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コニカ 1型、2型、
3型は、広義で語れば全て同じカメラの発展史ともいえます。
改良を進めるうちに
コニカ 1型のフレームに限界が生じ、独自機構のボディレリーズを内蔵した2型が登場しました。
勿論、復旧に追われる様にスタートした
コニカ型時代から、会社に新型を開発出来るだけの余力が生まれた時代への以降がバックボーンとしてあります。
それはデザインにも反映され、優美な意匠は国産カメラ史においても高いレベルにあると思っています。
また2A発売にあたり、Tessarからの発展だった小西六のレンズがダブルガウス型へとスイッチします。
私個人の意見ですが使うコニカを選ばれるなら、この2型をチョイスされる事をお勧め致します。
1. コニカ 2型
現在、雑誌やウェブサイト等のメディアにおいてこのカメラの名称は「コニカ 2型」、「コニカ II型」、「コニカ II」といった表記で目にするが、ここでは「2型」を指す際、引用を除き判別が容易なアラビア数字表記の「2型」で統一する。(引用部分は原文のままとしている)
確定情報
コニカ 2型の発売時期には諸説あって、未だ確定するに至っていない為、各資料による発売時期掲載とそれによる推測のみを以下に記載している。
公式には1951年(昭和26年)12月に発売とされている。[出典1-13, 出典1-14, コニカミノルタ年表.]
一方、フォトアート臨時増刊 35ミリ・カメラ全書においては、「1951年10月には...(中略)...設計され発売されて」と書かれている。[出典1-4.]
しかし、1951年6月号のアサヒカメラ[出典1-1.]では、7月に発売すると書かれている。
[出典1-1.]アサヒカメラ1951年6月号
ところが、この記事を掲載したアサヒカメラにおいて、コニカ 2型の発売広告が掲載されたのは、翌1952年2月号であった。
[出典1-2.]アサヒカメラ1952年2月号
何らかの理由で発売日が半年以上も先送りされているのである。
月刊誌という事で実際の発売時期は多少前倒しだとしても、流石に2月号を1951年中に発売するとは考え難い。
従って、実際には1952年初頭発売と考える方が自然であろう。
さすればメーカー公称の1951年12月を店頭発売ではなく工場出荷開始の記録という解釈も成り立つ。
また上資料から、1951年7月に発売されるという情報は輸出用だった可能性が考えられる。
根拠は、前後の機種である
コニカ 1型と
コニカ 3型のいずれもが、アメリカ向け輸出を優先的に行っているからだ。
またコニカ 2型の初期には、底に 'Made in occupide Japan' の刻印が施された個体が見られる
[実機確認.]ので、輸出優先だった可能性はある。
しかし、刻印義務が1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約(調印は1951年9月8日)までと続いていたとすれば、刻印の有無だけで証明出来るものでもない。
ただ、1951年5月16日には日米経済協力に関する「マーカット声明」の発表があり、[出典1-1.]が編集された時期の前後と重なる。
小西六がこの声明を受けてコニカ 2型の販売価格を見直し、(45,000円 > 35,900円)外貨取得へ動いた可能性は否定出来ない。
[出典1-15, 出典1-16.]
残念ながら現時点では、初期輸出説を示す有力な資料が無い為に調査中であり、これらの話はあくまで仮説と思って頂きたい。(未確定情報の項にも記載)
[出典1-5.]アメリカでの広告
さて、コニカ 2型は
コニカ 1型のボディレリーズが無いという欠点を克服する為、沈胴を引伸し方式からダブルヘリコイド方式に改め、シャッターを一般的なレリーズボタンと連動する様に設計し直したのものである。
[出典1-14.][実機確認]
[出典1-3.] コニカ 2型内部透視図
このダブルヘリコイドによる沈胴機構は、鏡胴付け根のボディ側に低い突起を設けてあって、フォーカスの部を最短距離位置まで回転させた時これに当たるのだが、ここでノッチを引き上げると突起を乗り越えて更に回転、沈胴となる。
一連の動作角を限定してやる事でレリーズの連動機構が組み込めた。
[実機確認]
上図の通り、レリーズボタンからタイム機構を通過し、レンズシャッターのステーにアクセスする。
このレリーズには巻上げ後だけ動作する二重撮影防止機構も設けられた
[出典1-13, 出典1-14.]が、従来のレンズレリーズも残されている。
[出典1-8.][実機確認]
これは意図的な多重露光を狙った際の為である。
[出典1-8.]
尚二重撮影防止機構については1956年(昭和31年)に特許が申請されている。(公知は1959年)
[出典1-12.]実公昭34-020855 'レリーズ安全装置' より二重撮影防止機構
ボディデザインが大幅変更されるに至り、
1型では付いていなかった各社共通のアクセサリーシューが実装された。
[実機確認]
しかしこの最初期型は、Hexanon 50mm F2.8、シャッターもコニラピッド-Sのまま(ただし前面の切替ダイヤルでバルブ撮影かタイム撮影かを選択可能で 'T, B, 1, 2, 5, 10, 25, 50, 100, 250, 500' )であり、描写性能においては同レンズを搭載した
1型と差は無い。
[出典1-14.]
セルフコッキング、巻上げノブ、巻戻しレバーはまだ付いておらず、
1型時代からのままである。
[出典1-14.][実機確認]
発売価格は当初の記事と異なり35,900円だった。
コニカ 2型は市場でも受け入れられ、1955年(昭和30年)5月には生産が終了した
コニカ 1型に換わる廉価仕様として、新たにタイム撮影を省略した仕様を投入した。
[出典1-6, 出典1-8, コニカミノルタ年表.]
これが「コニカ 2B型」と呼ばれるカメラである。
タイム撮影を省略した為、その部分にはロゴが刻印された美しい盲板がはめ込まれた。
発売直後に執筆されたであろう当時、アサヒカメラの記事では以下の様に書いている。
[出典1-6.]
このカメラはボディ関係はII型、レンズとシャッターはI型となっており、ちょうどII型とI型のあいのこだが、I型とくらべれば、二重露出防止装置、ボディレリーズ、直進式ヘリコイド焦点機構など断然進歩していて価格はわずか二千円しか開きがないから、もはやI型の存在は意味ないものとなったといってよいだろう。(価格二七、000円マガジンなし)
この記事でひとつ修正しておきたいのは、まるで
コニカ 1型が直進式ヘリコイドでない様な記述をしているが、実際には
コニカ 1型も直進式ヘリコイドであるから、これはII型になって採用されたダブルヘリコイドの間違いと思われる。
そのダブルヘリコイドによる沈胴機構に関しては、コニカ 2型からそのまま引き継いでいる。
レンズはHexar 50mm F3.5とF2.8の2種が確認されている。
[出典1-14.][実機確認.]
以上の事から、描写性能は1950年頃の
コニカ 1型と同じレベルである。
発売価格はHexar 50mm F2.8搭載モデルが31,500円、Hexar 50mm F3.5搭載モデルが27,000円に設定された。
同時期の
コニカ 1型の価格がHexanon 50mm F2.8仕様が30,000円、Hexar 50mm F3.5仕様が25,000円であり、先のアサヒカメラで書かれていた事(F3.5仕様)と整合している。
この頃アサヒカメラに「国産MX接点付きシャッター誕生」という小さな記事が掲載される。
記事によるとドイツのシンクロコンバーやプロンターシャッターに組み込まれたMX切替接点は圧倒的優位性があったが、特許を広範囲で取得している関係で構造を変更しない限り国産化は不可能であったのであるが、困難を乗越え9月〜10月には国産品が登場するのではないかと書かれていた。
中でもコンバー型の精工舎と小西六ではドイツ製以上のタイムラグの自動変換機構を発明し特許を申請とある。
セイコーシャMXとコニラピッドMFXである。(自動変換のアプローチや構造は異なる)[出典1-7.]
この新型シャッターは当然コニカ 2型への搭載が計画され、翌1956年(昭和31年)2月にはコニカ 2型のレンズを従来のHexanon 50mm F2.8のままシャッターのみをコニラピット-MFXに換装した仕様が販売された。[出典1-14.]
発売経緯は明らかにされていないが、後年にコニカが発行した資料には「コニカ 2F型」としての記述が確認出来る。
しかし当時の広告を見るとMX接点付きは「コニカ II-F型」と書かれている。
[出典1-9, 出典1-10, 出典1-11.]
[出典1-9, 出典1-10, 出典1-11.]カメラ毎日1956年11月号, 12月号, 1957年1月号 イエナ精光株式会社広告(内容同一)
下の方に「コニカ IIA」とこちらはハイフンなしで記載されているのと「IIB-m」にもちゃんとハイフンがあるので、「II-F」とハイフンありが正しいのかもしれない。
が、「コニカ IIA」のレンズ銘を見ると「ヘキサー F2」と誤植されているので広告の精度そのものが怪しいといえる。
発売価格は32,000円。
同時期(1956年2月)
[出典1-13, 出典1-14.](3月発売説がある
[ コニカミノルタ年表.])にレンズをDouble Gauss型のHexanon 48mm F2に換装、シャッターもコニラピット-MFXになりフルシンクロ化された改良型を35,000円で発売、これが所謂コニカ 2A型である。
[出典1-11, 出典1-13, 出典1-14.]
これにより明確に上位機種と下位機種に分けられた。
軍艦の刻印が 'IIA' となった。
更に翌1957年(昭和32年)2月
[ コニカミノルタ年表.]には、レンズを若干広角側へ寄せた仕様としてコニカ 2B-m型を発売した。
[出典1-11, 出典1-13, 出典1-14.](9月発売
[出典1-13, 出典1-14.]説がある)
名前が示す通り、実質コニカ 2B型の後続機でタイム撮影は省略され、やはり美しい盲板がタイム切替ノブの位置にはめ込まれている。
レンズはHexar 45mm F3.5を搭載し、セイコーシャ製のシャッターを使用している。
発売価格は22,500円。
未確定情報
- コニカ 2型は発表時期と実際に販売された時期に大きな差があり、海外輸出が行われた可能性があるが根拠が明確となっていない。
- コニカ 2型の販売台数は、初期型が43000台、2B型 F2.8付が18,000台、2B型 F3.5付23,000台、2A型が15,000台、2B-m型が20,000台、2F型が2,400台とされるが、勿論これは正式な数字ではない。
- コニカ 2B-mはレンズが精工舎製OEMと言われている。
資料
- [出典1-1.] (1951.6). 新・製・品・メ・モ アサヒカメラ, 6月号. PP.101.
- [出典1-2.] (1952.2). 巻頭広告 アサヒカメラ, 2月号. 表紙裏
- [出典1-3.] 小西六写真工業株式会社 技術部.
- [出典1-4.] (1953.9). コニカの話 フォトアート臨時増刊 35ミリ・カメラ全書 研光社, PP.143.
- [出典1-5.] (1953). PHOTOGRAPHY ANNUAL USA, PP.281.
- [出典1-6.] (1955.7). コニカIIB Konica IIB 写真界ニュース アサヒカメラ, 7月号. PP.189-190.
- [出典1-7.] (1955.8). 国産MX接点付シャッター誕生 一般 国内 写真界ニュース アサヒカメラ, 8月号. PP.140.
- [出典1-8.] 松田二三男(1955). コニカ II型 国産35ミリ カメラ年鑑 株式会社日本カメラ社, 1955年版. PP.82-83.
- [出典1-9.] (1956.11). イエナ精光株式会社広告 カメラ毎日 毎日新聞社, 11月号.
- [出典1-10.] (1956.11). イエナ精光株式会社広告 カメラ毎日 毎日新聞社, 12月号.
- [出典1-11.] (1957.1). イエナ精光株式会社広告 カメラ毎日 毎日新聞社, 1月号. PP.216.
- [出典1-12.] 三木旺(1959). レリーズ安全装置 実公昭34-020855.
- [出典1-13.] 亀井武(1973). カメラブームの到来 写真とともに百年 小西六写真工業株式会社, PP.233-260.
- [出典1-14.] 宮崎繁幹(2003). 35mmレンズシャッター・カメラ コニカI型 クラシックカメラ選書-28 コニカカメラの50年 株式会社朝日ソノラマ, PP.26-30.
- [出典1-15.] 高坂正堯 佐古丞 安部文司(1995). 1951年(昭和26年) 戦後日米関係年表 PHP研究所, PP.33.
- [出典1-16.] 奥和義(2011.12). 3.戦後復興期の貿易(1945年~1950年代初頭) 戦時、戦後復興期の日本貿易-1937年~1955年- 関西大学学術リポジトリ 関西大学商学論集, 第56巻第3号. PP.27-37.
2. 全コニカ 2型に関連すること
2-1. オプション類
レンズフード
初期のHexar 50mm F3.5及び、Hexanon 50mm F2.8は、
コニカ 1型とレンズ系及びフィルター径が内径32mmと同一な為、全く同じものが装着可能。
レンズがF2になると内径が37mmまで拡大された角型フードがある。
レンズキャップ
初期のHexar 50mm F3.5及び、Hexanon 50mm F2.8は、
コニカ 1型とレンズ系及びフィルター径が同一な為、全く同じものが装着可能であるが、2B型と2B-m型に限っては専用のキャップがセットされていた。
レンズがF2になるとフィルター径が大きくなったものの、デザインをそのままにサイズのみ大きくしたものが装着された。
レンズフィルター
レンズキャップ同様に前期後期でフィルター径は異なるものの、ラインナップは変わらなかった。
フードケース
コニカ 1型と同様なケースが用いられたが、レンズ径の拡大と共にケースも大きな物が用意された。
オートアップ
オートアップもフィルターに装着する為、2種類が用意された。
露出計
装着するとレンズ縦同一上にセレンが来る様にデザインされた専用品が用意された。
これはセコニック製のオネストLC-1型がベースとなっているが、正面マルチフィルターに関してはLC-2型の形状になっている。
また本体にKonicaの刻印が入り、純正品として供給されている。
[出典2-1.]
資料
- [出典2-1.] (1955.6). セコニック露出計広告 アサヒカメラ, 6月号. PP.44.
3. コニカ 2型 試作機
確定情報
1954年(昭和29年)10月~11月に展示公開された。[出典3-3, 出典3-4.]
交換可能なレンズは、Hexanon 50mm F1.9と、Tele-Hexanon 85mm F3.5。
[出典3-1.] Hexanon 50mm F1.9装着状態
後年のオリンパスエースに代表されるシャッターユニットの前側のみを交換する方式。
[出典3-1, 出典3-2.]
交換側を取り外した際、シャッターの後ろに残るレンズの枚数は1枚である。
[出典3-1, 出典3-2.]
レンズシャッター方式を採用した理由として、岩間氏は[出典3-2.]の中で以下の様に書き記している。
特に幕式シャッターを採用しなかった理由は、幕式シャッターの効率の不安定や像の歪み、光量ムラなどの欠点を避けるためのもの許りでなく、現在の馴染み深いコニカをあくまで生かし、レンズ交換さえ可能ならば、敢て幕式シャッターを採用せずに、シャッター速度の精巧さと安定性の望めるレンズシャッター、コニラピッドSにした方が良いとの理由ではなかろうか?ことさらにストロボの普及化の気運や、フルシンクロが要求される現在では絶対にレンズシャッターが優位であるから……
ただし、シャッターは通常のコニラピッド-S等とは異なる専用品が作られた。[出典3-1.]
[出典3-1.] Tele-Hexanon 80mm F3.5装着状態
交換レンズのHexanon 50mm F1.9は、ライカ用LTM(ライカスレッドマウント)交換レンズと光学的に共通している。
[出典3-1.]
未確定情報
資料
- [出典3-1.] 三木旺(1955). 超大口径レンズ ヘキサノン F1.2レンズ 小西六の新レンズ 写真工業 写真工業出版社, 2月号. PP.107-110.
- [出典3-2.] 岩間倶久(1955.3). 交換レンズのつくコニカ 写真工業 写真工業出版社, 4月号. PP.278-280.
- [出典3-3.] 亀井武(1973). カメラブームの到来 写真とともに百年 小西六写真工業株式会社, PP.233-260.
- [出典3-4.] 宮崎繁幹(2003). 35mmレンズシャッター・カメラ コニカI型 クラシックカメラ選書-28 コニカカメラの50年 株式会社朝日ソノラマ, PP.26-30.
最終更新:2020年06月29日 06:21