狐屋宿泊評価

 薫桜ノ皇国を訪れた際には、私は必ずと言っていいほどこの国における古参の宿である『狐屋』(Fox's Innという意味のようだ)に泊まる事にしている。
 狐屋は山中の温泉郷である『仁王湯温泉』と、海岸の温泉郷である『炎海温泉』に合わせて2軒がある。
 この宿を運営している姉妹-それが狐屋の名の由来だ。
 彼女たちは、おそらく見ればわかるであろうが…人間の姿を取った狐なのである。
 妖怪化した狐といえば、多くが人間に対し何らかの敵意を持つ存在であるが、彼女たちは我々に対して友好的な者たちなので安心してほしい。

 薫桜ノ皇国の伝統的な作りの仁王湯温泉の宿と、他国の意匠を取り入れた炎海温泉の宿。どちらも"オーナー"の意向が反映されたものである。
 私としては、やはりというか炎海温泉の宿の方が落ち着く事ができる。

 ここの"オーナー"である、姉妹の妹の方は、黄色いキモノに身を包んだ優美な女性である。
 目つきのキツさで最初は距離をおいてしまいたくなるかもしれないが、接し方そのものは物腰柔らかであり好感が持てる。
 多少サバサバした性格も、我々に不快な思いをさせたくないという生真面目さから来ているだけなのだ。

 ここの食事は、沿岸の新鮮な魚介類を使った料理と、それとは対照的に肉類や魚介類を一切使わない菜食主義的な料理の2コースから選べる。
 後者はオーナーの趣向で設けられたもののようだ。
 菜食主義ではボリュームがない、と思わないでほしい。揚げた薄切りの豆腐でスシを包んだ『イナリズシ』は、この宿に泊まるのであればぜひとも食べておきたいものであるのだ。

 そして、なんと言ってもこの宿に泊まる最大の理由が風呂である。
 海底から湧き出す温泉の影響で水温が70度を超えるこの海域は、燃えるような海という意味で『炎海』と名付けられた。
 海中に温泉が直接湧き出している、この意味が理解できるのならあなたはかなりの温泉通だろう。
 温泉の成分と海水の成分が混じり合い、高い薬効を持つ湯となっているのだ。
 もちろんそのままでは入浴などできるはずがないので、『温泉』を汲み上げた後でユバタケと呼ばれる冷却設備で適温まで冷やし、各宿に分配している。
 湯気が立ち上るユバタケの幻想的な夜景は一見の価値がある。
 もちろん、本題の温泉も、だ。
 海と大地の力が混じり合ったその湯は、ありとあらゆる疾病を癒やす力を秘めている。
 過酷な旅を続ける冒険者も、薫桜ノ皇国に立ち寄った際は炎海温泉にわざわざ立ち寄ると言われるほどだ。
 その素晴らしき湯は狐屋においては、無垢の白木で作られた浴場に導かれている。
 白木の香りと適度に熱い湯に浸かっていると、時が経つのを忘れてしまう。
 但しその心地よさに心を奪われ続けるのは、体にとっては良くはないだろう。
 温泉に浸かるという事は真夏の熱帯を歩き回るのと同じ条件を体に課しているともいえ、定期的な水分補給も必要である。
 もちろん、宿の方もそれをわかっており、温泉水を湧き水で割った『水分補給のための飲料』、レモナの果汁を垂らした冷水などを脱衣場に用意している。

 今回私が宿泊したのは、トリナーの様式をモチーフとした部屋である。
 質素と華美さが絶妙に混ざりあったこの部屋は、私にとってはこの世界で最も落ち着ける場所の一つなのだ。


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最終更新:2022年08月05日 15:47