小説 > ソル・ルナ > 夜天月下狂想曲 > 2

「…」

月明かり漏れる森の中、捕虜となったリュドミラは両手を手錠により後ろ手で固定され、共に行動した部下達と共にヘリに乗せられていた。

結局の所、送られてきたメールはジュラーヴリクの危惧した通りの罠であった。
レフレークスのコクピットを出た後、背後にいたミラージュ・ナハトのテウルゴス、レサス・フェンリアが語る所によれば、アリシアからそんな話は聞いていないし、当のアリシアも心当たりがないと返すばかり。
「嘘が下手なのね」とボヤいたのを聞いて思わず「嘘なんかではありません!」と返してしまったばかりに彼女の気を引いてしまい、そのまま直接尋問を行う事になってしまった。

「…不満か?」

前の席で、レサスがリュドミラに問い掛ける。

「…不満がないと言えば、嘘になります」
「…だろうな。まぁ、命があっただけマシだと思ってくれたまえ。殺すなというお嬢様の命令でな」

いけしゃあしゃあと男が答える。
…恐らく、その言葉は真実であると確信していた。
本気で殺す気があるのであれば、あの時警告を出すまでもなく機体を一閃するだけでリュドミラは物言わぬ骸になっていた事だろう。
そして、この男の様子からして「手慣れている」というのは容易に想像出来た。
理由がなければ一瞬の躊躇もなく敵機を「処理」する。この男はそれが出来る人間である。

それを理解するからこそ、その命令が事実であると推測出来るし、彼が嘘をついていないということを理解出来る。

…アリシア=セレナーデ・クロノワール。
リュミエール・クロノワール現代表にして、クロノワール家9代目当主を務める女性。
自身もまた絶世の美貌を持ちつつも、美しいものを愛し、それを求めるあまり色に狂ったとまで言われる「魔性の姫君」。
そんな彼女が何を思ってその様な命令を下したのかはまるで分からないが、一つだけ確信出来ることがあった。

今日一日、ろくな目に遭わないということだけは。




第二話 リュドミラ、お姉様に会う





気が付けばヘリの窓には煌めきに満ちる街並みが映り、今の自分の立場を忘れてしまう様な景色が広がっていた。
かつて上海に「100万ドルの夜景」があっただのなんだのとだけ聞いた事があるが、果たしてこの様な光景だったのだろうか。

そこはリュミエールの首都、エリュシオーネ。
かつて台湾と呼ばれていたその都市は、大規模な再開発によりかつて世界中を巻き込んだ戦火を感じさせない程に発展していた。

「わぁ…」

思わず感嘆の声を漏らす。共にいた部下達も口々に感想を零している。
コラ社にも景観の良い場所がないわけではなかったが、如何せんこれ程までに街明かりが煌めき、優雅さを隠しもしない街並みは見たこともなかった。

「…ふむ。君、窓を開けてくれたまえ」
「はっ!」

レサスがパイロットに指示を出す。
どうやら今の姿を見かねたらしい。

「…くれぐれも落ちないようにな」
「「「「「は、はい!!」」」」」
「賑やかな事だ」

男の忠告を受け、全員が威勢の良い返事を返す。
まぁ、これだけの景色を見れば釘付けにもなろうものだろう。
ヘリがリュミエール本社へと辿り着くまでの間、彼らは捕虜であることも忘れて外の景色を楽しんでいた。

外の景色を眺めて暫くすれば、ヘリは着陸態勢へと移り高度を下げていく。ヘリポートには多数の誘導員の他、明らかに通常とは雰囲気の違う─恐らくはテウルゴスであろう個性的な面々がそこに揃っていた。
ふとリュドミラはリュミエールのテウルゴス達を思い出す。
それもそのはず、そこにいるのは各部隊の隊長をはじめとした錚々たる面子だったのだから。

「アレが噂の…ふん、本当に成人しているのだろうな?私には年端も行かぬ子供にしか見えんが」
「一応、公式の話が正しければコラ社以外でも成人していると言えるはずよ。とはいえ…流石はかの"永遠に幼き白銀の雪"(エターナルシルバーロリータ)、こうして見ると想像以上ね」

長い茶髪を三つ編みにして束ねた男がヘリを見上げ、窓から顔を出していたリュドミラを見ながら呟く。恐らくはリュミエールの毒蛇と名高いヴェノム・アケローンだろう。
その隣で男を制するように返す紫色の髪を持った女性は大図書館の主にして「上海幻想幻樂団」の隊長として知られるパトキュール・ノーリエッジュか。

「あははっ、私よりもちっちゃーい。本当に年上なのー?」
「こーら、そういうことを言ってはいけません」
「う、うぎぎ…」

無邪気に心を抉る少女とそれを諌める女性はそれぞれ同部隊に所属するフランシスタ=イデアドールとユカリ・コイズミだろう。
その様子にリュドミラはフランシスタに対して内心「貴方にだけは言われたくない」とツッコミを入れていたのは言うまでもない。

「皆様、一応相手はご令嬢でございますよ。失礼のないようにしてください」
「一応は余計だと思うのだが…」

その後ろに立つメイドと麗しい騎士はツバキ・イザヨイと近衛隊長ジルクリンデ・アル・カトラズか。
三者三様の対応を取るテウルゴス達を宥め戒める様に声を掛けてるのだろうが、どうにも抜けてるのか、メイドの言葉にはわざとかと疑いたくなる枕詞が付いていた。

「…僕も色々な人を見てきたけども、流石に成長しない人間等は見たこともない。さぞや苦労したのだろう」

その外れでじっとヘリを見詰めているのは「死神の目」ことデューク・東方だ。
なんとも言えない同情の眼差しは今のリュドミラには容赦なく突き刺さる。

「ぐぬぬ…皆さん言いたい放題言ってくれますねぇ…」
「安心しろ、俺も貴公を見た時には同じ様な感想だった。目の錯覚かと疑いたくなったものだ」
「フォローになってませんよ!?」

思わず声が裏返る程のツッコミを返す。
これはいけない。余りにもメンバーが濃すぎる。こうして集まるだけで面白いとは何事だ。
完全に向こうのペースに嵌められている。いや、捕虜なのだから当然なのだが。

「まぁ、落ち着きたまえ。あまり血を上らせると後に響く」
「わざとですか!?あとそこ、さっきから笑いこらえてるのバレてますからね!」

ずっと笑いを堪える部下達を叱りつつも返す。それこそが正に嵌められている証拠で、そして部下達の笑いを誘うのであるが。
そうこうしている内に高度はみるみる下がっていき、レサスの言葉を証明する様にゆっくりと着陸した。

「着いたか。おい、捕虜達を連れて行ってやってくれ。ああ、パトキュール、お嬢様は?」
「居るわよ。待ってるはず」
「なら丁度いい。お前達も来てくれ。どうせ私も同席するんだ、テウルゴスが増えた所で変わるまいよ」
「はいはい。ほら皆、行くわよ」

レサスの言葉を受け、パトキュールが手を叩いて好き勝手に歓談するテウルゴスを纏めていく。
リュドミラ達を連れる5名の兵士とテウルゴス、総勢18名の大所帯での移動となった。

「アリシア、レサスが連れて来たわよ」

パトキュールが謁見室のドアを叩く。が、そこに返事はない。

「…おかしいわね。ねぇ、アリシア?連れて来たわよー」
「…!?わわ、ちょっと待ってて頂戴、今準備してるからー!」

再びドアを叩く。すると少ししてからバタついた音と共に彼女のものであろう声が聞こえてきた。
5分ほど待っただろうか、中から「入っていいわよ」と声が響き、パトキュールがドアを開く。
案内された先には見事な椅子が人数分用意されており、その先には優雅に座り込むアリシアの姿があった。

「先程はお見苦しい対応を致しましてごめんなさいね。ごきげんよう、皆様。私がリュミエール・クロノワール社代表兼クロノワール家九代目当主、アリシア=セレナーデ・クロノワールでございますわ」
「…ま、眩しい…!」

その場にいた部下も含め、リュドミラ達5人は思わず感嘆の声を漏らす。
普段は下ろしている髪をシニヨンの様に纏めている辺りや、ほぼメイクの見られない顔に上気した肌を見る限り、どうもシャワーを浴びていた所だったらしい。

「想定より早く来たから焦っちゃったわ」
「貴方ねぇ…」

額を抑えてパトキュールが呟く。
この二人は幼少期からの中であるらしく、アリシアにズバズバと物申せる数少ない人間であるようだ。

「まずは、遠い所を御足労おかけしました。拘束を解いて差し上げなさい」

彼女の一声を機に、即座に全員の手錠が外される。
多少の警戒もないのだろうかとも思うが、まぁこのメンバーの中にいて彼女に手を出すのは不可能であろう。
ジルクリンデは当然のこと、ヴェノムに至ってはいつの間にか合流したレメゲトンのベガまで同席しているとなれば、事を起こそうとした所で即座に見抜かれて拘束されるのがオチだ。

絶対的な優位。
それを確信するが故の解放なのだろう。

「では早速ですが…リュドミラ・アナートリエヴナ・シャーニナ」
「は、はい!」
「この私、アリシア=セレナーデ・クロノワールが御身に問います。今この場で嘘偽りなく、何があったのかを話すことを誓えますね?」
「…ち、誓います!」

よく通る、透き通った声が響いてくる。その内容もあって、さながら洗礼を行う巡礼者の様な気分であった。

「よろしい。今ここに、こうなるにまで至った経緯をお話しなさい」
「は、はい…切っ掛けは数日前に届いた電子メールでした。有り体に言うのであれば、"アリシア陛下が私を招待している。ただ表立っては会えないからテウルギアで来て欲しい。ルートは支持する"というものでした。送信元はリュミエール本社、更にリュミエール社の電子署名も付いていました」

リュドミラは洗いざらい話し切った。
今思えば不思議な程に素直に言うことを聞いていたのは、あの時既に魅了ないしは洗脳されていたのかもしれない。
だがこれが後の混乱を引き起こすとは、当時のリュドミラはおろか、アリシアを除いた誰もが想像もしていなかった。

「…」
「う、嘘は言ってませんよ!?招待状が必要だと思ってタイムスタンプはおろか非改竄証明まで取って保存したんですから!今端末に入ってます!」

ピクリと反応した後、何時になく神妙な顔で黙り込むアリシアを見て思わず言葉を紡ぐ。
部下が「あー、馬鹿…」と言わんばかりに顔を歪めるが、しかしこれが功を奏した。

「見せなさい」
「はっ」

ジルが個人端末を取り出しリュドミラに差し出す。
生体認証とパスコードの多重ロックを解除し、画面にメールを表示させてアリシアへと差し出す。

しばし端末を眺めた後に、アリシアは傍にあったデスクトップの画面と見比べてため息をついた。

「…とりあえず、結論から伝えましょう。そのメールは、何者かによって偽造されたものです」
「!?」
「…この場にいる全員を含め、リュミエールにいる人間は私の事を"陛下"とは呼びません。様を付けるだけか、専らお嬢様と呼びます」

端末を受け取りつつ、アリシアが告げる単純な事実に、リュドミラ達5人は思わず驚愕する。
言われてみれば、最初に出会ったレサスを含め、誰一人としてアリシアの事を「陛下」などとは呼んでいなかった。

「そして、このメールも精巧に作られておりますが、やはり偽物です。とはいえ、貴方を騙すつもりで作られておりますし、何より偽物をわざわざ用意するのですから、気付かなくて当然なのですが」

アリシアがフォローする様に告げていく。
事実、デスクトップにはメールサーバーの詳細が映っているのだが、そこにある一覧にそのメールは入っていなかった。
アリシアの電子署名でないのは、恐らくこのメール自体はリュミエールではない人間が作成・送信したもので、そちらを使おうとしても本人に察知されてしまうからだろう。
しかし、リュドミラが受け取ったメールの詳細を確認すれば、そこには確かにリュミエールのサーバーからメールが送られた事を示す情報が残っている。
リュミエール管理のサーバーに履歴を残さず、かつこの署名を記したメールを作れる存在となると、答えは最早一つしかない。

「…少し、考えがあります。リュドミラ、貴方を連れて屋敷へと向かいます。残りの方はこのまま客室へお連れし、簡易式で宜しいのでおもてなしをお願いします」
「しょ、承知致しました!」

兵たちが驚いた様に受け答える。

「レサス、直ちに設備管理に向かいなさい」

凛とした声が響く。

「御意。ネズミ捕りの時間だな」
「お願いするわ。これは公務よ(・・・・・・)。」
「その指示が出るのも久々だな。まぁ、お陰で成すべき事を忘れずに済むから、感謝はしておこう」

フードを押さえて顔をしっかりと隠したまま、一人レサスが部屋を出ていく。

「…亡霊共め、やってくれる…ツバキ、車を」
「承知致しました」
「…とと、その前に」

誰に聞こえるでもなく小さな舌打ちをした後、控えていたツバキに指示を出す。
そして彼女は次の言葉を紡ぎ、ペンと色紙を取り出して一筆したためていた。

「…ほら、あげるわ。詫びと言っては何だけども」
「…これは…ま、まままままさか」
「ええ、たった今貴方に書いたサイン色紙よ」
「ふぁぁぁぁぁぁぁ!!?!?」

先程とはうってかわって砕ける口調に、彼女の素をようやく見出す。恐らく外交の都合上わざと堅い口調でいたのだろう。
どことなくバツが悪そうに微笑みながら差し出されたそれの破壊力たるや凄まじく、リュドミラは自分の立場も忘れて舞い上がっていた。

「こ、こここここんな、わわ私の為に出来たてホヤホヤのサイン色紙だなんて…ラミネート…いや、対砲ガラスで保存しなければ…お姉さん!」

ちょっとばかり大袈裟な対応に少し引くアリシアなどいざ知らず、リュドミラが声を張り上げる。
辺りが一瞬困惑に包まれるが、

「そう、そこのお姉さんです!ここにも対砲爆ガラスの加工設備はありますよね!?貸してください、これを保管します!」

そう叫ぶリュドミラの視線の先には、見目麗しい「銀色の騎士」が立っていて、それに気付いたアリシアとパトキュール、そしてユカリは吹き出しそうになるのを堪えていた。

「…お、おねっ…お姉さん…!?お姉さんって…!?」
「ぶふっ…!」
「やれやれ、相変わらず貴様は勘違いの的だな」
「う、煩い!」

状況を察したデュークが思わず噴き出し、ヴェノムがからかうように声を掛ければ、ジルもつい反射的に吠えてしまう。

「…あれ…?お姉さんじゃ、ない…?うそ、男性だったんですか!?」

悪意のない追撃にショックを受けたか、リュミエール最後の良心は膝から力なく崩れ落ちる。フランシスタに至っては声を出して爆笑し、そのままジルを煽り出す始末である。

「ねぇねぇ、今どんな気持ち?見ず知らずの幼女に"またしても"間違えられてどう思う?私知りたーい♪」
「だから幼女なんかじゃないって言ってるじゃないですかー!?というか貴方に言われたくないですー!!?」
「でも貴方私よりちっちゃいよー?イ・ロ・イ・ロ・ね♪」
「ふきゃー!!?」

フランシスタの煽りに乗ってしまうリュドミラの姿にアリシア達も笑いを堪えきれず、リュドミラの部下達も噴き出して蹲る。

「もう…勘弁して下さい…」

そんな中、銀の騎士が震える声で漏らした心の叫びは、しかし誰に届くまでもなく消えて行ってしまった。
夜はまだ、明けそうにない。
最終更新:2019年04月05日 20:24