フォールドの旅行記(巻末記載)

懐かしきを訪ねにフォレエルフへとやってきた。
私の旅路は道半ばといえるが、恐らくは次会う事はないだろう。
彼等は私とは違い、『万寿無疆』という外世語に相応しい長き日を越えて生きる種族だ。これも当然であろう。
フォレエルフに関することは過去に記してある。

長い旅路を記すのも恐らくこれが最後だろう――なぜ最後か。
それはヒトというのは気分で生きており、再び書き記す日が巡るまで筆を置く事もよくあるからだ。
この物好きに価値を見いだし、正確性に傾く書物に目を通す見知らぬ者には、各地でも周辺国でも良い。比較をしに出かけてほしいものだ。

…終わりとはすなわち始まりである。
私は欲から筆を執り始めた。平凡の旅行者では得がたい価値を得る事ができた。
未発表の書物は、この先も生きるお前に託すとしよう。

私の名はフォールド・スタイン。ただの旅人である。
あることを除けばだが。


:『フォールドの旅行記』第■■冊巻末より。



上記は『フォールドの旅行記』の最終巻の巻末に記された記述である。

しかし、それまでの巻末は読者に向けた本の締めの言葉として書かれているのに対し、この巻のみ読者というよりも『特定の誰か』に向けた“手紙”のように見受けられる。
彼の著書の愛好家達の間では、元からこの旅行記は彼の旅路をこの『誰か』に向けて語る為に書かれたのではないか、という考察や議論がされる事もあるらしい。

手紙の相手が誰か、本当に手紙の意図があったのかは未だに判明していないが…仮にその相手を考えるとしたら、フォールドにとってとても近しい存在だったのではないだろうか。

:とある文学者の手記より。


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最終更新:2024年01月14日 22:06