第四章 諜報勤務者の自衛

 第四章 諜報勤務者の自衛


第百五十四 諜報勤務は通常對手アイテ国の欲せさる所を探求せんとするものなるを以て其行動は各種の手段を以て妨碍ボウガイせらるるものなり特に其秘密事項を諜知せんとする場合に於ては当然生死の境を往復するの必要を生することあり故に此勤務に従事する者は最も周到なる用意を以て自衛の処置を講し勤務遂行の安全を期すへし若モし萬一不注意にして勤務の機密暴露することあらんか危害は自己の一身に止まらす僚友の心血を徒爾トジならしめ遂に或は国交に累を及ほし国家の不利を来すことあるを肝銘せさるへからす

第百五十五 自衛の方法としては諜報勤務に関する自己の身分及行動を秘匿防護すへき諸般の処置を講すると共に進んて自己身辺に関する對手国防衛機関の行動を豫知して機先を制し?ナオ為し得れは對手の観察を欺騙キヘンすへき宣伝手段に出つるに在り而して其何れの方法に就ても對手国の情況を的確に詳知するは最も緊要なる要件なり

第百五十六 諜報勤務者は之を防衛すへき方法に関し一般知識を有すへきは勿論駐在国及諜報勤務の對象国に於ける取締法に就て詳細の研究を遂け其裏を潜行し或は之を逆用し以て自衛の目的を達すると共に勤務の遂行を完全にするを要す
 對諜報防衛に就ては第六章に之を説述す

第百五十七 身分及行動を如何なる程度に秘すへきやは一に勤務者の表示せる地位職務に関す
 公然諜報勤務に関する者に在りては其裏面に於て隠密なる行動に出つるを要する場合多きを以て一層深甚の戒心を加ふるにあらされは其害の及ふ所更に甚大なるものあることに留意すへし

第百五十八 身分を秘匿欺騙せる勤務者の住宅、服装、所持品、金銭の費消等は其公示せる身分、職業に調和せしむること最も必要なり
 服装、使用品等其自称する国民の風習と照應せす或は偽名を使用しつつ衣類の符号、携帯品の氏名略字等に本名を表はし或は質素なる旅館に滞在して収入の途不明なる多額の金銭を受領する等は最も陥り易き誤なり
 全然国籍をも欺騙する場合に於ては其国民性、風俗、習慣、方言、俗語の末に至るまて微細に注意し陰陽表裏共に一点の間隙カンゲキなきを期すへし

第百五十九 諜報勤務者は故イタズらに其欲する事物の観察を他人の注意を惹かさる如く実施し必要なき限り談論を避け挙措キョソ、進退を平静にして秘密保持を確実ならしむへく酩酊して不用意の言動を発するか如きことを慎み旅行、訪問等に際し成るへく直接の行動を避け事件発生に際して特に通信就中ナカンズク電報の激増を戒むる等其行動をして公表せる身分、職業と對比して何等特異の景況あらしめさるを要す

第百六十 証跡の湮滅インメツは行動秘匿の一要件たり即ち紙屑籠に投入せる記録、証書、通信其他草稿類を焼却し男女類種の偽名を準備し筆跡を多様に区別し得る如くし印字機、封筒、用紙等も之を数種準備する等の必要あり然れとも其拙劣なる筆跡変更、婢僕ヒボク等の著目を惹き易き同一方法の書類焼却等は却カエッて對手の注意を誘引するの害あるものなることに注意すへし

第百六十一 諜報勤務者の身分、行動等を秘匿する為故らに虚報を宣伝して周囲を欺瞞し或は對手の注意を他に牽制するを可することあり然れとも斯の如き欺騙手段は一時効果を奏するも其永続疑はしきものなることを考慮し之を濫用することあるへからす

第百六十二 金銭の出納、特に使用する貨幣、銀行との取引、記録類に使用せる数字符号、通信、旅行等に関しては萬一嫌疑を受けたる場合に於ても理路井然セイゼンたる弁明を貫徹し得る如く細密の準備を為し置くこと必要なり
 諜報勤務者は自己に對する追跡を認識せし場合に於ても決して過度に退去準備を急くへからす又萬一抑留の厄に会する際には極めて冷静沈著にして決して狼狽の態なく且活?カッパツ勇敢なるへし又訊問ジンモンに對しては細心の注意を以て應答し且前問及之に對して為したる答解を記憶し前後の撞著あるへからす
 對手は往々誘惑若モシクは強迫の手段に出つへしと雖イエドモ之に應するは却て全般の破滅を来すへきを銘記すへし又勤務者に對する同情者の如く装ヨソオひたる者を同居せしめ拘禁中其身辺を偵察する如きことあるに注意すへし

第百六十三 諜報勤務者特に諜者は必要に應し変装若モシクは仮扮カフンすることあり此際には左の諸件に注意すへし



一 自己の通せさる職業若モシクは地位の人物に仮扮するは成るへく之を避くるを要す然れとも之を要する場合には其職業、地位に應する多少の知識を養成し携行物、手記等之に相應する證アカシに作為するを要す

二 変装に方りては声音、習癖、歩様等の外観及後方より見たる姿容に至る迄一貫して変態せしめさるへからす

三 未知の土地に到り其地方人を装ふには多少の技術を要す帽子、靴、襟飾の如きは滞在他のものを使用し其態度に於ても土地の風習を学ふへきこと勿論なりとす


第百六十四 諜報勤務者は情況之を許す限り積極的に逆諜報を行ひ自己の手先を對手の憲兵、警察其他の諜報機関中に入れ或は憲兵、警察、探偵等の要人を買収し以て自己に對する官憲の嫌疑、探究の景況を察知し對手の企図を機を失せす豫報せしむる如く措置ソチする必要あり
 自己に對し對手国より附せる尾行者の情況を探知し又は暴漢に對する直接保護の為諜報勤務者自ら尾行を附することあり
最終更新:2017年11月23日 17:46