牛沢幽也 プロローグ

 一、
 湘南の治安が問題視され始めたのは21世紀に入ってからだ。
 改善の兆しが目に見えるようになったのは漸く10年経ってのことである。

 一時期は死の見本市とまで言われた湘南も、今では遠くから若者達がショッピング、歴史探索や江ノ島ツアーに訪れるなど賑やかさを取り戻しつつある。
 鎌倉駅前のバス停では学生が平和そうにスマートホンを弄っている。

「おいコラ、ちょっと待てや。」

 早乙女ロビンはごく普通の高校生だ。突如降りかかった怒声に、黒髪の少年は振り返った。

 後ろにいたのは、ただの善良そうな一般市民だ。
 赤い眼鏡を掛け、茶髪で、口うるさそうな女性である。

「はぁっ?」

 思わず、素っ頓狂な声を挙げる。今の唸り声を目の前の女性が出したとはとても思えない。
 状況が理解出来ないロビンだが、女性は何も起きてないように振る舞う。

「ねぇ、貴方に言ってるのよ。」

 先程とは打って変わりセキセイインコのように高い声。ロビンの嫌いなタイプだ。
 それに良く見ると首からボードをぶら下げている。嫌な予感がする。

「署名して頂けないかしら。」

 駅前名物、権利活動家だ。ロビンは辟易した。
 ボードに貼られた紙には、『彼らに市民権を!』と書かれている。

「興味無いです。俺、学校行くとこなんで。」

 振り払おうとロビンは言った。現在時刻は10時。遅刻だ。
 だが、そんなことなど御構い無しにインコ女は行く手を塞ぐ。
 関わらなけばよかった。と、ロビンは内心思った。

「ヤンキーはとても賢い生き物なのよ。」

 駅前名物、ヤンキー保護活動家であったか!ロビンは狼狽した。これは通常の権利活動家のかるく数十倍は厄介だ。

「ねえ、貴方も協力しましょう?彼らには確かな知性があるの。知的生命体には等しく権利が与えられるべきなんだわ。」

 少し法律のことを勉強しただけのロビンにもわかる、お花畑理論だ。無視して逃げるべきだが、ロビンは若い。

「へぇ?じゃあもロボットやイルカも権利主体足り得るんですかね?そんなのが政治とか法律を理解できるかなあ?」

「アン?」

 それは最初に聞いたドス声と良く似ていた。
 同時に、ロビンはインコ女越しに無人のバイクを見た。

 誰も乗っていないにも関わらず、エンジンをかけたまま徐行している。まるで直前まで人が乗っていたかのようだ。どう考えてもテレポートしたとしか思えない。
 アレはなんだ?と思い、すかさず写メで撮ろうとする。だがすぐに後ろから来たバスで隠れてしまった。

 よく分からないが、これはインコ女から離れるチャンスだ。バスの行き先は神奈川県立ダンゲロス高校前。こんなバスに乗り込む命知らずはダンゲロス高校の生徒しかいない。バスのドアが開く。

「じゃ、そゆことで。」

 一方的に別れを告げ、バスに乗り込む。

 この界隈に、ヤンキーなんて実在するわけが無い。
 その時、見た。
 路上で空気椅子しながら、両手を突き出す不審者がいた。不審者は金髪に黒服を着て、腰に木刀を帯びている。

 …あれはヤンキー?

 金髪の男はこっちを見ていたような気がする。

 二、
 バスに乗ると、黒髪ポニテがいた。

「ロビンソンくんじゃないか。おはよう。」

 呪井マリだ。禍々しい字面だがジュディと読む。でもダンゲロスキラキラネーム検定1級保持者の人達にはそんなこと日常茶飯事だ。

「おはよう、ジュディマリ。」

「ふざけるなッロビンソンくん。10時から登校とは相変わらず不真面目だね。ここはそばかすの数を数えることが趣味のクラス委員長として言ってやらねばならないな。」

「お、おう。それ何の瓶?何を飲んでるの。」

 ジュディマリと時計を見比べ、とりあえずロビンは先程から彼女が煽っているワインボトルを尋ねた。

「オリーブオイル。」

「えっ」

「体に良いからね。」

 ロビンはあの真面目な僕っ子委員長が何故遅刻の常習犯か理解した。

「相変わらず太宰治みたいな髪型だなあ、ロビンソンくんは。川に沈めてやろうか。」

 こんな何気ない雑談でも本当に川に沈められたり、ハーブティーを飲まされたり、サファリパークに置き去りにされるので油断できない。そこがジュディマリの良いところでもあるのだが。
 もう分かるよね。ロビンは僕っ子委員長から罰を受けたくて遅刻するクズなんだ。そんな勇気あるクズは勇者と言わざるを得ず、勇者のクズだった。

「ううっ!なんだ!?お腹が痛い!私の身体は健康の筈なのに!!」

 ジュディマリが原因不明のオリーブオイルの飲み過ぎで苦しみ出した時だ。ロビンは靴が濡れていることに気がついた。
 オリーブオイルを漏らしたか?と一瞬興奮したが、どうやら磯の香りがする。

 ふと背後を振り向く。それ自体に理由はなく、敢えて言えば直感だ。床に水溜まりが出来て後部座席に続いている。
 後部座席にいるのは金髪の男だ。三人いる。

「えっ!?」

 確か駅前で見た時は一人だ!増えた!?いや、そもそもバスに乗ってる筈がない。
 …海水!?男達は一様に空気椅子をしながら両手を突き出している。そしてビショビショだ。不審者がビショビショになってる姿は見る者の恐怖を助長する。
 どう考えても海からテレポートしたとしか思えない!

「ガアアアァァァァァァアアア!!」

 突然の絶叫にロビンは反応する。ジュディマリが窓ガラスに額を打ち付ける音だ!

「頭部の痛みで腹痛を和らげようとしている!?」

「ガアアアアアア!!ガアアアアアア!!」

 いや違う!窓ガラスを粉砕してバスを降りようとしているのだ!

 そんな馬鹿な。
 湘南は世界一安全な観光都市だ。窓ガラスは割れないように出来てる。途中で降りるなんて許されない。
 だが、ジュディマリなら。
 ダメでした★

「…ロビンソンくん。どうやら私は破壊ばかり得意で治すのが苦手らしい。
 …ロビンソンくん?」

 ジュディマリが血まみれで振り向いた時、ロビンの姿は無かった。座席にあったのは海水の手形とスマートホンだ。

「えっサメにでも襲われた?」

 三、
 窓の向こうにバイク数十台が走っている。
 無駄に高い音を掻き立てるバイクの上には金髪の男達が空気椅子をしながら両手を突き出している。

「ビビビビビビ」

「馬鹿な…ここは湘南だぞ。ヤンキーなんて想像上の生き物に過ぎない。」

 そして何故、ロビンソンくんが姿を消したのか。その答えは座席に残されたスマートホンにある気がする。

「だがロビンソンくん如きが謎を残すとは生意気なッ!」

 ジュディマリはスマートホンのパスワードを解除し、窓ガラスを開け外に捨てた!

「ざまあみやがれ!…ぁあッ!窓ガラスって開くんだ!?」

 ジュディマリはあまりの絶望感に頭を抱えた。そんな彼女の肩を誰かが背後から叩いた。
 赤い眼鏡に茶髪で、首から権利保護のボードをぶら下げた女性だ。ダンゲロス行きのバスに乗るとは余程の命知らずに違いない。

「私は最初からずっと声を掛け続けていたの。
 名前は木瀬聖子。一年生よ。」

「機嫌悪いから殴られる前に病院に帰って下さい。」

 実はジュディマリは人見知りだ。
 だが、セキセイインコの女はジュディマリを優しく抱擁した。そして突き放し、顔面を殴った。

「甘えてはいけませんッ!これは試練なのです。」

 これは本格的に鬱陶しい奴に絡まれたものだとジュディマリは思った。だが、そんな奴は嫌いではない。気がつくと二人は意気投合していた。

「ビビビビビビビビビ」

 相変わらず無駄に高い音を掻き立てバイクが走る。そんなことはどうでもいい。先頭を走るバイクの後ろに荒縄で縛り上げられたボロ雑巾のようなロビンソンくんが引きずられているが、ロビンソンくんを見つける方が先決だ。ジュディマリは窓ガラスから目を背け、そしてもう一度窓ガラスを見た。

「ァァァァァァアアア!?」

 身体中の穴という穴からオリーブオイルが噴き出すんじゃないかというほどの叫び声を、ジュディマリは上げようと思ったがもうしていた。

「ァァァァァァアアア!?」

 そしてもう一度声を出してみたものの現実は何も変わらない。ロビンソンくんがヤンキーに絡まれている。
 アレは野球の刑だ。身体の四肢に荒縄を巻きつけ、縄の反対側をそれぞれ四台のバイクに括り付けバラバラの方向に走らせ、身体を八つ裂きにするスポーツである。そんな残酷なことを思いつくのは湘南広しと言えどもヤンキーしかいない。
 だがよく見れば、荒縄は首に巻かれてるし、別に野球では無い。本当に恐ろしいのは人間の心なのだ。

「運転手さん、バス止めてバスー!」

「ビビビ」

 ジュディマリとセキセイインコの女は二人して運転手に駆け寄り、初めて気が付いた。無駄に高い音を掻き立てていたのは運転手だった事に。

「ビビビビビビビビビ」

 感電である!運転手は海水でビショビショになったまま精密機器を扱った為、感電してる!テレポートしたとしか思えない!
 実は誰も運転してなかったバスはやっとカーブに差し掛かり、遂に転倒した!テレポートしたとしか思えない!

「転倒するぞッ!対ショック姿勢のまま窓を開けて外に飛び出すんだー!」

「ゴアアアアアア」

 バスは二、三回転がり、江ノ電の線路に着地し、夢の特急エノライナーと激突した。中から平安貴族一名と女子生徒とおぼしき二名、そしてお蕎麦取締官とおぼしき二名が窓を突き破り、ヤンキーに絡まれながら海中に沈んでいったが気にする余裕は無かった。

 しばらくしてセキセイインコの女が血まみれでジュディマリを地面から引き抜く。そこは砂浜で、ムカついたジュディマリはワインボトルで近くのロビンソンくんを殴った。
 だが、真の絶望はここからだ。湘南の砂浜と言えばヤンキーの生息地。いつの間にか一面を囲まれている。テレポートしたとしか思えない!

 四、
 まず真っ先に反応したのはヤンキー保護活動家だ。

「す、素晴らしいわ。ヤンキーがこんなにたくさん。」

 人情で説得しようという策だ。するとヤンキーの一人が空気椅子をしながら両手を突き出した。
 それを見たヤンキー保護活動家もまた、しゃがみ込み両手を突き出す。典型的な動物会話だ。

「怖くない…私は味方よ。貴方は本当はとても賢い…ギャァァァァァァァ!!!!」

 ヤンキーが噛み付いた!所詮は動物!やはり保護活動など不可能だ!首から鮮血が迸る!

「ワアアアアアア!!」

 ヤンキーが群がる!活動家は海中に引きずり込まれた!怖い!これが湘南のヤンキーに絡まれるという事だ!!

 ジュディマリは半狂乱で抜刀した。彼女の能力は『穏やかに終わりを告げる季節(マイフェイバリットエンディング)』。抜刀することで行き交う人々が遠くに感じられ、騒めきさえ薄れては溜め息に消えてしまうように感じる能力だ。
 そして僕っ子委員長のジュディマリは一度も僕と呼称したことはなく、周りから勝手なイメージを押し付けられる事に内心かなり傷付いている。
 こうなれば一騎打ちだ。

「さて、どいつがリーダーなの?」

 前に現れたのは、金髪のヤンキーだ。空気椅子をしながら両手を突き出している。右手に持っているのはロビンソンくんのスマートホンだ。テレポートしたとしか思えない!

「…ヤンキーが喋られんとか思ったか?」

 突然の言葉に、ジュディマリの思考は停止した。
 ヤンキーが、人の言葉を解している…だと…

「なあ?やって良いことと…アカンことってあるやろ?」

 こてこてのヤンキー言語!?日本語に凄く近い…だが理解出来るが、理解出来ない!

「俺さあ、腕に縫った跡あるやん?分かる?
 アカンことしたら罰当たるやろ?
 動画撮ったり…写真撮ったり…そういうのは許す!石投げるのも許そう!俺らもそういうことするしな。」

 えっ許すの!?ジュディマリは写真を撮ろうとしたが、鞄の中の一眼レフカメラがなぜか海水でビショビショになっていることに気がついた。なおかつ中は大量のヤンキー写真で埋め尽くされていた。

「馬鹿にしたり…その場に居ったり…殴るのも許す。じゃあ何を許さへんのか!?
 その場に居合わせることや!駅にいたらヤンキーに絡まれるのは当たり前や!」

 ….?…!?
 ?低知能!
 会話が成立しない!!

「嫌アアアアアア!!」

 数万した一眼レフカメラをダメにされたのでジュディマリは走り出した!
 逃げ場は少ない。すぐ目の前に車のトランク。緊急避難用のシェルターになるだろう。

 慌ててトランクに入るジュディマリ。だが、中にいたのは…

 …ヤンキーだ!
 テレポートしたとしか思えない!

「嫌アアアアアア!!」

 その時だ。
 一台のトラックが突っ込んで来た。道路上に散乱するオリーブオイルでスリップしたのだ。後に運転手は語る。テレポートしたとしか思えないと。

 五、
 湘南の砂浜に黒煙が上がっている。辺りに遺体や烏帽子が転がる。
 監察班は注意深く事故を検証していた。

「おい、このトランク中に誰かいるぞ。」

 その時トランクから腕が伸びた。
 本戦につづく。
最終更新:2016年03月29日 21:50