ろでにうすおきだいかいせん
ロウリア王国東方征伐海軍が
4,400隻もの大艦隊なのに対し、迎え撃つクワ・トイネ公国海軍第2艦隊はたったの50隻。しかし護衛隊群の参戦がこの戦力差を覆した。
早くから出港した護衛隊群はロウリア海軍に接敵、艦載ヘリコプターなどから警告を行うもロウリア海軍はこれを無視、「
みょうこう」に火矢での攻撃を行う。
これを受け護衛隊群は
(誰が何と言おうと)「正当防衛」として攻撃開始。艦砲に機銃、ヘリコプターまで動員してロウリア海軍を滅多撃ちにし、援軍の竜騎士隊も全て撃墜した。
結果、ロウリア海軍は艦隊の
およそ1/3が撃沈され水兵の30%を失う大損害を出し侵攻を断念して撤退、竜騎士隊は総数の半分を失い本土防衛に支障をきたし先遺隊からワイバーンを50騎帰投させ、クワ・トイネ海軍が出港する前に日本側の大勝利に終わった。
なお、この時ロウリア側の旗艦も撃沈されているが、司令官だった
シャークンは生存し、他の生存者共々日本側に救助され身柄を確保されている。
ちなみにこの時、ロウリア海軍側には
パーパルディア皇国の観戦武官が乗り込んでおり、日本の実力を初めて垣間見る。しかし上層部からは
「長い僻地生活で精神異常を引き起こしたのだろう」と切り捨てられ、
全く信用されなかった。これが後にパーパルディア皇国にとって命取りとなる。
書籍版ではこの戦いは「弘安の役」にたとえられている。モンゴル帝国側の兵は14万人ほどで軍船は約4,400隻、装備の質もロウリアに近かった。
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最終更新:2021年10月05日 13:12