絵本作家のぶみの出身校とされる専門学校(1997年4月入学〜1998年中退)
将来の妻となる「ようちゃん」と出会った場所でもある。
同校は、1982年に「日本児童文学専門学院」として開校。
1984年に専修学校認可校となり、「日本児童教育専門学校」に校名改称。
2008年11月30日発行の自伝『「自分ルール」でいこう!」(角川書店)pp.166〜170より
保育士になれる専門学校や短大を8校受験した。すべて落ちた。
試験の途中に「つまんねえ」といって抜け出したこともあった。
(中略)
するとその年の3月に、うちのお父さんが「おい、おまえ明日から学校だぞ」という。
「全部落ちたじゃねぇかよ」と僕が言う。「……いや、おまえ明日から学校だぞ」
なに言ってんだ、コイツ………と思ったが その日、暇だったので学校に行ってみると……なんと!
受けてもいない学校に、僕が受かってる!「どういうことだよ!」
あとで聞いたら僕の代わりにお父さんが受験していたらしい。
僕は、ビックリした!うちのお父さんは、キリスト教の牧師でものすごい真面目なのだ。
そのお父さんが、こんな大胆なマネするなんて!衝撃だった!
でも、案の定、入学式の時に「これ、お前が書いたんじゃないだろう」と先生に追及された。
(中略)
「オレじゃねえがどうした」と言うと、先生は、僕の方を見て、
「やっぱりな!」と言って、笑って許してくれた。
(中略)
もともと、この学校は、作文を出せば受かるみたいな所だった。
後に、この話をお父さんに聞くと、
「いやぁー!あの時は、大変だったよ、こいつのレベルに落として作文を書くのがさぁーー」
と嬉しそうに話していた。僕は、大爆笑した。一応、バレないように書いてたんだ!
でもこのことは、僕の運命を確実に変えた。
保育士の専門学校に入った僕は、ひとまず保育士になってやろうとがんばった。
「1997年度全国専門専修各種学校案内」より
特色:
昭和57年の創立。保育・福祉や児童文学・童話・絵本の創作を志す人の養成校。
実習中心のカリキュラム編成。
学校長:小林光俊
入学時期:4月
学費:初年度総額1,040,000円
受験資格:高等学校卒業以上。申し込み順に書類選考。
募集人員:
課程 |
科 |
募集人員 |
年数 |
児童教育専門課程(昼間) |
児童教育総合科 |
25 |
3年 |
幼児保育専攻科 |
70 |
2年 |
児童福祉専攻科 |
30 |
2年 |
児童文化専門課程(昼間) |
児童文学専攻科 |
30 |
2年 |
童話創作専攻科 |
30 |
2年 |
絵本創作専攻科 |
30 |
2年 |
出版編集専攻科 |
30 |
2年 |
メモ
- 受験資格は「高等学校卒業以上」→高校は卒業している
- 選抜方法は「申し込み順に書類選考」と記載されており面接も作文も不要→替え玉受験の必要もない?
- 他の保育系専門学校では面接は必須(推薦入試では面接が免除になる場合あり)
- 多くの学校では、面接に加えて作文・小論文もあり、国語・一般常識・適性検査などの筆記テストを併用する学校もある。また、一部の学校では音楽・体育の実技試験も必要な場合がある。
- 保育系の専門学校で絵本・児童文学のコースがあるのは「日本児童教育専門学校」のみ。
- 疑問)この学校案内では北海道から北九州まで順番に学校が紹介されているが、「日本児童教育専門学校」は、北九州の専門学校に続いて、一番最後に掲載されている。
1975年2月、株式会社ジャーナリスト専門学校を設置、代表取締役社長に就任。
ジャーナリスト専門学校に通う学生の中にキャビンアテンダント経験者など働く女性から児童文学を学びたいという要望を受け、児童教育に関連する児童保育も合わせた専門学校「日本児童教育専門学校」設立し、校長に就任(現在に至る)
2017年、学校法人敬心学園は大学開設準備室を設置、文部科学省に専門職大学(仮称:東京専門職大学)の設置認可申請を行う。
最終更新:2018年03月16日 02:30