江ノ島。
世間一般には、風光明媚な景勝地として知られる。
無論、宇多津転寝と掘瀬大我の暮らす世界においても、その“認識”は変わりなかった。
だから、二人が夢の戦いで『そこ』に降り立ったとき。
『そこ』が江ノ島だとは、二人とも理解できなかった。
誰の“認識”によって生まれたか解らぬ、常識無き異境。
それが、今宵の夢の戦場だった。
江ノ島東部・湾港エリア――
「くそおおお!! 二人きり、とかじゃねえのかよおおおお!!」
「マテッコラー!」「キアイラッシャー!」
「パラリラーアアッ!?」「ゲソー」
眠れぬ睡拳使い・宇多津転寝は、ショウナンボーイの群れから逃げていた。
モヒカンザコ、ヤンキーと並んで日本三大危険群体生物に数えられるショウナンボーイ――
徒党を組み、バイクや三輪車、スケートボードなどおよそ乗り物ならば何でも乗りこなす爆走本能の持ち主!
勿論、普段の彼ならば、このような無様な逃げの一手を行うことはない。
ショウナンボーイ一体一体の強さはモヒカンザコと同程度、大したことはない。
いつも通り、一発殴れば“ダメージを眠気に変える”魔人能力『睡生夢死』によって無力化できる――
筈、だった。
だが、殴っても殴っても、誰一人眠らなかった。
ではダメージは通ったかといえば、それもまた否。
殴ったダメージが眠気に変換されながらも、しかし相手が眠らない。
結果として、いらぬ喧嘩を売った形となってしまった。
「まさかとは思うが……ここが夢の中、だからか?」
逃げながら、転寝は思い至る。これは『夢の戦い』。
夢の中で寝る奴など、いるわけがない――
だから、己の拳が完全に無力化されているのだ、と。
「無理ゲーにも程がある、だろがっ……!」
突きつけられた状況に、転寝は奥歯を深くかみしめる。
ザコの群れさえ蹴散らせないこの状況で、魔人を相手に戦うなど――夢のまた夢、である。
まず、コイツらをどう撒くか。
考えを必死で巡らせる中、転寝の背後100m先で――
突如、爆発が発生した。
「ナメンナーッ!?」「ブッコミィーッ!?」「ヤキイカー」
転寝を追いかけていたショウナンボーイズが巻き込まれ、髪型をポンパドールからアフロへと変えながら吹き飛ぶ。
一部、イカめいた奴がいるような気もしたが目の錯覚だろう。イカはイカーとは鳴かない!常識!
「っ!? ……な、何だ……?」
爆風を背負いながら、転寝は立ち止まることなく後ろを振り返る。
江ノ島の“入口”、江ノ島大橋の上に――
あらゆるモノを蹂躙する、重厚なる銃口を備えた戦車が鎮座していた。
江ノ島大橋――ティーガー内部。
「やはり、久々に人相手に撃つと鈍るもんだな……」
決して快適とは言い難い車内で、掘瀬大我は独りごちる。
彼の魔人能力『パンツァーリート』は“ティーガー戦車を召喚する”という、シンプルな武力である。
尤も、独白通り――彼がこの能力を行使することは少ない。
特にここ最近は、もっぱら部活動で撃った位である。
理由はいくつかあるが、大きいのは二つ。
『戦車に頼らずとも、己の肉体で大抵の戦闘は片が付くこと』と、
『そもそも戦車をぶっ放すことに、執着がなぜか湧かないこと』だった。
魔人能力は、本人の妄想――“認識”によって発現する。
今や常識として学校教育でも教わる大前提だが、しかしそれならば。
「……なぜ俺は、戦車を生み出せるんだろうな」
大我は、悩んでいた。が、それも数瞬のこと。
悩みを振り切るかのように、再び主砲を放つ。
数多くのボートが停泊する港が、火の海に変わるまでそう時間はかからなかった。
「さて、港は潰した。次は、山だな」
冷静に呟き、砲塔を江ノ島の中央に向けて進撃を開始したその矢先。
総重量70トンのティーガーIIが横転した。
“何か”によって、横っ腹に突撃を受けて――!
「……っ!? 何だと……!」
横倒しになったティーガーIIから脱出しながら、大我は走り去る“何か”の後ろ姿を見た。
江ノ島・市街地――
「……戦車の次は、電車かよおおおおおっ!!」
転寝は一息つく間もなく、逃げ惑っていた。
戦車の砲撃で港エリアを壊滅させられ、誘導されるように逃げ込んだ先で。
江ノ島第二の脅威に、遭遇した。
江ノ島内を縦横無尽、天地無用に爆走する真・地獄超特急――Eno-DEN。
前面は痛々しく凹んでいるが、それを意に介さず。
レールの有無も、道の有無も、障害物の有無も一切気に留めず。
運転手無き暴走電車が、哀れな獲物を追い続ける。
「一応、殴り飛ばせないこともない、んだろうが……速すぎるよな……」
転寝にとって救いは、今度の脅威が“電車”であることだった。
『睡生夢死』は、流石に眠ることのない物体相手には発動しない。
つまり、モノであれば転寝は己の戦闘力を存分に振るえる――
「……電車ってんなら、足元崩しゃあ止まる、か?」
幾度かのニアミスを繰り返しながら、転寝はようやく目的の地点を見つけ出す。
何度目かのクイックターンを終え、遮蔽物の無い大通りを真っ直ぐ突っ切ってくるEno-DENを視界に捉えて。
転寝が、渾身の力で――
地面へと、拳を振り下ろす!
アスファルト舗装された道路が砕け、尚余りあるエネルギーが地面を隆起させ、爆ぜさせる。
さながら、巨大なジャンプ台の如くに――!
そこに、Eno-DENが最高速度で乗り上げればどうなるか。
答えは言うまでもないだろう。
Eno-DENは転寝を轢殺することなく、その頭上を飛び越えていき……
海の側に聳えた巨大な建造物に突き刺さる様に激突し――ついに機能停止に至る。
「はぁ……狙い通り、か」
だが、転寝は知る由もなかった。
その建造物が、ある生物を封印する為の設備であったことを。
建造物に生じた亀裂が大きくなり、軋み、割れる。
錆の浮いた『江ノ島臨海実験場』という看板が、ガタンと落ち……
名状しがたい、江ノ島最大の脅威が、甦る。
「……何だ、ありゃあ」
Eno-DEN(と、それに追われた転寝)を追っていた大我が見たのは、奇怪な生物だった。
江ノ島に適応した麺状の巨大浮遊生物、エノシマ・スパゲッティ・モンスター(学名:エノシマアイランドスパ)。
直径3m程のボール状の肉体全てが、錨綱の如き太さの麺から構成されている。
複雑に絡み合ったそれらの合間からは、規格外の大きさを誇るシャミセンガイが何匹もはみ出している。
その様相は、遠目から見れば食欲をそそるボンゴレそのものだったろう。
だが、二人がそれを『美味そうだ』などと思う余裕はなかった。
咄嗟に大我が、能力を再度発動し――新たな戦車を喚び出す。
その数、二台。
「おい、そこの」
大我の呼びかけに、失いかけた正気を取り戻して転寝が振り向く。
「あんなのに襲われて決着、ってのも寝覚めが悪ぃだろ。
一時休戦だ、あのデカブツ潰すぞ。乗れ」
大我の申し出に、一瞬呆気にとられながらも――転寝は、不敵な笑みを浮かべた。
「アンタに向けて撃つかもしんねえッスよ?」
「やってみな。戦車でテキサス映画のマネする気があるならな」
「冗談ですってば。……んじゃ、怪獣退治といきますか」
戦車に各々乗り込み、上空に浮かぶエノシマアイランドスパに向かい合う――
砲撃。
砲撃。砲撃。砲撃。砲撃。砲撃。砲撃。砲撃。
砲撃。砲撃。砲撃。砲撃。砲撃。砲撃。砲撃。
弾切れになれば、次の戦車を喚び出し。
弾の切れた戦車は、殴って吹き飛ばしてぶつける。
流石に戦車の砲撃までは転寝の能力も及ばなかったと見え、転寝の攻撃も十分に火力の助けとなっていた。
その事実に、転寝は少なからぬ安堵と、拳とはまた異なる男のロマンを存分に感じていた。
大我もまた、かつての思い出を地で行くシチュエーションに血が滾る思いであった。
絶え間ない二台の戦車による砲撃の前には、流石の空飛ぶスパゲティもひとたまりもなかった。
共生、或いは寄生していた大シャミセンガイが焼け、蠱惑的な匂いを放つ。
旨味と恐怖の詰まった汁を滴らせた麺が、焦げて千切れ飛ぶ。
やがて、体の三分の一ほどを失ったところで――
エノシマアイランドスパは戦意を失い、母なる海へと帰っていった。
「……なんとか、片付いたな」
大我が、弾切れになった戦車から出てくる。
「みたいっすね……」
同じく、転寝が全弾打ち尽くした別の戦車から抜け出る。
戦車の上で互いに視線を交わし、構えを取る。
「……それじゃあ、タイマンといくか」
「ですね……お手柔らかに」
お願いします、と転寝が続けようとした、その刹那。
江ノ島大橋の方向から飛来した砲弾が――大我に直撃し、爆発した。
「っ!?」
眼前の光景に絶句し、江ノ島大橋の方を見る転寝。
その視線の先には――
「パネェマジコレ!」「パラリラー!」「イカー」
――ティーガーIIにハコ乗りを決める、ショウナンボーイの姿があった!
“徒党を組み、『乗り物』ならば何でも乗りこなす爆走本能の持ち主”!
彼らは横転し棄てられた筈の、最初の一台を力を合わせて元の体勢に戻し――
本能に従って乗り込み、自分らを吹き飛ばした相手への報復を果たしたのだ!
「……嘘だろ、おい」
予想だにしていない横槍が入り、しかもおそらく戦いが決着したことに。
転寝は、呆然とするしかなかった。
しかし。
その呆然の意味は、数分後、あっさりと書き換わる。
主砲の直撃による粉塵の中から、大我が起き上がり――
「AAAAARRRRRGGGGGGGGGGHHHHHHHHHHHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
人ならぬ声の雄叫びで吠え、その大音声に相応しい体格へと、瞬く間に変貌していく。
金剛石を想起させる、鱗に覆われた屈強な皮膚。
樹齢数百年の巨木に匹敵する、太く頑丈な手足。
一振りで町が薙ぎ倒せそうな、長く強靭な尻尾。
万物を噛み砕く牙を備えた、眼光鋭い凶暴な顔。
全長10mの大怪獣・ホリセタイガーの誕生であった。
魔人能力の発現の際、大我は非常に戸惑った。
自分が憧れたのは、あの映画の中の――
“戦車に撃たれてもなお、歩みを止めぬ怪獣の力強さ”の筈で。
戦車群を蹂躙し、踏みつぶし、徹底的に破壊するその姿に憧れたのだから。
それが“戦車を召喚する能力”となったのは、彼にも何故なのか理解が出来なかった。
そんな中一つだけ、思い至った可能性は――
“あの怪獣の様に、自分も戦車に撃たれればいいのではないか?”
魔人能力が“認識”によって成り立つならば、自分のこの考えは間違ってはいないはず――
だが、いかに魔人といえど、戦車に撃たれたら十中八九死ぬ。
自分の“認識”の方が上だとわかっていても、軽々に試すことはできなかった。
だからこそ、大我は肉体を鍛え抜いていたのだ。
戦車の砲弾を受けきれる、屈強な身体を求めて。
もし、ショウナンボーイによる砲撃がもう少し早ければ――例えば、エノシマアイランドスパとの交戦前であったなら。
大我は砲撃の前に、呆気なく力尽きていただろう。
だが、エノシマアイランドスパとの出会い、そして撃破を通し、かつての頃の思いを取り戻したことで。
大我は、己の真の能力に目覚めることとなった。
本来ならば、この戦いの“褒賞”として得るつもりであった、己の見果てぬ夢を大我は手にしたのだった。
『大怪獣となり、街を思う存分に破壊する』という、かつて抱いた夢を。
そして、だからこそ。大我は、負けられなくなった。
この戦いに負けたならば、得た記憶は消えてしまう。
そうすれば、また己の肉体が上か、戦車の火力が上か悩み続ける日々の繰り返しだ。
その悶々とした日々の訪れに比べれば、悪夢の中眠り続けることなど些末に過ぎない。
目覚めてからも続く“悪夢”のほうが、余程耐え難い――!
大怪獣・ホリセタイガーは。
己を目覚めさせてくれた闖入者への礼をするべく、地響きを立てながら歩み寄る。
「ア、ヒ、ヒエェ……」「カイジュウ!?」「スルメー……」
先程までの余裕は、もはやティーガーショウナンボーイズには無かった。
度を超した恐怖の余り、逃げることすら叶わない。
「AAAAAAAGGGGRRRRRRAAAAAAAAAHHHHHHH」
喜色と愉悦を湛えた唸り声と共に、大我は尻尾を力強く叩き付けた。
数刻前まで彼が乗り込んでいた重戦車が、哀れな江ノ島の民を巻き込んで鉄屑と化した。
その様を、満足げに眺め終えると――
大怪獣は、残る獲物へと向き直った。
詰んだ。
転寝は眼前の大我を見て、素直にそう思うしかなかった。
せめて、己の拳が、武術が、魔人能力が。
何か一つだけでも通れば――戦えるのに。
全力を込めて殴っても、ザコにさえカスリ傷一つ負わせられず。
しかも夢の世界の中では、相手を眠らせることも出来ない。
当たり前だ、夢を見ている奴は既に寝ているのだから、それ以上眠るはずがない。
……既に、『寝ている』?
転寝の頭の中で、何かが弾けるのと同時に。
大怪獣の足が、踏み降ろされた。
ぺちゃり、と肉と骨と血が弾ける音が――
しなかった。
「……GRRR?」
大我が、僅かに訝しんだ次の瞬間――
自慢の巨体がバランスを崩し始めたことに気付く。
その崩れは、足元から――踏みつけを繰り出した左足からだった。
「宇多津流夢遊睡拳――“枕返し”」
踏み降ろされた質量と速度を、最小限の動きで反転させる。
受け流しとカウンターを併せた、因果応報の返し技によって――
推定体重数百トンの怪獣が、盛大にスッ転ぶ。
「GYAAAARRRRR!?」
何が起きたのか。理解できない――と言わんばかりの怒りの声を挙げながら大我が藻掻く。
それを横目に、転寝は――自信と、確信に溢れた表情を浮かべていた。
「ここが夢の中、ってんなら……つまり、俺も“寝ている”ってコトだよな」
確かめる様に、己の至った思考を口に出す。
そうすることで、己の“認識”を――書き換え、補強する為に。
そして、眼前の大怪獣に負けぬ大音声で、叫ぶ!
「だったらよお……夢遊睡拳が、十全に使える、ってコトだよなあああああああああああああ!」
夢遊睡拳。
『寝ている間だけ威力を発揮する拳法』――
普通に考えれば、夢の戦いでは役に立たない拳法が、この瞬間。
夢の戦い最強の拳法へと、生まれ変わった。
「悪く思うな、大怪獣センパイ――
怪獣退治、ラウンド2だ。巨大化も変身もできなくて、すまねえな」
「“木綿崩し”!」
立ち上がった大怪獣の足元を薙ぎ、再び転倒させる。
「“羽毛渡り”!」
尾による反撃の衝撃を逃がし、ひらりと空中へ舞う。
「“鐘鳴らし”!」
高く舞い上がった勢いのまま、踵落としを肩口へと叩き込む。
体格差で数十倍、数百倍の差がありながら――
転寝が、大我を圧倒している。
何故、転寝の拳法が怪獣に“効いている”のか。
その理由は、解ってしまえばシンプルな答えである。
『宇多津転寝が寝ている間は、睡生夢死は発動しない』――これだけのことだ。
転寝のあまりに短すぎる睡眠は、彼自身では制御できない。眠りたくても、眠れない……
だから『自分の意志でオンオフができない』のだ――!
「G,GRRAAWWW……」
大怪獣・ホリセタイガーは――それでも、必死に暴れた。
せめて少しでも、この夢を。一分一秒でも長く、楽しもうと。
それは、転寝も同じだった。
夢の戦いは一度きり、勝っても負けても――もう、こんな最強は、味わえない。
それでも、夢は覚めるものだと。二人とも分かっていた。
「――宇多津流夢遊睡拳、奥義」
転寝が、大我の足を、腕を、肩を渡り、頭上高くへと跳び上がる。
そして、空中で拳を引き絞り――ホリセタイガーの脳天へと、最後の一撃を放つ。
「“朝告げ鳥”!!」
皮膚を、筋肉を、骨を、脳を――衝撃が、突き抜ける。
ぐらり、と大怪獣の身体が前のめりに倒れ、動かなくなった。
その表情は――どこか、満足げに見えた。
“おめでとう。勝者よ”
朝日が差し込む中、転寝の脳内に声が響く。
“無色の夢”――その主の声が。
「あー……どうも」
転寝は、目の前で倒れ伏す大怪獣――否、既に人間に戻った大我を見ながら
どこか無気力に答えを返す。
“望む瑞夢を与えよう。何を望む”
「んー、そうだな……とっとと起こしてくれ」
“わかった、起床を…… ……待て”
転寝の返答に、“無色の夢”が思わず困惑の色を浮かべる。無色なのに。
「んあ?何だよ、起きちゃいけねーのか?」
“否、問題はない、が……つまり、お主は望まぬのか? 見たい夢を思う存分見ることを”
「まあな。 つーか、もう十分見たさ」
“無色の夢”の問い掛けに、転寝は満足そうに答えた。
「あーでも、もし差し支えがねえなら……そうだな。
目の前の大怪獣センパイのペナルティ、ナシにしてくれ」
“……よかろう。それが勝者の望みならば”
転寝の願いの後、“無色の夢”の気配は薄れ――目覚めの時が、訪れた。