警告:このSSは「テウルギア」の設定が完全に構築される前に作成された、プロトタイプSSです。最終的な世界観・設定とは齟齬がある可能性をご了承ください。
賢者の密儀、栄華の代償; -01-
written by LINSTANT0000
暖炉で燃える薪に温められる、落ち着いた内装の執務室。赤絨毯の上に据え付けられた飴色の執務机に向かう、一人の男がいた。
どこかふてぶてしさを感じさせる態度の、口の端を歪めた灰髪紫瞳の優男。年は50を出ているか、というところに見える。机の上には、つい先ほどまで紫煙を上げていたであろう葉巻がクリスタルの灰皿にねじ込まれており、その脇には琥珀色の液体がはいったグラスが汗をかいていた。
彼は、サイドテーブルに積まれた分厚い報告書を流し読みしては、ボックスに放り投げるか、机に置かれた羽ペンでサインして、紙で余計なインクを吸い上げては乾燥台に置いていく。
どれだけの時間がたったのだろうか、執務机を埋め尽くしていた無数の書類を何らかの形で片付け、男は立ち上がりながら背伸びをする。
同時に、ビキッ、と聞こえてはいけない音がした。
「ン”ン”~ッ!?」
その瞬間、腰に走った激痛に男は奇声を上げた。
「あ、あぅっ!?こ、これはいけないなぁっ!?」
両手を高く上げ、座面からからわずかに起き上がった中途半端な体制で、男は身動きすることができなくなっていた。
―――動いたらたぶん死ぬね。
その奇妙な体制からほんの少しでもずれると、その後の地獄を予告するように腰が悲鳴を上げた。
中途半端な姿勢が、筋肉に大きな負担をかけていく。その姿勢を維持するのは、長いデスクワークと運動不足に侵された男の体には不可能なことだった。
―――あー、ちょっと肩と背中と足の筋肉がプルプルしてきた!
肉体が発する微妙な揺らぎが、腰からの痛みを誘発する。
このまま耐えていても、たぶん筋肉が限界を超えれば激痛の底に沈むことになる。それは避けたい。
以前、あまりの痛さに転げまわり、追加ダメージで病院に搬送される羽目になった身としては、避けたい事柄だ。
かなりの痛みに襲われるかもしれない。それでも背もたれによりかかって筋肉をほぐしていく方が、総合的にはダメージが少ない。
―――ならばここは覚悟を決めて、一息に!
「ふぐぉっ!?なんのぉ、これしきぃ!」
こわ張った筋肉を全力で稼働させ、椅子に腰かける。その衝撃が背骨を伝い、腰が跳ねた。その痛みに耐えつつ、無理矢理にでも背もたれによりかかり、筋肉を伸ばしていく。
「ぐ、ぐぐぐ!」
強い痛みに襲われ、じわりじわりと周期的に襲ってくる波を耐え抜く。
寄せては返す痛みの波との闘いは、いつまでも続くと思われた。しかし、次第に波は引いていき、いつの間にか収まっていた。
額から噴き出た脂汗を懐のハンカチで押さえ、一息つく。
男はこれまでの書類仕事よりも、たった数分間の腰痛との闘いの方で体力と気力を消耗していた。
「あ”あぁぁぁ。慣れないね、この痛みには。」
いまだに鈍い痛みを返す腰を、手のひらで優しくさする。
この痛みとは、忌々しくも呪われた椅子に座る羽目になって以来、妻と同じ程度の古い付き合いだ。
しばらくさすり、痛みが完全に収まったころ、執務室の扉が遠慮がちにノックされる。
―――この遠慮がちで重さの無いノックは、我が愛しの娘だね。
「お父様、入ってもよろしいですか?」
「入りなさい。」
愛娘の問いに、是と答えると、二人の人影が執務室に入り込む。
「こんばんわ、あなた。お疲れなのではなくて?」
「こんばんわ、お父様。あまり根を詰めては、お体に障ります。」
窓を模したスクリーンから投影される月明かりに照らされた二人の淑女が、男に夜の挨拶をする。
一人は豪奢な黄金の髪をかき上げる、完成された大人の女。我が半身たる麗しの妻。彼女は出会ってから30年以上、変わったところが見られない。いや、胸はさらに大きくなったかもしれないが。
もう一人は月明かりに煌く純銀の髪をまとめた、月光に溶けて消えそうな、幼く儚げな少女。我が至宝足る愛娘。可哀そうなことに彼女もまたここ数年全く成長していない。
二人とも、どこか不機嫌そうな、心配そうな表情を浮かべていた。
―――どうやら、愛すべき家族に心配をかけてしまったらしい。
「心配してくれてありがとう、もう仕事は終わったのだよ。」
椅子から立ち上がり、机を迂回して二人を抱きしめる。
「ん、ならいいのです。」
「ところで貴方、明日はお休みでしたわね?」
「そうだが、どうかしたのかい?」
腕の中から上がる、妻の問いにこたえる。はて、何かあったのだろうか。
首をひねっていると、娘が大きな声を上げた。
「わ、私聞きたい事があります!」
「なんだい?」
「お父様のご両親について、何も知らないことに気づいたの。私の知らない人たちを、知りたくて。」
声が小さくなっていく娘の頭をなでながら、ふと思い至る。
「そういえば、リューダには話したことがなかったのか。」
「私があなたのご両親について知ったのが、結婚する寸前だったのよ?この子に言ってるわけがないでしょう。」
そういえば、それ以降誰かに話した記憶もない。
「あまり面白い話でもないしね。」
退屈なだけだろう。あの時代、この場所ではどこにでもあったことだ。
「あら、私は好きでしたけれど。」
「そうかい?」
妻がそういうのだから、何かしら人を引き付ける要素があるのだろう。当事者の私にはわからないが。
「もぅ!私が聞いているんですよ!」
妻とイチャイチャしていると、娘がお冠だった。
「はは、すまない。ソファに座って待っていなさい。」
「ハイ!」
もう一度頭をなでると、彼女の顔に笑顔が戻る。むくれているのかわいいが、やはりこの子には笑顔が一番似合うと思うのだよ。
執務机に置いていたいくつかの写真立てから、一番小さなものを取り上げる。
そこに写っているのは、巨大な銃を背負い寒冷地装備に身を包んだ赤髪で髭もじゃの大男。そんな男に寄りそう、中等部くらいの銀髪の娘。そして、もこもこした防寒着に埋もれ、大男の腕に抱かれた薄い金髪の幼い男の子。
この写真を見るたびに私の胸が軋みを上げる。
忘れてはならない。
この写真こそが、私の原点であり、悔恨の根なのだから。
最終更新:2017年08月28日 00:53