し或は特定の会合所若モシクは旅館、料理店、倶楽部等に於て行ふ

二 自宅に引見するに際しては召使と面会せしめさる如く又他の訪問客と邂逅カイコウすることなき如く時刻、使用室等に関し注意するを要す

三 特定の場所にて要注意人物と面会するに際しては直に其目的地に到らす自動車又は馬車にて目的地を乗り越し停車場、寺院、料理店、旅館前等人込の地にて下車し目的地に引返すを可とす

四 旅館、料理店等に於て会見するには其設備大なるものを選択すへし小旅館、小料理店は却て第三者の注目を惹くものなり

五 深夜の会合は却て第三者の注目を惹き易し

六 面談を避け単に探知要目を諜者に交付せんとするときは停車場に於て会見し小紙片若モシクは小薄絹布に問題を書き之を右手に握り諜者と握手の際交付す此際諜者に渡す書類には総て筆蹟を貽ノコささることに就き細心に注意すへし之か為印字機(たいぷらいたー)を用ひ且其型を異にせる数種を彼此カレコレ混用するを可とす

七 使用者と諜者との間に豫め暗号を約束し電話に依り談話するも亦マタ一方法なり此場合は成るへく公衆電話を用ひ電話の窃聴を豫防するを要す

八 指定郵便箱の私書函を利用して連絡するを可とすることあり


       と 諜者の監督及報酬

第百二十八 諜者の行動は各種の手段を以て監視するを要す然らされは動ヤヤもすれは敵に利刃を与ふるの危険を生することあるへし而して自ら当面の事情に通暁することを努むれは諜者報道の真偽を判定するを得るのみならす自ら諜者の行動を監督するの利便あるものとす
 諜者の監督厳重に過くるときは其活動を拘束し進取の気勢を殺くの虞なきに非す此間寛厳能く其度を失せさるは一に使用者の力量に在り

第百二十九 使用者に好意を有する中立国に在りては国境内竝ナラビニ国境通過に至る迄の諜者の監督は困難ならすと雖イエドモ其敵国内に於ける行動は殆ホトホと全く放任の外なし此間諜者をして其任務に忠実ならしむるものは一に使用者の職能に依りて之を恐れしめ人徳恩愛を以て之を繋き且カツ諜者の一身及其家族に及ほす利害を以て之を牽制するあるのみ

第百三十 諜者の監督及報告真偽判定の為採るへき手段を例示せは左の如し



一 旅行日誌に類するものを要求し汽車の発著、汽車賃、停車場及沿線の現状、物価等に就き豫アラカジめ報告を命し?ナオ途中要所に於ける新聞、告示、受領証其他証拠となるへきものを持帰らしむ

二 報告には成るへく原本を用ひしむ即ち軍隊配置、編制等の原本を入手せしめ其他官憲の命令、告示等を持帰らしむるか如し

三 数人の諜者を派遣する場合為し得れは某地点を重複通過せしめ其地点の情況聴取に依り真偽を判定す然れとも同一任務の全部を二名以上の諜者をして重複偵知せしむる方法は経費の関係上特に重要なるものの外ホカ困難なり

四 諜者より報告を受くる際某事項を捉へ論理的に細大質問するときは往々其真偽判定の資料を得ることあり

五 諜者の報告に方り使用者より先きに種々質問を発し自己の観察に関する一端を洩すときは諜者をして直に自己の意図を忖度ソンタクし事実を枉マけて報告せしむるの虞あり故に努めて自ら口を挾むを避け諜者をして其開陳を完全に終らしめ然る後所要の質問を試むるを要す

六 諜者家族の使用者所在地に居住しある場合は諜者監督に便なること前述の如し而して使用者は之に保護を加へ萬一に際し其生活を保証するの義気を以て臨むときは諜者をして自ら感奮精励せしむるを得へし

七 一定の主義を奉する諜者(例へは白系露人の如し)の報告は其観察偏頗ヘンバなること多きを以て特に注意するを要す

八 諜者の考科書類及其筆蹟、指紋等は萬一の場合を顧慮し之を整理保存すへし

諜者考科簿の一例次の如し

姓名、身分、性質、通称、番号、写真(要すれは指紋)
住所 家族住所
派遣月日、時
経路及目的地
任務
成績
備考



第百三十一 諜者に對する報酬の善用は之を鼓舞督励トクレイし且繋留ケイリュウする為の主要なる手段なり
 報酬は一地方に定住する信用ある諜者に對しては一定の俸給として与へ時に其職業上の損害に對して補助を加へ其特殊の功績に應し適宜賞与を増給するを可とするも移動諜者に對しては多くの場合勤務実施に必要なる資金即ち旅費、通信費、所要の日当として附与し其任務より帰還し情報を齎らしめたる後之を審査して相当の賞与を給するを可とす蓋ケダし特殊の者を除き移動諜者に一定の俸給を支給するも勤務に對する刺戟を減し一片の型式的行動に陥るの弊あるを以てなり

第百三十二 諜者に對する給料若モシクは報酬を比較的長期間に對し前渡支払する場合に於ても其一部を使用者に於て保管預りと為し一は以て諜者の繋留を計り他は以て必要の場合其家族救済の資に充アつる如くするも一方法なり
最終更新:2017年11月23日 17:44