口舌院 焚書 プロローグ

 宇宙暦五〇八年――銀河の片隅の保養惑星「ネオ宇宙沖縄」宙域にて。
 音を越えた旧世紀、光を越えた今世紀、そして次の世紀は何を越えるというのだろうか――?
 次の世紀の住人達は越えるものも見当たらず、泥濘のような平和に足元まで浸っている。それは怠惰の末に意志を食い潰し、人類は緩慢な滅びに向かうことを望んだからなのかもしれない。

 正義の帝国対悪の共和国と言う「昼ドラ(ソープ・オペラ)」でも使い古されたネタである。
 福祉のゆりかごに抱かれたいい年のおっさんが妄想している。帝国の還暦も何度目? 定期的に訪れる懐古趣味といえば都合はいい。
 そんなこんなな三文(スペース)オペラの幕開けだ。星々の海に乗りだすがいい――。

 んー……はいはい、と。当の帝国の皇女様は昨日読んだ紙の本の内容を思い出していた。
 姓名は自称するところ「口舌院(くぜついん)焚書(ふんしょ)」。
 つまり立って歩いてるだけでここ宇宙世紀において電子情報に押しに押されて文化財にまで押しこまれた紙の本を焼き払うことを宣言しているのだ。端的に言ってしまえば、まぁ困った貴人である。

 外見は、控えめに言って「()」だろう。
 人類が上位次元である二次元へ上昇(アセンション)する手段は今世紀に至っても確立されておらず、人々はなおあがき苦しんでいた。
 すべての芸術家が理想の「二次元美少女」に少しでも近づこうとする中、焚書を一目見たネオ宇宙彫像画の大家(たいか)は己の生涯を賭したところでけして辿り着けぬ境地を知った。
 理想のイデアたる二次元を三次元上に落としこもうとする彼の中でのすべての試みが、ネオ宇宙少女漫画雑誌『張王(ちゃお)』にのおまけにくっついていたペーパークラフトに堕した瞬間である。
 三次元上に現出した二次元の存在、つまり焚書は絵に描くことしかできない究極の美少女であった。

 が、そんなこと今はどうだっていい。
 帝国第七方面艦隊沖縄分遣支隊――旗艦「ご機嫌いかが、私はいつも元気です(※古日本語直訳)」第三艦橋。人類史を紐解いてみても有数の大帝国、その力の一端に皇女様はいきなり捕まっていた。

 ≪「宇宙」という冠詞を加えただけでリゾート地としてのブランドは健在なのね。安直だけど。≫
 首元にネオ宇宙日本刀の切っ先を突き付けられながらも焚書はわりとそれとそういったどうでもいいことを考えていた。思考は漏れ出し、焚書の()焦げ目(電子)と言う名の文字情報を走らせる。
 それは、前世紀の住人であるところのもう一人の囚われ人をして感嘆せしめるほどに流麗な筆の流れであった。

 ところで常人であるなら、この鉄火場でそんなことを考えたりはしない。
 あなたと同じ旧世紀――つまりは西暦二〇一六年前後、日本人としての価値観を半分宿すこのおひいさま(姫様)はのんき、ということになるのだがそこはご理解いただければ幸いである。まぁ、皇族なんてのは、だいたいがこんなものである(偏見)。

 あぁそうそう。異なった時間軸か、もしくは並行する別世界からやってきた彼女の片親と皇統との馴れ初めについて詳しく語るとすれば、ラノベ(※ライトノベルの略、若者向けに皇室賛美を謳う右派小説のことを指す)八冊分の分量が必要となるのでここは割愛としよう。
 ちなみにこれからのエピソードについて微に入り細に穿って記述するとなれば、ネオ宇宙広辞苑の「く」からはじまって「ん」で終わる分くらいは必要となる手前、所々省略させてもらうことを先に断っておこう。

 故に、偉大にして聡明なる口舌院焚書様の右斜め前百二十三度くらいに、異世界からやってきた親戚筋のおっさんが捕まっていた、その事実を今更思いだしたように記述したとこととてご容赦いただきたい。
 彼はこうしている間にも背景で常に喋りまくっているのだが、残念ながらそのすべてを記録に残すわけにはいかない。主にそこを削らせていただくはやむを得ないことなのである。
 具体的には前世紀の文豪太宰治の名作『走れメロス』の分量、一万字程度に収まるように編集せねばららない。

 「いやまさか宇宙艦隊に包囲されるとは思ってはみなかったね弟君はさぞ君のことが嫌いとみえる骨肉の争いというか口舌院的には塹壕口内炎(ざんごうこうないえん)と言うべきなのだろうか戦場なだけに皮肉なものだね僕が≪話が長いわ≫口舌院言論(くぜついんげんろん)である以上君が眠る時間がないというものでイライラするのもわかるだがそのおかげで無色の夢が詰まったネオ宇宙神田神保町(うちゅうかんだじんぼうちょう)で買った古書は僕が読むことになったしそれでいいじゃないか≪いい加減黙って≫それにしても――」

 ≪話なげー≫
 若干苛々(イライラ)とした様子で口を開きもせず、それでも礼を、腰まで伸ばした髪の上に書き散らす。
 ≪丁寧に講釈ありがとう? 言論≫

 わずかばかり髪がゆれる、それだけのしぐさ。それだけで懐かしく、いとしく思える墨の香りが艦橋内に薫り、染み渡るようだった。
 艦橋に詰めていた要員は老若男女を問わずわずかばかりも逃すまいと深呼吸をする。美少女の吐息だけを吸って生きられるなら酸素はいらないという先人の教えに倣った結果である。

 これには分艦隊司令官「砂糖ヶ原(さとうがはら)・リオデジャネイロあきこ」宙軍准将も苦笑い。かぐわしきに最も近いというのに、刀の穂先を首筋に置いたまま微塵たりとも揺るがせないことを褒めるべきだろうか?

 いいや、砂糖ヶ原は悦んでいたのだ。
 この銀河で最高の美少女を手中に収め、最も近いこの場所で血潮を浴びる権利を有したことを。その血はどれほどに美味であろうか、
 ただ、同じ空気を吸いこむだけで悦に浸る輩を蔑み、心の中で嘲った! あぁ、彼女の心中――昏い喜びに浸っていたことに誰が気付いただろうか。
 ……いた。

 一瞥(いちべつ)だ。
 横顔を見る。薄目で見る。実に平凡だ。平凡な感情だ。皇女は目を閉じた。
 声を聴く。(そばだ)てて聞く。実に美声だ。皇女は耳を澄ませた。
 口舌院言論はナイスミドルだ。焚書は脳裏に浮かんだイメージを努めて追いだす。
 噤んでいたを、開く。
 を、動かす。現帝の女たる焚書は号して――。
 「口舌院」。

 ≪ねえアッキー≫
 「私はね 三十一文字(みそひともじ) 越えてるよーな おはなしなんて 聞きたくないの」
 ≪改名なさい≫
 口舌院焚書は長話が嫌いだった。ついでに言うと長い姓名も嫌いだった。
 つまりは名付けの母親(ゴッドマザー)になってやるから、弟を裏切って私の下に就け。反乱の片棒を担げということであった。

 「……」
 しばしの沈黙が場を支配する。
 その声に、口舌院言論を除く一同が(ぼう)――となっても何もおかしくはなかった。
 真球の珠を転がすように淀みなく何よりも自由で、何よりも透き通っている。神が配置した綺麗な音階が演奏される。
 いいえ、むしろこれは音の神(トルネンブラ)そのものか。この美しい音! 愛らしい声は!
 誘いを受けたこと、何より拝聴したこと、武人としてこの上なき誉であろう。

 だが、軍人として受けた教育が屈服を許さない。
 これ見よがしに下手な歌を詠われて、たまらず返しの歌を吐きだす。
 これが名歌であったなら首をはねていただろう。力ある言葉に身が焼かれる一瞬――前の一瞬に。
 リオデジャネイロあきこはこの一瞬のために生きているのだから。意味のないツイート(つぶやき)であるからこそ双方は命を拾ったことになる。

 「神に嫌われ 古に倣いて (おと)殺し 独り立つには やらねばならぬか」
 名付けに神性を見出すのは洋の東西を問わず、この銀河においても例外ではない。父たる神、母なる神、それに代わって教え導く「代父母」の思想に「(ゴッド)」が冠されたのは当然のことかもしれない。
 だが、リオデジャネイロあきこは「カインとアベル」の故事を引き合いに出してこれに反撃する。
 「音」と「弟」を掛けた(ことば)についての解釈は大いに分かれるだろう。
 そればかりではない。生涯数えて()()の歌合戦、注釈研究、有職故実(ゆうそくこじつ)は数知れず、星の数。
 つまり世の中、暇人が多かった。



 ≪……の最期に一服する時間を頂戴≫

 機械化とAI任せが過ぎたあまり一兆総活躍しない社会と化したネオ宇宙大日本帝国。
 そんな中、ピラミッドの頂点の一歩前に立つ皇女「口舌院・焚書」はおそらく銀河一多忙な人物である。
 説得は無理と踏んだか、あきらめたか、本当に珍しく暇を乞うた。部下に対して一日十三時間労働を強いる彼女は自分にも厳しい。

 「――許可します」

 短歌を詠む素振りがあったら即座に首をはねよ、それが先程は未遂に終わった事の流れである。方面艦隊ひとつと引き換えにして構わないから姉上を(しい)しせしめよ、それが生きていたなら賢君と名高い、もうひとりの弟宮(おとみや)の遺訓であった。
 無論、彼は姉の手によって既にこの世の人ではない。

 だが、従兵の三角定規・クアラルンプール山田はそのような事情を知る由縁もなく、その言葉を待ち望んでいた。美少女と同じ空気を吸いたい――、それはひどく平凡で当の焚書は一顧たにしない感情である。
 無論、先程から空調は切ってある。髪が燃えるその煙を、芳香を味わうために今、息を止めているのだ。酸素の味すら煩わしく思えたためである。
 この距離では言葉さえ聞き取れず、読み取れない。ならば香りだけはと、そう思いながらも眼を皿のように研ぎ澄ます――。

 くるりくるくる、くるくるり。ちょっきん。

 可愛らしい仕草で(すぐ)と伸びる紙色の髪の内、一房ばかりを束ねていた黒い(インク)リボンをするするとほどく。即座に巻き取り、≪ちょきんちょきん≫と可愛らしい丸文字を周囲にあざとくも見せびらかせる。
 振袖をゆすって、ぽおんと掌の上に(まろ)びでた和鋏でちょちょっと切り取る。
 これから作るのは文字通りの髪巻き煙草である。焚書の髪に練り込まれた有機コンピューター「ひとまるくん」は今から己の一部を燃やされると知っていてなお、けなげにも硬化をやめない。
 すべては言葉がこぼれないために。

 帯に留めた流行りのアニメキャラを象った根付をそっと撫で、印籠型の煙草入れから細刻みの次に刻みが細かいシャグ煙草を取りだす。
 いささか余談になるが、焚書はアニメが大好きである。ジャンルは問わない。
 続いて喫煙も好きなのだが、中身は前近代の読者が思うそれとは異なる。文字通り言葉を燻すのだから。

 新鮮な【言の葉は】普段喫んでいる味だ。
 しかし、白と黒、卸したてで新しく薫るインクもよいものだが、焚書が特に好んだのは経年の熟成によってセピアに変色した古書であった。煙る草、紙もまた草である。

 旧暦二〇XX年に講談社より出版された『ダンゲロス1969(著:架神恭介(かがみきょうすけ))』を中心に様々な古本、稀覯本を刻み、ブレンドした逸品『ラクティ☆パルプ』。
 現役女子高生を焼いた匂いに混じってどこか蟹らしい風味が美味しい。それ以上に恋に【燃え尽き融けて】いく切なくも甘い海鮮風チョコレートの味がこの宙を渡る船に祝福を与えるようであった。

 これには部下のメキシコ人、ティアモの監修も得ている。彼にはざっと数百年前の時間軸に飛んでもらい、とある高校生のところに出張してもらったがつい最近帰ってきたところだ。
 遥か未来の日本人である焚書の下にはワールドワイドな人材が揃っていた。

 西暦時代の煙草が有したニコチンやタールの害とは無縁。何より頭にいい。
 いささか余談になるが、口舌院焚書が一番好きなひみつ道具は「アンキパン」である。こうして彼女の手によって現実となったのだから。記憶は記録となり【消えていく】ことはない。

 シュッ、チッ
 ボゥ・・・・ジジ・・・・――――

 灰が落ちる。ポイ捨ては厳禁と言うことで足元では旗艦艦長、浪漫農園(ろまんのうえん)・北広島ジョニーが口を開けて待っていた。体勢については想像にお任せする。
 これは司令官は艦において便乗者に過ぎない規則上の優先と言うもので、根性焼きははしたない。煙草の【落ち葉拾う舌】ならばというおくゆかしい感情から生まれたやむを得ない職掌と言える。
 代わりに、処刑と言う最大級の誉れであり穢れをいただいたというのは先述した通りである。

 それを見て口舌院言論はぽんと思いついたことを喋りくる。いいえ、実はずっとしゃべくっていたのだが、それを周囲が気に留めないのは訓練の賜物である。臣民の納税は無駄ではなかった!
 口舌院言論は変態チックな白スーツに、古めかしいアポロキャップが恐ろしいほど似合っていなかった。重ねるが彼の挙動に誰も気を留めないのにはもうひとつ理由が≪うるせー≫……約一名例外。

 「ほう君たちはカニバリズムを志向しているのだねカニバリズムとはつまり蟹ばるつまり壇ノ浦で蟹が死肉をほうばることに忌避感を覚えた山口県民が生み出した方言と言われている要するにMANGAやTSUNAMI同様二十一世紀初頭に日本語おや君たちの言う古日本語だったねから国際語に輸出されたひとつと言われているのだがいやはや懐かしい香りがするこれはみんなで行った言葉狩りの匂いだね言葉狩りと言うのは口舌院家では紅葉――【君に届けよ】」

 時に、記憶という現象は五感の内「嗅覚」と特に密接に関わっていると言われている。
 細かい原理については省くが、心理迷彩によって外界と視覚を訴えかける文字情報を遮断し、聴覚に働きかける詠唱も努めて防いでいたが、従兵のクアラルンプール山田に辿り着いた匂いは防げなかった。
 そう、誘導したというのもある。言葉と文字に寄り添う口舌院であるなら誰もが警戒した。その裏を突いた。もし、タバコの煙がアルファベットであったら、焚書の首は落ちていたのだから。

 【言の葉は】
 【燃え尽き融けて】
 【消えていく】
 【落ち葉拾う舌】
 【君に届けよ】

 「言の葉は 燃え尽き融けて 消えていく 落ち葉拾う舌 君に届けよ」
 クアラルンプール山田の口を借りて完成した三十一文字の魔法は即座にその威力を示す。ボーイ―ソプラノが第三艦橋に響き渡り、目指すは一直線、炎の舌と言うか十億度の火炎放射が口舌院焚書に突き刺さる!

 ……予想外の方向から、予想外の誰かが、予期せぬタイミングで、しかも口から火炎放射。
 美少年の口から火炎放射。なんで!?
 たとえ、どんな知恵者としても火炎放射だけは読み切れない、その自信があった。この衝撃と動揺に、書籍で言うなら新刊本から古本屋送りになるくらいの年齢であるリオデジャネイロあきこもネオ宇宙日本刀を反射的に手放さざるを得ない。
 そして、この瞬間、焚書の首は自由になるものであり――。

 「死ねえ!!!」
 それと同時に、二〇〇〇億度からなる熱と光の束が第三艦橋周囲の空間を抉っていた。



 この混乱の中で為すべきことを為したのが銀河第一の詠み手だった。

 「我が(かばね) (そう)してこれを 口舌院 ()す書すなわち 日嗣(ひつぎ)の薪」
 「(よろず)の星 落ち続く空 汝らここに 誰もが欲する 夜明けとならん」
 「地に足を 我を見るのだ 東へ西に 暗と星の 端境(はざかい)にて」

 重力制御から離れ、地の楔から解き放たれた焚書がまずしたことは、己に視線を向けさせること。
 今天照(イマアマテラス)ここにありと天下万民に知らしめることだった。すべて宇宙の孤児となった乗員、私が照らし、地を定める。
 地球がまだ地球と言われていた時代では当たり前の常識をこの時だけは思いだすことをはじめる。音の早さで秩序を取り戻す第三艦橋で、続々と被害報告が上がってくる。

 ところで口舌院焚書と口舌院言論は当たり前のように健在だった。
 焚書の髪に練り込まれた知育型データベースの名は「ひとまるくん」。「ひとまる」とは「人麿」であり「火止まる」。紙色の髪は実に繊維質でありながら今年で二五三三億度の炎を止めるほど耐火性に優れており、何より綺麗で美味しかった。
 つまり十億度の熱線とは二五二二年前に通り過ぎ去った温度であり――、二〇〇〇億度もまた彼女を殺すには五三四年遅すぎたのである。

 そして、たった数首の歌、それだけでこの場は掌握された。
 それだけだ。それだけである。続いて潜宙(ステルス)していた、焚書の旗下にある宇宙艦隊が出現したことも決定打では無かったのだ。たとえそれが分艦隊の十倍を越える規模であったとしても。

 焚書にとっては喜ばしい。皇統に対する狂信的といってよい教育はここに結実した。

 最初からひれ伏していたものがいた気もするが、おそらく気のせいだろう。
 焚書にとっては皇族に対する敬愛を通り越した崇拝が前提の作戦と考えれば複雑な気分だったかもしれないが、そこは使えるものは何でも使おうというエゴの精神である。

 完敗?
 いや、最初から負けていた。
 宮中のさえずりスズメどもの暗闘が表立っての殺害を許容しなかった結果がコレであった。
 分艦隊を切り離し、サボタージュを決め込んだ方面艦隊司令長官の面の皮の厚さを見習うべきだろうか? それとも忠義の相手を選べ、軍人としてのキャリアアップを果たせという親心だろうか?

 砂糖ヶ原・リオデジャネイロあきこは考えた。
 それ以上に、凡俗の感情に流されたことを武人として恥じた。

 ≪アッキー≫
 ≪私の百人一首になりなさい≫
 三十一文字紡ぐ時間があれば貴様を(ハイ)と言わせてやる。本気で私を怒らせないでと囁いた。

 百人一首とは大将首を口説き落としては自分の部下にコレクションしようという焚書の悪癖である。既に三十四人ばかりが首を狩られて(ヘッドハンティングされて)、さんざこき使われていた。それを思えばひるみもするだろう。
 だが、今の充実した八時間労働、定時退庁。惜しいが、惜しくない。

 「再びを 垣間見るには 御簾(Miss)もなく 表返る碁に 白もなし」
 「今一度 歌壇に埋まらず 歌合戦 誉となして 凱歌と帰る」

 今はただ銀河最強の歌人と歌合戦を出来る好機にすべてを捨てた。
 弟君との紅白歌合戦が目前に迫っていることもわかっている。白組リーダー直々の誘いを断るなど愚の骨頂。
 けれど、戦いたいのは歌人としてか、武人としてか、今はわからなかった。

 ≪( ゜Д゜)ハァ?≫
 澄まし顔をしながら顔文字を髪上に流すのはひどくミスマッチだった。
 けれど、それと同時に目まぐるしく紙色の髪に縦横無尽、墨色の電子文字が走る。はじめは白に黒が混じる程度だったのが、古今東西、名句が飛び交う内に比率が傾いていく。数千年分の蓄積は第七世代には荷が重いか。
 終いには本人さえも言葉にならない何かをぶつぶつと呟きだしていた。

 身体強化の短歌、と言っても言葉に出さないうちには自己暗示の範疇に過ぎないのかもしれないが、それだけで自称身長一八〇センチ(※実際は一五〇センチ)の小柄な体から、陽炎のように熱が立ち上るのを感じた。

 「オセローの 真似事するか それよりも 兵棋の駒に 顔を赤めよ」
 「幻を 友とする者 我は好まじ 無職の夢で 現見直せ!」
 叱責の歌を詠う。人類の九十八%が無職となったこの銀河でそんな夢に何の意味があるのだろうか?
 仕事とは趣味である。だが、二〇〇億人もいれば趣味でも戦争は出来る。他の列強に征服戦争を挑み、全宇宙を統一する。そんな稀有壮大な夢を夢と笑う声を焚書は許さない。
 口舌院焚書は現実主義者である。夢を夢のまま終わらせず、いつだって現実に変えてきた。

 だが。それが今とは限らない。
 既に彼女のものになった艦隊で、排出口のスイッチに手を伸ばしたのも彼女であった。睨みつける視線はそのままに、戦う機会すら与えられず、ぽかりと開いた暗黒の渦の中にリオデジャネイロあきこは落ちていく。
 何に使うか専門家以外には理解不能な松本式メーターが並ぶ中、でたらめに押した計器の中に緊急脱出用ポッドの射出ボタンがあったのは狙ったことではない。どうとでもなってしまえと思ったのは確かだ。
 次会った時こそ、あの長い名前を変えてしまえばいい、そう思わなければついふて寝をしてしまいそうだった。

 「いや、いいの。あのままだと消してしまいそうだったから」
 五七五も今は忘れて自分に言い聞かせるようにしていう。
 「いや驚いたね君がここまでお膳立てしておいて見逃すとはあの宙流を辿ると第二皇子派の艦隊だったねああそうだそろそろ宇宙子午線を越える頃じゃないか子午線の祭りをしなくてはねというか僕はどうして眠りながら喋っているのだろうかまぁ睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠と言うものがあって僕はそのどちらも的確に休みながら喋り続けることが出来るわけでいやこれでは言論の自由と言うものが形無しじゃないかいつもの十分の一も喋れていないね――」

 文字を挟んで口舌院言論の自由を奪う気にも今はなれなかった。
 ただ、私が戴冠するその日になったら言論の自由を大いに制限してやろう、憲法改正だ。そう思っただけである。
 「『無色の夢』を見てる寝言でもこんなにうるさいのね……。本家の人たちかわいそう」
 割と自分のルーツには敏感な焚書であった。
 改めて思索に浸っていると、それに割って入る声あり。今度は意図的に無視しているのになぜか混ざってくる言論ではなく、通信手だった。端正な顔、なのになぜか右目付近に青あざを作った

 「殿下、折鶴より通信入っております」
 ≪つないで≫
 折鶴とは秘密魔人結社『手折結党(たおるけっとう)』七十二代目党首「折笠(おりがさ)ネル」が設計(※彼女も百人一首の一人である)を担当し、素材および資金提供「口舌院焚書」の下、建造された最新鋭ネオ宇宙戦艦である。
 当初はそのあまりに短い名前に、造幣局からセンスを危ぶまれたが、設計者が発した「お馬鹿!」の一言でGOサインが出たという武勇伝も残されている。
 職人が一枚一枚手漉きで仕上げた最高級和紙をふんだんに使用した装甲は二五三三億度の熱戦をものともせず、七十二層に折りたたまれたハニカム構造はそのどこかでG7級の大質量兵器を防ぎ、こと防御力において銀河最高と呼ばれる今時珍しいハンドメイド軍艦であった。
 その外観はバカな鳥ことフェニックスの骨、もしくは折り紙の鶴を想起させた。

 「殿下。素極端役(すごくはやく)(よむ)でございます。言祝ぎも望まれてはいないようなので修辞は排して手早くお伝えいたします。全次元における無色の夢の罹患者リストが完成しました。ただ今……そちらに送付いたしました」
 ≪ありがとう≫

 名は体を為すって素敵なこと。素極端役詠は自分の役目を果たすと即座に通信を切った。
 たぶん、砲撃を指示したあの人のことは言わなくていいんだろーなー、そう思いつつ凄く脇役なままこの一幕から退場するのであった。

 ……話を「ご機嫌いかが(以下略)」に戻そう。
 ≪こういう単純な仕事だとやっぱりAIは早いわね。ペーパーベースにすると折鶴が潰れちゃうのが難点だけど。≫
 「紙装甲の意味が変わる日を目撃できるとは僕も運がいい話は変わるが君の胸部装甲もなかなかに紙じゃないか≪うるせー!≫いやいや紙と言うことは色々なものを書き込めると言うわけでつまり陰影を書くことで「胸の話はやめろって言ってんだろーが!!」」

 キレた。完全無欠な二次元美少女は運命的に貧乳であるという不可逆的要素も抱えていたのであった。口舌院言論もそこはさるものである。
 所詮、短歌を除けば身体能力は並みの小娘に過ぎない焚書のパンチを軽々と避けるや話を続行する。
 「つまり無色の夢とは本来目的を持たない魔人が起こした現象では無かったが君が一旦白紙の紙にしてしまった=能力者本人を殺したことで暴走状態にある理解で合っているかな?」
 ≪論理に飛躍があるかもしれないけど、今まで仄めかしてる部分も含めると、ね……正解よ。≫
 三点リーダを加えたのはいささかの躊躇を示すためだろうか、真意を感じ取ってほしい甘えと解釈するにはいささか彼女を侮り過ぎかもしれない。だが、言論以外の誰にも見せない顔であることは確かである。
 七五調でなく普通に喋る焚書はこのプロローグでは割とコモンだが、人生丸々振り返ってみればスペシャルウルトラシークレットホロな挨拶みたいなもの、略してSUSHIみたいなものである。

 「本当のことを言うとね。銀河の姫様なんて言われても昔のアニメみたいに飽き飽きしていたの。世の不思議は大体解き明かされちゃったし、AIが人間様置いてけぼりにしちゃってさー、勝手に進歩発展しちゃってさー。
 人間そがい―、神は死んだ―、って言っちゃてたわーけーよー。この意味不明な魔人能力に覚醒するまではSOS団でも立ち上げようかなーって。ほらほら喜んだら? 美少女が身の上話してんのよ?」

 「魔人能力は埒外で無限の可能性を秘めた存在だからね演算の果てに有限の可能性へと人類を貶めたAIへのカウンターには十分と言うことかな元々君のいた宇宙に魔人はいなかったつまりそれこそ君が不思議を追い求める理由か」
 「そう。短歌を除けば私の能力も拉致って来た魔人も違う≪系≫の宇宙からやってきたもの。違う発想、無限に通じるのは夢幻の発想だけど、私は夢のままで終わるなんてこと絶対に認めない。……認めない」
 無色の夢――、それは確かに暇人(非魔人)だらけの宇宙でただ一人の魔人として生まれた皇女様にとっては娯楽なのかもしれない。だけど、ひどく切実で現実の願いでもあるのだ。

 「だから、夢をばらまいた。魔人能力者を集めれば何でもできた! それこそあの『迷宮時計』のようにたった一人で神様の真似事が出来る超E.F.B級能力者なんて可能性の海を探せばいくらでもいた!
 でも、私が生まれて十七年間私以外の魔人はこの銀河に、この宇宙に一人も生まれない! 母様に捨てられた私は本質的に孤児なんだ! みなしごは仲間を探さなければならないの。そのためなら……」

 たとえ、何千億、何兆という人間が死のうとかまわない、そう言おうとして止めた。きっともっとひどいことになるからと言おうとしてやっぱり止めた。
 代わりに短歌を口ずさむ。帝国の皇女と言う共通幻想の果てに、この宇宙でなら超新星爆発くらいは起こせる、そんな極致にまで辿り着いた。だけど、足りない。魔人がいる宇宙を作るためには時間が――足りない。

 「言の葉を くべる果てこそ ビッグバン ロゴスと言ったか 神よそこどけ」
 「夢に見た 既視感なんて 知らないよ アニメで見たよ それで通るさ」

 それで落ちついたか、焚書は深呼吸を一つ。
 ≪私も近々無色の夢を見てみるわ。その時は合図するから起こしてね?≫
 口舌院言論はウィンクをした口舌院焚書の顔を見て、銀河の歌姫も眠り姫になるならさぞ可愛らしい顔になるだろうなと、そう思った。
 ≪ついでに、いろはのやつに私の歌集を返してって言っといて。あの後ろから読むと、どいちゅ語になるやつ≫
 それは勘弁だった。
 ≪どうせ私をさっき撃ったのもいろはだったんでしょ?≫
 お見通しだった……。
最終更新:2016年03月29日 22:31