解放戦線に潜む闇

 剣と魔法の世界――
 そして時に国家と国家は武力と知略を駆使して互いに牽制する世界――
 文明の復興期、多くの未知と幻想に彩られた時代、人々はこの世界を『ロクシア』と呼んだ。

 ギールシクリヒト大陸、東部。大国たるエレメニウム共和国の北方には、歴史の浅い小国が存在していた。
 ドレビアナ王国奴隷戦争において、奴隷側が勝利した結果として建国されたという経緯を有している。
 いくつもの外交問題を抱えながらも、大方の予想を裏切り、無難に小国は運営されていた。

 首都カロの王宮は、今日も謁見や嘆願の為に開かれていた。
 商家の人間や市井の一個人、時には外交官が訪れて、挨拶や貢ぎ物、時には情報を携えて訪れる。
 その中には時に、国王にとっても頭が痛い人物も混じっていた。

「――以上が近隣魔族の動向となります。この情報が国防の一助になれば幸いです」
「うむ……あー、ところで特使よ。また共和国は関税を上げたそうだな」
「やむを得ぬことです、陛下。北方流通を過度に優遇すれば、海上貿易が ……」

 エレメニウム共和国の特使がしたり顔で、ラタス洋の経済情勢を並べ立ててれば、ドレイデス9世は頷くしかない。
 ドレビアナ王国は独立性にこだわりを持つ反面、他国の援助で教育レベルを上げる道は閉ざされている。
 また、内陸国であるため、海上の話は特に鬼門となるのだ。

 そしてドレビアナは、エレメニウム共和国から武力によって独立した国である。
 時が過ぎた現状、深刻な遺恨ではないにせよ、なにかと不遇の対象になる事もまた事実だった。

(所詮は奴隷上がり……経済や政治の機微なんぞ分からねーか)

 やや覇気に欠けた内政官の列には一人、異質の雰囲気を纏う青年が佇んでいた。
 金髪碧眼、質の高い礼服を隙なく着こなし、その眼差しには確かな自信が宿っている。
 おそらくはそのまま大国の式典に出ても、違和感は抱かれないだろう。


 その彼が列から一歩前に出た。表面上は恭しい態度を装って。

「失礼します、陛下。私に発言の許可を頂けませんか」
「おお、ブラウン顧問。もちろんだ。なにか見解があれば申してみよ」
「では、陛下および特使どの寛大さに甘えて」

 国王の言葉に異論を挟めるはずもない、と承知でブラウン顧問は特使からも許可を得た体で告げていた。
 それを特使は苦々しい表情で迎える。王前でなければ、罵り声を漏らしてただろう。

「不躾ながら特使どの。先ほどの関税の件、多くの不満が噴出するかと思われます」
「関税の設定は、わが国の正当な権利ですぞ」
「いかにも。最終的な決定権は貴国にあります。が、複数ヶ国に影響する以上、慎重に設定するのが習わしでしょう」

 そこからは、ブラウン顧問による鮮やかな反撃が始まっていた。
 ドレビアナのみならず、そこを経由するノウィストクリスガーラス方面への影響。
 さらには、商材の値上がりによる輸出への影響まで語られては、特使は冷や汗を流すしかなかった。

「な、なるほど。ドレビアナの見解は理解できました。私の一存では譲歩など出来ませんから、
 この件については、またの機会にお話ししましょう」
「うむ、下がって良いぞ特使よ。次に話す機会も楽しみにしているぞ」

 完全に特使が下がったのを確認すると、ドレイデス9世はほっと胸を撫で下ろしていた。

「いや、見事な手際だった。ブラウン顧問」
「いいえ。私が申し上げた程度の事は、共和国も織り込み済みでしょう。
 今回、肝心なのは関税を容認する言質も態度も与えなかった。この一点にあります」

 ドレイデス9世の称賛に、ブラウン顧問は眉一つ動かさずに応じていた。
 こういった態度が若干、ドレイデス9世は苦手だった。頼れる人物ではあるのだが。

「む、言質に態度とな。特使どのの目的は何処にあったのだろうか」
「おそらくは関税の既成事実化でしょう。王国に対しては、王から許可と取れるものを引き出すのは有効な手段です」

 すらすらとブラウン顧問は推測を述べた。といっても、当人に言わせれば、この程度は初歩という事になるのだが。
 王から許可を得た体であれば、商人からの不満も王国側へ分散する。
 いや、共和国が積極的に情報を操作すれば、全面的に責任を被せられるかも知れない。

 最初に特使が言ったように、最終的な決定権はエレメニウム共和国にあり、そしてドレビアナ王国は独立性が高い反面、
同時に他国への影響力が欠けていた。
 今回の件は粘り強い交渉を以って、少しでも有利な方向に持っていくしかないだろう。

「なるほど。さすが『奴隷解放軍』……世界を股に掛けて活動する組織の出なだけはある。
 見事な賢人ぶりだ。今後も頼らせてもらうし、解放軍への支持は変わらず表明していこう」
「ありがとうございます。陛下は誠に、我らにとって貴重な理解者です」

 国王からの好意に、ブラウン顧問は恭しく一礼していた。
 奴隷解放軍とは未だ、ロクシア全土に根を張る奴隷制度を一掃し、人々を解放する事を目的とした組織だ。
 手段を択ばない組織であり、大半の国では反乱幇助、少なくとも危険な組織と見なされているが、
奴隷の反乱から成立したドレビアナ王国は例外的に、この組織を好意的に迎えていた。

 ここにドレイデス9世が賢君たる所以がある。
 小国が独立性を保ちつつ、閉鎖的にならない為にはどうすれば良いか。
 この難題に対して、政府以外の組織との連携という答えを出し、そしてそれは実りつつある。
 奴隷解放軍は援助と引き換えに、ドレビアナ王国の眼や耳となり、その意思決定を助けていた。

――その一方で当人、ブラウン顧問からの評価は辛かった。

 賢君と呼ばれ、決して無能ではないのだろうが、それはせいぜい内政レベルに留まるものだ。
 辺境の田舎、それこそグリル帝国の属国やスタートゥ辺りなら、十分に善良な王として務まるだろうが、
多数の国家と隣接し、様々な要素が渦巻くギールシクリヒト東部では、不足もいい所だ。

 たとえば、奴隷解放軍というテロ組織を支援するリスクがどれほどのものか、理解していない節がある。
 ドレビアナ建国の経緯上、目が曇っても仕方ない所ではあるが。

(ま、あんたらが良いようにされたら、我が国の不利益になるからなぁ。
 解放だの自由だのを大真面目に信じ込んで、まったく便利な人たちだよ)

 早々に謁見の間から下がり、ブラウン顧問は私室でくつろいでいた。
 整った髪を掻き分け、隙が無かった礼服姿も崩れており、不良貴族めいた本性が露わになる。

 気だるげに葉巻を喰わると、『ライター』で先端を点火。しばらく堪能してから煙を吐き出す。
 ライターは本来この世界、ロクシアには存在しない物品だった。
 旧式のオイルライターであれば、構造は単純で科学知識さえあれば、ロクシアでも十分に再現可能であるが。

 そんなものを提供できる国は、一つしかない。

(そうエレメニウム共和国には北方、陸上に目を向けてもらわなきゃならない。
 これでラタス洋の均衡は保たれる。我が国――『ロンデ王国』が覇権を握るまではな)

 大した事ではないにせよ、未来を動かす実感にブラウンはほくそ笑んでいた。

 ロンデ海軍諜報部所属、ブラウン・ウォレンス。これが彼の本来の身分だった。
 奴隷解放軍もドレビアナの通商顧問も、便利に使える二次的な肩書に過ぎない。

 奴隷解放などという大義名分も、ブラウンにとっては笑い種だ。
 産業革命によって起こった工業化により、頭数で回すのが不効率になっただけの事。
 都合が悪くなってから自由だの解放だの、低劣な人権ごっこを持ち出すのだから面白い。

(だが、価値はある。表向き礼儀だけは守ってやるよ)

 産業革命による、奴隷労働の駆逐。仮に異世界と同じ流れを辿るのなら、
 ロクシアにおいて先だって産業革命を迎えた、ロンデ王国は確実に歴史の勝者になる事ができる。
 ブラウン自身を含め異世界――地球から訪れた人材を有するロンデ王国は、陰ながら各方面で主導権を握っていた。

 もちろん、これは単純なゲームではない。魔法や魔族、ロンデ以外の異世界人など様々な要素が絡んでくる。
 だが、歴史でも盤上遊戯でも、決して動かせない事実が存在している。

 駒ではなく、駒を動かす者になれるのは、ルールを理解している者だけなのだ。


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最終更新:2021年10月12日 13:09