駆け落ち 1話

俺の名はウィル。歳は十七。ここフラソヌール共和国の養父カーターが経営する酒場で日々働いている。

少し遅めの昼食を取った後、工具一式を奥の倉庫から引っ張り出した。
普段なら午後からは店の掃除に精を出すのが習慣だが、今日は事情が違う。
昨晩、酔っ払いの客が喧嘩騒ぎを起こしテーブルの足を破壊したのだ。
まったく、どんな馬鹿力を発揮すればこいつを折れるのか知りたい。
ともかく夜の開店までに俺が修理しなければならない訳だ。
「直せるか、それ?」
「まぁ、なんとかな」
「いやほんと、思い出すだけで笑っちまうよ」
そう言ってダハハと豪快に笑う大柄な初老の男。
彼はカーター、この酒場の主人だ。
「良かったのかよ、昨日の奴ら出禁にしなくて」
「客が減るのは寂しいもんだろ、お前も細かいことを気にしてると大きくなれんぞ」
「はいはい、わかったよ」
やっぱりこの人にはかなわない。
今朝、テーブル破壊事件の犯人達が二日酔いの体を引きずって謝罪に来た。
すまなそうにする彼らにカーターがかけた言葉は
「気にせんでいいよ、また飲みに来てくれや」
普通の人なら怒って出入り禁止にするところだが、
そこで笑って許す人柄が彼らしさであり大勢の客から長いこと親しまれてきた所以でもあるのだろう。
カーターとその妻キャロル、そして俺の3人で切り盛りするこの店。
思い返せばこの家に引き取られてからの三年間は充実した毎日を送っていた。


夕方、俺は開店までの準備にあたる仕事を一通り済ませた。
「親父、ちょっと散歩に行ってくる」
俺がそう言うとカーターは少し黙った後口を開いた。
「ミアちゃんか?」
背筋にゾクッと来た。なぜその名前がカーターの口から出るのか。
「図星だな」
カーターがにんまりと笑みを浮かべる。
「な、なんで親父が知ってるんだよ…」
「酒場は情報が並ぶ市場だぞ、近所の出来事ぐらい手に取るようにわかるさ。」
この店の情報ネットワークがこれ程までに恐ろしいものとは知らなかった。
「気があるのか?」
そこまで知っているなら察して欲しいな。同じ男として。
「まあね…」
そう言って逃げるように酒場を後にしようとしたとき、
「ハハハ、頑張れよ少年」
励みになった、少しだけ。


いつもの待ち合わせ場所に少女は待っていた。
彼女がミア。俺の幼馴染だ。
「もー、遅いよ」
少し不満そうな表情だった。だいぶ待たせてしまったのだろう。
だがその声を聞けるだけで一気に疲れが消える。
「ごめん!その、仕事が長引いちゃってさ」
「お疲れ様、じゃあ行こうか」
少女は笑顔に変わった。

酒場で働くようになってからは夕方に町外れの川辺を一人で散歩するのが日課だったのだが、
いつしかミアが一緒についてくるようになった。
散歩は二人の日課になった。
当然ながら夕方の散歩に対する俺の楽しみ加減は倍増した。

俺はミアが好きだ。

勿論、幼少期から毎日のように一緒に過ごしてきたのだが、
違った感情を抱いて意識するようになったのはここ数年のことだ。
白い肌、華奢な体、黄金色の髪、澄んだ瞳、全てが愛おしく感じられる。
気丈で優しいその少女に惚れ込んでいると言ってもいい。
だが、未だその想いを伝えることはできていない。
機会なら何度も、いや、今この瞬間でさえ伝えられるのに
溢れそうな言葉をせき止めている。


いつもの様に他愛もない話をしながら川辺を歩く。秋の風が心地よい。
可愛らしい、楽しそうに今日の出来事を語る横顔に見惚れていた。
「ねえ聞いてる?」
「あ、うん」
「絶対聞いてなかったでしょ。ウィル疲れてるの?」
「まぁ少しだけ」
「あんまり無理しちゃ駄目だよ」
決して疲れていた訳ではないのだが、心配されるのは素直に嬉しい。

少し風が冷えて来た。夕陽が地平線に沈む。辺りに影が落ちる。
「ウィルは変わったね」
「えっ、どこが?」
「なんというか大人になったよ」
「そうかな」
「もう私が居なくても大丈夫かな…」
一瞬強く風が吹いた。
突然何を言い出すのか。大丈夫な訳がない。
ミア立ち止まり下を向いて黙ってしまった。
小さな肩が震えている。
そこで気づいた、今日のミアはどこかおかしい。
何かを隠している。
まるで別れを告げに来たような、

「ねぇウィル、もし私が他の誰かと婚約することになったら…」

予感が確信に切り替わる。血の気が引くのが感じられる。
「その時は悲しい…?」
何を言っている、思考は追いつかないけれど答えていた。
「…ああ、悲しいよ」
肝心の理由を伝えていないが、今止めないと手遅れになる。

二人の間を冷たい風が駆け抜ける。
しばらくしてミアが口を開いた。

「私…商人の息子と婚約させられた」

理解できなかった。どうして、どうしてそんなことになる、
ミアはそれを望んでいるのか、誰だそいつは、
そんなことは関係ない。
今は伝えないと。

「俺はミアが…」
「お願い、それ以上言わないで」




最終更新:2023年07月01日 10:15