小説 > アルファるふぁ > 聖女とレメゲトン

灰色の雲が天を覆っている。その下に在るのは、古びた要塞だった。崩れた廃墟を利用した城壁は、今にも崩れそうな危うさを秘めている。実際、外側からの攻撃を受けたのか一部が損壊していた。ここを攻められればこの要塞は簡単に陥落するであろうことは、火を見るより明らかだった。
だがその要塞はいまだ健在である。周囲には攻めてくる敵はおらず、その残骸だけがぽつりぽつりと転がっている。大きく穿たれた城壁の穴の前には、黒焦げになった鉄塊が、数えるのも面倒なほど転がっていた。要塞における攻防戦は終結しているのか、戦場の熱気は既にない。
城壁を乗り越えた先に、天高くそびえる建築物がひとつ。偵察塔である。雲を突くようなその塔は見るからに新品らしく、ボロボロの城壁と比べるとミスマッチとしか言いようがなかった。そんな偵察塔の中で、女性が一人ひざまづき、両手を合わせて目を閉じている。その女の行動が示すのは、祈りであった。
「また?」女の足下から、少年とも少女ともとれる声がした。「死んじゃった味方は仕方ないよ」声は女に呼び掛けている。「いいえ、敵のためにも、祈っています」女は目を開けて言った。「死者は弔われねばなりません」「そう。ご主人の好きにするといいよ」中性的な声は、女の拾った端末から聞こえた。
レメゲトン。強力な人型機動兵器テウルギアの動作をサポートする高性能AI。そのレメゲトンは、女の手の中で淡々と述べる。「次の準備した方が良いんじゃないかな」女は答えない。レメゲトンはただ黙った。女が祈りを止めるまで、じっと。偵察塔の一室に、重苦しい静寂が漂う。ふと、雨粒が床を濡らす
雨。曇り空から水滴が止めどなく溢れて、緑の消えた大地に恵みを注ぐ。レメゲトンは感慨深げに呟いた。「珍しいね、ここら辺で雨なんて」だがふと思い出す。窓は閉まっている。何故床が濡れたのか。雨漏りか、いや違う。レメゲトンが主人と呼び慕う女の瞳から、ゆるりゆるりと、小粒の雫が滴っていた。

レメゲトンはそれを無視した。自分の仕事はメンタルケアではないと、そう弁えていたから。主人が、命が消え続ける戦場で死者を背負うことも、レメゲトンは無視した。彼女の選択を踏みにじりたくなかったから。だからその涙を、無かったものとして扱う。聖女と呼ばれる女が流す、死者への祈りの涙を。
人の心を支えるのはレメゲトンの仕事ではない。レメゲトンの役割はテウルギアの操縦者であるテウルゴスの戦闘面の支援。つまり、主人が心を痛める、虐殺の手伝い。彼女の涙に応えてやるのはAIの役目ではない。それは人間が暖かさと心で以てそれを行うべきだ。消えていく涙を、レメゲトンは無視した。
「カタリナ様」通信機からの声が、重苦しい雰囲気を裂いた。
「敵部隊が接近してきております、出撃を」
「…かしこまりました」
女は服の袖で目元を拭う。
「数は?」
レメゲトンが問う。
「マゲイアが600程」
言い終わる前に中性的な声は告げた。
「穴のところをカバーする」
「では我々は周囲を固めます」
唇を引き結び、カタリナは言った。
「マルティール。プレアーガードナー、決戦仕様」
「了解」
レメゲトンは返答する。
「行こう。ご主人」
「ええ…わかりました」
瞳には潤いはなく、聖女の拳は固く握り締められ、そして彼女は向かう。多くの命を守るため、多くの命を奪うため。荒れ果てた大地の、戦場へ。
聖女は、祈る。死した者達の魂の安息と、争いが無くなる時のために祈る。体を疲れさせ心を削り涙を落として、その祈りが届くまで祈るのだろう。ならば、とレメゲトンは思った。自らも、祈ろうと思った。我が主人が、心を安らかにして信頼する人間に出会えることを祈ろう。そして二人は、戦いへ赴いた。
雨が止み、雲の切れ間から眩い陽光が地に差し込む。照らされた先にある古びた要塞は、いまだ健在であった。周囲には鉄の屍がいくつも散らばり、そこで起きていた戦闘の激しさを物語る。しかし残骸が全く無い場所があった。要塞に一つ空いた穴を中心とした扇状の範囲。そこだけ、マゲイアの残骸が無い。


その部分だけ消しゴムで丁寧に拭われたかのように物体が存在しない。綺麗な更地になった地面の上には、ネジ一本とて落ちていなかった。整地範囲の基点となる壁の穴の前には、静かに佇むテウルギア。そのコクピットで、金の髪を揺らして、聖女は再び祈りを込めている。陽はただ、その姿を照らしていた。

終わり
最終更新:2017年09月02日 01:49